明日船橋キリスト教会では、特別礼拝があります、
時間は、午後1時半から、教会堂です。
そのあと、昨夜放映された、ムタレ桜子さんの、「世界なぜそこに日本人」をビデオで観ます。
昨夜の番組を通して、礎の石孤児院の働きが、多くの皆さんが、知ってくださると嬉しいですね。ドルカス
以前にも書いたことがありました。毎年一度は必ず、ケパさんから花束が届きます。
「30日に届くよ。但しどんな色かわからないぞ」
そうなのです。格安だから^^;薔薇の色は指定できないの。届いて開けて見るまで、期待でドキドキです。
今年は優しい色のバラ達です。あわせて30本。良かった^ ^ 嬉しいねぇ~ 神様ありがとうございます。優しいケパさんをありがとうございます。
実は過去に3回程、インクを吸わせた青い薔薇が加えてありました。これを美しいという方居るのでしょうが、私には耐えられない。と大騒ぎして文句タラタラ言って(≧∇≦)ケパさんを困らせました。 「もう贈らん」と、花束が届かない年もありましたが、これは自業自得ですね。(今はそのことを悔い改め感謝してま~す^^;)指定が出来ないことわからなかったから。
ですから「届くよ」と言われた時から祈ることにしました。けっして人工的な色の薔薇が選ばれないようにと。 祈り願った通りになりました。 ハレルヤ^ ^ 早速かざりましょう。ドルカス
やすらぎの歌の、過去最高のヒットナンバーと言ったら、「永遠の愛」ではないかと、思いますが、 その曲が姪の披露宴で流れました。もちろん選曲は花嫁の姪ですが、この曲を知る私達は、思わず列席される方々の様子をうかかってしまいました。 永遠の神さまの愛を歌ってますが、多くの人々が歌っていて、もちろん私達も大好きな曲です。 それも、歌っているのはあのGiftsでもなく、作曲者のTrueVineでもなく、エルサレムのまり子さんの歌声。彼女の華やかな歌い方、声は、この披露宴にピッタリと、はまってました。
姪はどこでこの曲をさがしたのかなと、不思議に思ってましたら見つけました。 この曲を収録したCD。我が家のやすらぎの歌関連CDはすべてあるのでは、という我が家のCDラックに見つけました。 数年前の収録で、彼女の張りのある声で歌われてるCDこれだったのでしょう。
姪はゴスペルグループの「牧場のひつじ」で、自身もゴスペルを歌っていました。 披露宴にゴスペルの選曲は本当に嬉しく主に感謝しました。 これから山口でも歌っていけることを、祈りたいと思います。 ドルカス
二週間ほど前に壊れかけたキャリーケースを新しくしようか、と注文した矢先にcallの容体が悪くなりました。元気になることに希望が持てず、買っても使えないのではないかと不安が走り、不信仰にも購入をやめようかと、一瞬脳裏をかすめたのですが、
悔い改め、その思いを神様に委ねオペにならないように、完全にいやされるように祈りました。
そして元気になって数日後届いたのが、このキャリーリュック。思ったよりしっかりしていて、ベットにも代用できそう。callも気に入っていますね^^ 私もうれしいよ。さらにこれにはおまけ付きで、肩掛けできるキャリースリングが付いてきて(その分値引きがいいなとも思ったのですが)ま、そちらも利用していこうね。コール ドルカス
映画にもなっている、表題の「利休にたずねよ」(山本兼一著)を読んでみた。どうして今頃「千利休」なのか、気になった。知りたいだけなので、すぐ読めて本より安く、処分に困らない電子本は都合が良い。
読み進めていく内に、わび・さびの世界を小説にしようなどとは非常に難しいことで、所詮、男女の肉的なもの、権力と暴力にストーリーが落ちてしまうのはご愛敬だった。ただそれを、いかに名品の知識と「わび、さび」風のカムフラージュをして、風情を装わせるのか・・・・そんな風に見えた。
学ぶこともあった。戦時には武人が命をかけて戦うが、平時には茶(今でいう外交)を通して、武人ならぬ茶坊主たち(=今で言う外交官・・・・+僧侶、商人たち)が戦っているのだ。
中でも時の権力者と結びつくと、たちまちに栄華を得ることになる。しかし同時にそれは、恐ろしいことでもあるのだ。
