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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

お化け階段の真相~牡丹灯籠散歩・8

2015-09-22 | クリン江戸散歩

 「怪談牡丹灯籠」の主人公、はぎわら・しんざぶろう(萩原新三郎)

住んだとされる、

文京区・ねづ(根津)。

そこは、

ねづ(根津)神社のまわりにひらける

いんえい(陰翳)のある

下町で、

 ちょっと・うら(裏)に行くと、「お化け階段」とよばれる、

フシギな かいだん(階段)が

あるという・・。

 ねづ(根津)交番から、ニ本目の道を曲がって 住宅地に入り、

つきあたりを

左に曲がると、

 その、あやしい・かいだん(階段)が 見えてきます。

 ねづ(根津)小学校の しき地にそって つくられた、

小さな 

コンクリートかいだん(階段)。

 とても 小さな・かいだん(階段)ですが、

かい(階)上までは 見わたせない、

都内で

有名な ダークスポット・・

  下から上がると 40だん(段)

 上からおりると、39だん(段)・・

のぼりと くだりの

だんさ(段差)が合わない

それが、

かいい(怪異)

って、ことらしい。。

 これは、一番下のだん(段)が ひくすぎて、道路だか・なんだか・分からないので、

つい・カウントし忘れちゃう

って

ことなのだそうですが・・


昔の「お化け階段」を 知る人によれば、

そういう話じゃなく、

今みたいに、「拡幅工事」される前は、

かいだん(階段)自体が

はば(幅)がせまく

古かったので、

かべ(壁)に接した その一角が、

昼でもやけに うす暗く、

通る人の心を

ブルッ、っとさせた

とのことです。

 <下りおえた後・・


ねえ、何段だった?私、40段。」(ジェマ)

あたしは、39段かな。」(チット)


「怪異」(二人)


・・・・・・

 「チットは、シャシン(写真)とってて 数えてなかったでしょ

(つづく)



 

 

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根津教会~牡丹灯籠散歩・7

2015-09-21 | クリン江戸散歩

 ねづ(根津)神社の参道は、何とはなしに 古い家並み。。

それでも今は、

家も道も こぎれいで

やはり

文京区のはじっこらしい

まじめなおちつきが あります

 でも、昔は ゆうかく(遊郭)があったり、苦学生の下宿があったり、

わりと

うすぐらい町だったようです

そこに、一けん(軒)  水色のレトロなたてものを 見つけました


 ねづ(根津)教会です

この道すじに

大正時代からあるという、

木の教会

しんさい(関東大震災)や

せんさい(東京大空襲)を

受けなかった、

「奇跡のプロテスタント教会」として、

今も 

現役らしい

 だれでも入りやすいように、

コンサートを 開いたり、

落語会を 開いたり、

牧師さんが、おもしろい本を 書いたりして、


地いき(域)にねざして

がんばっているらしい


『牡丹灯籠』が語られたのが 

 明治中期だから、

 この教会が 

 あと少し早く建ってたら、

  おつゆ(露)をあの世に返すのは、お坊さんじゃなくて、

牧師さんだったかもしれないね。」

うちのチットが 言いました。

(つづく)


 







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「根津権現裏」~牡丹灯籠散歩・6

2015-09-20 | クリン江戸散歩

 「昔は、つつじ祭りのイメージしかなかったけど、

あの本読んでから、

根津神社には 

暗いイメージがこびりついた。」

といって、

うちのチット

 ふじさわ・せいぞう(藤澤清造)の、「根津権現裏」

という

しょうせつ(小説)の話を

はじめました。

 ねづ神社のことを、ねづごんげん(根津権現)

って言ってた・大正時代が

ブタイです。

ないようは、

 神社の近くに住む、病気もちの青年が、

これまた病気もちの、

まずしい友だちの自殺を 

きっかけに、

いろいろ・考えていく・・

 という、作者の ししょうせつ(私小説)


