渓流で逢いましょう 
フライフィッシングつれづれ日記
 





風邪じゃないけど疲れが出たのか体調が・・ 
こんなときには・・ なにか精のつくものを?

にんにくをアルミホイルで包んで薪ストーブの灰の中に
本でも読みながら待つこと数分

こんな感じに焼けました、、  おきの遠赤外線でじっくりと(笑

塩振ってビールのつまみで食べました 中はアツアツのトロトロで美味でしたよ
ニオイが気になるところですが
林檎を半分くらい食べると不思議と消えちゃいます お試しあれ!

それにしても雑誌が、、随分溜まっています
特にフライ関係の雑誌が、、 毎年処分しようと思うんだけど
捨てるに捨てられないのがこの手の雑誌

たしか去年もけっこう燃やした気がするのですが、また増えている気がします

今年は思い切ってばっさり処分しちゃおうかな・・ さて、本当に処分できるのでしょうか(^^; 




コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )






いつもの道からみえる太平洋に注ぐ小さな川 (カメラ忘れて携帯撮影)




12月20日
もう冬なのに未だに寄り添って泳ぐ鮭が見えた
周りには累々と先に往った魚たちが見える
秋鮭とは言うものの、随分幅があるものだ



淀みの底に横たわった魚たち
その上に見えるのは炊飯器、蛍光灯の笠、袋に入ったスプレー缶、物干し竿、ホタテの貝殻、、、

一口に水に流すとは言うけれど、
神様の作った魚たちは溶けて無くなっても、
人間の作ったものが溶けてなくなるのはいつのことなんだろう

道路際に車を止めて何の疑問も持たずに投げ込む常習犯
コレを捨てることでその人にどれだけのメリットがあるのか僕にはわからない






その川の小さな支流 飛んで渡れるほどの小さな川だ
上に見えるのは廃線になった鉄道の跡
その下の小さなタマリ
実は生涯初の尺イワナを釣った場所だったりする
フライを始めて間もない頃
道路わきに車を止めて、橋の上から竿を振った
魚は向かって左側の岸寄りからドライフライに飛びついた

そのときは嬉しくて仕方なかったけど
随分たって、鉄橋跡から上に足を踏み入れたとき魚は一匹も現れなかった
どうして魚はいないのか、理解できるようになったのはそのまた随分後

それ以来この道を通ると必ず車を止めて
橋の上からこの場所を眺める

小さなイワナやヤマメがライズをしているときもある
大水が出た秋、鮭がこれ以上上れなくてここで右往左往しているときもあった

もう5,6年も前だけど
この場所から川を覗いていると、橋の袂の農家の主がやってきて
『釣りかい?いないだろ?昨日もココで釣っていた人がいたよ
札幌から来たって言ってたな』 そう話しかけてくれた
それからも度々声をかけてくれたけど
暫くして主は見かけなくなり
更に半年ほどしてから川を眺める僕の前にその主は現れた

すっかりやせ細っていて、日に焼けていた顔は透き通るみたいな色になっていた
『ちょっと入院しててなあ、、あんた、前にも来てたよね』そういっていた
大きな病気をしたんだろうな、、
ソレが主と話をした最後だった

その後家は空き家になった
誰に聞いたわけでもないけど
真冬でも雪かきもしていないからきっと誰も住んでいないんだろう
主の消息も知らないけど既に故人のような気もする


鉄路を走る客車も無くなり レールも取り払われて
傍らに住む人もどこかに消えた
鉄橋跡のコンクリートのタタキの川床
せめてこの小さな川に返してあげられないものなのだろうか
もう永遠に鉄橋跡にレールが引かれる事もないんだろうに

たしか去年?大水の出た後、プールが随分掘れてしまったためか
わざわざ埋め戻す工事をしていた
道路を守るためだろう
でもいつの間にかまた深くなっている
掘れてしまう原因はコンクリートで固めた落差だってわからないんだろうか?
えぐれの裏にはきっと渓魚たちが身を潜めて冷たい水の中で春を待ってる




橋の上から同じ流れの下流を眺める


流れは何事も無かったようにキラキラしながら海に向かってる

鉄路は無くなっても
傍らに住み人も無くても
それ以前もそれ以後も川はこの場所で海へ海へと流れていて
魚たちは山へ山へと上ってくる

神様の作った命を終えた魚たちは鳥や狐が山へ還してくれても
人の作り変えたものは容易にはもとには戻らない
借りたものなら返さなきゃ お礼を言って元通りの姿で
それくらいは子供の頃に親から習いませんでしたか?

この世界から勝手に借り続けている多重債務の僕達は
いつか利息分を含めて身包み剥がされたりしてね
ソレも仕方ないかと思う ほろ酔い気分の午前1時





コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )