ペンシルハウス物語~東京日和~

-gozar de tokyo-きまま そのまま なすがまま 

無事卒業

2012-10-27 | 暮 Life
会社人生無事卒業。


やっと最後の鎖が切れた本当の開放感。


沢山の花束を頂いて


遠方からも箱入り花束が届いて


さしずめ女優気分。


この先


こんなに沢山の花束を貰う事は


恐らくアルマイト。


毎日仕事が嫌で嫌で仕方なかった。


毎日毎日辞めてぇぇと思った


毎朝おはよんを見ないで良い日は来るのかと思った


誰も助けてくれないじゃないかと思った。


待遇悪い、給料安いと文句ばかりだった。


でも違った。


周りの人に恵まれてた。

それは何を置いても条件の良さだったのだと思った。



何だかプロフェッショナルのナレーションみたいになってきた(笑)


最初の会社を二年で辞めて、


インテリアの学校に夜通う為に、住宅展示場でアルバイトしていた。


立ち読みした'とらばーゆ'で見かけたショールームの募集広告。


新卒で落ちた会社に、リベンジするという若さ故の無茶。


しかも最初はハウジングアドバイザーという名のパート待遇。


ショールームの風習で、創立から入った年度で期が決まっており、


例えば94年入社なら7期となるが、私は94年9月中途だったので7.5期。


'ナナテンゴ'
テンゴってば…


展示場のバイトは辞められず半年は二足のわらじ。


パートから契約社員になり、当時一緒に入った同期の仲間と、


社員以上に知識をつけよう、パートだからダメだと言われたくないと燃えてた。


その二年後、勤務内容は社員と同じだから社員にしてくれと会社に直談判した。


最初組合にすら聞く耳を持ってもらえず、


それなら裁判も辞さないと今思えば強気で無謀な行動。。


その時に、私達ナナテンゴ期を社員にする為に


会社に働きかけ、動いてくれたのは当時ショールーム初代の館長だった。

無事に社員になれたのも館長のおかげであり、感謝しても足りない。


その館長も昨年お亡くなりになった。


働きたいと願った場所で働けて、接客仕事はそれなりにハードであったが

楽しかった。 天職かもとすら思った。


接客での足りない知識を補いたいと資格も取得した矢先に


事務へ異動と言われた衝撃は計り知れなかった。

辞めようと何百回も思った。


でも同時に、これからも嫌な事があったら


逃げる自分でいるのかいどうなのアンタ?と問いかけた。


そこから、


20代、30代、40代怒涛のごとく働いた。


仕事は楽しい事じゃないというのを思い知らされた。


自律神経壊したり、電車で倒れたり、胃痛で動けなかったり、眉毛に白髪生えたり。


もうギブアップと何度も思った。


それでも踏みとどまったのは諦めと流される毎日と、


最後は周りの人達に恵まれてたからだ。


それに尽きる。


それがどんなに温かなものだったのか


離れる時に初めてわかった。


ありがたい。


本当に


本当にありがたい。


感謝の気持ちを百万回繰り返しても足りない。


新たな道に進む私の背中を沢山押してくれた人達の気持ちに報える様に、

ちゃんとした姿を見せなくては。


卒業が次へのステージの入口となるように


頑張りんこ。


って最後締まらんな(笑)