(京都議定書)
(写真はアレチハナガサ)
いつ頃からだろう、山が欲しいなと思うようになったのは。
それほど昔ではない、まだ1年もは経ってないはず。
ある日島で、脇道に入って海を見下ろす斜面のところ、
下からの風が涼しい場所で、カメラを構えていると
リュウキュウウマノスズクサの花が目に入った。
突然、ああ、こういう斜面が自分のものだったらという思いがよぎった。
(これが、アレチハナガサなら、島で見るあれはダキバハナガサに違いない。
花の数や咲き方が全然違うし、もっと華やかだもの。)
その為には軍資金がいる。通帳を眺めたり、宝くじも買ったり。不動産に頼んだこともある。
だが具体性のないまま時が過ぎた。
ある日、山を貰った。だが、島でないところ。
この奥だ。ずっと奥、航空写真を見せてもらい、現地に案内してもらった。
地図には小さな水路があり、確かに見下ろすような斜面になっているが、養鶏場が隣接している。
残念ながら、汚染されている可能性もある。
幼い頃、家族で間伐に入った記憶がある。すっかり変わってしまった。
あきらめるしかなさそうだ。そっと、胸の中にしまっておこう。
いつの日か入れる日が来るかもしれない。
人生は予測不可能だ。そのことを何度も経験してきた。
道外れには ヒメヒオウギズイセンが咲いていた。
途中にある口蹄疫で閉鎖された牛舎跡が寂しげだった。
もしかしたら屍がどこかに埋められているかしら。
外れ道を出ると 目の前に自衛隊のフェンスが見えた。
ここも出来事の絶えない町だよなあ。マムシのいない真冬にもう一度来てみよう。
今はもう、その山の存在だけで十分です。48歳で亡くなった父の山でした。
だが、山との出会いはこれで終わらなかった。