 「苦役列車」をかいて、芥川しょう(賞)をとった、

西村けんた(賢太)さんが

そんけいする作家

というだけあって、


 ひんく(貧苦)や、はんもん(煩悶)や、しっと(嫉妬)や、グダグダが 

つづられた、

なやめる青年の 

お話らしい。。

 「江戸の怪談より、よっぽど残酷で暗黒。」と、

チットが

ため息を ついていました

(つづく)







 

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仕切りなおし

2015-09-19 | クリン江戸散歩

 (よっしゃ!仕切りなおし

    「パンパン」  (根津神社拝殿にて)

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へび道と、乙女稲荷~牡丹灯籠散歩・5

2015-09-17 | クリン江戸散歩

 あいぞめ(藍染)川を、あんきょ(暗渠)にして・できた「へび道」

 その名のとおり、細い道が ウネウネと、

 ねづ(根津)方面に向かって のびています。 

 (歩くと10分くらいで、広い道につながります) 

 この道を、毎ばん(晩)、ゆうれいになった・おつゆ(露)さんは、通いました。

 恋する新三郎のもとへ、通いました

 (「新三郎さま~」って、ワクワクしながら、通ったんだろうな~。)

 新三郎が住んでいた、とされる・ねづ(根津)には、

有名な、「根津神社」がありますが、 

 その・けいだい(境内)にある、おいなり(稲荷)さんの名が、

 「乙女稲荷」というのは、このさい・ピッタリすぎて、

(おつゆの女心が、救われたのかも。)

なんて

気がして、

 クリンは、ホッとしたのでした

 

「乙女稲荷のご利益、『玉の輿』だってよ~。」(チット)

 「えっ クリンも おまいりする

(つづく)

 

 

 

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新幡随院・へび道~牡丹灯籠散歩・4

2015-09-16 | クリン江戸散歩

 さて、谷中・全生あん(庵)から、ふたたび 「千駄木」方向に もどっていくと、

 坂の下に、下町っぽい・せんとう(銭湯)が 見えてきます

 朝日湯です

ここは、

かつて、「新幡随院」という

お寺があった場所。

新ばんずういん、とは

「牡丹灯籠」のストーリー上で、

おつゆ(露)さんのおはか(墓)があるお寺、

ってことに

なっています

 そして、そこの和尚さんは、

おつゆ(露)に とり殺されそうな

新三郎を 救うため、

「魔除けのお札」を 

さずけた お坊さん

 そんな、「新幡随院」があったという、

朝日湯の横あたりにのびる、へび道。 

 これが、おつゆ(露)が 夜な夜な・新三郎のもとへ通った、とされる道です

 「しんざぶろうさまあ~~」  (つづく)





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全生庵と柳通り~牡丹灯籠散歩・3

2015-09-15 | クリン江戸散歩

 「怪談・牡丹灯籠散歩」のスタート地点は、せんだぎ(千駄木)駅です

 有名な、菊見せんべいの 店がある道を、

 谷中方面に向かってすすむと、(柳通り

  しだいに のぼり坂になってきて、 

 その坂の上に、寺町が ひらけてきます

 いくつもあるお寺の中で、この辺で まあまあ目立つのが、

 ぜんしょうあん(全生庵)っていうお寺

 ここには、「怪談・牡丹灯籠」を語って 大当たりをとった

さんゆうてい・えんちょう(三遊亭円朝

ねむっていると

ききましたので、

 さんぽのはじめに、まずは おまいりします

 そして、本堂奥では 夏のあいだ、

円朝さんがあつめてた、

「幽霊画コレクション

てんじ(展示)も

やっているそうです

 (キブンを高めるため、ここは500円払って、見ます


谷中・全生あん(庵)は、

さいきん

 あべさん(安倍首相)が ざぜん(座禅)を組みに来ることでも

有名になってきちゃって、

 なんか、オドロオドロしさが、ましてるかんじ。。

「中曽根もと首相が来てたから、みたいね。」(チット)


