チットたちの、レアな九州「歴史旅」
2回目は
「炭鉱の町・福岡県田川市」の
「石炭歴史博物館」です
炭こう夫だった、
山本さくべえ(かんじ:作兵衛)さんの
昨年
ユネスコの「世界記憶遺産」に なったので、
チットたち
ぜひその町に行ってみて
「三井三菱・住友・麻生」など
大シホン(資本)が入った
石炭の町のようす、そして
かつていた 人々のいぶき(息吹)
かんじてみたく なっちゃったのです
(石炭博物館HP→#mce_temp_url#)
「博多駅」からでなはく、「天神駅」から直通バスにのるのがベスト。
一時間に一本、
80分かけて
そこまで行ってくれるバスが出ています
(往復の場合、回数券使用で一人2300円)
日の出町でおりたら、
トホ10分。
さびしい町の丘の上に、
はくぶつかんが、たっています。
まわりは、「石炭記念公園」になっていて、
<炭鉱男女の像や、記念碑>
<炭坑節が書かれた、自販機>
とりあえず、うたいます
ながめると、
とおくに
唄にうたわれた「香春岳」
その手前には
かつて石炭をほった時に出た、
使えない石をすてつづけてできた
「ボタ山」という小山が見えます。
<博物館内>
使っていた品々、
石炭のれきし・「筑豊」のれきしなどが学べる
3つの「展示室」があり、
もちろん
山本さんの「炭鉱記録画」が
大々的にかざられています。
とてつもなくタイヘンで
くるしい生活をしいられていた
「炭鉱」の人々。
ですが、
山本さんの絵の中には
そこで生きる人々のけっそく(結束)のつよさ、
たすけ合いの心が、えがかれていて
「救いがあった。感動しちゃった。」
と、
チットたちを泣かせました
<博物館の奥:屋外展示エリア>
大型きかい(機械)が、たちならんでいました。
そこをぬけると
「施設の中に、等間隔に建つ何棟もの長屋が
収容所を思い起こさせる」(チット談)
「組合の闘争の歴史を語る品もあったけど、その中に
給金の代わりに支給されてた
「切符」があるのを見て、
(どこにも行けないようにするためだな)ってわかったよ。」
・・・・・。
とても かんがえさせられる、
「有意義な施設」・石炭こうえん(公園)。
こじん(個人)では来づらい所だし、
ツアーも少ないけど
ぜひ、がんばってたずねたい
ひとつ・ざんねんなのは、
「戦前」から、かなり多くの、
「植民地」の方々が、
北九州に来て、炭こうではたらいている
はずなのに、
はくぶつかんに、それについてのテンジ(展示)が
ほとんどなかったこと、と、
れきしにくわしいチットが言ってました。
ちょうせん(朝鮮)
中国、
たいわん(台湾)の人たちの「慰霊碑」を見つけたみたいです
「近代産業の、
人の使い方はおそろしい」
と、
ちくほうのザンショウ(残照)を見たチットたちは、その後、
しずんだ気もち
はれるのに、時間かかったそうです。
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