最近、表題の杉原千畝物語ー命のビザをありがとうーを図書館から借りて読みました。
上の写真が読んだ本の表紙で著者は杉原千畝の奥様の杉原幸子氏(1913-2008)と長男の
杉原弘樹氏(1936-2001)である。
杉原千畝は1940年(昭和15年)7月31日から約1か月リトアニアのカナウス領事館において
2,139通(約6,000人分)の日本の通過ビザを発給し当時ポーランドで迫害を受けていた
ユダヤの人達を救った人物で日本のシンドラーとも呼ばれる。
上記の本に加えて2014年2月5日NHKのBSプレミアム ザ・プロファイラー -今の全力が奇跡を
起こす杉原千畝6,000人の命のビザーの画像も含めて杉原千畝が辿ってきた道をレビューします。
2018年5月19日の神戸新聞朝刊27面に北出 明さん(74)の説で救われたユダヤ人は
2,500~4,000人としています。
ビザのリストには2,140名の名前が記載、NPO法人「杉原千畝 命のビザ」は家族を含めて
6,000人としてきた。北出さんは昨年(2017年)から調査を開始。ユダヤ人が入国・
滞在した福井県や福井県敦賀市、兵庫県や神戸ユダヤ協会の記録、乗船リストを調査。
その結果、リストの1,111人の足取りが判明、同行家族は計228名であった事が判明。
6,000人は過大であるとの結論を導いた。敦賀市通史には3,901名と記載。
2018-5-20加筆
上の写真はカナウス時代のカナウス領事館と杉原千畝の家族の写真です。
上の写真(TVより)は1939年11月杉原千畝が39歳で領事館代理として赴任の写真。
上の写真(TVより)は当時の杉原千畝が悩んだ状況を自伝の中で語ったもので。
外務省の方針に従わなかった当時の心境が良く表れた言葉である。
この行為により僅か6,000人ではあるが命を救ったことで現在もイスラエルで
杉原千畝に感謝し顕彰する会が挙行されていることは外交上の大きな貢献もしたと言える。
上の写真(TVより)は昭和43年(1968)8月2日付けの7朝日新聞の記事
命のビザを受けなっかったリトアニア在住のユダヤ人は翌年(1941)のドイツ軍のリトアニア占領と
ともに迫害を受け20万人の尊い命が奪われた。下の写真(TVより)
上の写真(TVより)は現在も残るカナウス領事館跡と杉原千畝の執務室。
上の写真は今も残るカナウス領事館跡と晩年の杉原千畝(上述の書籍より)
命のビザの発給をぎりぎりまでした後、家族は1940年9月1日にドイツのベルリンに移動。
さらに翌年(1941年)3月、東プロイセンのケーニヒスベルグに移った。
1942年(昭和17年)12月、ルーマニアの日本公使館ブカレストで公使代理となる。
1945年の終戦までここで過ごす。 ポヤナブラショフへの疎開も含む。
この当時の写真が上述書籍に掲載されています(下の写真)
上の写真(TVより)は1940年の8月に発行された命のビザ(査証)。
戦後、ソ連軍による軟禁を経て1946年(昭和21年)12月帰国のためブカレストを汽車で出発
シベリア鉄道経由ウラジオストックから興安丸で帰国(1947年2月博多着)
1947年(昭和22年)6月 外務省を依願退職。
1947年(昭和22年)11月 3男 晴生が病死
1948年(昭和23年)5月イスラエル建国 同年11月妻の妹 節子が病死
1951年(昭和26年)1月 4男 伸生が生まれる
1960年(昭和35年)5月ロシアとの貿易会社のモスクワ事務所長としてモスクワへ移る
1968年(昭和43年)8月 イスラエル大使館でユダヤ人難民の一人と再会。
1969年(昭和44年)9月 イスラエル訪問、バルハフティック宗教大臣と再会
1985年(昭和60年)1月 イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を授与
エルサレムの丘に顕彰碑
1986年(昭和61年)7月21日 死去(86歳)
1991年(平成3年) ソ連から独立を回復したリトアニアの首都ビリニュス市内に「スギハラ通り」桜植栽
2008年(平成20年)ポーランドの叙勲「ポーランド復興勲章コマンドルスキ星十字型章」を授与。
関連ブログ(小生のブログ)
日本のシンドラー 杉原千畝
神戸シナゴーグ on 2013-11-20
敦賀散策記 その16 敦賀ムゼウム
NHK教育TV ETV特集 シンドラーとユダヤ人 ホロコーストの時代とその後を視聴して
敦賀ムゼウムの命のビザに関するパネル展示(2011-9-26撮影)を添付しておきます。
その他参考サイト
http://www.jinken-net.com/gozonji/information/0907.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Chiune_Sugihara
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-lith6.htm
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-ed01009b.html
http://n.ashitane.net/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
