CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

ブギの女王笠置シヅ子の生涯・その7◆吉本頴右(泰典)の子を妊娠…芸能界引退…遠距離恋愛の末…朝ドラブギウギ・NHK連続テレビ小説・東京ブギウギ・穎右・笠置シズ子・趣里、水上恒司・吉本せい・吉本興業

2023年12月28日 17時08分14秒 | Weblog
標題のYoutube動画が見つかりましたのでGooで共有させていただきました。

ブギの女王◆笠置シヅ子の生涯・その7◆吉本頴右(泰典)の子を妊娠…芸能界引退…遠距離恋愛の末…朝ドラブギウギ・NHK連続テレビ小説・東京ブギウギ・穎右・笠置シズ子・趣里、水上恒司・吉本せい・吉本興業


関連Youtube動画
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神戸市中央区の北野工房のまちがリニューアルのため本日(12月28日)で閉館されます

2023年12月28日 10時36分23秒 | 神戸情報
神戸市中央区の北野・工房のまちが本日(12月28日)で閉館されます。
リニューアルによる閉館に先立ち12月26日に写真を撮ってきましたのでその一部を紹介します。
「北野工房のまち」は廃校になった旧北野小学校を活用して1998年に誕生した体験型観光スポットです。 
2023年に25周年を迎えています。
リニューアル工事令和6年(2024)2月から同年9月の予定
北野工房のまちの運営会社は2024年2月からは株式会社ジーライオン 代表取締役 菊地秀武 
(神戸市中央区新港町11番1号 GLION Awa-s BuildinG 9階)に変わります。
契約内容は定期建物賃貸借契約及び土地賃貸借(15年) 賃料月額:105万円
リニュアル後の計画
1階 
 ・神戸の地元食材を使ったオリジナルスイーツの開発・販売(スイーツショップ)
 ・日本酒などの神戸特産品を集めた地場産品ショップ
 ・神戸のスイーツ史と神戸紅茶の歴史が学べる展示
 ・カフェ
2階
 ・神戸が世界に誇る食材(肉、野菜、酒など)を使ったレストラン
3階
 ・貸室(イベント会場)
 ・地域活動スペース

さらに詳細については下記サイトで確認できます。

現在までの北野工房のまちの基本情報  
住所:神戸市中央区中山手通3丁目17番地1号 TEL:078-221-6868
営業時間:10:00~18:00 入館料:無料
休館日:不定休・年末年始

所在地のGoogleマップを添付しておきます。

前置きが長くなりましたが早速、写真紹介に移ります。

上の2枚の写真は「北野工房のまち」の建物外観

上の2枚の写真は1階と2階の工房案内
上の写真は「北野工房のまち」のリーフレットで紹介された工房案内
上の写真は1階から3階の平面図(避難経路の説明図)

1階校長室の展示

上の写真は1階の校長室の入口
上の写真は神戸市立北野小学校資料室の説明パネル
神戸出身の滝川クリステルさんは北野小学校に学んでいます。
滝川クリステルさんについては下記ブログで綴っています。
「水木しげる」さんも北野小学校で学んでいます。(下の写真)


上の2枚の写真は展示遠景
上の写真は北野小学校の閉校(平成8年(1996)3月25日)関連展示
上の写真は大正時代の北野小学校木造旧校舎

玄関

上の写真は玄関の遠景 北野小学校時代のなつかしの思い出の写真が掲示

廊下の遠景

上の写真は1階の廊下の遠景
上の写真は2階廊下の遠景

階段と手摺及びシャンデリア









ステンドグラス






二宮金次郎像


洋服の仕立


灘の酒蔵通り







神戸の長く歩ける靴 アシオト(Asioto)

西洋家具


永田良介商店のブース

マッチ
上の写真はマッチ棒のブース



上の3枚の写真はマッチに関する説明パネル
上の写真は神戸開港150年記念の燐寸

 明治時代中期の日本の輸出品の中で燐寸は重要な位置を占めていました。
 輸出先の最大市場は中国であった。
 麦少彭と呉錦堂はマッチ王の滝川辨三・滝川儀作親子とタッグを組み中国への
 輸出を拡大させていきました。当時、マッチ生産高の80%が中国、インド、
 ペルシャ向け輸出で、スウェーデン、アメリカ、日本が三大マッチ生産国であった。

下の文章は小生の下記ブログから再掲載したものです。
マッチは文政10年(1827)イギリスの薬剤師J.ウォーカーが摩擦マッチ、ウォーカーマッチ
(Friction Lights )を発明し、販売したのが始まりで、その後1855年スウェーデンの
イェンシェピング社のJ.E.ルンドストレームが安全性を改良した「安全マッチ」を発明
特許も取得し普及していった。