 この 谷中という町は、ゆうれい(幽霊)になった

おつゆ(露)と 

その侍女が、

「私たち、家を出て 引っ越してきました。。」

言った場所。

 やなぎ(柳)がゆれる三崎坂は、なかなか 「怪談」っぽい・ふぜい(風情)です。

(つづく)





 

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「牡丹灯籠」要約~牡丹灯籠散歩・2

2015-09-14 | クリン江戸散歩

さて、

まず、「怪談・牡丹灯籠」の

ストーリーを

ようやく(要約)しましたので、

 もうそう・げき(妄想劇)場で おたのしみください

(主演:クリンと、羽生結弦選手)

 今の文京区のねづ(根津)っていう町に、

はぎわら・しんざぶろう(萩原新三郎)

という、

21さい(歳)の

とても うつくしい 

武士がいました。

 ある日、新三郎は、かめいど(亀戸)での梅見の帰り、

連れにさそわれて 

よった武家の娘、

おつゆ(露)

一目ぼれ

 おつゆ(露)・17さい(歳)も、もちろん・一目ぼれ

おたがい、

これほど 美しい人を

見たことが ありませんでした

 二言・三言、ことばを交わして 別れた二人でしたが、

それからというもの、

     ねても・さめても・・ 

 ねても・さめても・・・

たがいのことが 忘れられず、

新三郎も おつゆも

やせ細って、

あげく!

 おつゆは 恋の病で とうとう 死んでしまいます。。

おつゆの死を知り、

 かなしみで、さらにやつれる・新三郎・・

ほとんど 病人みたいに

ぼんやり・すごす日々を

送りました。

 そんな、おぼん(盆)の夜

新三郎の耳に、

カランコロン 

という

げた(下駄)の音が 聞こえてきました

見ると、

 ボタンの花を描いた・とうろう(灯籠)を 手に下げた美しい女が、

こちらに向かって やってきます


(お露さんだ ・・・)

 おどろく・新三郎でしたが、

「新三郎様との結婚を、

 家が認めてくれないので、

 家を出て、谷中の小さな家に

 侍女と一緒に 引っ越しました。」

おつゆが言うので

その話を信じ、

すぐに うれしくなります

 再会できて、ゆめみ(夢見)心地の 二人・・


こうして、

その夜から 毎夜、

 おつゆは、新三郎の家を たずねてくるようになりました


しかし!

となりに住む 知り合いが、

毎夜 きこえてくる 

女の声をあやしみ、

こっそり のぞいてみると・・

 そこにいたのは、新三郎と 抱き合う、ガイコツ(骸骨)でした

新三郎が とり殺されるのを

救おうと、

占い師や

お寺の和尚さんが

出てきますが、

まよけ(魔除け)のお札が はがされた夜、

 新三郎は、おつゆによって、あの世に 連れて行かれたのでした。

(つづく)








 

 

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牡丹灯籠散歩・1

2015-09-13 | クリン江戸散歩

さて、

「江戸・三大怪談」のさいごは、

ぼたんどうろう(牡丹灯籠)です

 ボタンの絵が描かれた・とうろう(灯籠)を 手に、

恋しい男のもとへ通う、

美しい・女お化け

おつゆ(露)さんの 

ものがたり・・。

 そもそも、このお話は 中国のかいだん(怪談)で、

それが日本に伝わって

主人公が

「お露と新三郎」になり、

そこに

あだ討ちの話が 加えられ、

江戸っ子好みの はなし(噺)に

仕立てられたそうです。

 「四谷怪談」、「番町皿屋敷」と、ものがたりのブタイ(舞台)を

歩いてきた・クリンが、

さいごに

ぼたんどうろう(牡丹灯籠)の 

ブタイ、

 ねづ(根津)の町を 見に行きます 

(つづく)




 

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江戸の三大怪談~番町散歩・ラスト

2015-09-04 | クリン江戸散歩

 皿やしき(屋敷)から はじまって、なんだ・かんだ長かった、番町さんぽ(散歩)

 (はあ~、おわった~。か~えろ・かえろ

さいごに、四谷駅からかえるというのも、 

 なにかのつながりを かんじます・・。

 (そもそもは、「四谷怪談」から、はじまったんだよね。。)

「東海道四谷怪談」、

「番町皿屋敷」、

これにつづく

もうひとつの 有名なお話を、

わすれている・気がする。。

 お江戸の三大・かいだん(怪談)・・

 (あと、ひとつは、なんだっけ??)