北朝鮮の金正恩氏も、この本による「秀吉」もそうだが、権力の体現者と結びつくことは、同時に平時の戦いではあっても、敗れれば惨めで過酷な運命が待っているのは同じだ。利休自身も、あれほど秀吉に重用されながら最後は処刑された。北朝鮮でNo2だった張氏も同様である。権力は自分に勝る者、超える者をゆるさない。
聖書を読む限り、イエス・キリストは権力に魔性が伴うことを知り抜いていた。そして時が来るまでは、ご自身がなさった驚くべき癒しや奇蹟を、受けた人に対し、大きく吹聴しないよう注意を与えられていた。しかしながら、当時の宗教的権力者である祭司長や律法学者たちの偽善ぶりには腹が据えかねてのことか、幾度も安息日の癒しをあえて行われた。
この結果イエスも処刑されたが、イエスは権力者に近寄り、おもねって殺されたのではなかった。かえって彼らの偽善をあばき、正されたために殺されたのだ。彼らは、自分たちをはるかに凌ぐキリストを、受け入れることはできなかった。しかしキリストは死からよみがえって勝利をとられ、神の右の座に座られている。
権力や表舞台、ひな壇に近づく時、それは本当に神に聞き従っての無私のことであるのか、それとも自分が用いられたいためなのか、自分はどちらなのかよくよく吟味しなければならない。たとえ世の権力者からどのような処分、迫害を受けようとも、たとえ殉教しようとも、神に聞き従ってことなら肉体の命に優る永遠の霊の勝利者なのだ。
ゲッセマネの園で、神に聞き従ったイエス・キリストに続く者の結果は、天と地ほど異なった酬いがある。 ケパ
新しく歩み始める二人からの記念品。
「カップ&ソーサー」で早速コーヒーをいただく。 萩焼のカップです。若い二人の未来に乾杯。 私達に新しくとりなしの祈りが与えられました。
ハレルヤ 二人のために祈ります。ドルカス
これは帰りの新幹線車内の様子で、チラッと見るところ、みなパソコンで仕事している。今では新幹線にも全てのシートにパソコン用のコンセントを備え、東京~大阪間は有料ならWi-Fiまで可能である。
30年前のこと、当時まだパソコンが珍しい時で、私がパソコンで文書を作成し、印刷して上役に提出すると、「心が入っとらん」と一喝された。自分の悪筆より、読み易いこと、訂正が修正し再印刷すればきれいにできることなどを考えてのことだったが、それが上役の流儀とは異なったようだった。結局提出は手書きして提出したが、このような目にはその後、ほとんど会わなかった。特にパソコン教育が学校に導入されだして、パソコンへの態度は劇的に変わった。しかし、できると見られるが故に、普段の仕事の上にパソコン教室の設備や運営、維持管理、情報教育指導計画などたくさんの仕事が増えて、夜遅くまで職場に残ることが増えた。
iPhoneやスマホだって、パソコンの一種なのである。一喝された元の上役がまだご壮健であれば、この時代のことを、なんと思われるのだろうか?と、ふと思いだした。ケパ
昨夜泊まった湯田温泉のホテルのロビーで見かけた、この小人達。
甥と姪がそれぞれ私に教えてくれた。「おばちゃんホテルに7人の小人達が置いてあるよ」
5年前にケパさんと式をあげた時、姪が中心に甥6人とで三角帽子をかぶり、それぞれ小人のぬいぐるみを抱え、歌い踊りながら登場して私を祝ってくれたのです。 その同じ小人達が、挙式のために予約したホテルに飾られていて、私達は驚きました。 私が再婚することに驚いた当時の甥達は、恥ずかしいと思いながらも、姪のアイデアで踊った記憶が思い出したのです。
その小人達が今この山口で、姪の結婚式出席に伴って予約したこのホテルに置かれていたなんて、けっして偶然ではないことを私たちは知ってます。姪の結婚のために祈り続けていた。あの時涙を流して神さまに祈っていた姪を思い出しながら。だから今、
ハレルヤ\(^o^)/とよろこびました。 ドルカス
君が生まれた時から知ってるよ。
神様はそれ以前にご存知でしたが、今日この時が訪れましたね。
何を書こうかと、思いを馳せたのに只々神様に感謝しました。どうかさらにあなたを中心に二人が歩めますように。アーメン 素晴らしい挙式でした。 特別に思ってしまうのでしょうか。愛する姪のブライダル。 ドルカス