<家族の会話>
「ねえ、佐藤優って、高校生のころ かわいい顔してたの知ってる?」(お母さん)
「
佐藤優、って・・あの、もと外務省にいた、
ドスのきいた男の人?
ええ~
こんな かわいらしい少年 だったの」(チット)
「外務省のラスプーチン」と呼ばれた、がいむかんりょう(外務官僚)の
さとうまさる(佐藤優)さん
は、
ロシアのエキスパートとして
「北方領土問題」に 取りくみ、
いろいろあって たいほ(逮捕)された のち、
今は、ちしき(知識)人として、げんろん(言論)界で かつやくされている
方です。
その方が 去年書いた、『十五の夏』
は、
さとうまさるを
さとうまさる・たらしめたものは何か
を
知らしめる本として、
ちょっと・話だい(題)になった
らしい。
(※ちなみに、わが家は、
北海道の親戚の土建屋さんが、
「鈴木宗男後援会」とかに 入っていたため、
ムネオ(鈴木宗男議員)と 関係の深い
さとうさん
に対する・関心が 高いのです)
さて・・ この本には、「佐藤優の原点」というべき、
1975年のことが
書かれています。
当時、
さとうさんは、
15さいで、うらこう(埼玉県立浦和高校)の 1年生
とうぜん、
「県下一の進学校の生徒」として、
東大をめざすもの、と されていました
しかし・・ 「知的好奇心」が おうせい(旺盛)すぎた
さとう少年
は、
じゅけん(受験)のためだけの
べんきょう(勉強)に
あきたらず、、
なんと
15さい(歳)の 夏休みに、
たった・ひとりで、
ソ連と、東ヨーロッパ・れきほう(歴訪)の旅
に
出てしまうのです
(この本は、その旅の 記録です)
目的は・・ もちろん、世界を知るため
なわけですが、
今だって、
東ヨーロッパの「個人旅行」は、たいへん・・
なのに
1970年代に
15さいが
一人で
きょうさんけん(共産圏)に 入国するなんざ
「日本人・屈指の 経験の持ち主
」
といって
さしつかえないのでは
ないでしょうか
「
カイロ→チューリヒ→シャフハウゼン→シュツットガルト→
ミュンヘン→プラハ→ワルシャワ→ブダペシュト→ブカレスト→キエフ→モスクワ→サマルカンド→ブハラ→
タシケント→ハバロフスク→ナホトカ・・
って、
どんだけすごい 旅程よ
ネットもなく、受け入れ態勢も 整っていない国を・・
42日間も
子どもが 一人で 旅していれば、
そりゃあ、事件に 事欠かないわね・・
そういう旅行を許した、親がすごい・・
多感な思春期に
こんな旅をしちゃったら、
人生が 決定されてしまうのは 当然だね~。
佐藤さんが、
のち
外務省に入省するのも、
北方領土問題に 奔走したのも、
外務省内で、にらまれるほど、動き回ってしまったのも・・
すべては
この、15の夏の経験に、端を発していたんだね~・・」
と
チットが いいました。
上下かん(巻)で、900ページ近く ありますが、
おもしろくて、
すぐ、読んじゃった・みたいです