CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

新たに設置された兵庫津・北前船水揚げ地跡標柱(神戸市兵庫区) on 2024-3-19

2024年03月20日 05時12分33秒 | 神戸情報

2024年1月24日、古代大輪田泊の石椋のモニュメンントの隣に新たに設置された
兵庫津・北前船水揚げ地跡標柱の写真を3月19日に撮ってきましたので紹介します。
訪問のキッカケは下に添付(Gooで共有)したYoutube動画を観た事です。

「兵庫津・北前船水揚げ地跡標柱」完成記念式典開催  

自治会の願いが実現!兵庫津日本遺産の会 十河副会長  

上の写真は2024年1月24日に新たに設置された「北前船水揚げ地跡」の標柱
兵庫津日本遺産の会が提唱され再整備されました 撮影:2024-3-19

上の写真は「北前船水揚げ地跡」の標柱付近の遠景です。
撮影:2024-3-19

上の写真は再整備された古代大輪田泊「石椋」モニュメンント整備の碑
碑は平成17年(2005)3月 神戸市教育委員会と兵庫区役所が整備したものです。
撮影:2024-3-19

上の写真は現地説明板。今迄のものと内容が変わっています。撮影:2024-3-19
解り辛いのでかくだいしたものを添付しておきます。


説明文は以下の通りです。
古代大輪田泊の石椋
"Iwakura"the stone used for the bank/found from the ancient "Owada-no-tomari"port site

この花崗岩の巨石は、昭和27年の新川橋西方の新川運河浚渫工事の際に、
重量4トンの巨石20数個と一定間隔で打込まれた松杭とともに発見された一石です。
当時は平清盛が築いた経ヶ島の遺材ではないかと考えられていました。
この石材が発見された場所から北西約250mの芦原通1丁目で、
平成15年度に確認調査が行われ、古代の港湾施設と考えられる奈良時代後半から
平安時代の中頃の大溝と建物の一部と考えられる遺構が発見されました。
このことより石材が発見された場所は、当時海中であったと考えられ、出土した石材は、古代大輪田の泊の石椋の石材であったと推定されます。
石椋とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設であったと
考えられます。
その構造は出土状況から、港の入口にこのような巨石を3~4段程度積上げ、
松杭で補強し、堤を構築していたものと推定されされました。
最近では、江戸時代に描かれた絵図と照らし合わせると入江の護岸施設で使用された
石椋(いわくら)であった可能性も考え「られます。石椋ちは石を積み上げた防波堤
(波消し)や突堤の基礎などであったと考えられます。
残念ながら発掘調査によって発見された石材ではないので、築造された時代は不明です。
発見時の状況からその構造は巨石を3~4段程度積上げ、松杭で補強し、堤を構築
していたものと推測されます。
古代から近世に至るまで、兵庫津周辺は複雑に入り組んだ入江が多く存在していたことが、
これまでの発掘調査や江戸時代に描かれた絵図で判明してまいりました。
この巨石もそういった入江などの護岸施設や、港湾施設の一部であった可能性があります。


左手の方には上の写真の「初代兵庫県庁舎ナビ」の説明板が設置されています

比較の為に昔に撮った古代大輪田泊の石椋 と現地説明版を添付しておきます。
撮影:2011-2-21
上の写真(2011-2-21撮影)は古代大輪田泊(石椋)モニュメント整備と書かれた
花崗岩で平清盛の大輪田泊の整備に使用された花崗岩です。 

上の写真は説明版の解説で石椋が積まれてどのように堤としたのかを解説した図です。
撮影:2011-2-21
 
上の写真は同じく上記の説明版の解説で石椋の発見場所や大輪田泊のあった場所
の推定位置です。撮影:2011-2-21

大輪田泊は行基の築造と伝えられ、平清盛が1180年に修築して日宋貿易後に
日明貿易の要港となった。
平氏滅亡後は、東大寺大勧進の重源(ちようげん)がその事業を引き継いで、
修築を行った。(1196年)
さらに兵庫津となって発展していった。

