私の野草図鑑

草花と語ろう

畑の野菜

2012-01-29 12:13:56 | 携帯投稿
ありがたいことである。

今朝は ほったらかしの畑でとれた野菜で 朝ごはんを いただいた。

聖護院大根 は なかなかのでき 葉っぱも 軽く茹でて あれこれ 使おう。

野生のツルナが 大きく 繁り 食べ頃 お浸しにした。

土地に合うと こうなるかと 驚く

赤いフダンソウは 虫にも強く 重宝している。

さっき ご近所から いろいろな柑橘類を いただいた。

甘夏 八朔 貴重なタンカンも ある

いいかおり

島の一人暮らし おつきあいは大切だと 痛感している。

屋喜内間切

2012-01-18 16:21:34 | 奄美の暮らし


何度通っていても 気付かない場所がある。

ある時 ふっと立ち止まると そこには 今まで知らずにいた 歴史が残っている。

この場所も そうだ、奄美の苦渋の歴史を 垣間見る場所。



間切って なんだろう?

「間切(まぎり)は、沖縄における、琉球王国時代の行政区分のひとつ。現在の日本で言えば、理念的には都道府県にあたるが、現実の面積から言えば、現在の市町村に相当する。

琉球の歴史の中では大きく2度、間切の区割り変更が行われている。また奄美群島では、薩摩が支配下に置いた後も間切制を続け、増減も行っている。

1907年(明治40年)の勅令第46号沖縄県及島嶼町村制が示され、翌1908年、間切は廃止された。」

 Wikipediaより



焼内は 屋喜内だったのかしら、なんで 変わったんだろう


中までは 写せないよね。 大切な場所だから・・・

でもね 一つだけ 残念、島のあちこちで 歴史ある史跡を見かけるんだけど できれば

もっと 保存環境をよくしてもらいたいな、よそ者からの 忌憚のないおねがい!!


次は おまけ(?)の一枚



今回のアルバムでは 2枚目なので 残しておく。

単なる読み込み失敗かもしれないね・・・



 




去年のクリスマスの日 (旧陸軍弾薬庫跡)

2012-01-11 14:58:12 | 奄美の暮らし


ロマンティックではないね

それでも お出かけしたんだ、豪雨以来 行っていなかった瀬戸内町

せっかくだから ケーキでも買おうかなって、ところがね

これが、なかなか 見つからなかった。



Aコープでね 「この近くにケンタッキー、ありませんか?」って、若い子に尋ねたの。

「えっ?ケンタッキーチキンって?」

少し 年配のおねえさん、あわてて「奄美には ないんですよ~」って すまなそう・・

ヒンシュクモノですよ。聞いた私が 悪かった、そそくさと 謝りながら 去りました。

仕方ないので ケーキをと 「あるかなぁ・・、もしかしたら あそこのお菓子屋さんに」

あちこち尋ねて やっと見つけて なんだかね カケロマロールを 買って帰りました。

で、その帰りにね 見つけたんですよ

否、通ってはいたんだけど ね。今日こそ 見てやろうって

さっそく リュウキュウイノシシくんが お出迎え



子豚ぐらいの大きさで 家の畑にも たまに現れるのです。



こんなのが 残ってるし ここにあるってことに驚いた。



誰もいないけれど 入ってみる 





今 見てもこわい。 あれ思いだす、えと・・・あの こわいやつ



他の入口



その跡をいかして 地震観測所もこんなところに





新しい発見だ。

クリスマスなんて すっかり 忘れちゃいましたよ



続) 観測所跡

2012-01-05 12:30:51 | 奄美の海、川


2012年 新しい年が明けた。

年末に時間を作って 2011年の島行きを閉めた。

暖かい気候も しばらくいると寒くなるもんだ。



こたつでゆっくり TVを見ながら過ごした。

滞在中 出かけたのは 一回だけ 今までとは違う過ごし方をした。



山道を走りまわったので ブレーキパッドが摩耗し、ブレーキ板がぎざぎざ

やはり こちらの道とは違い あれこれ消耗が早いようだ。

これからは 気をつけておこう。



島での過ごし方も 気持ちも変わってきた。

もっと 変化していくだろう。



特産物店で働く 都会から来ているシングルマザーに出会った。

気になったので ぶしつけな質問をしてみた。

「生計はどうやって?」

「始めは貯金を少しづつ、それも減ってきたので、ここでバイト・・・でも、赤字で・・」

 ここでの暮らしは なかなか厳しいよね・・・



夏には 台風や豪雨 危機感はより 高まる、自然と向き合うとは そういうこと



私は とっくに永住をあきらめている。

行ったり来たり 大変ではないですか?と 聞かれる。

どうなんだろう・・・