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加古川市野口町古大内の大歳神社(賀古駅家跡)訪問記 on 2021-4-2

2021年04月09日 05時18分27秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年4月2日、加古川市野口町古大内の大歳神社(賀古駅家跡)を訪問しました。

古大内遺跡の発掘調査(昭和59年、平成21年、平成31年)により賀古駅家の駅館院

の想定域(築地塀を巡らせた80m×80mの正方形領域)や古山陽道への進入路

及び門跡が確認されました。又、遺物として大量の瓦の破片、鍛冶関係遺物、土器

などが見つかりました。

本ブログでは大歳神社の境内の現況と発掘調査の概要などについて纏めました。

発掘調査報告書は奈良文化財研究所のデータベースで確認できます

 1)兵庫県古代官道関連遺跡調査報告書Ⅰ 兵庫県教育委員会 (2010)

 2)兵庫県古代官道関連遺跡調査報告書Ⅳ 兵庫県教育委員会 (2018)

 3)古大内遺跡発掘調査報告書 加古川市教育委員会 (2020)

    4)  兵庫県古代官道関連遺跡調査報告書Ⅱ 兵庫県教育委員会  (2013)

 

駅家(うまや)とは

大宝元年(701)の大宝律令の制定により中央集権的な国家体制を目指して大和朝廷は

五畿七道と呼ばれる行政区画を設置し、官道を整備していった。

都(藤原京、平城京、平安京)から大宰府まで伸びる古山陽道はその中でも重要な官道であった。

これらの官道には公の使者に馬や食料を提供し宿泊もできる駅家(うまや)又は単に駅と

呼ばれる施設をほぼ30里(約16Km)ごとに設置した。古山陽道では8km毎に設置。

駅家の施設としては、業務を行い駅使の宿泊施設となる区画施設を伴う駅館(駅館院)、

厩舎と水飲み場、食事の調理場、馬具・駅稲・酒・塩などの倉庫などがありました。

駅家は孝徳天皇大化2年(646)正月「駅馬伝馬を置け」の詔により創設された。

上の写真は播磨国における駅家を示したものです。

播磨国の古山陽道には東側より明石駅、邑美駅、賀古駅、佐突駅、草上駅、大市駅、

布勢駅、高田駅、野磨駅と9つの駅家がありました。

上の写真は播磨国に摂津国まで含めた駅家の場所を示したものです。

 

賀古駅家(かこのうまや)

 大歳神社境内及び周辺の古大内(ふるおうち)遺跡から出土の古瓦から奈良時代後期

 8世紀中頃から後期、この地に賀古駅家が存在していたことがほぼ確実となっています。

 播磨風土記(和銅6年(713)以後約3年間で編集)賀古郡の条、最後尾に下記の文章があります。

  駅家里土中由駅家為名  

 意味するところは加古郡内に駅家里なる集落があり、農耕に適する土質としては中の中

  

 

上の写真は過去に実施された発掘調査 出典:3)Page11

延長5年(927)12月25日、藤原忠平による延喜式 中巻28兵部式に播磨国駅家に

ついての記述があります。この延喜式には全国約400の駅家が記載されています。

明石駅三十疋、賀古駅四十疋、草上駅三十疋、

大市駅、布勢駅、高田駅、野磨駅 各二十疋 以上は古山陽道

美作道の越部駅、中川駅 各五疋とあります。

全国各道の駅馬数は、大路の駅 二十疋、小路の駅五疋前後の基準から考えると

賀古駅の駅馬の数、四十疋は全国でも稀な大駅であったと思われます。

尚、この地点で邑美駅と佐突駅が廃止されていることも判ります。

 賀古駅家が40疋になった経緯について下記サイトで詳しく解説されています。

 神戸・兵庫の郷土史Web研究館/郷土史探訪ツーリズム研究所 (saloon.jp)

 

同じく播磨風土記の賀古郡の条に「出雲臣比須良比売給於息長命墓有賀古駅西」

意味するところは12代景行天皇(BC17年~130年)とその皇后印南別嬢(いなみの

わきいらつめ)の縁を結んだといわれる息長命(おきながのみこと)の墓が

賀古の駅家の西にある。

風土記の記事を根拠に息長命の墓を推定すると古大内遺跡の西1.5Kmの位置にある

聖陵山古墳が有力な候補となる。

 

大歳神社境内の現況

 

 

上の写真は正面から撮った大歳神社

上の写真は大歳神社の拝殿 参道の周辺には礎石と思われる石が散在しています。

上の写真は拝殿から観た大歳神社の境内

上の写真は古大内城址と書かれた石碑

石碑の土台にも礎石とみられる石材が転用されています。

大歳神社の西側には古大内城の堀跡と思われる小川が残っています。

文化元年(1804)に秦石田が著した「播州名所巡覧絵図」には「大納言季房卿古城跡

大内村にあり 今に四方深き堀あり 是城池のごとし」

上の写真は駅館院、古大内城跡、古大内遺跡の範囲を示したもの 出典:3)Page3

 

上の2枚の写真は境内の小祠

 

上の写真は現地説明板

 

上の写真は大歳神社の境内で発掘された石製唐居敷(駅家の門扉を受ける礎石)は神社の

一角に移動されています。(現在の唐居敷の位置を黄色で示した)

唐居敷は2点出土しています。

 

古山陽道

 

上の写真は賀古駅家付近における古山陽道と古い時代の加古川の流路(推定)

古大内廃寺と書かれている場所が賀古駅家の位置です。

出典:長谷川慶明 著 「駅家邨人沙弥慶明論考集 播州賀古の郷土史物語」Page69

 

駅が池(うまがいけ)

 

上の写真は明治26年(1893)測量の駅が池です 出典:2)のPage28に加筆

駅が池は現状で東側の半分以上が埋め立てられ住宅地となり、護岸はコンクリートで

補強されています。池の南側から北西にかけてが古山陽道んお推定ラインであるが

現在は改修されて、その遺構を確認できません。

駅が池も奈良時代に造られて、市内では一番古い池です。

 古代山陽道も駅ヶ池も共に奈良時代に造られました。

 

発掘された瓦

上の写真は大歳神社内で出土した軒丸瓦 出典:4) Page68

上の写真は賀古駅家の鬼瓦(5番)他  出典:1) Page75

 

上の写真は瓦の発掘場所と方形地形(色を付けた場所)

出典:賀古駅家、発掘ものがたり2<前提編> (kako-navi.jp)

 

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