もう2月も終わり。
すっかり日々追われて
サボタージュし過ぎて、
ペンシルハウスは長期開店休業中。。
とりあえず元気でございます。
先週田舎から引き取って面倒をみていた
伯母のさっちゃんが他界した。
あまりの突然にコリン父もぴーちゃんも右往左往で
ナベ家はパニクっていたようだが
療養&家事手伝いの妹が、
裏方兼情報発信隊長兼料理隊長の大活躍であった。
父も母も自分達の両親は長兄達がいたので
喪主として仕切らなければならないのが
今回初めてであった。
悲しみに暮れる中で、
押し寄せる多種多様の事務処理を裁き切る事の大変さと
同時に勃発する家族間・親戚間の諸問題。
それまでは見ない、聞かない、
知らない振りをしていた事が一気に暴発する。
しかしいつかは向き合って話し合わなければ
ならない事だから、爆発してガスが全て抜けて
何もかも解決して、
それはそれで良かったと思う。
さっちゃんのおかげだよな。
コリン父は6人兄弟の末っ子で、
兄が1人と姉が4人いる。
一番上の兄とは二十離れており、
既に鬼籍に入っている。
すでにおぎゃーと生まれた時に
成人していた兄とは、生活を共にした記憶がなく、
祖父も駅長だった為多忙であり
コリン父は、女だらけの家庭で育った。
あのオネエキャラはしっかりした
土台の上に作り上げられているのだと納得。
コリン父のすぐ上には一卵性双子の姉。
区別がつかないほどよく似ていて
猛烈パワフルな双子伯母達だ。
双子の上の姉になる、
さっちゃんは生まれた時から虚弱体質だったという。
さっちゃんは中学卒業後は進学もせず、
一度も就職する事もなく家でずっと療養生活をしていた。
コリン父に付いて田舎に帰る度に、
真っ白で小学生の私よりも細い手足のさっちゃんに
「さっちゃんはどうしてこんな細いの?」と尋ねたものだ。
さっちゃんは
「あなたはの足はふっくらして羨ましい。
私は頑張っても太くなれないから」
と静かに笑っていた。
社会に出るという機会は
なかったのかもしれないが、
さっちゃんは毎日、
新聞を隅から隅まで読んでいたし、
ジャンルを問わず色々な事に詳しくて
記憶力については群を抜いていた。
祖母は身体の弱いさっちゃんを
それはそれはとても大切にしていて、
さっちゃんもそんな祖母を
いたわりながら二人で暮らしていた。
祖母はとても信心深い人だったので、
幼いさっちゃんが生死をさ迷う状態になった際に
自分の好きなお肉と卵を断って願掛けをしたという。
その後亡くなるまで一度も確かに全く口にしてなかった。
子供心に漠然と感じていたのは、
祖母が亡くなった時のバランスの崩壊。
さっちゃんは一体どうなってしまうのだろう
という不安は誰もが持っていたと思う。
さほど間を開けずして、
祖母は亡くなりさっちゃんは1人になった。
今思えば、さっちゃんはいつも祖母がいなくなってしまう
不安をずっと感じていたのだろう。
二人しかいない生活の中で
毎日、毎日、少しずつ祖母に近づいている老い。
考えたくはない、確実にある別れがあるとしても。
それでも祖母がいなくなってもさっちゃんは
ちゃんと一人暮らしを続けた。
そしていつからだろうか、
私は忙しいと理由を付け田舎に一緒に帰らなくなった。
それから15年。
さらにひとりで暮らすさっちゃんを面倒を見ると、
コリン父と母が引き取り地元のケアホームに入って2年。
住み慣れた地から、離れたくないのではと危惧したが、
さっちゃんはとても順応性が高かった。
前日にはぴーちゃんが働く鍼灸院のマッサージにも行き、
スーパーで一緒に買い物もしたさっちゃんは
バレンタインデーの朝、
突然心臓が止まり旅立ってしまった。
私は自分が思いのほかとてもショックを
受けているのに驚いた。
亡くなってから斎場の予定で
葬儀まで3日空いてしまったのもあり
仕事も上の空だった。
多分どこかでさっちゃんは
コリン父しかりぴーちゃんしかりナベ家しかり
コリン父の姉達にしかり生神の領域。
いつまでも生き続けていくのではないかと
皆が思う存在だったような気がする。
本当に最後まで、誰に迷惑をかけるのでもなく
静かにひとりで旅立って行った。
立派だ。
今更驚いたのが、さっちゃんの名前が
ずっと「さちこ」だと思っていたのが「さち」だった事。
バーちゃんもコリン父もずっとみんな
「さちこー」「さちこさ~ん」と呼んでいたではないか!
