クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

福岡の行くべき観光地~田川石炭博物館

2012-03-25 | 旅行記

チットたちの、レアな九州「歴史旅」

2回目は

「炭鉱の町・福岡県田川市」の

「石炭歴史博物館」です

炭こう夫だった、

山本さくべえ(かんじ:作兵衛)さん

Img_6051 絵が、(パンフレットより)

昨年

ユネスコの「世界記憶遺産」に なったので、

チットたち

ぜひその町に行ってみて

「三井三菱・住友・麻生」など

大シホン(資本)が入った 

石炭の町のようす、そして

かつていた 人々のいぶき(息吹)

かんじてみたく なっちゃったのです

(石炭博物館HP→#mce_temp_url#

Img_5973 「博多駅」からでなはく、「天神駅」から直通バスにのるのがベスト。

一時間に一本、

80分かけて

そこまで行ってくれるバスが出ています

(往復の場合、回数券使用で一人2300円)

日の出町でおりたら、

トホ10分。

さびしい町の丘の上に、

はくぶつかんが、たっています。

Img_5956

まわりは、「石炭記念公園」になっていて、

<炭鉱男女の像や、記念碑>

Img_5958

<炭坑節が書かれた、自販機>

Img_5957 「月が~出た出た~月が~出た~ァ、ヨイヨイ」

とりあえず、うたいます

ながめると、

とおくに

唄にうたわれた「香春岳」

その手前には

かつて石炭をほった時に出た、

使えない石をすてつづけてできた

「ボタ山」という小山が見えます。

Img_5969 むざんにながめる、ちくほう(筑豊)のけしき・・

<博物館内>

Img_6053 「採炭」している男女のジオラマや、

使っていた品々、

石炭のれきし・「筑豊」のれきしなどが学べる

3つの「展示室」があり、

もちろん

山本さんの「炭鉱記録画」が

大々的にかざられています。

とてつもなくタイヘンで

くるしい生活をしいられていた

「炭鉱」の人々。

ですが、

山本さんの絵の中には

そこで生きる人々のけっそく(結束)のつよさ、

たすけ合いの心が、えがかれていて

「救いがあった。感動しちゃった。」

と、

チットたちを泣かせました

<博物館の奥:屋外展示エリア>

Img_5967_2 石炭のゆそう(輸送)に使われた、SLや

大型きかい(機械)が、たちならんでいました。

そこをぬけると

Img_5960 明治・大正・昭和の「炭鉱長屋」があります。

「施設の中に、等間隔に建つ何棟もの長屋が

 収容所を思い起こさせる」(チット談)

Img_5961

Img_5963

「組合の闘争の歴史を語る品もあったけど、その中に

 給金の代わりに支給されてた

 「切符」があるのを見て、

 (どこにも行けないようにするためだな)ってわかったよ。

・・・・・。

とても かんがえさせられる、

「有意義な施設」・石炭こうえん(公園)。

こじん(個人)では来づらい所だし、

ツアーも少ないけど

ぜひ、がんばってたずねたい

ひとつ・ざんねんなのは、

「戦前」から、かなり多くの、

「植民地」の方々が、

北九州に来て、炭こうではたらいている

はずなのに、

はくぶつかんに、それについてのテンジ(展示)が

ほとんどなかったこと、と、

れきしにくわしいチットが言ってました。

Img_5970 しかし、「竪坑煙突」のよこの見はらし台に、

ちょうせん(朝鮮)

中国、

たいわん(台湾)の人たちの「慰霊碑」を見つけたみたいです

「近代産業の、

 人の使い方はおそろしい」

と、

ちくほうのザンショウ(残照)を見たチットたちは、その後、

Img_6012 田川名物・ホルモンなべを食べても、

Img_6039 「銘菓・羊羹黒ダイヤ」を食べても、

しずんだ気もち

はれるのに、時間かかったそうです。 

                   「筑豊炭鉱絵巻」→   

                                

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 佐賀の観光地~吉野ヶ里遺跡... | トップ | 大宰府のこま犬 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