下記の文は上述の現地説明板に書かれていた説明文です。
整備後の文章と比較すると後半部分が大幅に変わっています。
この花崗岩の巨石は、昭和27年の新川橋西方の新川運河浚渫工事の際に、
重量4トンの巨石20数個と一定間隔で打込まれた松杭とともに発見された一石です。
当時は平清盛が築いた経ヶ島の遺材ではないかと考えられていました。
その後、この石材が発見された場所から北西約250mの芦原通1丁目で、
平成15年確認調査が行われ、古代の港湾施設と考えられる奈良時代から
平安時代の中頃の大溝と建物の一部が発見されました。このことより石材が
発見された場所は、当時海中であったと考えられ、出土した石材は、古代大輪田の泊
の石椋の石材であったと推定されます。
石椋とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設であったと
考えられます。
その構造は出土状況から、港の入口にこのような巨石を3~4段程度積上げ、
松杭で補強し、堤を構築していたものと推定されます。
大輪田の泊は、平安時代のはじめに律令国家の菅理のもとに造営された泊(港)です。
当時、物資輸送や外交航路として重要視されていた瀬戸内海の航路と泊の整備が
進められていました。
当時の史料には泊の運営管理を行う官舎や石椋等の港湾設備が整備され、
中央政府から派遣された造大輪田船瀬(ぞうおおわだふなせ)(泊)使が泊の
造営や修築にあたり、修築後は国司(こくし)が運営管理を行っていた様子が
記されています。
また、承和3年(831)には、当時の中国や東アジアの最新の文化や情報を
取り入れるための遣唐使船が暴風雨を避けるために寄港していることから、
このころには大型外洋船の寄港地としても整備されていたことが窺えます。

参考として大輪田泊と石椋について兵庫津ミュージアムの展示から写真紹介します。
以下の写真の撮影日は2024年3月19日

上の写真は兵庫津・北前船水揚げ地跡標柱の位置を青山大介さんが描いた兵庫津の鳥瞰図
の上に黄色の字で示しました。
上の写真は兵庫津ミュージアムの大輪田泊の石椋に関する展示
大輪田泊の名前がはじめて記録にあらわれるのは奈良時代です。それより前は
万葉集にも出てくる神戸市灘区の敏馬浦(みぬめのうら)が主要な港でしたが港としてより優れた大輪田泊がとってかわり、国が維持管理する港となります。
上の写真は大輪田泊の修築に関する兵庫津ミュージアムの展示
行基(668~749)は聖武天皇の天平17年(745)には大僧正にまでなり
 奈良東大寺の大仏建立にも寄与した。行基は多くの弟子と民衆を率いて参加した。
 公共事業にも力を入れ、摂播五泊(室生-韓泊(福泊)- 魚住泊 - 大輪田泊 - 河尻泊)を開いた。

上の2枚の写真は魚住泊の石椋工法に関する兵庫津ミュージアムの展示

兵庫津ミュージアムの展示1に関する関連年表
展示1 8~12世紀頃 清盛の夢
 741年(天平13年)  行基が大輪田泊を修復
 812年(弘仁3年)   大輪田泊を修復
 914年(延喜14年)  三善清行大輪田泊の修築を提言
 947年(天暦元年)  大輪田泊を修築するために「造輪田使」を任命
 1173年(承安3年)  平清盛が大輪田泊に兵庫島(経ケ島)を築き日宋貿易を行う
 1196年(建久7年)  僧重源が兵庫島(経ケ島)を修復



上の2枚の写真は北前船に関する兵庫津ミュージアムの展示

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パティオ ぱん屋五穀七福でのランチ on 2024-2-26

2024年03月14日 05時18分14秒 | 神戸情報
2024年2月26日、パティオ1番館1階にある「ぱん屋五穀七福」でランチをいただきましたので
写真紹介します。何回かこちらで食事をしたことがありますがブログ記事にするのは初めてです。
パン屋さんで持ち帰りがメインですがイートインコーナーが併設されています。

パティオ ぱん屋五穀七福の基本情報
住所:神戸市須磨区中落合2丁目2-1 須磨パティオ1号館 TEL:078-792-5633
営業時間:平日 8:00~20:30  イートインは20:00まで
     土日祝:8:00~20:00 イートインは20:00まで 
定休日:第3水曜日、1月1日

上の写真は当日、私が注文したランチCです。飲み物はコーヒー410円(税別)
メインは5種のカラフルBOX 税込みでは451円でした。

上の写真は店頭に掲示のランチセットのメニュー表

上の写真は奥様が選んだイートインで飲み物はミックスジュース280円(税別)
パンは130円、160円、180円の3種類を選択。シェアしていただきました。
上の写真は2人で注文した全体写真。





上の3枚の写真はイートインの飲み物のメニュー表です。
イートインを利用にはパンと飲み物を注文する必要があります。
上の写真はおやつセットを紹介した看板

上の写真はパティオ1号館1階の建物内部からの入口
上の写真は外側から店への入口です。

当日は満腹にならなかったので同じくパティオ1番館1階にあるおにぎり屋さんで
焼きタラコと鮭のおにぎりを食べました。(下の写真)

