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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

あやしい多肉植物・リトープス~木場散歩・7

2016-05-02 | クリン江戸散歩

 木場のアート・ギャラリーの ショップで、

 クリンは、見たこともきいたこともない・しょくぶつ(植物)に、

そうぐう(遭遇)しました

 

それは、

 「リトープス」っていう名前 (※まんなかの、パカッてわれてるやつです

 

せつめい(説明)書には、

 「石に擬態し、動物や昆虫などに食べられないよう、

必死に生きています。」 

かいてあり、

みどりっぽいやつのほか、

赤っぽいやつや、

ムラサキっぽいやつが

ありましたが、

本当に

石にしか 見えません

 

 「生ける宝石」と、だい(題)された、その小さな・しょくぶつ(植物)は、

アフリカの、

砂ばく(漠)や 岩場で

生きていて、

年に一回、

だっぴ(脱皮)も

するらしい

 

 多肉植物の珍種、今、流行っているんだってね~。

テレビでやってたわ。」 「へ~、最先端なんだね。」 (チットとジェマちゃんの会話)

 

 

ひとつ、5000円くらいで

売られていました。


 

(・・・クリンには、のうみそにしか・見えないんですけど)  



(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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EARTH+GALLERYカフェバー~木場散歩・6

2016-05-01 | クリン江戸散歩

 クリン一行が、木場のギャラリーを おとずれたのは、

ここで

知り合いが、

作品てんじ(展示)をしていたからです 

 東京都現代びじゅつかん(美術館)が、すぐ・近くにあるだけあって、

 木場は、現代アートを 羽ばたかせる、自由な気風が

通ってる

 今回の作品てん(展)も、

自由なコンセプトの、やきもの(焼き物)が中心でした  

 さて、ここ、「アース・プラス・ギャラリー」は、

中2かい(階)が

カフェになっているのですが

 これが、ただごとでない・おしゃれ空間です

 おそらく、今まで作品てん(展)をやった、プロの作家さんの

手作り家具、

手作りインテリア、

手作りオブジェ、

手描き絵画、

かざられていて、

 一つ一つに、きせい(既成)品とはちがう・おもみがあり、


そこにいる人を、

とくべつな気分に させてくれます 

 「美術手帖」とかも おいてあって、よめます

 「昼でもいい感じに暗くて、軽くスパークリングワイン

でも飲みたくなるね

 あの、どでかい焼き物ロック(岩)も、ここから見ると、

すごく趣があるわ・・

チットが 言いました


 こった・お料理も あるらしいので

次は、ディナータイムに 来てみたいです  (つづく)



 









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洲崎遊廓と永井荷風~木場散歩・5

2016-04-30 | クリン江戸散歩

 すさき(洲崎)神社の入り口で、とつぜん・チットが、

永井かふう(荷風)の本を

取り出して、

こう 

言いました。


 「ここから、東陽町方面にかけては、昔、有名な洲崎遊廓ってのが

あったらしいのよ

ここらで働く男たちが

行きつけて、

一時は、吉原と肩を並べるほど

盛況だったらしいわ


 荷風が『深川の唄』で、こう書いてるの。・・・」


「夏中洲崎の遊廓に 

 燈籠の催しのあった時分、

 夜おそく舟で通った景色をも、

 自分は一生忘れない。

 苫のかげから漏れる鈍い火影が、

 酒に酔って喧嘩している裸体の船頭を照らす。

 川沿いの小家の裏窓から、いやらしい姿をした女が、

 ほりものをした男と酒を呑んでいるのが見える。

 水門の忍返しから老木の松が、水の上に枝を延ばした庭構え、

 燈影しずかな料理屋の二階から 

 芸者の歌う唄が聞える。

 

 月が出る。

 

  倉庫の屋根のかげになって、片側は真っ暗な河岸縁

 を

 新内のながしが通る。

 水の光で明るく見える板橋の上を 

 提灯つけた車が走る。

 それらの景色をば

 言い知れず美しく悲しく・・」




 「戦後は、『洲崎パラダイス』に名前をかえて

栄えたみたい

今はもう、

当時の建物ひとつふたつしか

のこってないみたいだけど、

ちょっと、

行ってみない?」 (チット)


 「ダメ 今日はこれから、こてん(個展)に行くんだよ!」


(つづく)

 







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洲崎神社の波除碑~木場散歩・4

2016-04-29 | クリン江戸散歩

木場のほりわり(掘割)

ブラブラしていて

ふと・見つけた、

あかい鳥居・・


 すさき(洲崎)神社・・。

  (弁天さまの、お社か) 

 しき地も、はいでん(拝殿)も、小さくて、

いかにも、地元・みっちゃく型 ってかんじです 



しかし・・

 (・・・ん?)

 「津波警告の碑  (こんなところに、なぜ・・?)

 <寛政三年(1791)、深川洲崎一帯に襲来した

高潮により、

付近の家屋がことごとく流されて

多数の死者・行方不明者が出た。


幕府はこの災害を重視し、

洲崎弁天社から西方一帯を買い上げて

空き地とした。>


・・・・・・・

 (このへん、海だったんだっけ・・


れきし(歴史)にくわしい・チット

によれば、

江戸時代は

「埋立地の造成」がすすみ、

 もと・海があった、すみだ(隅田)川・左岸が、

どんどん・りく(陸)地に

かわっていった

らしい


こちらの「波除碑」と、

「平久橋」のたもとの「波除碑」とを

むすぶと、

 当時の海岸せん(線)がわかる。。


ばくふ(江戸幕府)は、

「人は住んじゃダメ

おふれを出しましたが、

けっきょく

明治になってからも、

木場関係者は住んだり

「洲崎遊郭」の女の子たちが

住んだりして、

 住民は、たびたび・海あらし(嵐)に おそわれたそうです


そんな

「江戸の埋立地」には、

もとの海を 

れんそう(連想)させる・地名が、

つけられています


 この近くだけでも、「越中島」「大島」「永代島」・・・

ちょっとはなれて、

「向島」「佃島」「石川島」「豊洲」「築地」「汐留」・・・


つまり、

そういう名前の場所は、

漁民でもないかぎり

住むことが

あまり しょうれい(奨励)されて

いない。。


なのに、

今は、

うめたて地が さらにふえて、

タワーマンションとかが

いっぱいたっている・・


 (れきし(歴史)の きょうくん(教訓)は


(つづく)








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木遣り歌と川並~木場散歩・3

2016-04-28 | クリン江戸散歩

 木場こうえん(公園)の反対がわ(側)、永代通り・うら手の

ほりわり(掘割)の あたりには、 

 ちょっとだけ、なつかしの下町ふぜい(風情)が ただよいます


 「物流の動脈」として、江戸の各地につくられたという、うんが(運河)


木場にも、

木材をあつめて

はこぶための ほりわりが、

何本も

せいび(整備)されました


 このあたりの水は、淡水と海水が入りまじり、

木材にとっては

ほどよい・らしく、

ふだんは

水面に 丸太を 

うかべっぱなしにし、

注文がきたら 引き上げて

かんそう(乾燥)させて

使ったそうです


 その・丸太をはこぶのは、「川並さん」とよばれる

しょく(職)人さんたちで、

かわなみさんは

丸太の上に 

一本のりして、

水面で

木を あやつることが

できたらしい


 木場の川並さんたちが、「労働歌」として うたっていたという

きやりうた(木遣歌)は、

うちのチット

お気に入り

よって、

クリンも 家で何度か

CDを

きいたことが あります

 

でも・・・

 今、このあたりで、耳をすましても、きやりうたは、ひとふしも 

きこえては

きません


ほりわりの両サイドを

見わたしても、

 材木おき場や、材木ぎょう(業)者を、ほとんど 

見かけません


 材木問屋のならびに、たくさん・うえられていたという、

大きな黒松も、

一本も

はえては いません。


 木場・いったい(一帯)に ただよっていたという、

ステキな木の香りも しません。。


 げんざい・のこっているのは、ゆたかな水ばかりです。


・・・

どうやら

木場のみりょく(魅力)は、

川魚釣りとかに、

うつってしまった 

ようです。


 (つり好きのおにいちゃんは、このまち、気に入るかも・・


(つづく)



