CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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塩屋 西向地蔵尊 on 2015-5-19

2015年05月20日 05時02分47秒 | 神戸情報
本日は塩屋のグゲンハイム邸、旧後藤邸などの少し山手にある西向地蔵尊
について写真紹介します。撮影日:2015-5-19


上の写真は西向地蔵尊の全体遠景です


上の写真は地蔵尊です。
卍マークの下にジョネスの名前が見られます。
奉納された年月日を確認できませんでした。

やんだら」にかかった地蔵を祀ったお地蔵さんで、西を向いて祀られていること
から西向き地蔵と呼ばれ屋根をかける度に火災が起こり、お告げにより
お地蔵さんの上だけには屋根が掛かっておりません。

やんだらというのは明治から大正にかけて塩屋で使われていた
地引網のことです。


火事を防ぐ意味でお地蔵さまの左手(北側)の不動明王像が祀られています。
(下の写真)





上の2枚の写真は西向地蔵尊の由緒書き碑です。
「旧グッゲンハイム邸」の持ち主であった竹内油業の竹内文吾氏の寄付で
建立されたようです。

碑文には次のように書かれています。
「西向地蔵の謂れ伝説について
塩屋の浦で明治から大正に掛けて「やんだら」と云う地引網があり、その網に
かヽり上ってきた地蔵尊である。それ以来地蔵尊は塩屋村字垣の内九百七拾弐番地参の
東の山裾に西向きに安置し、以来西向地蔵と云う名で親しまれてきました。
また一願地蔵とも云われ、一心に願えば真心が届くと云われています。
最初は屋根を地蔵尊の頭の上まで造りましたが、三度も火災にあい、頭上の屋根は
焼け落ちたので、修験者に拝んで頂くと、我は竜神の化身なりよって頭上の屋根は
不要との御告げがあり、それ以来地蔵尊の頭上の屋根はして居りません。
それまでが西向地蔵尊の謂れ伝説であります。
敷地は兵庫の南條氏の寄付によるものであり、大阪の中村知法なる尼僧が地蔵尊横南側に
庵を建てヽこれを祀り、尼僧の没後は塩屋村安養寺住職宇野義夫がこれを引継いだ当時、
西村熊、中村はな、秋馬とら等がお世話し現代は西村しな、青木てる、石村光枝等が
お世話をしている。昭和六拾弐年六月吉日」



上の写真は上側(北側)から西向地蔵尊と海を撮ったものです。






上の写真は西向地蔵尊より少し上がった所から撮った塩屋の風景です。


上の写真は伊藤太一先生の描かれた西向地蔵付近の説明です。

ジョネス氏の話が出てきましたので旧ジョネス邸跡(現 あなぶき興産のマンション)
の写真を添付しておきます。(下の写真)



2013年10月25日に旧ジョネス邸の撤去が始まりマンションが建設されました



上の写真は2013年6月15日に撮影の旧ジョネス邸です
この日にジョネス邸の内覧会があり写真を撮ってきました。
別途ブログ記事を書こうと考えています。








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