「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

「新・あつい壁」異例の再延長

2007-07-20 09:26:43 | 感動した話
新・あつい壁が「異例中の異例」で、上映期間を再延長するという新聞記事がありました。
私が観に行ったのは、地元と言うことで近くの文化ホールで自主上映されたものなんですが、映画館としては、熊本ではDenkikanのみで上映されています。
最初、6月23日から2週間の予定で上映されたのですが、当初見込みの2倍のペースで観客が来場したため、7月20日まで延長されていたんですが、さらに8月9日まで延長することを決めたそうです。
当初は、2週間で1000人ほどと見込んでいたのが、1週間で達成し、3週間で3000人を超えています。
客層は中高年が中心だったものが、次第に若年層が増え、週末には家族連れも目立つというのです。

この映画は、製作・上映に協力して欲しいと言うことで、前もって協力券を購入してもらい、それを制作費に当てていたので、最初はその協力券を持っている人たちが多かったけど、当日券の売れ行きも伸びてきているそうです。
映画館の支配人は「興行より社会的な使命として上映した側面が強く、予想をはるかに上回る観客動員。娯楽映画の超大作でも1ヶ月半も上映することはない」と、驚きを隠せないそうです。

映画を観終わった人たちの感想は、
「ハンセン病問題について漠然とは知っているつもりでしたが、当事者の苦しみが伝わり、理解が足りなかったと反省しました」
「考えさせられる映画でした。子どもにも見せたい」

中山節夫監督は、「差別や人権について真剣に考えてもらえている手ごたえを感じる。社会の格差が広がる中で、差別される側に回った経験がある人がふえているのかもしれない」と話していました。

まだ観ていない方は、ぜひご覧下さい。
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余命一ヶ月の花嫁

2007-07-19 10:13:27 | 感動した話
昨年1月に乳房にしこりが見つかり、検査を受けた直後の千恵さんは、イベントで出合った太郎さんと始めてのデートをしました。
彼からつきあって欲しいといわれたとき、検査結果が出る前だったので、即答できませんでした。
そして、その後、乳がんと診断され、そのことを彼に告白したところ、いっしょに頑張ろう!といってくれて、交際が始まりました。
二人でいろんなところに出かけ、楽しい思い出がたくさんできました。
しかし、抗がん剤治療だけではガンを抑えられず、昨年8月に左乳房を切除する手術を受けたのです。
そのときも、彼が励ましてくれました。

手術をしてすっかり元気になった彼女は、猛勉強をしてシステムエンジニアの資格を取り、2月に晴れてSEとして働き始めました。
しかし、その直後から体調が悪くなっていったのですが、勤めてすぐなので休むわけにもいかず、頑張っていたのですが、あまりに辛いので近くの病院で診察を受けたところ、医師は「なぜ今までほっておいたのですか?すぐに主治医のところに行きなさい。」と・・・
3月6日入院。乳がんが転移し、左肺の半分が真っ白の状態でした。
その後の進行が早く、右肺や骨にも転移していきます。
そして、3月30日、家族は余命1ヶ月、もしくはそれより早まるかも・・と告げられました。
母親は中学3年生のときにガンで亡くなっています。
それから男手一つで一人娘を育ててきたお父さんにとって、残酷極まりない宣告でした。
父親は娘に余命1ヶ月とは告げられませんでした。
しかし、千恵さんは自分が末期がんであることを察知し、「ガンと戦う自分の姿を同世代の人たちに見てほしい」とテレビの取材に応じてくれたのです。

お父さんは毎日2時間かけて、病院に通い、痛がる娘の背中をさするのが精一杯です。
太郎さんは、毎晩仕事が終わって病院に駆けつけ、泊り込んでくれました。
お友達も、ちょこちょこ顔を見せて、彼女の相手をしてくれます。
そんな彼女の夢は、ウエディングドレスを着ること。
それを知った友達は、都内のあちこちの結婚式場に電話して、4月28日を押さえてくれました。
しかし、千恵さんにはその日に元気でいられるかどうか確証がありませんでした。
それならば、と友達は、さらに電話を掛け捲り、ついに4月5日、青山の素敵な教会を見つけてくれたのです。

