ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

家庭集会

2015年09月30日 | 使命
今日は信州へ向かってます。オンライン会員につながった姉妹のサポートで、家庭集会の恵み。旧知の友人なので、わくわくです。
今日はいつものコースと違う道から都心部を越えるみたいで、

湾岸線をいつもより先まで行きますね。
この4日にも来ますが、新宿を横に見ながら、懐かしい久しぶりの前に住んでいた地域を場所を通ります。

環七通り抜けて関越に入りました。所要時間いつもより早い!
渋滞時間に重なる事のない時間帯でした。
ドルカス


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神様の語られる時

2015年09月29日 | 示されたこと
先週は忙しかった。その上、自分のしたメッセージ原稿が土曜日に上がる始末である。(※ 船橋教会の週報及びメッセージ集のブログは、当の牧師が要約して書いている) これはつまり、ようやく前日遅くになって、主日礼拝のメッセージにとりかかったことを意味する。

せめてテーマだけでも示されたら(基本、メッセージは神から示されたり、聞いたりして形作る)、どんなにホッとするだろうか、と。しかしその日は睡魔に時間切れ・・・。
朝になった。これがどんなに危機的な状況か、牧師ならずともパニックものである。しかしまた、主はにより頼めば何とかしてくださるという、妙な信頼感もあるにはあった。で、追い詰められた必死さで「神様!」と助け求めて祈った。すると肉的なのかどうかよくわからない、都合の良い示しが来た。「コーヒーを買いに行きなさい」 エッ?

当然吟味するのだが、これはちょっと難しい。このような害もない場合、従ってみることにすることが多い。そう決めて、明けて間もない外に出た。気がつかなかったが雨上がりの直後だった。傘をささずに歩く人が見えた。そこで300メールほど先のセブンまで歩き出すと、雨がポツポツ。歩けば歩くほどさらに雨の密度は増す。コンビニにさえ行けば傘は買えるし、何とかなる。ようやく駆け込んでコーヒーをゲット。次に傘を買おうとすると、やたら高い傘しか置いてない。忙しいのにこれでは帰れない。
ここがポイントの一つなのだが、私たちクリスチャンは、すべて神の御手の内にあるので、偶然は無い。ならばコーヒーを買ってのこの雨にも、神のご計画があるはずである。そこで「主よ、どうしましょうか?」と祈ると「雨はすぐに上がる」と。ならばと、私は店の外の、いつもは愛煙家たちがいるひさしの下で、コーヒーをすすりながら止むのを待つことにした。普通なら、吟味ミス!とがっかりするところだが、そうではなく妙な信仰の感覚、これには意味がある、そんな感覚があった。

さて、コーヒーの湯気を吸ってゆっくり景色を見たその先に、セブンの電光掲示版の大きな土台があった。見上げると夜は眩しいであろう看板がある。ハッと、私はありありと三年近く前のこと、まさにこの看板をドルカスと見た時のことを思い出していた。
それは船橋に住まいを移そうと、家探しをしており、まさにこの場所の二階を内見に来ていた時の事である。私は値段や広さ、間取りが気に入って、心は完全に《成約》の段階に入っていた。しかしドルカスが最後に業者に「あのう、うちには猫がいるんです。ペットOKですか?」と突然言った。この一言で、私たちは物件を諦めざるをえないことになった。その事を思い出したのである。正直さは時には、このようなことになる。

私は明瞭に主の御心がわかった。「ウソをつかないこと、正直であること。聖霊様を主とした歩みとは、偽ることができないこと。それは聖霊の証印でもあること」 これがメッセージのテーマだと。

気がつくと、雨は通り雨のようにすでに上がっており、私は喜んでルンルン🎵と帰って行った。


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スーパームーン

2015年09月28日 | 自然
昨夜は十五夜で、今夜はさらに大きな月です。

今夜の月は、スーパームーンと言うのだそうで。初めて耳にした言葉ですが、
地球と月が一番接近し、その日の今夜はこの様に月が大きいのですって。知人のブログでそれを知り、夕方から何度もゆっくりとその月を見ました。