 








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木場公園今昔~木場散歩・2

2016-04-26 | クリン江戸散歩

お友だちの

ジェマちゃんに

さそわれて、

 クリンは、江東区・木場に 出かけました


「木場」という

地名は

江戸時代、

 ここに、材木おき場があったのに、由来しています

江戸時代は、火事がとても多く、

 しょっちゅう・まち(街)が もえていたので

 「建築資材」である木を、たくさん・ひつよう(必要)とした

らしい

そこで、この地に 木があつめられ、

 材木商たちも、たくさん・あつまってきました


材木商の中には、

キブン(かんじ:「紀文」=紀伊国屋文左衛門)

ナラモ(かんじ:「奈良屋茂左衛門」)

など、

 天下にその名をとどろかせた大金もちたちも、

いました

かれらが、ひいきにした深川だって、

 またたく間に、有名花まち(街)になりました


 しかし、今、都立公えん(園)となった・木場には、

そんな

はんえい(繁栄)の名ごりは、

見あたりません。。


昭和までは

このあたりに、

 「貯め木」がおかれていた・そうですが、

「材木置き場」が

しんきば(新木場)に 

うつってからは、

年に一度

「伝統芸能の角乗り」

ひろう(披露)されるくらいで、

 ふだんは、江東区民のいこい(憩い)のスペース以外の

何ものでも

ないかんじ。。



・・・・・・


木場の、

木場たるゆえんは

なくなったのに・・・

うんが(運河)や、かし(河岸)のあとには、

 江戸時代のおもかげが かいま見える気がするのは、

なんで

なのでしょう・・?


(つづく)















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木場散歩・1

2016-04-25 | クリン江戸散歩

 

「次にヨコハマに行った時には、

 馬車道で、牛なべも 食べちゃいます

 

 

「クリンちゃん~。

 横浜もいいけど、

 今、木場で

 知り合いの個展やってるんだ。

 よかったら、一緒に行かない?」 (ジェマ)

  「行く行く!!」 

 

 

・・・・・・・

 

(きば?)


 「ねえ、チット~。きばってどこよ?」


江東区だよ。

 江戸時代に 

 材木置き場だったところ。

 だから、木場。」(チット)


    (・・・・・江戸時代?) 


 (江戸さんぽに つづいちゃう


(つづく)

 


 

 

 

 

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横浜富貴楼・お倉~関内散歩・6

2016-01-18 | クリン江戸散歩

 ヘボンがたてた、キリスト教会

そのよこに、

さんぎょう・しんこう(産業振興)センター

というビルが 

たっていますが、

さかのぼれば 明治時代、

 ここには 「富貴楼」という、ちょう(超)・有名な りょうてい(料亭)が

あったそうです


 大久保利通    

 伊藤博文

 井上かおる(馨)  

 むつ・むねみつ(陸奥宗光)

といった、

明治政府の大物や、

三井・みつびしなどの 財界人

団十郎や菊五郎といった芸のう(能)人


そんなセレブに

ひいきされ、

 明治初期、日本一・もりあがってた 会席りょうり(料理)屋、

それが 

ふうきろう(富貴楼)でした


そして、

そこを 切り回していたのが、

おくら(お倉)という 

おかみ(女将)です

 おくら(倉)は、江戸下町の とび(鳶)の娘でしたが、

絵草紙に 描かれるほどの

美ぼう(貌)と、

芸者をやって身につけた

客あしらいの上手さで、

 大官たちを 手玉にとりました

 開港地となった・ヨコハマに いち早く目をつけ、

パトロンに 

お金を出させて 

店をたて

てつどう(鉄道)や船でやってくる 

VIPを 

おもてなし。

天性のけいえい(経営)センスで

 ここ・おのえちょう(尾上町)の女王に なりました。


 政財界のサロンと化し、じゅうよう(重要)な 

みつだん(密談)や

外国のげいひん(迎賓)に

利用される、

とくべつな空間に 変化していった、

ふうきろう。。


 その 名物おかみ(女将)となった・おくら(倉)は、

水商売の女性・すべてから

そんけいされるように 

なります


ヨコハマすいたい(衰退)後は、すぐに店をたたみ、

 弟子たちに つきじ(築地)や しんばし(新橋)で

店を出させ、

「料亭文化」を 

けいしょう(継承)させた 

おくら(倉)