酸素吸入をしながら車椅子で会場へ向かう千恵さんは、とても辛そうで、無事に撮影ができるかどうか不安な状態でした。
でも、ウエディングドレスに身をつつんだとたん、酸素吸入器もはずし、歩いて教会に入り、太郎さんやお父さんと記念撮影をすることができました。

実は、千恵さんには写真撮影だけと言ってあったのですが、友人、親族も集まり、模擬結婚式が企画されていたのです。
おまけに、以前雑誌で見ていた素敵な結婚指輪を、太郎さんが前日、宝石店を駆け回って探してくれていました。
それを見た時、彼女の目からは大粒の涙が溢れ出し、止まりませんでした。
教会の外で、みんなで写真をいっぱい撮って、ほんとうに幸せそうでした。
みんな、このまま奇跡が起こって、ガンがなくなればいいのに・・・と願っていました。

しかし、日ごとに進行するガンを止めることはできず、彼女は痛さにもがき苦しむのですが、それでも、ちょっとでも気分がいいと、明るい笑顔を振りまいてくれます。
いつもみんなに感謝し、感謝と言う言葉以上のものが見つからずに困る、と言っていました。
そして、結婚式からわずか1ヵ月後、24歳と6ヶ月で彼女は天に召されていったのです。

その後、一人暮らしになったお父さんを気遣って、太郎さんはときどき泊まりにいっていますし、お友達も以前のように集まり、バーベキューをしたりしていました。
これも彼女が精一杯生きていたという証しですし、彼女のその生き様は、多くの人に感動を与えてくれたのです。
彼女のブログに「明日があるということは奇跡です」と書かれていました。
生きているって、本当にすばらしいことなんだなぁと改めて気づかせてくれました。
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人工呼吸器をつけたオーナー

2007-07-18 06:39:23 | 感動した話
昨日、テレビで人工呼吸器をつけたフィットネスクラブのオーナーが紹介されていました。
鹿児島県薩摩川内市の迫 里深(さとみ)さん27歳です。
子どもの頃から活発で、中学校、高校とバスケット部に所属し、念願のフィットネスクラブのインストラクターとして働き始めた21歳のとき、バイクに乗っていて、わき見運転の車にはねられました。
当初、意識不明の重体で、一命は取り留めたものの、脳幹部に損傷を受け、まばたき以外、まったく動かない状態になってしまいました。
呼吸もできないので、人工呼吸器ですし、食べることもできませんので、栄養分はお腹に開けた穴からチューブで流し込みます。
回復の見込みもなく、生きていく望みも持てず、死にたい、死にたいともらしていたそうです。

しかし、リハビリ専門の先生に励まされ、必死で努力を続けるうち、顔の表情が出るようになり、車椅子にも乗れるようになりました。
声は出ないのですが、口の動きを見てお母さんが代行し、会話もできるようになりました。

首から下はまったく動かず、普通だったら寝たきりが当たり前なのでしょうが、持ち前の明るさと根性で、フィットネスクラブに自分に出来る仕事をしたいと訴えたのです。
車椅子に乗れるといっても、体はまったく動きませんし、会話もお母さんを通じてしかできません。
そこで会社は、彼女にできるものとして、フィットネスクラブのオーナーという仕事をくれたのです。
そんな彼女の頑張りに、多くの障害者が励まされ、兵庫から講演の依頼がありました。

もちろん、彼女はすぐに行くつもりになったのですが、ドクターストップがかかってしまいました。
そのころ体調が悪く、黄疸が出ていて、出発の一週間前に胆のうの手術をしたばかりだったので、3週間は安静が必要という診断でした。
鹿児島空港から伊丹空港まで行き、それから車と新幹線で乗り継いで、ホテルまでの長旅に耐えなければならなかったからです。
それでも、彼女はどうしても行きたいと反対を押し切って出発しました。

空港では人工呼吸器が外れたり、飛行機では体勢が安定せず、苦しそうな表情です。
新幹線では呼吸器がバッテリー切れを起こしたり、ホテルに着くとエレベーターで気分が悪くなったり、部屋に入ってほっとしたとたん、呼吸器が外れてしまったりと、なんども命の危険にさらされました。

