名門女子高があつまる、番町
そのはじまりは
明治18年、
この辺りにたった、「明治女学校」の開せつ(設)でした
そこに、英語の先生として ちゃく(着)任したのが、
しまざきとうそん(島崎藤村)でしたが、
彼は
まだ、
文ごう(豪)になる前の 若き日、
ここで
女学生の一人に 恋をしちゃったらしい
その時ハタチ(二十歳)だった・とうそんにとって、
生まれ故きょう(郷)の
きそ(木曽)には いない
良家の才女は、
とても
まぶしく 映ったのでしょう
(とはいえ、自分は教師、相手は生徒・・・。)
おもいをむね(胸)にひ(秘)める
とうそん(藤村)でした。
しかし、
やがて、いいなずけ(許婚)のいる・彼女のすがたを 見るのもつらくなり、
学校をやめて
ほうろう(放浪)の旅に
出てしまいます
(このへんの話は、「桜の実の熟する時」にかかれました)
このころ、
実家・しまざき(島崎)家が かたむき
生活のために
とうそんは
学校にもどらざるを えなくなるのですが、
彼の学校でのようすは、
「先生は燃え殻」と、教え子から してき(指摘)されるほど
冴えなかったらしい・・
とうそんがあい(愛)した・女生徒は、
予定通り、いいなずけにとつぎ、
すぐに
にんしん(妊娠)しますが、
つわりがひどくて
3ヶ月で
なんと!亡くなってしまいました
はげしく・ショックをうけた とうそんは、
ふたたび学校を去り、
ニ度と もどることはありませんでした。。
きょうだん(教壇)を去って・40年
文ぴつ(筆)家として・名を成したとうそんが、
60さい(歳)をこえて、この番町に 家を買い、
かつて・つとめた思い出の場所、
明治女学校の 目とはな(鼻)の先ですごしたのは、
どういう思いが
あってのことだったのかな・・。
クリンたち
いろいろ・かん(勘)ぐりました
(つづく)