焼きタラコ220円(税込)、鮭220円(税込)
上の写真はおにぎり屋さん「ONIGIRI ICHIGO]の外観です。



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名谷図書館 開館3周年記念 名谷歴史パネル展の観覧記 on 2024-3-11

2024年03月12日 05時11分56秒 | 神戸情報
2024年3月11日、名谷図書館(神戸市須磨区)で本を1冊借りた帰りに表題のパネル展が
入口横の多目的スペースで行われているのに気づき、観覧しました。

パネルは名谷駅周辺エリアの魅力を発信する地域活動団体「名谷ワッショイ」が製作
したもので表題として「名谷歴史パネル展~蘇る"みょうだに”地区~」と書かれていました。
会期は3月6日(水)から3月26日(火) 最終日は17時まで

尚、名谷図書館は2021年3月24日 に開館しています。

名谷の歴史に興味のある方は是非、観覧をお奨めします。

パネルから今後ブログで取り上げていきたい内容の写真や文章をピックアップ
しておきます。

展示遠景
上の写真は名谷歴史パネル展の展示遠景 撮影:2024-3-11

年表

上の写真は展示パネル 撮影:2024-3-11

須磨ベルトコンベヤー、市営地下鉄関連、PATIO関連、名谷駅周辺整備、ニュータウン、
名谷図書館などの記事がピックアップされています。

ここで私が上記の関連で過去にブログで書いた内容などを書いておきます。
1)須磨ベルトコンベヤー
ベルトコンベア及び付属設備は昭和38年(1963)から1年がかりで設置(費用約10億円)され
昭和39年(1964)1月16日に運転が開始された。ベルトコンベヤは平成17年(2005)まで稼働。
須磨海岸から神戸複合産業団地(西区見津が丘6付近)までのベルトコンベヤの総延長は約14.5Km。


2)神戸市営地下鉄関連
神戸市営地下鉄西神山手線の延伸経過の年表を添付しておきます。(Wikipediaより)

1971年(昭和46年)11月25日 - 西神線の起工式が行われる。
1977年(昭和52年)3月13日 - 西神線名谷 - 新長田間開通。
1983年(昭和58年)6月17日 - 山手線新長田 - 大倉山間開通。
1985年(昭和60年)6月18日 - 西神延伸線名谷 - 学園都市間開通
              山手線大倉山 - 新神戸間開通。
1987年(昭和62年)3月18日 - 西神延伸線学園都市 - 西神中央間開通
                   (現在の「西神・山手線」全線開通)
1988年(昭和63年)4月2日 - 北神急行電鉄北神線開通、相互直通運転開始。
1993年(平成5年) 3月20日 - 西神線に西神南駅が開業。
                同時に山手駅を県庁前駅に改称。
 

  
3)PATIO関連
須磨パティオは昭和55年(1980)3月15日にオープンしています。
平成12年(2000)11月9日全面リニューアル 。


4)名谷駅周辺整備
上の写真は神戸市営地下鉄名谷駅の巨大壁画 「春の風」作者は河合紀さん(故人)
撮影:2023-7-10 詳細は下記ブログで書いています。


上の写真は2023年6月30日にオープンした神戸市営地下鉄名谷駅 駅ビル北ゾーンの「TeTe]
撮影:2023-7-10



5)ニュータウン
神戸市営地下鉄名谷駅の開業は昭和52年(1977)3月13日。
昭和41年(1966)から始まったポートアイランドの造成工事に伴ない「山、海へいく」の
キャッチフレーズのもと次々とニュータウンが生まれた。神戸市営地下鉄は昭和62年(1987)
3月18日に西神中央駅まで延伸し、さらに昭和63年(1988)に北神急行電鉄谷上駅にまで延伸した。
須磨ニュータウン(高倉山団地、北須磨団地、白川台団地、横尾団地、落合団地、名谷団地)の
中でも最も新しい名谷団地は昭和51年(1976)に供用された。



6)名谷図書館
 神戸市立名谷図書館が2021年3月24日に開館 しました。

落合池の歴史
落合池の歴史を6枚のパネルで纏められています。労作です。
上の写真は開発中の落合池の遠景

さらに落合中央公園の散策では野鳥や植物の植生などにも詳しく書かれています。


名谷の地層



名谷ワッショイの活動


3月17日イベント内容紹介



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神戸市須磨区リファーレ横尾内 遊食家 「あんばい」でのランチ on 2024-3-1

