9月になっても暑い毎日が続く。
照りつける日差しが強すぎると
街中が白く見える。
コンクリートの沸き立つ放射熱の中を歩くと
息をするのも苦しい。
首の後ろを流れ落ちる汗は
不快さを通り越し感覚さえ失う。
ここはどこだろうか。
白く霞む街並み。
ああこれはもしや熱中症。。
何て事を考えながら会期が迫る
展覧会をハシゴする。
「有元利夫展」
有元利夫は38歳で急逝した画家である。
日曜美術館で紹介されているのを
観るまではその名前を知らずにいた。
でもその絵は、
どこかノスタルジックに、
どこか遠い記憶を呼び覚ます感覚がある。
-エクスタシーと浮遊。
音楽を聞いていても、その陶酔感は僕の中で
浮遊に結びつく。
だからそれを絵として表現したい時、
それこそまさに通俗に徹し
臆面もなく文字通り人や花を
「天に昇」らさせてしまうのです-
toshio arimoto
描かれているのは、
いつもどこか無表情な女性がひとり。
何をしているのか、
何を思っているのか、
どこへ行こうとするのか。
それでもどこか幸福感を表している様な
ふわふわと浮遊している絵。
音楽が聴こえてきそうな絵。
絶望を感じる絵よりもずっと気持ちいい。
そんなふわふわ浮遊感のまま
今度は六本木の
「Man・Ray展」へ。
これまた全くジャンルが違うので
浮遊感から現実へしばし戻る時間を必要とす。
「モダンアートの先駆者」と評されるマン・レイ。
1860~76年に撮影された写真、絵画、彫刻、デザイン。
その斬新さを前にしてみれば
今、世に出回っている全てのデザインはただの真似でしかないと
つくづく思い知らされる。
溢れる情報や簡単に手に入る様々なものや便利さは
考える、生み出す、想像力、
色々な事を奪ってしまっているんだなと。
そしてやはり芸術家は常に”愛”と共にあり。
なんといっても
そりゃあどんな凡人だって、
”愛する力”ほど脳活が活発になり
生きていく活力となり、
クリエイティブになるものはないだろう。
そして天才は共通して超人的恋愛体質。
愛を作品に変えるのだ。
別れた女性が忘れられず
その彼女の唇を3m近い大きさの彫刻になんか出来ないもの。
そんな愛持ってないもの。
でも私はふわふわ浮遊する幸福感の方が
好きだったりする。
ずっと熱中症なのかもな。
照りつける日差しが強すぎると
街中が白く見える。
コンクリートの沸き立つ放射熱の中を歩くと
息をするのも苦しい。
首の後ろを流れ落ちる汗は
不快さを通り越し感覚さえ失う。
ここはどこだろうか。
白く霞む街並み。
ああこれはもしや熱中症。。
何て事を考えながら会期が迫る
展覧会をハシゴする。
「有元利夫展」
有元利夫は38歳で急逝した画家である。
日曜美術館で紹介されているのを
観るまではその名前を知らずにいた。
でもその絵は、
どこかノスタルジックに、
どこか遠い記憶を呼び覚ます感覚がある。
-エクスタシーと浮遊。
音楽を聞いていても、その陶酔感は僕の中で
浮遊に結びつく。
だからそれを絵として表現したい時、
それこそまさに通俗に徹し
臆面もなく文字通り人や花を
「天に昇」らさせてしまうのです-
toshio arimoto
描かれているのは、
いつもどこか無表情な女性がひとり。
何をしているのか、
何を思っているのか、
どこへ行こうとするのか。
それでもどこか幸福感を表している様な
ふわふわと浮遊している絵。
音楽が聴こえてきそうな絵。
絶望を感じる絵よりもずっと気持ちいい。
そんなふわふわ浮遊感のまま
今度は六本木の
「Man・Ray展」へ。
これまた全くジャンルが違うので
浮遊感から現実へしばし戻る時間を必要とす。
「モダンアートの先駆者」と評されるマン・レイ。
1860~76年に撮影された写真、絵画、彫刻、デザイン。
その斬新さを前にしてみれば
今、世に出回っている全てのデザインはただの真似でしかないと
つくづく思い知らされる。
溢れる情報や簡単に手に入る様々なものや便利さは
考える、生み出す、想像力、
色々な事を奪ってしまっているんだなと。
そしてやはり芸術家は常に”愛”と共にあり。
なんといっても
そりゃあどんな凡人だって、
”愛する力”ほど脳活が活発になり
生きていく活力となり、
クリエイティブになるものはないだろう。
そして天才は共通して超人的恋愛体質。
愛を作品に変えるのだ。
別れた女性が忘れられず
その彼女の唇を3m近い大きさの彫刻になんか出来ないもの。
そんな愛持ってないもの。
でも私はふわふわ浮遊する幸福感の方が
好きだったりする。
ずっと熱中症なのかもな。