南沖簡易水道塔
八軒土手の中央あたりの左側に四角い煉瓦づくりの簡易水道塔が
あります。
昭和17年(1942)頃まで港町の沖側の住民は井戸を掘っても
塩分が多く現在の伊川酒店のところまで井戸水を汲みに通って
いました。
この状態を見かねた橋本善太郎は昭和17年町の有力者嶋谷達氏
の助力を受け議長の濱野宮槌氏の協力で橋本 氏の所有地に
井戸を掘りモーターでポンプアップし港地区に配水する私設水道を
造り組合で昭和35年まで運営されていた。
八軒土手の中央あたりの左側に四角い煉瓦づくりの簡易水道塔が
あります。
昭和17年(1942)頃まで港町の沖側の住民は井戸を掘っても
塩分が多く現在の伊川酒店のところまで井戸水を汲みに通って
いました。
この状態を見かねた橋本善太郎は昭和17年町の有力者嶋谷達氏
の助力を受け議長の濱野宮槌氏の協力で橋本 氏の所有地に
井戸を掘りモーターでポンプアップし港地区に配水する私設水道を
造り組合で昭和35年まで運営されていた。