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東沢寫(ひがしたくしゃ)終焉の地---岩国市通津

2004年12月25日 06時49分34秒 | 岩国情報
江戸から明治にかけて活躍した岩国出身の著名な陽明学者
東沢瀉(ひがしたくしゃ)は儒者、勤皇家、教育家であった。
沢瀉は天保3年(1832)10月9日岩国の錦見(にしみ)
の砂原に生まれました。
父は岩国藩の家臣で沢瀉は長男でした。通称:崇一郎 名:正純
10歳のころから勉学に没頭し詩文や漢書を学びました。
そして岩国藩の藩校養老館(現在の吉香公園付近にあった)
に入学しました。当時の岩国では進歩的な学問が無く江戸に出て
陽明学を学ぶこととなった。(1854年)
尊王攘夷の論が盛んな時に必死組を作り訴えに及んだ為、
栗栖天山らとともに柱島に流された。
明治維新で罪を許され明治3年(1870)岩国市保津村面高に
沢瀉塾を開き明治17年(1884)まで教育に没頭し多くの人材を
輩出した。
明治19年保津を去って通津村玉坪に移住し明治24年3月28日
この地で永眠した(60歳)。
沢寫の塾に関する情報はこちらを見てね
コメント
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