(弟子たちのお店は、

 昭和の政治家に あいこ(愛顧)されました


 そんな、世わたり・上手な おかみ(女将)の

おくらでしたが、

一人の女性としては、

若いころに

ホレた

かいしょう(甲斐性)なしの ダメ男に

ず~~っと よりそい

 てってい的に 入れあげて かせいだお金を

じゃんじゃん

男に

注ぎ込んでいきます


 まわりに、金も力も、みりょく(魅力)もある男たちが 

いくらでもいたのに

そっちに

のりかえもせず

 

うん、でもまあ・・

 そういうの、わかるけどね。

 周りの意見はどうであれ、

 自分は とにかく、これが好き

 っていうの、

 誰だって、あるじゃん。」

 

 と きようけん(崎陽軒)の シウマイ弁当を食べながら

チットが言いました。


・・・・・・・

そういえば、チットも、

このお弁当の中で

 シュウマイよりも、付け合せのタケノコが好きだね


(つづく)

















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ブログ再開します。

2015-12-14 | クリン江戸散歩

 


・・・・・あ。


 ぶろぐ、さいかい(再開)しますので





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谷中散歩・完

2015-11-11 | クリン江戸散歩

 「か~えろ・か・え・ろ

 ふたたび、にっぽり(日暮里)駅へ

わりと、長かった

谷中さんぽ(散歩)。

でも、

台東区の奥ぶかさを

知ることが できました

 「今度また、ここら辺来ようね ゆ~びき~り・げんまん・・

チットに約束させられたけど、

     とりあえず、休みたい。 

 「おにいちゃあん~。アンヨ・つかれた~。。」

 

(モミモミ・・)

 「あ~、キモチいい・・


(谷中散歩・完)



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夕焼けだんだんと、谷中銀座~谷中散歩・17

2015-11-10 | クリン江戸散歩

 お江戸で アートなそく(側)面をもつ、

なつかしの昭和寺町・谷中  

 ただ、さんぽしているだけで、

古き・よき・ふぜい(風情)と、

ネコちゃんにふれることが できます 

 その、中かく(核)ともいえる場所が、

  谷中ぎんざ(銀座)です  

 ゆうやけだんだん という・かいだん(階段)をおりて

広がる世界は、

 昭和30~40年代?を かんじさせる、商店がい(街)

 せまい通りに、ちっちゃい・個人けいえい(経営)の店が、

左右に ひしめきます

 酒屋さん

 青果店・せい(精)肉店

 おそうざい(惣菜)屋さんなど・・

コロッケ30円

お弁当200円

など

げき(激)安っぷりが、お客をあつくさせてます

 かん(観)光客向けのお店もあるけど・・

平日にくると。地元かん(感)・すごいね   

 「おにいちゃん、このメンチカツ、A5ランクのお肉つかってるんだよ!」


(つづく)



 

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岡倉天心と九鬼周造~谷中散歩・16

2015-11-08 | クリン江戸散歩

東京のれきし(歴史)地区や

下町を おとずれるたび、

 いまだ、「江戸の粋」なるものを、かしこにかんじる・クリンたち。

さりとて、

それが、どのようなものか?