それでも、講演会会場で、恩人のリハビリの先生に会えたり、会場に来られたみなさんから声をかけられ、とても嬉しそうでした。
今の目標は、フィットネスクラブの経営を安定させることだそうです。
毎日が命がけの暮らしで、どうしてそんなに明るくできるのか不思議なくらい、里深さんもお母さんも、とても笑顔が素敵でした。
人にはこんなにすごいエネルギーがあるんだなぁと感心させられます。
普通の生活をしていて、不平不満を言ったりしたら、恥ずかしいですね。

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新潟県中越沖地震

2007-07-17 10:38:12 | 日記
昨日の朝、テレビの臨時ニュースで新潟の地震の第一報が伝わりました。
震度6強ということで、被害が大きいことが懸念されましたが、お昼頃まで新潟市などの映像しかなく、電話での通報はありますが、その被害の状況はまったくわかりませんでした。
午後になり、ようやく柏崎市の映像が映し出され、その被害の大きさに唖然としてしまいました。
朝刊によると、家屋の全壊342棟、半壊・一部破損が438棟だそうで、今も尚、生き埋めになった人たちの捜索が続けられています。

この地域では、立て続けに大きな地震が起きていて、3年前にも新潟では深刻な痛手を受けています。今年の3月には石川県の輪島で大きな地震がありましたよね。
九州では、梅雨の大雨による被害をうけた直後に、台風4号の襲来で、被害も拡大していたときです。
次々に襲ってくる天災に、為すすべがありません。

主人の母がテレビのニュースを見て、遠くにいる孫たちのことを心配をして電話をくれました。
遠くにいると何かあったとき、どうしようもないのにぃ・・・といいますが、今は、いつ、どこで、なにが起こるかわかりません。
明日はわが身、いざというときの心構えをしておかないといけないようです。
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新・あつい壁

2007-07-16 07:09:56 | 感動した話
昨日は合志市ヴィーブルで「新・あつい壁」が上映されましたので主人と観に行ってきました。
ハンセン病への差別と偏見を取り上げた映画で、地元合志市出身の中山節夫監督の作品です。
最初に、監督の舞台挨拶があったんですが、客席に知ってる人が大勢いたようで、やりにくそうでした。

中山監督は地元に恵楓園というハンセン病の療養所があるので、大学時代から研究されていたそうです。
40年ほど前にも「あつい壁」というのを撮られていて、ハンセン病患者を親に持つ子どもたちが小学校への入学を拒否されたことが題材でした。
その映画が撮影されていたのは高校生の時で、主役がクラスメートの友達だったり、高校の近くの骨董品店のおじさんが出演しているというので、学校でも話題になったんですが、どういうわけか見逃してしまいました

今回の「新・あつい壁」は、駆け出しのフリールポライターが、たまたま取材していたホームレスの男性から、55年前に熊本で起きた殺人事件で、冤罪なのに死刑になった人がいるという話を聞いて、面白そうだと思って取材を始めるというものでした。
若者はハンセン病のことは何も知らず、冤罪ということに興味を持ち、熊本のハンセン病療養所「恵楓園」での取材になりました。
そこで当時のことをいろいろ調べていくうちに、ハンセン病というだけ、患者やその家族が不当な差別や偏見を受けていたことを知ることになります。

恵楓園は我が家から歩いていけるところにあり、広い敷地があるので、小、中学校の歓迎遠足の場所になったり、グランドも2面あり、野球の練習場としてもよく使われています。

そこの自治会の人に詳しい話を聞くことになったのですが、役者のケーシー高峰さんや高橋長英さんに混じって、恵楓園の自治会の方もそのまま出演されていました。

当時のことをよく知る人たちから詳しい事情を聞かされるのですが、聞けば聞くほど、犯人とされ死刑になったその男の人が無実だったと思わずにはいられない話でした。
警察も裁判官も、彼がハンセン病患者(実はそれも疑わしい)ということで、犯人と決め付けていて、当時の裁判に関わった書記官の証言に「ぼろ雑巾のように死に追いやった」という話がでてきます。