 

<帰宅後>

 「牡丹灯籠じゃよ、ベロベロベー 「あー、あれか

 

(※怪談散歩のつづきは、一週間後の牡丹灯籠にて

 

 

 

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心法寺の塩地蔵~番町散歩・12

2015-09-03 | クリン江戸散歩

 番町さんぽ(散歩)をおえて、四谷の駅に向かうとちゅう、

 クリンたちは、心法寺というお寺に 立ちよりました。

「島崎藤村旧居跡」を さがしている時、

 反対がわ(側)に このお寺のへい(塀)が 見えたので、

     気になっていたのです 

 たずねてみると、こちらは、千代田区で ゆいいつ・ぼしょ(墓所)をもつ、

「徳川家康ゆかりのお寺」、ってことが

わかりました。

 (浄土宗って かいてあります

 きっと、しまざき・とうそんも、よさの・ふうふ(与謝野鉄幹・晶子)も、

この辺に住んでた人、

みんな ここに

おまいりに来てるよね

 ごえん(縁)をかんじた、クリンです

さて、

ごえんが むすばれたところで、

さっそく、

「お願い事」をしちゃおうと おもいます

 心法寺のおじぞうさんは、「塩地蔵」といって、

自分の体のわるい部分と

同じところに

しお(塩)をつけると、

治してくれるらしい

・・・・・・

クリン、実は

前に しゅじゅつ(手術)して治した・おはな(鼻)に、

 またしても、小さな穴が あいてしまい

さいきん

気にしているのです。。

 おじぞうさんのおはな(鼻)に、おしお(塩)をヌリヌリ・・

  (これで治るはず・・)  (つづく)


 

 

 

 

 

 

 

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三宅花圃・旧居跡~番町散歩・11

2015-09-02 | クリン江戸散歩

 番町で、もっとも・人が多い、二番町

ここには昔、

 うちのチット気になって仕方ない・女流作家が 住んでいました

みやけかほ(かんじ:三宅花圃)っていう人です。

 れい(例)によって、旧居は あとかたもありませんが、

ベルギー大使かん(館)や

 表千家・東京道場 あたりの番地名と いっち(一致)しているから、

        たぶん・この辺 


 かほ(三宅花圃)は、明治中期のトップジャーナリスト・三宅せつれい(雪嶺)

つま(妻)になった女性

 おうべい(欧米)化一辺倒とう(倒)だった・日本に 

ダメ出しし

「日本の素晴らしい点に、もっと目を向けよう

と言った、

ジャーナリストのつま(妻)でした

 その立場に ふさわしく、

かほは、

番町生まれの 令じょう(嬢)で、

当時、おじょう(嬢)さまのサロンだった

「歌塾・萩の舎」の

ひっとう(筆頭)門下生

 歌にも書にも秀でた、「和文化の体現者」でした

ところが、

その一方で、

この、かほという女性は

洋そう(装)して ぶとう(舞踏)会に出かける

モダンガールな 一面もあり、

 果ては、小説をかいて、「文壇デビュー」も成しとげる、

新時代のエースでした

この、

いしょく(異色)のけいれき(経歴)をもつ

かほをつま(妻)にしたことで、

 三宅せつれい(雪嶺)の思想も、

たんなる・「日本万歳主義」とは

いっせん(一線)をかくす、

練れた思想に 

仕上げられていったのではないか

うちのチットは 見ています。

・・・・・・

和をふかく 

あい(愛)しながら、

世界と わたりあえる日本人になろうとした

このふうふ(夫婦)に、

ひとかたならぬ・きょうみ(興味)をいだく

うちのチット。。

 加えて、このかほが、「新進気鋭のジャーナリストの妻」だっただけでなく、

文学史上、

とても 大きな・こうせき(功績)を

のこしたことにも

強いきょうみ(興味)を いだいています

 それは、かほ自身が、「近代女流作家のさきがけ」

とよばれることでは

ありません

かほが、

 あの、ひぐちいちよう(かんじ:樋口一葉)