2024年03月10日 05時56分00秒 | 神戸情報
2024年3月1日、リファーレ横尾の遊食家「あんばい」でランチをいただきましたので
写真紹介します。今迄に何回か食事をしたことがありますがブログ記事にしたのは初めてです。

遊食家 「あんばい」の基本情報
住所:神戸市須磨区横尾1丁目5−101 リファーレ横尾 1F  TEL:078-743-2002
営業時間:昼は11:00~15:00
     夜は17:00~22:00
定休日:不定休

上の写真は当日、私が注文したカキフライ定食1,100円(税込)
揚げたてで美味しかった。


上の写真は当日、奥様が注文した日替わり定食 900円(税込)
メインメニューは海鮮丼


上の写真はお店の外観


上の2枚の写真はカキフライ定食が掲載のメニュー表

上の写真は日替わり定食が掲載されているメニュー表
上の写真はその他のメニュー表

リファーレ横尾内にあるレストランは下記のとおりです。

1.京都ラーメン 「みねりき」

2.カレー「ムナール」
 一番、頻繁に訪問するお店です。
  上記ブログにさらに昔の訪問記にリンク

上の写真は京都ラーメン「みねりき」とカレー「ムナール」 撮影:2024-3-9

3.自家焙煎珈琲「明日香」
  コーヒーが美味しいお店です。
上の写真は2024年3月9日に撮った「明日香」の外観

4. すき家
  以前にカレーライスを食べたことがありますがブログの作成なし
  替わりに2024年3月9日に撮ったお店の外観とメニュー表を添付しておきます。
  海鮮ちらし丼の新メニューも掲載しています。




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西郷川河口公園の河津桜と菜の花の写真 on 2024-2-27

2024年03月08日 04時17分28秒 | 神戸情報
2024年2月27日、西郷川河口公園の河津桜と菜の花の写真を撮ってきましたので紹介します。
初訪問です。近くには西求女塚古墳(神戸市灘区都通3丁目1  求女塚西公園 )があります。
神戸新聞の紹介記事(下記リンク)がキッカケで出かけることになった。


 西郷川河口公園の基本情報  
住所:神戸市灘区摩耶海岸通2丁目
管理者:神戸市建設局 東部建設事務所 (TEL:078-771-7498)
  夜間、早朝及び土・日・祝日は休日夜間緊急連絡センター0120-086-106

所在地のGoogleマップを添付しておきます。



上の写真は西郷川河口公園の遠景です。
緩い傾斜地に花や木がたくさん植えられベンチも多く、トイレや遊具の他に
バスケットボールを楽しむスペースもあります
22本の河津桜は県民緑税を財源とする「県民まちなみ緑化事業」により
平成24年(2012)1月28日、植栽が行われたとのこと
上の写真はソメイヨシノの桜の木々が続くゾーン
背景は神戸市立灘の浜小学校










西郷川河口公園は神戸市灘区に位置しており、河津桜と菜の花の名所として知られています。河津桜は2月上旬から咲き始め、3月上旬までの約1ヶ月に渡り咲く早咲きの桜で、菜の花も開花し、河津桜のピンクと黄色の美しいコントラストが公園を彩っています。

当日は西郷川河口公園管理会の皆様により花の植栽や手入れが行われていました。


上の写真は植栽された花々

公園内の写真掲示
公園内に神戸の昔の写真が掲示されていましたのでその一部を添付しておきます。






最後に灘区民まちづくり会議編 灘区役所が発行している「灘百選」(2001)Page52-53で
紹介されている西郷川河口公園などの記事を添付して筆を置きます。
上の写真は全体、読み難いので拡大したものを添付(下の2枚の写真)


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カフェ サンタマリア三宮店でのモーニング on 2024-2-27

2024年03月06日 04時36分15秒 | 神戸情報
2024年2月27日、カフェ サンタマリア三宮店でモーニングを頂きましたので
写真紹介します。今まで何回も利用していますがブログ作成は2回目です。
新聞が何紙か置いてありゆっくりとしたい場合に利用しています。

カフェサンタマリア三宮店の基本情報
英文表記:Cafe Saintmaria
住所:神戸市中央区琴ノ緒町5丁目1番301号  TEL:078-221-0504
営業時間:7:30~20:00
定休日:なし  運営会社:
神姫フードサービス株式会社

当日注文したのはシンプルなトーストセット(ドリンク付き)
ドリンクはホットコーヒー。
あと、ミニサラダとゆでたまごが付いてきます。  価格は520円(税込)
価格は2023年9月には470円でしたので50円値上げされています。