そんな不条理なことが戦後になっても行なわれていたというのもショックですが、今も尚、差別、偏見は続いていて、実際、数年前の温泉宿泊拒否事件のあと、恵楓園へは陰湿な中傷や嫌がらせがあっています。
一度、恵楓園に収容された人たちは、二度とそこを出ることを許されず、身内からそういう人が出たら、残された家族も周りから白い目で見られ、村八分になってしまうので、家族と縁を切り、ほとんどの人が偽名で暮らしています。
ハンセン病は感染力が弱く、しかも戦後すぐに特効薬も開発され、完治する病気だったにもかかわらず、数年前まで国が「らい予防法」という間違った法により、隔離政策を続け、世間の差別を助長していたことが原因です。
「らい予防法」は撤廃されましたが、今でも偏見を持つ人は多く、本人だけでなく、家族までも肩身の狭い思いをして暮らしています。
映画のラストシーンでは、ハンセン病の家族の苦しい日々が浮き彫りになり、ズーンと心に重くのしかかってきました

私たちは知らず知らずのうちに、他の人を差別したり、偏見をもってみたりしているのかもしれません。
これはハンセン病に限ったことではなく、いじめやメールでの誹謗中傷など、不当に差別や偏見を受けている人たちの苦しみを知ることにもなります。
自分がそうされたときの苦しみを考えたら、人には出来ないはずです。
他人の痛みがわかるような人たちばかりだったら、世の中、平和になるんでしょうけどね。
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台風一過

2007-07-15 06:50:35 | 日記
昨日は台風4号の接近で、どうなるかと朝からヒヤヒヤでした。
途中までは北に向かっていたので、熊本直撃か?と思っていましたが、鹿児島に近づいたあたりから、北東に進路が変わり、宮崎方面へと向かっていきました。
このコースだと、熊本はあまりひどくならないので、一安心です。
ときおり強い風は吹きていましたが、雨もほとんどふらず、台風が接近しているとは思えないくらいです。

午後は押し花しおり作りの予定だったのを中止したのですが、台風の心配もなくなったので、7月31日に行なわれる絵本カーニバルでの押し花しおり作りの準備をしました。
ひとつの紙皿に押し花を3,4種類ずつ入れていき、16枚分、用意しました。
このところの雨続きで、前に使った押し花が湿気を帯びているものもあったので、乾燥ボックスに入れて再乾燥させておきました。
それに押し花を押した状態のままのがたくさんあり、ついでに台紙からはずして、それぞれの花ごとに保管袋に移しておきました。
台風でしおり作りを中止したお陰で、たっぷり3時間以上かけて、この作業をすることができました。

夕方、台風が最接近したころには、空も明るくなり、みんな普段の生活に戻ったようです。
衛星から映し出された雲の様子では、九州の東側だけがすごい雲で、西側はまったくありません。
九州山脈に雲がぶつかって、宮崎側にだけ雨を降らせているんですね。
瞬間風速が60mにもなる大型台風というので、外回りを徹底的に片づけをしたり、ガムテープを貼ったりと、いろいろ備えをしたのに、拍子抜けの感じです。
でも、今回はたまたまコースがずれて、こちらへの影響はありませんでしたが、鹿児島、宮崎などでたいへんな被害がでていますし、これから関東にかけても大荒れになるそうですので、その地域のみなさんは十分お気をつけください。
「備えあれば憂いなし」で、いつも準備だけはちゃんとしないといけませんね。
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台風接近中!

2007-07-14 06:53:45 | 日記
台風4号が近づいています。
今朝はまだ、風もほとんど吹かず、雨も時折、パラパラと降るくらいです。
でも今回の台風はこれまでにない勢力を持っているということで、沖縄では大変な被害が出ています。
我が家でも、鉢植えや段ボールなど、家の周りにいっぱい置いていたものを、昨日のうちにすべて片付け、網戸などにはガムテープを貼って飛ばされないように準備をしました。
後は、シャッターの隙間に新聞紙を詰め込んで、シャッターがガタガタ言わないようにするだけです。