確かに、どの場所で見ても大きくて綺麗ね。
この様にじっくり月を観察するのも久しぶりで、これも神様が成してくださる不思議な自然ですね~ ドルカス



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主日礼拝始まります

2015年09月27日 | 教会のこと
9月最終の礼拝です。始まります
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木犀

2015年09月26日 | 自然
シルバー連休中はほとんど家にいた私ですが、水曜礼拝に行くため外に出た瞬間、秋の香りに辺りを見回した。金木犀の香り。

残暑厳しい今?数日涼しかったから少し早いかな、と思いながら、見えなくても香りを知ることができる瞬間に、キリストの香りをおもう。

昨日行った鎌ヶ谷市は、金木犀がどの家にもあるかの様に、どこにいても香りがする。
案内してくれたYさんが鎌ヶ谷市の市木が、木犀(金木犀)各家庭に家族が誕生すると、一本の金木犀がプレゼントされるそうです。今日、街全体がこの花で満ちている時に訪れた訳ね。

この香りが街全体に香る様に、キリストの香り(福音)が街全体に伝わりますようにと思いながら祈りました。 ドルカス




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鎌ケ谷市

2015年09月25日 | 祈り
今日は鎌ケ谷市で、祈りと聖書の御言葉を置いて来た。実はあまりよく知らなかったのだが、鎌ケ谷市は交通の要衝であると同時に、古いしがらみが少な目の、霊的にはとても良い街とわかった。
いろいろ地図や情報を見ながら、導かれて七カ所で十回の祈りと御言葉を置くことにした。
特に市の東西南北端では、他市との境界線上で祈り、

中心部では子午線140度線上で祈った。

今回の鎌ヶ谷での特徴を一言で言えば、「地境での祈り」という事になるだろう。

神の大いなる計画が、鎌ヶ谷市に大きく広がっていく。 ケパ



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ただ信じるだけ

2015年09月24日 | 信仰
今日のデポーショの聖書の読むページは
コロサイ人への手紙の箇所 1章でした。この箇所から、オンライン会員の方が質問されました。

ケパ牧師が、お答えしてくれました。
とてもわかりやすいのでここに書きます。

福音とは、いつの時代でも、また世界中どこでも同じことで、一言で言えば「神の子キリストは、私たちの罪のために十字架にかかってくださった。そのことを信じるなら、どんな罪でも赦され、神の国(永遠の命)に行けます」ということです。福音とはこれだけです。

詳しく言うと上述には、この場合、パウロがコロサイという小アジアで語ったということ、そこにはたくさんのユダヤ人や 現地の人々が居たのです。ユダヤ教の律法で(つまり行いで)人は救われるのではなく、イエスが神(の子)であって、神が私の罪の身代わりになった、私はそれを信じるだけで(信仰によって)救われるということを言ったことになります。律法ではなく、信仰で、です。

正確には使徒信条というものがあり、これを洗礼式の時に、告白(公に言い表す)します。もっとも今では、信仰を持つに至った経緯を「証」という形で読み上げたりします。

※使徒信条
我は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子(ひとりご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架(じゅうじか)につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず
アーメン


写真はパトモスチーム路上ライブ。信仰に立ち賛美しました。 ドルカス


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40日40夜の断食でイエスのお腹が空かなかった訳

2015年09月23日 | 示されたこと
マタイによる福音書の4章1-2節では
「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。」
と書かれている。断食に弱い私は、ここがイマイチわかっていなかった。なぜなら、イエス様は神の子なので、空腹を感じないように、自分のお腹に命じることなど何でもおできになれた。しかしそれでは断食は形式だけで意味がない。私はたった3日間の断食で音を上げた弱虫で(聞くところによると、一番きついのがはじめの3日間らしい)、イエス様は40日終わった後でようやく空腹を感じられた・・・は、到底想像できなかった。