上の写真が読んだ本の表紙で著者は杉原千畝の奥様の杉原幸子氏(1913-2008)と長男の
杉原弘樹氏(1936-2001)である。
杉原千畝は1940年(昭和15年)7月31日から約1か月リトアニアのカナウス領事館において
2,139通(約6,000人分)の日本の通過ビザを発給し当時ポーランドで迫害を受けていた
ユダヤの人達を救った人物で日本のシンドラーとも呼ばれる。
上記の本に加えて2014年2月5日NHKのBSプレミアム ザ・プロファイラー -今の全力が奇跡を
起こす杉原千畝6,000人の命のビザーの画像も含めて杉原千畝が辿ってきた道をレビューします。
2018年5月19日の神戸新聞朝刊27面に北出 明さん(74)の説で救われたユダヤ人は
2,500~4,000人としています。
ビザのリストには2,140名の名前が記載、NPO法人「杉原千畝 命のビザ」は家族を含めて
6,000人としてきた。北出さんは昨年(2017年)から調査を開始。ユダヤ人が入国・
滞在した福井県や福井県敦賀市、兵庫県や神戸ユダヤ協会の記録、乗船リストを調査。
その結果、リストの1,111人の足取りが判明、同行家族は計228名であった事が判明。
6,000人は過大であるとの結論を導いた。敦賀市通史には3,901名と記載。
2018-5-20加筆
上の写真はカナウス時代のカナウス領事館と杉原千畝の家族の写真です。
上の写真(TVより)は1939年11月杉原千畝が39歳で領事館代理として赴任の写真。
上の写真(TVより)は当時の杉原千畝が悩んだ状況を自伝の中で語ったもので。
外務省の方針に従わなかった当時の心境が良く表れた言葉である。
この行為により僅か6,000人ではあるが命を救ったことで現在もイスラエルで
杉原千畝に感謝し顕彰する会が挙行されていることは外交上の大きな貢献もしたと言える。
上の写真(TVより)は昭和43年(1968)8月2日付けの7朝日新聞の記事
命のビザを受けなっかったリトアニア在住のユダヤ人は翌年(1941)のドイツ軍のリトアニア占領と
ともに迫害を受け20万人の尊い命が奪われた。下の写真(TVより)
上の写真(TVより)は現在も残るカナウス領事館跡と杉原千畝の執務室。
上の写真は今も残るカナウス領事館跡と晩年の杉原千畝(上述の書籍より)
命のビザの発給をぎりぎりまでした後、家族は1940年9月1日にドイツのベルリンに移動。
さらに翌年(1941年)3月、東プロイセンのケーニヒスベルグに移った。
1942年(昭和17年)12月、ルーマニアの日本公使館ブカレストで公使代理となる。
1945年の終戦までここで過ごす。 ポヤナブラショフへの疎開も含む。
この当時の写真が上述書籍に掲載されています(下の写真)
上の写真(TVより)は1940年の8月に発行された命のビザ(査証)。
戦後、ソ連軍による軟禁を経て1946年(昭和21年)12月帰国のためブカレストを汽車で出発
シベリア鉄道経由ウラジオストックから興安丸で帰国(1947年2月博多着)
1947年(昭和22年)6月 外務省を依願退職。
1947年(昭和22年)11月 3男 晴生が病死
1948年(昭和23年)5月イスラエル建国 同年11月妻の妹 節子が病死
1951年(昭和26年)1月 4男 伸生が生まれる
1960年(昭和35年)5月ロシアとの貿易会社のモスクワ事務所長としてモスクワへ移る
1968年(昭和43年)8月 イスラエル大使館でユダヤ人難民の一人と再会。
1969年(昭和44年)9月 イスラエル訪問、バルハフティック宗教大臣と再会
1985年(昭和60年)1月 イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を授与
エルサレムの丘に顕彰碑
1986年(昭和61年)7月21日 死去(86歳)
1991年(平成3年) ソ連から独立を回復したリトアニアの首都ビリニュス市内に「スギハラ通り」桜植栽
2008年(平成20年)ポーランドの叙勲「ポーランド復興勲章コマンドルスキ星十字型章」を授与。
関連ブログ(小生のブログ)
日本のシンドラー 杉原千畝
神戸シナゴーグ on 2013-11-20
敦賀散策記 その16 敦賀ムゼウム
NHK教育TV ETV特集 シンドラーとユダヤ人 ホロコーストの時代とその後を視聴して
敦賀ムゼウムの命のビザに関するパネル展示(2011-9-26撮影)を添付しておきます。
その他参考サイト
http://www.jinken-net.com/gozonji/information/0907.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Chiune_Sugihara
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-lith6.htm
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-ed01009b.html
http://n.ashitane.net/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D