子どもの頃から台風はよく来ていましたが、昔はなんかわくわくするような感じでした。
雨戸を閉めて暗い中、家族みんながいっしょにいることも楽しかったし、外の風の様子をうかがい、すごいすごい、と言ってはしゃいでいたように思います。
しかし、平成3年の台風19号から、印象ががらっと変わって、台風は怖いものになってしまいました。
風で家の窓がたわみ、ギシギシと音がして、家ごと吹き飛ばされるかと思いました。
実際、近くの家では、二階の窓が割れて、家の中を風が吹き抜けたり、学校の体育館の屋根が飛ばされたりと、大きな被害がでました。
その数年後の台風の時には、道路の向こうの家の屋根瓦がぜんぶこちらの方に飛んできて、うちの家の窓ガラスが割れたり、お店のシャッター越しに、店舗用の分厚い大きなガラスが割れたりしました。
その時は、補強をしていたので、家の中に風が吹き込むことはなかったのですが、本当に怖かったです。
それ以来、台風と言うと、不安感に襲われます。

台風4号は、今日の夕方から夜にかけて、熊本に最接近するそうです。
とりあえず、娘は昨日のうちに今日の予約の方にお断りをして、福岡に戻っていきました。
予定していた「小さな一歩の会」の押し花しおり作りも中止です。

九州山脈があるので、そのどちら側を台風が通過するかで、熊本への影響はぜんぜん違います。
今のところ宮崎側を通過するという予報なので、こちらへの直撃は免れそうですが、この後の台風の進行方向が気になるところです。

今回の台風は、普段よりも海水温が上昇しているので、大きなエネルギーを蓄え、風速50m以上という沖縄の人もびっくりするくらいの勢力になっているそうです。
これから地球温暖化により、ますます海水温も高くなることが予想され、台風もどんどん強いものになるんでしょうね。
今度家を建てるときは、まず台風に強い家、というのが第一条件になりそうです。
でもそんな丈夫な家を建てられるのはいつのことなんでしょう・・・
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気功教室

2007-07-13 08:42:58 | 美容と健康
先日、主人が行っている気功教室が地元の情報番組で紹介されました。
一般の特派員の方が取材して、レポートされるものです。
植木町の病院で気功の先生を招いていて、職員や患者さん、一般の方も無料で教えてもらえるんです。
2週間ほど前、主人が「今日はテレビの取材があったので、カメラに映らないようにするのが大変だった」と言ってたものです。

もう10年ほどになるでしょうか、主人が気功をしたいというので、教えてくれるところがどこかにないだろうかと探していたところ、植木町の病院で教えている人がいるという話を聞いてきました。
一度体験して、すぐにその先生が開いている気功教室に申し込みました。
その先生は女性で当時はまだ30代。
昔は国際線の客室乗務員で世界各国を飛び回っていたんですが、気功に興味を持って中国に渡り、中国軍人病院の気功の先生について修行したという経歴の持ち主でした。
とてもサバサバした方で、惜しみなくどんどん教えてくださるし、興味をもったらすぐに行動に起こす人です。
主人が四国八十八ヵ所巡りの話をしたら、すごく興味をもって、四国に渡り、車で野宿しながら回られました。
そのとき、主人が習いだして一年も経たっていなくて、他の方たちより日が浅かったんですが、「私、行ってくるから、その間、気功を教えておいて」と主人に頼んで行かれたんです。
凝り性の主人は、先生の動きをビデオに撮らせてもらって毎日練習していたんで、後から入った主人の方が教える立場になってしまいました。

主人が隣の部屋で気功の練習をしていても物音一つしませんが、出てきたときは汗びっしょりになっています。
静かな動きなんですが、すごい運動になるんでしょうね。

毎週水曜日、植木町の平田病院でお昼2回に分けて気功教室が開かれていますので、興味のある方は覗いてみてください。
主人も時間のあるときは出かけていって、先生のフォローをしています。
ちなみに、テレビには主人は映っていませんでした
武暁紅気功塾
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草との戦い