小説家として

世に 送りだした人である

という点に おいてです。

 娘時代、「歌塾・萩の舎」で、いちようと、同門だった・かほ

彼女ほど、

いちように えいきょう(影響)を与えた姉弟子は

いませんでした

家柄はちがいましたが、

二人はけっこう・行き来があって、

「樋口一葉日記」などを

よんでいると、

かほの名前が けっこう出てきます

 いちように したわれ、のち、きらわれた・三宅かほ

そのちょっとした・しんせつ(親切)が、

いちようを助け

そのちょっとした・いじわるが、

いちようのハングリーせいしん(精神)

育て、

その「華々しい・小説家デビュー」が、

いちようにも

小説を書く気を おこさせました

 死後のひょうか(評価)は くらべものになりませんが、

当時は、

「樋口一葉」よりも注目され、

「樋口一葉」に

もっとも・いしき(意識)された

同性の かがやける・女

 それが、「三宅花圃」だったのです

(つづく)












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麹町のうなぎ屋~番町散歩・10

2015-09-01 | クリン江戸散歩

 「麹町学園通り」を、ふたたび・四谷方面にもどり

ぜんこくじ(善国寺)坂を 下がっていくと

 いきなり・にぎわう、大人の町が かお(顔)を出します

ことに、

日テレ通り

番町中央通りが 交差するあたりは、

番町で いちばん・活気があるかんじ 

 このならびにある、ミシュランで星をとったうなぎやさんに、

実はクリンたち 

入ったのですが

やはり、羽ぶりのよさそうな

テレビ関係者が

うなじゅう(鰻重)を 食べていて、

 クリンたち、(ここは、東京のまん中なんだな~。)っていう、

はなやぎを かんじました

(※内部の撮影は遠慮しました。つづく)


