ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

今日は何日?

2012年05月03日 | 生活・暮らし・家事など

 
 

写真は、「丘の上ガーデン」の花たちです。
私はたまに行って写真を撮らせていただくだけ。
育てる人のご苦労には頭が下がります。水場がないので、水を運んで育てているのを知っているからです。

今日からまた4連休に入るのですね。
あやうく、今日が2日なのか3日なのかわからなくなって、朝刊の日付欄を見て、あるいは携帯電話やパソコン画面で確認するというありさまです。
今は日付より曜日をチェックしながら動くのが私流。それでも、間違いというか勘違いが起きます。

待っていた資料がパワーポイントで届き、開けない。どうしよう!!。
先日書いた原稿のゲラが届いたのも昨日のこと。
世間さまは動いているのですね、しっかりと。

パワーポイントの件は、ワードで送ってもらって一件落着。ああ、よかった!!!
こちらが動く分にはかまわないけれど、先方が休みになると連絡がとれなくなったりと一瞬不安がよぎります。
この不安は、ほんの一瞬の不安なので、いかにふだんそういう世界から縁遠く生きていることかしら。

連休はどこも出かけないので、蟄居状態。
TUTAYAのDVD旧作が水曜日を待たずともいつでも100円になったので、週に3本レンタル。
借りたものは、当たりも外れもあるけれど、時には大当たりもあります。


静かな雨の一日

2012年05月02日 | 生活・暮らし・家事など

そぼそぼと降る五月の雨。
気温もほどよく、大地には滋養の雨です。



ハーブを摘んで、コップに挿しました。
窓辺に置いておくと、白くて華奢な根が出ます。
根が出たら、外の鉢に植えようと思います。
路地にあれば、はびこる勢いが違うのに、鉢植えではなかなかうまく成長しませんが、それでも少しずつ少しずつ増えています。


 

冬のあいだも戸外でホッタラカシのシンピジウム1鉢から、毎年今ごろ美しい1枝の花が咲きます。
2枝咲くことはないけれど、律儀に1枝は毎年咲きます。今年も咲きました。
葉はなぜかカイガラムシ状の虫がつきますがそれにもめげずにです。

蘭の中では色目もよく、静かな雰囲気が気に入っています。
ホンマさん、見て下さっていますか?ホンマさんにいただいたシンピジウムです。
その節はありがとうございました。


フェンスの中も花で一杯

2012年05月02日 | 自然 花や風景など



近くの水路に浮かんだ八重桜の花びら。
「花筏」という固有名詞を持つとってもステキな花(緑の葉の上に小さな小さな花を咲かせます)がありますが、今日の花筏は桜の花びらです。



ぼってりとした花は散っても魅惑的です。



フェンスの中もこのとおり。

公園のたんぽぽ畑を通ったら、こちらは緑の上に雪が降り積もったように一面真っ白。黄色い畑が綿毛で真っ白になっていました。
自然が移り行くスピードの速いこと、速いこと。

駅までの散歩にカメラを置いて出かけたら上のような景色が広がっていました。
仕方なく携帯電話のカメラで写したものです。


ブログの中での出会い

2012年05月01日 | 社会

ブログを書いていると、ときどき面白いことが起きます。
一度もお会いしたことはないけれど、ずっと親しさを感じる方が幾人も。

昨日月曜日の夜、たまたまNHKを観ていたら、屋久島にいる鶴瓶さんが、「これからタコラッパの彼女のところを訪ねます」と。
「あ、晶さんだ!!!」と、私。なんと、晶さんのところへ……。

晶さんと私は、お互いにブログのブックマークに相互リンクしている「ブログフレンド」ですが、もちろん、お会いしたことは一度もありません。
私のブログで上から3番目ということはかなり古く、2番目のONIONさんからのご紹介でした。
テレビで晶さんを拝見して、何だかとてもうれしくなりました。

鶴瓶さんが、「ここで、食べてるの??」と訊くと、
晶さんが、「はい、○○やさんでアルバイトをしていますが、何とか絵を書いて食べています」
鶴瓶さん、「それはすごい!!!好きなことして、好きなところに住み、なんとか食べていけるって、それはすごいことやで!!」と称賛。