今晩、我が船橋キリスト教会は、本当に天の大きな喜びで満たされた。長く待ち望んで祈り続けていたところの、霊と実際との勝利だった。私たちは歓喜し、栄光を神にお返しした。ハレルヤ!
で遅くなっていたが、夕食にとお弁当を買いに歩いてふと気が付いた。相当お腹が空いているはずなのに、空腹を感じないのだ。そしてこの時、喜びが私をおおっており、神を賛美していた。お腹が空けばすぐ怒りっぽくなる私が、である。この時ふと、断食が終わるまで空腹を感じられなかったイエス様のことが、少しわかるような気がした。「喜びに満たされておられたのかも」と。それがどのような喜びであったのか、想像するのも楽しいではないか。
三十歳になって、早逝した父ヨセフに代わっての一家を支える代役も、弟ヤコブ達の成長で解放された。縁者にあたる洗礼者ヨハネの活躍は、ユダヤの民を悔い改めへと大きく導き、舞台はいよいよ整った。そのヨハネからの洗礼で聖霊を受け、神の子としての時はまさに来た、「わたしはこのために来た」と・・・。

まさにB.C.(Before Christ)からA.D.(Anno Domini)の主の年、恵みの年へと、人類の歴史の一大転換の実質が始まろうとしているのだ。十字架を凌駕する、どれほど大きな喜びがその日々の内にあったことだろうか!

そんな想いに満たされ、幸せな私はお弁当屋に向かった。 ケパ



コメント (2)
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新曲だよ

2015年09月22日 | ゴスペル
風のひびき3集の歌集が来月に発売です。そして11月には、CDも、発売です。
楽しみなんだけど、
その前にもう新曲を歌い出してます。
そのために、いま歌詞の書き取り必死の作業。昨年から!共同作業で、書き上げたら送りそして頂いてと日々コツコツと作業中

オンライン礼拝から曲をチェックして、ゴスペルラジオ聞いて書き取ったり、更には一部の楽譜が発売されてからは購入して書いたりとね、
ケパさんは早速弾けそうな曲から練習してめす。
もちろん船橋でも歌い始めました。だから私も必死で作業するよ。
寝てなんかいられないぞう
ドルカス





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トイレを掃除に思う

2015年09月21日 | 生活
教会のトイレを掃除した。私はどこでも率先してトイレを掃除したいと思う。キリストが命令された「仕えなさい」、そのことを実践できるからだ。その後、トイレに「立ちション便禁止」の札を貼ろうとしたら、ドルカスに止められた。「ちゃんと掃除すればいい」と言う。受け入れたが、納得とは程遠い。

水の形状変化のことを流体力学の用語で「プラトー・レイリー不安定性」と言うらしい。これは12センチ離すと放出された液体が粒状になる現象のことである。液体でも粒になると強くはね返るようになる。つまり男性が普通の家庭用の便器で立って用をたすと、どうやっても《かなりの尿はね》を引き起こす。便器からトイレの壁に至るまではねる。
別にこんな理屈を言わなくても、立ちしょんした後、トイレを丁寧に掃除してみたら一目瞭然、わかることである。これが男性と言えども座ってすると12センチ以内に収まるので、この問題は起きない。

立ちしょんは男性の尊厳であると言う。同感である。但しそれは男性用便器があったらの話である。家にトイレが一つしか無ければ、それは主として女性用のものである。昔はちゃんと家庭にも男性用があったのだが・・・。ああー。
男性が女性用のトイレですべて済ませる、その不便さは、やはり女性にはわからないものだろう。

にもかかわらず私は、断固「立ちしょん禁止」である。汚すことがはじめからわかっているようなことを許容はできない。何と思いやりのないことであろう。そしてトイレ掃除をしない男性だからこそ、傲慢にも立ちしょんを続けるのだと思う。

どんな飲食店に入っても、トイレがきれいなお店はたちまち、また来たいと思う。別にトイレに来るのではなく、そのお店が美しいからだ。外見ではなくココロがあるお店は、美味しいはずだから。 ケパ



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