2007-07-12 12:56:32 | 日記
雨続きで、油断している間に、草が伸び放題です。
駐車場にしている隣の空き地も、日に日に伸びてきて、雨の日は歩きにくくなっています。
昨日は朝から雨が降っていなかったので、鎌で草刈りをしていたんですが、突然、ザーっと降り出し、ちょっとしかできませんでした。
花畑の方も花より草の方が勢いがよく、えらく目立っています。
今朝は大丈夫そうだったので安心して草刈りをし、さぁこれから花畑の草を抜こうとしていたら、またまた雨が降り出しました。
しばらくは濡れながら取っていましたが、本降りになってしまい、今日もちょっとしか出来ませんでした。
明日からは台風の影響もありそうで、しばらく草取りできないかもしれません。
これでますます、草の勢いが増すことでしょう。

勢いが良いといえば、かぼちゃの苗がすごいです。
空き地の隅に刈り取った草を積み上げているんですが、ついでにその間に野菜くずも入れています。
これが一年もすれば、きれいに土になってしまうのがすごいです。
その土の中からかぼちゃの苗が育っています。
捨てたかぼちゃの種から勝手に生えてきたんですが、去年も5,6個収穫できました。
今年のかぼちゃもすごい勢いで伸びてきていて、気をつけていないと歩道まではみ出しそうです。
たくさん花がついてはいるんですが、かぼちゃは雄花と雌花があり、雄花には実がならないそうです。
今のところ、雄花ばかりで、実をつけそうな花が見当たりません。
一個ぐらい、おいしいかぼちゃになってくれるといいのになぁ
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ダイエット開始

2007-07-11 06:44:39 | 美容と健康
主人がダイエットすると言い出しました。
結婚前から大きめではあったんですが、そのころはまだ80kgほどでした。
それが結婚後、どんどん体重が増え、30歳過ぎたころ、100kgの大台に乗ったんです。
病院に勤めている友人に検査してもらったら、肝機能が悪くなっていて、その数値をみたお医者さんから、「こりゃ、入院しなくちゃいけない値だ」と言われ、食事制限をすることにしました。
その頃、まだ若かった鈴木その子さんの「食べてやせる」という本を買ってきて、量はあまり減らさず、徹底的に脂抜きの料理にしたところ、10kgほど減量に成功し、肝機能もだいぶ正常値に近づきました。

でもそれから先はなかなか体重は減らず、100kgを切った状態がずっと続いていました。
その後、一度、漢方薬でやせよう、といって、漢方専門薬局で1週間分処方してもらったことがありました。
その薬を一回飲んだだけで、おしっこに行く回数が増え、それでやせるんだろうと、さらにもう一回服用したら、尿の量が半端じゃなくて、それといっしょに体の力も抜けてしまい、動けなくなってしまいました。
きつくて仕事もできないので、病院へ行って点滴をしてもらったんです。
薬局に問い合わせたんですが、そんなはずはないので、たぶん体調が悪かったんでしょう、と言われました。
一週間ほどして、体調が戻ってからもう一度試してみたんですが、やはり同じ症状が出て、結局止めてしまったんです。

最近は年のせいか、昔に比べたらあっさりしたものを好むようになり、食事の量もだいぶ減ってきてはいるんですが、体重だけは変わりませんね。
太っていると腰やひざに負担がかかりますし、足の手術をしたときも、太っているためにかなりキツイ思いをしたみたいなので、切実にやせたいと思って、散歩をはじめたんですが、ちっとも体重が減りません。

これまでは食事を減らすのは絶対無理だといっていたんですが、突然、食事制限でやせることにするので、協力して欲しいと言い出しました。
先日会った、アロエベラとプロテインのお陰で11kgやせた、という人に刺激を受けたようです。
これまで、何があってもご飯だけは抜いたことがなく、スパゲティーや焼きソバ、お好み焼きのときも、最後の〆は必ずご飯を食べないとおさまらなかったんです。
それが、朝食はご飯抜きで、プロテインを飲むと言い出したのでびっくりです

さっそく昨日の朝から私も一緒に始めたんですが、ココアを混ぜてみたら、意外と美味しい、と飲んでくれました。
プロテインとアロエベラジュース、それに果物と、結構満腹感があり、お昼まで空腹を感じませんでした。
お昼は軽めの食事で、夕食は普通どおりです。
これなら続けられそうです。
朝ごはんを作らなくていいですしね
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