 言葉でせつめい(説明)するとなると、

なかなか・むずかしいものがあります。。


 (←千葉生まれ・埼玉育ち・多摩在住、というハンデ

 その、言葉足らずをおぎなって、「粋って、こんなことだよ

と、示してくれるのが

学者のしごと(仕事)だと、

 うちのチットは、言っています。

その学者の一人に、

くき・しゅうぞう(かんじ:九鬼周造)

という人が いるのですが、

 この人が、谷中にゆかりのある・人物なので、

ちょっと 

とりあげてみたい と思います

 <代表作は、「『いき』の構造」

くき・しゅうぞうは、

明治時代、

文部省の役人だった

「九鬼隆一」の 息子でした

 お父さんは、「日本美術を保護しよう」と、がんばった人で、「東京美術学校」(今の芸大)の

そうせつ(創設)にも

かかわりました

 「東京美術学校」の そうせつ(創設)者といえば、おかくら(岡倉)天心が 

いちばんの

功労者ですが、

おかくら天心は、

くき・りゅういちの 

部下だったのです

 ゆうしゅう(優秀)で、ねつい(熱意)ある・天心を 部下にもち、

アメリカ人・フェノロサと

関係をもったことで、

「九鬼隆一」は 出世し

文部省のトップに立つまでに

なりました

 くき(九鬼)と天心のチームは、まことに良いしごと(仕事)をし、

「西洋化一辺倒」に

なりかかっていた・日本から、

価値ある作品が

流出しないよう、

でんとう・びじゅつ(伝統美術)の後押しに、

全力を 注ぎました


そう・・・、

 2人が、ある事件をきっかけに、決定的にけつれつ(決裂)するまでは

 その事件とは、天心と、「九鬼夫人」が、男女の仲になってしまうという、

フリンでした

 くき(九鬼)と、夫人との間には、4人の子がいましたが、

くき(九鬼)はとかく・女好きで、

年中

よそで、

うわき(浮気)をしていました

 さらに、ていしゅ(亭主)関白で いばってるので、

そんな夫に 

イヤ気がさしてたところに、

 天心が、何かと 世話してくれたものだから、夫人は、天心のことが

好きになっちゃったのです


 二人の接近をしった・くき(九鬼)は、

ことが明るみに出る前に

二人を引きはなそうと しました

しかし!

 夫人は、天心にベタボレで

かんし(監視)の目をくぐりぬけて

天心に会ったり、

京都にかくり(隔離)されても、

すぐに

天心のいる東京にもどるなど、

おぼれていました

 天心は天心で、さいし(妻子)がいるのに、夫人にはまり込み

自分の立場も考えず、

上司(九鬼)の立場も考えず、

つま(妻)の逆上も

なんのその

 はめつ(破滅)的な恋に もえました

この事件は

まもなく スキャンダルとして

おおやけになり、

それがもとで

天心は

せっかく・なった、「東京美術学校校長」を

やめさせられたそうです

 それが、たまたま・学校うんえい(運営)でもめてる 時だったので、

天心派の「日本画科・教授」たちも

いっせいに

学校をやめる、

美校事件に

はってん(発展)してしまいます


 「男爵家の対面」を 保つため、なかなか・りこん(離婚)して

もらえなかった

くき(九鬼)夫人は、

数年かかって

りこん(離婚)を かちとります

が、

けっきょく

天心とは 引きさかれ、

ニ度と 会えませんでした

 さらに!この時のぜつぼう(絶望)から 気がおかしくなり

せいしん・びょういん(精神病院)に

入院させられて、

71さいで死ぬまで

そこで

さびしく くらしたそうです。。


 「お母さんは死んだ。」ときかされて育った・息子(九鬼周造)は、

「魅力的だった」とされる母を 

したいつづけ、

「美術界のドン」とされた

父の家で、

 おかくら(岡倉)天心のえいきょう(影響)をも、

つよくうけながら、

美的なものを 

追い求める、

てつがく(哲学)的な大人に

なったそうです


(つづく)











 

 


 






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経王寺と彰義隊~谷中散歩・15

2015-11-07 | クリン江戸散歩

 月見の丘にたつ、はぎみ(萩見)の寺、「経王寺」。

このあたりは、

 上野せんそう(戦争)で 官軍とたたかった、「彰義隊」の

敗走ろ(路)にあたり、

 しょうぎたい(彰義隊)をかくまった、きょうおうじ(経王寺)の山門には、

 官軍がうった、てっぽう玉のあとがのこっています

それを、直しもしないでのこしておき、

 さらに、おはか(墓)まで・たててあげるのは、

 ばくふ(幕府)のためにたたかった、「幕臣の死」を

いたむ、

江戸っ子のきょうき(侠気)の

なせるわざ

 (←羽二重団子の店にも、彰義隊士の遺物が大切に保管されてました)


