ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

不惑や天命を知るって、自分の力ではできない

2011年10月29日 | 信仰

 高校の時、確か古文の授業で、論語という書物の手ほどきを受けた。その中でAngry「四十にして不惑(まどわず)」、「五十にして天命を知る」というくだりがあって、それが妙に耳に残った。

 しかし論語の世界と異なり、私はちょうど四十歳から「惑い」に惑い続け、五
十歳でその混乱は極みに達したことを思い出す。前の妻がちょうど四十歳の時に心の病の発病をしたから・・・。十年後の五十歳では、ますます病は進行し、家族の別離など最悪の状況に陥ってしまった・・・・。で、わたしは「何が不惑だ!知天命だ!」と思っていた。家族の状況に出口が見えず、出世の希望も失せつつあった。失意が長く続くので、希望が持てなくなって「やけ」になりかけていた。
Cjh21
 その混乱の極みの中、わたしは自分の姿に絶望し、深い悔い改めをした。その時、神さまが私にふれてくださり、語りかけてくださった。

「わたしはあなたを愛している」

「あなたが他に求め、わたしに求めないからです」。

 この瞬間、わたしはまったく変えられ、神の愛に自分を捧げる者になった。聖書Cjh03にある「畑の中の宝」を見つけたような喜びがそうさせたのだった。この神の言葉が私を「不惑」と「天命」を知る者に変えたのだった。


 自分の力ではなく、ただ神のあわれみと恵みによって、わたしはまったく新しくされた。だからいかにも知者風の「論語」は、私には正しくない。聖書が真実だった。自尊心や誇りがあった時、自分を第1にして、神を第1にできなかったから、神は私におふれになれなかった。神は主なのだから。しかしわたしが打ち砕かれた時、神はあわれんでふれてくださった。あなたは大丈夫ですか? (ケパ)

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