日本ではマッチは明治の初め早附木(はやつけぎ)とか摺附木(すりつけぎ)と呼ばれ
最大の輸入品であった。

国産のマッチ製造に貢献したのは燐寸の開祖、清水 誠(まこと)(1845-1899)です。
彼は明治8年(1875)東京霞ヶ関の吉井友実卿私邸において黄りんマッチの試作に成功
その後改良を加え明治9年(1876)4月に東京三田四国町に「新燧社(しんすいしゃ)」を
設立、同年9月に東京本所柳原町に移転し、安全マッチの本格的製造を開始した。
神戸では明治10年(1877)神戸監獄使役場での生産が初めてと言われている。
その後荒田町、湊町、琴ノ緒町、大開町などで民間のマッチ生産が行われました。
明治12年(1879)本田義知が明治社、明治13年(1880)滝川辨三が清燧社を設立
操業を始めた。明治18年(1885)播磨幸七が鳴行社を、明治20年(1887)には
直木政之助が奨拡社。滝川辨三の養子の瀧川(梶岡)儀作は良燧社を設立した。
直木政之介は燐寸輸出の覇者として知られています。

これらの人物の内、滝川辨三は「日本のマッチ王」と呼ばれている。彼は燐寸工場を合併して
大同マッチを設立、一時期1社でシェア70%を占めるまで成長させた。
最盛期の大正8年(1919)には神戸のマッチ生産額シェアは80%を占めていた。
また、同年の輸出においては神戸港が全国の79%を占めていた。
昭和に入ってからは生産地の中心地が姫路、淡路などに移るようになって神戸における
マッチ生産量シェアも減少しています。

神戸牛
神戸北野 旭屋精肉店

神戸佃煮
上の写真は大黒屋のブース

南京町中華

上の写真は南京町 皇蘭のブース

チョコレート
上の写真は神戸フランツのブース

真珠
上の写真はパールA&Sのブース

帽子
上の写真は帽子工房 イフティアートのブース

オリーブ

北野工房のまちの駐車場の片隅に「神戸オリーブ園」説明パネルがあります
神戸オリーブ園に関する詳細は下記ブログで書いています。

 
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京都市電 日本で最初に路面電車を走らせた京都電気鉄道と蹴上水力発電所

2023年12月28日 05時51分47秒 | 京都情報
日本最初の電気鉄道(チンチン電車)は明治28年(1895)、京都の岡崎公園一帯で
開かれた博覧会への客輸送のため、明治28年(1895)2月1日伏見(油掛通)と
京都駅(七条停車場)の間の6Kmの区間で開通
しました。私鉄の京都電気鉄道(株)が運営。
京都市民に親しまれた市電は昭和45年(1970)まで走りました。
線路幅は1067mm 。その狭い線路幅から「N電」(ナローのN) の愛称で親しまれました。

電気鉄道(チンチン電車)ができた背景ですが、京都では 琵琶湖疏水を利用した
蹴上水力発電所が 明治23年(1890)に完成し, その電力を利用して上述のとおり
明治25年(1892)に 日本で最初の営業路線となる電気鉄道 (電車) が開通した。
開通当初は、東海道線に踏切があって その南側が起点となっていたが 明治34年に
高倉跨線橋が完成して, 京都駅北側の路線と接続された。
上の写真は京都市内を走るチンチン電車
出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page27

東京では馬車鉄道が盛んであったため路面電車の開通は遅れて明治36年(1903)に開業しています。
日本で最初に電車を走らせたのは明治23年(1890)、藤岡市助で東京・上野で開かれた
第3回内国勧業博覧会に電車を出品し、実際に走らせています。
上の写真は藤岡市助が導入したアメリカ製の電車。わずか400mの区間を走っただけだが、
反響は大きかったそうです。
出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page26

また、京都駅の北東側に電気鉄道事業発祥地の碑が設置されています。
2012年3月21日に写真を撮っていますので写真紹介します。
上の写真は電気鉄道事業発祥地の碑 撮影:2012年3月21日

電気鉄道事業発祥地の碑は昭和50年(1975)2月1日に日本国有鉄道、京都市交通局、
関西電力株式会社、阪急電鉄株式会社、京阪電気鉄道株式会社、近畿日本鉄道株式会社
阪神電気鉄道株式会社、南海電気鉄道株式会社、京福電気鉄道株式会社、
鉄道友の会京都支部の協力で設置されたようです。

碑に書かれている文章を引用させていただきます。
日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。
即ち明治二十八年二月一日 京都電気鉄道株式会社は 東洞院通り七条下る
鉄道踏切南側から 伏見下油掛通りまで 六キロの間に軌道を敷き
電車の運転を始めた。
この成功を機として 我が国電気鉄道事業は漸次全国に広がり
今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。
よってその八十周年にあたり 先人の偉業を讃えてこの記念碑を建てる。


石碑には当時のチンチン電車の写真もありました(下の写真)ので掲載しておきます。
 

伏見下油掛通りにも昭和45年(1970)2月1日に碑が建立されているようです。

琵琶湖疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、
明治18年(1885)起工され、明治23年(1990)に竣工した。

一方、琵琶湖疎水を利用する蹴上発電所は当初の計画にはありませんでしたが
明治21年(1888)に田辺朔郎と高木文平が米国コロラド州アスペンの
銀山で視察した水力発電に関心を持ち、導入が決定されました。
この結果、電力は京都の産業復興や日本初の路面電車の誕生に大きく寄与しました。
当初、蹴上水力発電所が稼働していないときは 路面電車も動かなかったようです。
蹴上水力発電所については下記ブログで詳細に書いています。
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