ブログにアップされた晶さんの絵や屋久島の写真を素敵だなと眺めていた私ですが、晶さんの明るい笑顔もステキでした。
若い人ががんばっていろいろのことに挑戦している姿は、そのまま私たちを勇気づけてくれます。

私もいつか屋久島に行ってみたいな……。


白い妖精

2012年05月01日 | 自然 花や風景など



久しぶりに「丘の上のガーデン」に上ったら、すずらんの花が咲いていました。

 

顔を近づけ、レンズを向けると、芳しい香水のようなすずらんの匂い。
健やかに育つ花をみて、いっときの至福。


風が動く

2012年04月30日 | 生活・暮らし・家事など

いつもと変わらない今日。
しかし、ゴールデンウィークというだけあってしのぎやすくとってもいい季節。
冬布団のカバーを洗い、干してしまう作業など、毎年繰り返しているこの時期の家仕事があります。
ウールの敷物や、ひざかけもそろそろしまいどき。夏の籐やリネンのものを出します。

今年初めてかもしれないな……南側の窓と北側の窓を同時に開けたのは……。

風のない朝から時間が過ぎ、リビングで針仕事をしていると、かすかにかすかに風が動き始めたりするんです。
いいなあ、この風の揺らぎ。冷たくもなく暑くもない風が抜けていくのがひそかに感じられる、さわやかなシアワセ。

 

今日のランチはスパゲッティ。

とはいうものの、スパゲッティがほんの少し残っているだけ。
ストックケースをゴソゴソ探すと、ビーフンがありました。
春キャベツの外側の皮と、葉タマネギの葉の部分、タケノコ、鶏肉を炒め、スパゲッティとビーフンを合わせて出来上がり。
味付けは、自家製塩こうじのみ。パスタソースもなしでこんなに美味しく出来るなんて!!
上等のオリーブオイルをたっぷりかけていただくと、ほんとに美味しい主食のできあがり!!!!!

若い時から、今のような始末の知恵があったら、きっと今ごろ、億万とはいわないけれど、千万長者ぐらいにはなっているかもしれないな。

キャベツの外側の皮をポイポイ捨てていたら、いっしょに調理していた友人が、「どうして、食べられる皮をすてるの?」と私の顔を一瞥。ふか~く反省したのは40代のころ。
何より、ブームの塩麹を手軽に買うのではなく、自分でつくるなど、時間持ちになったからこそ出来ること。
さらにさらに……。
あと何回分かを残して、新しい食材を買おうとする癖からもしっかり足をあらいました。
そうすると、今日のような、スパゲティとビーフンを合わせるメニューが誕生するのです。

完全に使い切っていないのに新しいのを買おうとするとき、もう一人の私が耳元でささやきます。
「使い切ってからにしましょうね。スパゲッティが無くても、乾麺のうどんやそばがあるでしょ!第一、お米もたっぷりあるでしょ!スパゲッティが無くても1食や2食は大丈夫よ!」と。
気づかないうちに、無いことへの恐れがあるのかしら? ライフラインが数日止まっても大丈夫なほどの保存食材は十分あるというのに、ね。

60代になって、こんなささやかなことに気づく私。
でも、私にとっては今なんです。遅きにあらず、この思い、大切に大切に育てようと思います。

おかげさまでストックケースの中も見通しよろしく風が動いています。


やや複雑

2012年04月30日 | おいしいもの



タケノコ1本。

私:今年はどなたもタケノコを下さらなくて……。
農家の方:あげる方も、あげていいかどうか迷うんですよ……。

美味しい旬のタケノコ。
やや複雑な面持ちです。
もちろん、美味しくいただきましたが。

変な世の中になったものですね。


春のベランダ

2012年04月29日 | 生活・暮らし・家事など



冬のあいだ、無惨に枯れ果てていた我が家のベランダにも春が射してきました。

花というより草というがふさわしい鉢植えの数々。
今年はマンションの外壁塗装の年なので、ベランダの鉢も少しずつ減らしたいと思っているものの、こんなに瑞々しく力強い甦りを眺めているとなかなか決断がつきません。
ポット苗を抱えて高尾から戻った2年前のある日。そのポット苗の、ペパーミント色の小さな葉を持つゼラニウムなども2冬を我が家で越して春になり、急に大きく伸びています。

