死後、「永遠の楽園」たる・天国へ行く・・
それは、
つらい現世を全うするために
人々が信じた、もうひとつの世界・・
仏教のみならず、キリスト教でも、信じられていることです
せん(戦)国時代に来日した、フランシスコ=ザビエルにより
伝えられた
キリスト教ですが、
西洋文明のかけらも知らない・日本人にも けっこう信じられ、
みじかい間に ばく(爆)発的に、信者をふやしました
しかし、それも、さこく(鎖国)とともに きんし(禁止)されていったのは、
みんなの
知るところです。
先日、うちのチットが見に行った、映画「沈黙-サイレンス-」
は、
そんな、日本における
初期クリスチャンたちの、
くなん(苦難)の歩みを
知らしめる、
ふきゅう(不朽)のキリスト教文学を、原作としています
<遠藤周作の「沈黙」を、マーティン=スコセッシ監督が映像化しました>
映画のぶたい(舞台)は、
キリスト教だんあつ(弾圧)が
もっとも きびしかった
江戸時代初めの
「長崎」。
ものがたりは、
「宣教師のリーダー」としてがんばっていた・フェレイラが、
ごうもん(拷問)にたえかねて
キリスト教をすてた
という
ショッキングなニュースをうけ、
弟子の2名が
日本にやってくるシーンから
はじまります
その2名とは、ポルトガル人の「ロドリゴ」と、「ガルペ」
で、
このうち、
ロドリゴが、主人公です。
二人は、五島列島から みつ(密)入国して、かくれキリシタンの里に
ひそみ、
「禁教令下」でも
信仰をすててない日本人たちに
かんげい(歓迎)されます
しかし!まもなく・みっこく(密告)され、逃亡生活に入って
あげく、
役人につかまる・・。
主人公ロドリゴは、
日本人キリシタンたちが、なぶりごろされたり、
相ぼう(棒)・ガルペが、日本人信者とともに、海に沈められるのを
見せつけられ、
しだいに
しょうもう(消耗)します・・
その後、ながさき(長崎)の牢でも、
かつての師・フェレイラから
「転べ。(棄教しろ)」
と
すすめられたり、
ごう(拷)問用の穴を 見せつけられるなど、
あらゆるいやがらせで、
きょくげん(極限)まで
追いつめられて
しまいます・・
いっしょうけんめい・祈っても
何もしてくれない。。
(神さまっているのかな)と、
その存在まで
うたがいはじめた・ロドリゴを、
かろうじて
せんきょうし(宣教師)としての
プライドが
支えますが、
「明日にでも、自分が拷問を受ける番か・・」という夜に、
となりの牢から きこえてきた・大きないびきと思われる音が、
実は、自分のために、身代わりで 穴吊りにされている
日本人信者の
うめき声だと知って、
ロドリゴは、ついに、ききょう(棄教)し、「踏み絵」をふむ
という
ストーリーです。。
マーティン=スコセッシかんとく(監督)は、この小説を
かなり研究し、
日本人への
布教のむずかしさの 本しつ(質)に
せまるべく、
がんばりました
映ぞう(像)表現も、キャストも、いわかん(違和感)を
かんじさせないよう、
かなり、
気をつかっています
でも、もしかしたら、原作をよんだことのない・お客さんにとっては、
この映画は
ざんこく(残酷)で、
長すぎるだけの作品、
と
かんじるかも、しれません。。
えんどうさん(遠藤周作)の手による、原作小説をよみ、
あらすじを
はあく(把握)して、
「神の沈黙」ってなんなのか
くらいは
考えてからいかないと、
むいみ(無意味)だと思います
かえってきたチットは こんなことを言いました。
「命の危険にさらされるなら、
踏み絵なんて、踏んでおけばいいのに・・。
って、
昔は思ってた。
でも!
今は、どんなことをされても
棄教しようとしない、信者の気持ち、わかるよ
私だって、『クリンを棄てろ!』、『クリンを踏め!』って
言われても、
絶対に できないもん
殉教するよ」
「うちは、クリン教徒だもんね」 「そういうこと」