ペンシルハウス物語~東京日和~

-gozar de tokyo-きまま そのまま なすがまま 

自己嫌悪の効用

2007-10-03 | 暮 Life
「ものぐさ精神分析」という本がある。

作者は心理学者の岸田秀。

1975年から「ユリイカ」という雑誌に
連載されたものを一冊にまとめたものである。

妹に”衝撃的精神論”と薦められて読んだ。

確かに衝撃的。

よくありがちな心理学的考えや
精神論は全くない。

独自の精神論を最後まで貫く。

心理学を生業としながら
「心理学無用論」を説いたりする。

一貫して泥臭い。
そして勝手な持論が延々続いている。

しかしなるほど!と
膝を打ちたくなる事が次々に頁に現れる。

その中に「自己嫌悪の効用」という章があった。

岸田によると

「自己嫌悪とは自己に対する偽善である」という。

”架空の自分”が”現実の自分”を
嫌悪している状態で、

欲望の満足を得た”現実の自分”に関する
責任と罪を逃れさせてくれる便利な手段であるとバッサリ。

”架空の自分”というのは

人にそう思ってもらいたい自分。
はしたない事をしない自分。
社会的承認の必要と自尊心に支えられている自分。

そんな自分であるはずなのに、

なぜあんな行動をやってしまったんだぁぁ・・・と
”現実の自分”の真逆の行動の乖離を嫌悪する。

しかし岸田は

”嫌悪される自分”とは、

まごうことなき”現実の自分”であると
はっきり書く。

自分のある面を嫌悪するのは、
はるかにもっと嫌悪すべき別の面を隠すためであるとも。


うーん痛い。

今までも「自己嫌悪」に陥りどっぷり落ち込む事が
数々あった。

その度に「何でこんなことに・・」と
毎度毎度思っていた。

でもこの本の中の、
「自己自身に対する偽善」という言葉が、
ガチっと音を立てた気がした。

良い人に思われたい自分。
まさかこんな行動はしないと思われている自分。

偽善者。

現実は、

嫌悪している行動は自ら望んだ事で、
酷い事を出来るのも本当の自分だった。

自己嫌悪に陥る事はなかった。

全て自分でそうすると決めた行動だから。

そう思うと逆接的だが
この行動をすると自己嫌悪に陥るか→偽善者と考える。

ならば答えは”A”となる。

自己嫌悪がないという事は
後悔がない事かもしれない。

または迷いのない行動。

だから、
この結果で後悔もない。

それより”動いちゃった”後の
様々な波及効果の大きさに驚く。

だから行動には嘘はなく本当の事であり
それ以上の意味も以下の意味もない。

それでいいか。
自己嫌悪にならなかったのは事実だし。

一緒に食べたハーゲンダッツも美味しかったし。
一口分けてもらったビールも美味しかったし。

すっかり秋深くなった夜長に思う。