新聞各紙が置いてあるのが魅力のお店です。

上の写真は当日注文したトーストセット520円(税込)




 
上の写真はモーニングのメニュー表


上の写真はお店の外観です。


上の2枚の写真は店頭の看板に書かれたメニュー表

当日、読売新聞と朝日新聞を飛ばし読みしました。
その中から気なった記事の表題を書いておきます。
読売新聞より
 ・月面探査機SLIM通信を再確立
 ・株3万9,233円、連日最高値
 ・自治体サイバー攻撃防御を強化
 ・堺くじら埋設
朝日新聞より
 ・大相撲春場所 新番付
 ・H3ロケット 国際競争力の強化(コストダウン)
 ・小沢氏と知られざる「再会談」91年総裁選竹下派「面接」の10月10日
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舞子ホテルの調度品展示 in 山陽電車本社 on 2024-2-29

2024年03月03日 05時15分45秒 | 神戸情報
山陽電気鉄道(山陽電車)は2022年3月7日、神戸市垂水区にある旧「舞子ホテル」の
土地・建物を売却すると発表した。3月24日に引き渡す予定。売却額は非公表。
譲渡益67億4000万円を2022年3月期に特別利益として計上し、同期の連結純利益の予想を
2021年3月期の14倍の57億円(従来予想は12億円)に上方修正した。
以上は日経新聞電子版(2022年3月7日)より要約

舞子ホテルは大正7年(1918)に日下部汽船迎賓館日下部久太郎別邸として
明石海峡を一望できる高台に建設されました。その後増築され昭和17(1942)舞子ホテル
として開業そして戦後はGHQに接収されアメリカ軍将校用宿舎として使用されました。
その後、山陽電鉄が所有していましたが、2019年12月に経営難を理由に休館。
2022年3月、長谷工コーポレーションに売却されました。

また、インターネットの情報では2022年9月頃から解体工事が始まっており、2022年11月までに
完全に取り壊され、跡地には10階建て356戸が入居するマンションが建つとのこと。
更地になった写真(2023年5月12日 撮影)を含めブログも作成しています。(下記リンク)

山陽電鉄グループでは半世紀の時を歩み続けた舞子ホテルへの敬意と、愛してくださった
方々への敬意を込めてその軌跡を辿る再現コーナーを山陽電車本社ビル1階に
設置されました。

2024年2月29日、現地(山陽電車本社)を訪問し、写真を撮ってきましたので紹介します。

山陽電車の展示については「神戸垂水おもちゃ箱」(下記リンク)を観て知りました。

山陽電車本社の基本情報
住所:神戸市長田区御屋敷通3丁目1番1号
TEL:078-612-2630
開館時間 平日 9:00~17:00
アクセス:山陽電車西代駅から徒歩1分位

所在地のGoogleマップを添付しておきます。





上の2枚の写真は本館の洋館1階の応接室を再現したコーナーの遠景
撮影:2024-2-29


上の2枚の写真は2階への階段及びフクロウの木彫り飾り


上の写真は2枚の応接室の近景 扁額には「舞子帆照」と書かれています。


上の2枚の写真は違うアングルからの舞子ホテル応接室の近景
応接具は日下部久太郎氏が自らシンガポールで買い入れたと言われています。

舞子ホテル東立面図

文字が読み難いのでそのまま転記しておきます。
舞子ホテルの建物配置
 東面する洋館をホテル正面玄関とし、これに続く西側の和館に宴会や儀礼用に
 使用される大広間棟と桐の間が設けられた本館(和館)、そして本館の北側に
 客室として昭和15年(1940)に建設された新館(和館)で構成されている。

所在地:神戸市垂水区舞子台2丁目
敷地面積:15,472.63㎡(登記記録表示面積)
建物構造:煉瓦造瓦葺3階地下1階
延床面積:1535.55㎡(登記記録表示面積)
建築時期:大正8年(1919)

写真パネル展示
1.本館(洋館):
 簡潔で機能を重視した形体と唯一無二のデザイン性がユーゲントシュティルの特徴



2.日本庭園:
 小川治兵衛による庭園。ガーデン挙式やパーティなども行われていた。

3.新館 菖蒲の間:
 ホテルの営業開始時に新設された新館の客間


4.舞子ホテル上空からの航空写真:
 創建当時からの敷地。建物は木立につつまれ静謐とした時間に守られる

5.応接室:
 戦前の洋館で家具やインテリアが保存されているのは希少といわれる。
6.玄関前のステンドグラス:
 創建当時はヨットがテーマのデザインだったという


7.洋館2階・薔薇の間のステンドグラス:
 月を背景にしたフクロウのデザイン。フクロウは夜の航海を守る守護神とされている。
 

8.結婚式場・宴会場:



舞子ホテル平面図
3F

2F


1F

地階
地階には浴場がありました。

棟札

上の写真は棟札の展示 上側が本館、下側が新館

上の写真は本館棟札の説明パネル
大正7年(1918)12月2日に棟上げされたことが判ります

上の写真は新館の棟札の説明パネル 昭和15年(1940)5月吉日に棟上げ

神戸建築百選’93


上の2枚の写真は神戸建築百選’93の認定書と説明パネル

ひょうごの近代住宅100選

上の写真は「ひょうごの近代住宅100選」の認定書と説明パネル

山陽電気鉄道本社ビル  

上の写真は山陽電鉄(山陽電車)の本社ビルの外観です。

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神戸市役所からすぐの東遊園地にあるマリーナ像 on 2024-2-21

2024年02月29日 05時54分30秒 | 神戸情報
2024年2月21日、神戸市役所からすぐの東遊園地にあるマリーナ像 の写真を撮りましたので
紹介します。


上の2枚の写真は神戸市役所をバックに撮ったマリーナ像です。撮影:2024-2-21
阪神淡路大震災で、このマリーナ像は倒れ、その際時計が壊れました。
 時間が止まった時計を抱えたマリーナ像が震災のモニュメントとして残されています。
神戸新聞調査の震災モニュメントマップのNo.71 東遊園地(中央区)

彫刻作品作者の紹介
マリーナ像(MARINA)の作者は彫刻家として著名な新谷琇紀さんです。
新谷 琇紀(しんたに ゆうき、1937年7月 - 2006年8月31日)さんは昭和時代に活躍した
具象彫刻家。「愛」をテーマに精緻で柔らかな作風。 女性を中心とした人物像などを発表。

神戸女子大学の教授も務められました。

新谷 琇紀氏の紹介 By Wikipedia

新谷 琇紀(しんたに ゆうき、1937年7月 - 2006年8月31日)は昭和時代に
活躍した具象彫刻家。「愛」をテーマに精緻で柔らかな作風。 女性を中心とした
人物像などを発表、その多くが神戸市内に野外彫刻として設置されている。

1937年7月、新谷英夫の長男として、兵庫県神戸市に生まれる。
父を師として彫刻を始めた。金沢美術工芸大学を卒業。イタリア・ローマへ留学し、
エミリオ・グレコらに師事する。神戸女子大学で教授職の傍ら、彫刻家として
作品を発表してきた。妹の新谷英子も彫刻家で、神戸女子短期大学教授を勤めている。

1971年12月28日、イタリア人モナイ・パトリツィアとイタリアにて結婚。
ほとんどの女性の彫刻はパトリツィアがモデルになっている。 1973年に長女、
1975年二女が生まれ、二人が新谷彫刻研究所を引き継いでいる。