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海嶽楼と、安井息軒の妻~番町散歩・9

2015-08-31 | クリン江戸散歩

 「村上開新堂」から、イギリス大使かん(館)の よこを通ると

内ぼり(堀)通りに 面したところに、

 赤レンガのたてものが 見えてきます

 げんざい(現在)、「ふくおか会館」がある・この場所に、

 江戸時代、やすいそっけん(かんじ:安井息軒) という、

じゅがく(儒学)者のお家が 

あったそうです 

 かいがくろう(海嶽楼)っていう名の、自宅&じゅく(塾)だったそうです。

 安井そっけん(息軒)は、宮崎県の人で、

江戸時代のおわりごろ、

ばくふ(幕府)にも とりたてられて

有名でした

とても、あたまがよく

人格も すぐれていました

が、

見た目が きょくたん(極端)にわるく

片目がつぶれてて

あばた面、

背も低かったので、

故郷では 

「猿」とよばれて バカにされていました

 そんな・そっけんには、ヨメ(嫁)の来てが ありませんでしたが、

30さいの時、

とうとつに 

えんだん(縁談)が まとまります

その相手は、

村・いちばんの美人の 17才でした

 しかも! もともとは、お姉ちゃんの方に もちこまれた・えんだん(縁談)だったのを、

お姉ちゃんが、

「あの人だけはイヤ

と 

ことわったあとで、

美人の妹が、

「私が行きたい。」と 逆プロポーズしてきたのです

 周囲は、「なんで なんで」と さわぐ

そっけんも、

(なんで?なんで?)と 思う

でも、

むすめは自ら、「息軒の妻になりたい。」と言い、

けっこん(結婚)して、

若いながらも

しっかり家を 切りもりし

そっけんの子を 何人もうみました

 この才女づま(妻)は、のち、森おうがい(鴎外)の小説、

『安井夫人』に 描かれることになります。

安井夫人は、

「儒学者の妻」らしく、

そっけんが 出世した後も

しっそ・けんやく(質素倹約)、

けんきょ(謙虚)に つつましく

くらしました

 夫と子どもと、弟子のめんどう(面倒)を見て、

みんなにやさしくして、

ぜいたく・ひとつ しないまま、

そっけんよりも

先に 死にました

森おうがい(鴎外)は、

(この女性、いったい・何なんだ

って

気になったらしく、

彼女の人生の あらましを述べた上で、

「結局、この人のことが 

 よくわからないんだけど、どういうことだろう?」

読者に なげかけています。

『安井夫人』の一節より・・・

「お佐代さんは、夫に仕えて 労苦を辞せなかった。

そしてその報酬には、何物をも要求しなかった。

ただに服飾の粗に 甘んじたばかりではない。

立派な邸宅に居りたい、とも云わず、

旨い物を食べたがりも、

面白い物を見たがりもしなかった。

お佐代さんが奢侈を解せぬほどおろかであったとは、

誰も信ずることが出来ない。

また、物質的にも、精神的にも、

何物をも希求せぬほど恬淡であったとは、

誰も信ずることが出来ない。

お佐代さんには、たしかに尋常ではない望があって、

その望の前には 一切の物が塵芥のごとく

卑しくなっていったのであろう。

お佐代さんは何を望んだか。

・・・・・・。」


 同じく 年下の美人づま(妻)をもち、

しかし

家庭内トラブルに なやまされた

ぶんごう(文豪)には、

りかい(理解)をこえた・

できる女。。

 「鷗外には、お佐代さんのことは、理解できないだろうねえ~。」

「チットは、わかるの」 「当然♪」

(つづく)





 

 

 

 

 








 

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村上開新堂と、山本道子の店のクッキー~番町散歩・8

2015-08-30 | クリン江戸散歩

 「滝廉太郎・旧居跡」から、そですり(袖摺坂)を 歩いていくと

そこは、はんぞうもん(半蔵門)エリア 

  ひときわ・長い、 白かべ(壁)が、目につきます

 イギリス・大使かん(館)です。

それを横目に、ゆるゆる坂を上がって行くと

 「女子英学塾」の あと(跡)地らへんに、

コンクリート・打ちっぱなしの、

一風かわった たてものが

見えてきます

それは、

 今回の、番町さんぽ(散歩)の 目的地のひとつ、「村上開新堂」

 明治7年からつづく、洋がし(菓子)店の 草分け

あの、

ろくめいかん(鹿鳴館)で、

デザート作りを 担当した人の

お店です

 「高級おもたせ」で有名な、こちらのクッキーは、

フラッと行っても 

買えません

つうはん(通販)でも 買えません

ほしい人は、

会員に しょうかい(紹介)してもらって

買うしかありません

(※ニ階のフレンチレストランも紹介制)


http://www.kaishindo.co.jp/products/


手作りを大切にしているので、

たくさんは 作れない。

だから、

「一見さんは お断り」 なのです

(※京都店は、逆に一見さんOK

 しかし、それじゃあんまりだろう ってことで、

ビル1かい(階)に、

そうぎょう(創業)家の5代目、

山本道子さん

お店をおいて、

 「こちらの焼き菓子は、誰でも買えますよ~。」

と、

出しています

 

かいしんどう(開新堂)クッキーとは

色も形も ちがってて、

 現代風な かんじだけど、

やっぱり・「少量販売」で、

きしょう(希少)で

まじめな手作りです

(※写真:マーブルクッキー)

 かいしんどう(開新堂)レストランは、ランチなら

「紹介者」がいなくても 入れるらしいので、

いつか行ってみたいなあ・・

って

クリンは、おもいます。

(つづく)






 

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