 

ドクダミやクローバー、それに道端の花などが入り混じる“小さな我が家の庭”です。
しかし、じゅうぶんにじゅうぶんに私を楽しませてくれます。


言葉の端々

2012年04月29日 | 社会

「東京新聞」に連載していた瀬戸内寂聴さんのコラム「この道」が終わりました。134回でした。
このコラムを途中から読み始めた私は、釘づけになり、切り抜いて読書会の資料にもしました。
大杉栄、伊藤野枝と、彼らにまつわる人との関係がわかりやすくドキュメンタリータッチに描かれ、当時の思想や歴史に疎い私にもとてもわかりやすく“知る”喜びをたくさんもたらせてくれました。
このコラムが本として出版されたら、私は迷わず買うと思います。

寂聴さん90歳。
昨年の講演会でその若々しく華やいだ雰囲気に圧倒され、願わくばこんな風に老いたいものだと刺激を受けました。

寂聴さんの本を読んだのは、『釈迦』が最初でした。
本を通してわかりやすく書かれた釈迦の生涯を学びました。

ところが・・・・・・。
私が読んでいるある方の昨日のブログ(男性)に、寂聴さんを批判する記事が書かれていました。

~~~~寂聴さんがテレビで「一生懸命に生きてきたから、いつ死んでも後悔はない。私が死んでも小説が残る」と語ったことについて、「みんな一生懸命に生きているのである。しかし死んでも何も残せない人々がほとんどである。そんな聴衆を前にして「小説が残る」と自慢げに話されると、なぜ仏門に入られたのだろうか」と……。~~~
道元禅師の言葉の引用もありました。

そんなこと、どうだっていいのにね……。私はそのテレビを観ていないので、第一自慢げに話したかどうかはわからないし、その人の捉え方のくせかもしれないし。

逆に、その人が書いていることを、私は訝しむことが多々あります。それは核心を離れた言葉の端々にですが。
その人の随想集には、招かれて講演に行く話しがたくさん出てくるけれど、「駅から迎えの車に乗って……」という文言がよく出ます。私が思うに「迎えの」は要らないのになと感じるのです。前後の文脈からちょっと心がざわっとするのです。どこに出かけても迎えの車などなく動いている人がほとんどですから。

その人も私にとっては著名人。ある映画の原作者を途中から名乗り、映画ができるずっと前からその人の原作を読んでいた私。そのときはほとんど無名で、その原作に心打たれたのですが。

言葉の端々に、まるで合わせ鏡のように考えや性格がほんとに如実にあぶり出されていきます。
ほんとは大きい人かもしれないのに、言葉の使い方によってはその人を小さくしてしまうことがあるようです。

“人のふり見て わがふり なおせ” 
社会の一隅で凡々と生きる私には、日々、教えられることがいっぱいです。


いま一番の花

2012年04月28日 | 自然 花や風景など



青空が広がり、空を背景にコブシの花が光っていました。
コブシは初夏をあらわす花なのでしょうか……?
手許の「俳句歳時記」で調べてみると、コブシは春の季語となっています。
しかし、「春」は、3月、4月、5月と記され、立春から立夏(5月5日)の前日までと説明されているので、今の季節にぴったりと合わせ咲いているということになります。
自然ってすごいですね!!!狂わずに咲くその神秘。

コブシのことは、辛夷(こぶし)、木筆(こぶし)、山木蘭(やまもくれん)、やまあららぎ、こぶしはじかみと表記することも知ったけれど、子供の拳に似ていることからこの名がつけられたというのも、生活にまつわる人と花の関係性が見えてほほえましいですね。