2006年8月31日、肝不全のため69歳で死去。」
主な作品の設置場所 By Wikipedia
「EVA」 1973年 兵庫県神戸市中央区楠町4・大倉山公園
「EVA」 1973年 兵庫県神戸市須磨区中島町1・下中島公園
「みどり」 1974年 兵庫県神戸市中央区楠町4・大倉山公園
「MARINA」 1976年 兵庫県神戸市中央区加納町6・東遊園地北側
「愛の献血」 1976年 神戸市須磨区須磨浦通5・山陽須磨駅前
「AMORE」 1978年 兵庫県神戸市北区鈴蘭台西町1・中畑山公園
「海の風」 1978年 兵庫県神戸市中央区港島2・北公園
「愛の献血」 1980年 兵庫県神戸市須磨区中落合2・須磨パティオ1番館北西角
「WOLFCUB」 1980年 兵庫県神戸市須磨区西須磨・須磨浦公園
「CONCORDIA」 1981年 兵庫県神戸市中央区雲井通5・神戸市中央区庁舎南東角
「ふれあい」(レリーフ、合作) 1981年 兵庫県神戸市中央区加納町6・東遊園地東側
「愛のモニュメント」 1981年 長野県上田市・美ヶ原高原美術館
「ALBA」 1985年 兵庫県神戸市中央区加納町5・三宮交差点北西角
「VITTORIA」 1987年 兵庫県神戸市中央区・(ポートアイランド)
「PRIMAVERA」 1987年 兵庫県神戸市中央区・(ポートアイランド)
「ALVA-3」 1987年 兵庫県神戸市中央区・(ポートアイランド)
「SPERANZA」 1987年 兵庫県神戸市中央区・(ポートアイランド)
「MANO D'AMORE」 1987年 兵庫県神戸市中央区・(ポートアイランド)
「LEONE」 1989年 兵庫県神戸市中央区加納町1・神戸市営地下鉄新神戸駅改札外
「LEONE」 1989年 兵庫県神戸市北区山田町下谷上・しあわせの村宿泊館北側
「GIRL ON A DOLPHIN」 1993年 兵庫県神戸市中央区海岸通4 「ARIANA」 1993年 兵庫県神戸市中央区東川崎町1・デュオこうべ浜の手
「BACCO」 1993年 兵庫県神戸市中央区東川崎町1・デュオ神戸浜の手
「RAGAZZO」 兵庫県神戸市中央区楠町4・神戸市立中央体育館北側
「RAGAZZA」 兵庫県神戸市中央区楠町4・神戸市立中央体育館北側
「POSEIDON」 2000年 兵庫県神戸市兵庫区浜中町1・神戸市営地下鉄御崎公園駅改札内
「THALEIA」 2001年 兵庫県神戸市兵庫区金平町1・浜山あいあい広場
「PRIMAVERA」 兵庫県神戸市兵庫区御崎町1・みなと銀行西側
「AMORE」 2005年 兵庫県神戸市中央区加納町5・阪急三宮駅北側
「未来」 兵庫県南淡路市福良・福良港
「豊穣」 兵庫県神戸市西区押部谷町高和・神戸市立農業公園
「MARINA-P」 兵庫県公館
現地説明板
上の写真は阪神淡路大震災後に作成された説明パネルです。
神戸市建設局が作成した説明書きをそのまま転記します。
阪神淡路大震災の記憶  (東遊園地内)
市役所の南側にあるマリーナ像は阪神淡路大震災で倒れ、その時計は壊れました。
平成7年(1995)1月17日午前5時46分に起きた阪神淡路大震災の記憶を
永遠に留めるために、この時計はその時を示しています。


Memory of great Hanshin-Awaji earthquake

At 5:46,on the morning of January 17th 1995,the Great Hanshin-Awaji
earthquake caused this Marina to Collapse,and at that point,the clock was damaged.This clock now indicates that time as an eternal reminder of the
earthquake.
Kobe City Pubulic Construction Projects Bureau
 
彫刻作品の寄贈
この彫刻時計は昭和51年(1976)4月、株式会社セリザワグループと神戸市公園協会から
寄贈されたものです。当時の神戸市長 宮崎辰雄氏の名前も刻まれています。


上の2枚の写真は2008年に撮ったものです。

新谷琇紀さんの彫刻作品「EVA」 1973年 兵庫県神戸市須磨区中島町1・下中島公園
の写真を最近(2024年2月20日)撮っていますので添付しておきます。




背景の建物は神戸市立須磨区文化センター 撮影:2024-2-20

新谷琇紀氏の彫刻作品を紹介したブログ

 店内に神戸を代表する2人の芸術家(新谷 琇紀さん、妹尾 河童さん)の作品が
 展示されています。







 
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神戸市中央区 担々麺専門店「TAOMEN(タオメン)」でのランチ 2024-2-21

2024年02月27日 04時39分13秒 | 神戸情報
2024年2月21日、担々麺専門店「TAOMEN(タオメン)」でランチをいただきましたので
写真紹介します。初訪問のお店です。

TAOMEN(タオメン)の基本情報  
住所:神戸市中央区東町116−2 オールドブライトビル 1F  
TEL:078-331-1880  別名:ヌードルダイニング  道麺(たおめん)居留地店
料理ジャンル:担々麺の専門店
営業時間:平日11:00~21:00(LO20:30)
     土曜・祝日 11:00~20:00(LO 19:30)
 店主が高齢のため、少し早く閉めることもあり
定休日:日曜日
オープン:2001年三宮の幹線道路沿いにオープン 
     2008年5月に現在の場所に移転
     2016年6月に拡大リニューアルオープン

所在地のGoogleマップを添付しておきます。

上の写真は当日注文した担々麺 780円(税込)
辛いのは苦手なのでこのメニューを選択しました。
チンゲン菜、もやしと肉味噌が入っています。麺はちじれ麺。
美味しくいただきました。
担々麺の辛さは下記の5段階あります。全て税込価格
 担々麺   780円
 辛担々麺  880円
 激辛担々麺 950円
 超辛担々麺 1,100円
 超激辛担々麺 1,200円