コリン父に問いただすと
「”さち”ってさー言いにくいからなあ」とあっさり。
そんな理由ですか。
幸せの「幸」と書くさっちゃんの遺影は
なぜかジョンレノンに似ていて悲しみの中で
「やっぱりさっちゃん!ラブ&ピースだぜ」とかみ締めた。
すっかり日々追われて
サボタージュし過ぎて、
ペンシルハウスは長期開店休業中。。
とりあえず元気でございます。
先週田舎から引き取って面倒をみていた
伯母のさっちゃんが他界した。
あまりの突然にコリン父もぴーちゃんも右往左往で
ナベ家はパニクっていたようだが
療養&家事手伝いの妹が、
裏方兼情報発信隊長兼料理隊長の大活躍であった。
父も母も自分達の両親は長兄達がいたので
喪主として仕切らなければならないのが
今回初めてであった。
悲しみに暮れる中で、
押し寄せる多種多様の事務処理を裁き切る事の大変さと
同時に勃発する家族間・親戚間の諸問題。
それまでは見ない、聞かない、
知らない振りをしていた事が一気に暴発する。
しかしいつかは向き合って話し合わなければ
ならない事だから、爆発してガスが全て抜けて
何もかも解決して、
それはそれで良かったと思う。
さっちゃんのおかげだよな。
コリン父は6人兄弟の末っ子で、
兄が1人と姉が4人いる。
一番上の兄とは二十離れており、
既に鬼籍に入っている。
すでにおぎゃーと生まれた時に
成人していた兄とは、生活を共にした記憶がなく、
祖父も駅長だった為多忙であり
コリン父は、女だらけの家庭で育った。
あのオネエキャラはしっかりした
土台の上に作り上げられているのだと納得。
コリン父のすぐ上には一卵性双子の姉。
区別がつかないほどよく似ていて
猛烈パワフルな双子伯母達だ。
双子の上の姉になる、
さっちゃんは生まれた時から虚弱体質だったという。
さっちゃんは中学卒業後は進学もせず、
一度も就職する事もなく家でずっと療養生活をしていた。
コリン父に付いて田舎に帰る度に、
真っ白で小学生の私よりも細い手足のさっちゃんに
「さっちゃんはどうしてこんな細いの?」と尋ねたものだ。
さっちゃんは
「あなたはの足はふっくらして羨ましい。
私は頑張っても太くなれないから」
と静かに笑っていた。
社会に出るという機会は
なかったのかもしれないが、
さっちゃんは毎日、
新聞を隅から隅まで読んでいたし、
ジャンルを問わず色々な事に詳しくて
記憶力については群を抜いていた。
祖母は身体の弱いさっちゃんを
それはそれはとても大切にしていて、
さっちゃんもそんな祖母を
いたわりながら二人で暮らしていた。
祖母はとても信心深い人だったので、
幼いさっちゃんが生死をさ迷う状態になった際に
自分の好きなお肉と卵を断って願掛けをしたという。
その後亡くなるまで一度も確かに全く口にしてなかった。
子供心に漠然と感じていたのは、
祖母が亡くなった時のバランスの崩壊。
さっちゃんは一体どうなってしまうのだろう
という不安は誰もが持っていたと思う。
さほど間を開けずして、
祖母は亡くなりさっちゃんは1人になった。
今思えば、さっちゃんはいつも祖母がいなくなってしまう
不安をずっと感じていたのだろう。
二人しかいない生活の中で
毎日、毎日、少しずつ祖母に近づいている老い。
考えたくはない、確実にある別れがあるとしても。
それでも祖母がいなくなってもさっちゃんは
ちゃんと一人暮らしを続けた。
そしていつからだろうか、
私は忙しいと理由を付け田舎に一緒に帰らなくなった。
それから15年。
さらにひとりで暮らすさっちゃんを面倒を見ると、
コリン父と母が引き取り地元のケアホームに入って2年。
住み慣れた地から、離れたくないのではと危惧したが、
さっちゃんはとても順応性が高かった。
前日にはぴーちゃんが働く鍼灸院のマッサージにも行き、
スーパーで一緒に買い物もしたさっちゃんは
バレンタインデーの朝、
突然心臓が止まり旅立ってしまった。
私は自分が思いのほかとてもショックを
受けているのに驚いた。
亡くなってから斎場の予定で
葬儀まで3日空いてしまったのもあり
仕事も上の空だった。
多分どこかでさっちゃんは
コリン父しかりぴーちゃんしかりナベ家しかり
コリン父の姉達にしかり生神の領域。
いつまでも生き続けていくのではないかと
皆が思う存在だったような気がする。
本当に最後まで、誰に迷惑をかけるのでもなく
静かにひとりで旅立って行った。
立派だ。
今更驚いたのが、さっちゃんの名前が
ずっと「さちこ」だと思っていたのが「さち」だった事。
バーちゃんもコリン父もずっとみんな
「さちこー」「さちこさ~ん」と呼んでいたではないか!
コリン父に問いただすと
「”さち”ってさー言いにくいからなあ」とあっさり。
そんな理由ですか。
幸せの「幸」と書くさっちゃんの遺影は
なぜかジョンレノンに似ていて悲しみの中で
「やっぱりさっちゃん!ラブ&ピースだぜ」とかみ締めた。