「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

新・あつい壁

2007-07-16 07:09:56 | 感動した話
昨日は合志市ヴィーブルで「新・あつい壁」が上映されましたので主人と観に行ってきました。
ハンセン病への差別と偏見を取り上げた映画で、地元合志市出身の中山節夫監督の作品です。
最初に、監督の舞台挨拶があったんですが、客席に知ってる人が大勢いたようで、やりにくそうでした。

中山監督は地元に恵楓園というハンセン病の療養所があるので、大学時代から研究されていたそうです。
40年ほど前にも「あつい壁」というのを撮られていて、ハンセン病患者を親に持つ子どもたちが小学校への入学を拒否されたことが題材でした。
その映画が撮影されていたのは高校生の時で、主役がクラスメートの友達だったり、高校の近くの骨董品店のおじさんが出演しているというので、学校でも話題になったんですが、どういうわけか見逃してしまいました

今回の「新・あつい壁」は、駆け出しのフリールポライターが、たまたま取材していたホームレスの男性から、55年前に熊本で起きた殺人事件で、冤罪なのに死刑になった人がいるという話を聞いて、面白そうだと思って取材を始めるというものでした。
若者はハンセン病のことは何も知らず、冤罪ということに興味を持ち、熊本のハンセン病療養所「恵楓園」での取材になりました。
そこで当時のことをいろいろ調べていくうちに、ハンセン病というだけ、患者やその家族が不当な差別や偏見を受けていたことを知ることになります。

恵楓園は我が家から歩いていけるところにあり、広い敷地があるので、小、中学校の歓迎遠足の場所になったり、グランドも2面あり、野球の練習場としてもよく使われています。

そこの自治会の人に詳しい話を聞くことになったのですが、役者のケーシー高峰さんや高橋長英さんに混じって、恵楓園の自治会の方もそのまま出演されていました。

当時のことをよく知る人たちから詳しい事情を聞かされるのですが、聞けば聞くほど、犯人とされ死刑になったその男の人が無実だったと思わずにはいられない話でした。
警察も裁判官も、彼がハンセン病患者(実はそれも疑わしい)ということで、犯人と決め付けていて、当時の裁判に関わった書記官の証言に「ぼろ雑巾のように死に追いやった」という話がでてきます。

そんな不条理なことが戦後になっても行なわれていたというのもショックですが、今も尚、差別、偏見は続いていて、実際、数年前の温泉宿泊拒否事件のあと、恵楓園へは陰湿な中傷や嫌がらせがあっています。
一度、恵楓園に収容された人たちは、二度とそこを出ることを許されず、身内からそういう人が出たら、残された家族も周りから白い目で見られ、村八分になってしまうので、家族と縁を切り、ほとんどの人が偽名で暮らしています。
ハンセン病は感染力が弱く、しかも戦後すぐに特効薬も開発され、完治する病気だったにもかかわらず、数年前まで国が「らい予防法」という間違った法により、隔離政策を続け、世間の差別を助長していたことが原因です。
「らい予防法」は撤廃されましたが、今でも偏見を持つ人は多く、本人だけでなく、家族までも肩身の狭い思いをして暮らしています。
映画のラストシーンでは、ハンセン病の家族の苦しい日々が浮き彫りになり、ズーンと心に重くのしかかってきました

私たちは知らず知らずのうちに、他の人を差別したり、偏見をもってみたりしているのかもしれません。
これはハンセン病に限ったことではなく、いじめやメールでの誹謗中傷など、不当に差別や偏見を受けている人たちの苦しみを知ることにもなります。
自分がそうされたときの苦しみを考えたら、人には出来ないはずです。
他人の痛みがわかるような人たちばかりだったら、世の中、平和になるんでしょうけどね。
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