上の写真はお得なセットメニューとして餃子4個200円(税込)も注文
餃子も最高に美味しくいただきました。


上の写真は当日の注文品の揃い組です。合計金額980円(税込)
1人での入店なのでカウンター席での食事です。割合ゆったりとしたスペースで快適。
スープのお味もGoodでした。
上の写真はお店のカウンター席前に表示のイラスト

メニュー表


上の3枚の写真は店内のメニュー表




上の2枚の写真は店頭に掲示のメニュー

お店の外観
上の写真はお店の外観の近景


このビルの1階にお店があります。

オーナーの紹介
2020/12/22 05:30神戸新聞NEXTでオーナーの柏木博史さんが紹介されています。 下記リンク

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神戸港 第一波止場の信号灯(灯竿)はいつ設置されいつまで存在したか(改訂)

2024年02月24日 17時59分03秒 | 神戸情報
いきなりですが、下の写真は明治中期の第一波止場の様子です瀬戸内海写真帖 神戸市立博物館所蔵
出典:田井玲子さん著書「外国人居留地と神戸」(2013)Page47
1月13日、14日に行われた神戸海軍操練所跡 発掘調査の現地説明会の資料
としても添付されていたもので右側に信号灯が写っています。
信号灯は灯竿 (とうろん)とも呼ばれています。
灯竿は航路標識の一つで桟橋・防波堤などの端に設置し夜間に港の位置を示す小型の灯台である
Aはコーベ・クラブ
Bは122番 デラカンプ商会
Cは東運上所(神戸税関)
Dは12番 イリス商会
本ブログでは上の写真の右手に写っている第一波止場の信号灯(灯竿)が
いつ設置されいつまで存在したかをテーマに調査しましたので紹介します。

尚、第一波止場は資料により「外人居留地東波止場」「東運上所前波止場」「東防波堤」
などと表記されていますが同義語です。

参照文献
 1)神戸開港百年史 建設編 神戸開港百年史編集委員会 編 神戸市 1970.4

     上記ブログで神戸港のあゆみ(変遷)を簡略化して纏めています。 

 神戸市が神戸港開港150年を記念して上記資料を作成されています 

いつ設置されたか?
第一波止場の信号灯(灯竿)はいつ設置されたか?

信号灯は発掘調査で八角形の基礎を持つ古いタイプ、以下「」と呼ぶと
丸型の基礎を持つ新しいタイプ、以下「」の2つが検出されています
「旧」は明治10年(1877)8月15日に設置されたアーク燈(ガス燈)で白色灯
「新」は明治23年(1890)から明治35年(1902)までに設置された電気式の緑色燈
上述した明治中期の信号灯の写真は「新」

 結論:「旧」は明治10年(1877)8月15日
   「新」は明治23年(1890)から明治35年(1902)
「旧」は「和田岬燈台に続いて、明治10年8月15日、外人居留地東波止場の先端に、
光達距離24㎞の白色竿燈が設けられた
出典:文献1)Page68~69 (1)和田岬公園

(参考)・・・和田岬灯台について
和田岬燈台は日本の灯台の父と呼ばれるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの
指導で、明治4年(1871)和田岬砲台の横に作られました。当初は木製で8角形の灯台
でしたが明治17年(1984)現在の鉄骨造の灯台に建替えられました。
 
出典:須磨海岸の赤灯台(旧和田岬灯台) の現地説明板

いつまで存在したか?
第一波止場の信号灯(灯竿)はいつ迄存在したか?

 結論旧については新が建設された明治23年(1890)
    から明治35年(1902)に廃絶した

          新についてははっきりとした年月日までは判明せず不明
    神戸港第1期修築工事着工した明治40年(1907)9月16日から
    大正11年(1922)5月16日の完成の間に廃止されたか?
    昭和39年(1964)内海の埋め立て開始頃まで存在していたか?
    
    

上の写真は大正12年(1923)頃の神戸港(神戸港第1期修築工事完了後)
出典:開港100年記念誌 Page23より 2)

神戸港第1期修築工事の内容は下記のとおりです 出典:3)
 ・第1~第4突堤の建設
 ・上屋18棟
 ・防波堤 1,149m
 ・鉄道 20,378m

神戸港のうつりかわり
神戸市埋蔵文化財センターの展示より「神戸港のうつりかわり」を紹介します
上の写真は神戸港の移り変わりの全体写真です。拡大版を下に添付。













神戸海軍操練所跡発掘調査の現地説明会
 

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