 かながき・ろぶん(仮名垣魯文)が、「安愚楽鍋」で、

文明開化を コケにしたのも


幸田ろはん(露伴)が、

「五重塔」で

江戸っ子の心いき(意気)を 

うたいあげたのも


おかくら(岡倉)天心が、

「日本美術院」を

ここからスタートさせたのも、

 かれらが、この辺りの住人だったからなのかな・・


江戸の色こ(濃)い この町で、

クリンたちは 気づきました。


(つづく)










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経王寺と、谷中せんべい「秋の萩」~谷中散歩・14

2015-11-05 | クリン江戸散歩

 江戸時代、月見の名所だった、谷中・本行寺

その おとなりにある、

きょうおうじ(経王寺)は、

 はぎ(萩)のお寺です 

 ちょうど、クリンたちが おとずれた時、はぎ(萩)の花が咲いていました

ふたたび、上品な寺町のフンイキ・・ 

 秋のこうらく(行楽)といえば、「紅葉狩り」ですが、

江戸時代、

もみじがりは

そんなに 人気なくて、

インテリとか

アーティストとか、

40才以上の武家が好む・行楽だった、

「江戸府内絵本風俗往来」にも かいてあります

 そのかわり、庶民には、月見と、菊見と、

はぎみ(萩見)が 人気で、

名所は

たいそう、にぎわったらしい

 うちのチットは、「萩の花がもつ風情は、江戸っ子の美意識に通じる。」

と言い、

 経王寺、と道をはさんで 向かいにある、シニセ(老舗)の

おせんべいやさんで

おみやげを買うさいも、

「秋の萩」っていう

おかきを えらんでいました

 人気店、「谷中せんべい」の ぼう(棒)おかきは、

 おもちの風味と、しょうゆの香りがただよう、かるい・しょっかん(食感)

   まさに、江戸の秋です   (つづく)





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日暮里駅から見える赤い建物~谷中散歩・13

2015-11-04 | クリン江戸散歩

ふたたび、

「日暮里駅」を つうか(通過)中

 せんろ(線路)の向こうの ガケの上に、

 かわった形の まっ赤な・たてものが見えました。

きけば、チットも、

にっぽり(日暮里)駅に 近づくと

 でんしゃ(電車)の中から、このぜっぺき(絶壁)にたつ、

赤いようかん(洋館)が

見えるので、

 前から気になっていたそうです。

    (ホームからも見える・・) 

 「この際、何の建物か、確かめる」と、気合を入れたチットは、

その赤いたてものがある、

と 思われる

しき(敷)地の 正面に、

まわりました

 すると、そこは「本行寺」という お寺の けい(境)内で・・・

         小林一茶 や、

 たねだ・さんとうか(種田山頭火)のクヒ(句碑)がある、

にちれん(日蓮)宗の お寺でした  (赤い・・)

 本堂のうらが、ぼち(墓地)になっており、

 ぼち(墓地)のすぐ下は、せんろ(線路)です。

いち(位置)からすると、

たぶん このあたりに・・・

あっ!

 赤いたてものが、チラッと見えました

(こっちからはよく見えず、奥へもいけない・・) 

 反対がわ(側)からは、ちょっと・見えました

こちらからみると、

わりあい・ふつう・・ (民家?)

 にしては、なんなんだろう?

この、

外から見えないような、

ひみつめいた、たてられ方は。。


クリンたちが、

かくされた、赤いようかん(洋館)を

もっと見ようと

ぴょんぴょん・していた、その時 

 「部外者は、あっちへ行け

という、

ネコ・けいびいん(警備員)の

しゃばき声が


 「ひ・ひ・ひつれい・ひまひた。。」    (つづく)









※どう考えても、お寺の一部ですし、じっさい・人がくらしている、生活かん(感)もありました。お寺の人のお住まいかと思います。

けい(境)内に人がいたんですよね~。きけばよかったな・・








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