最近私は弱い。と言ってもテニスでの話だが、負けがこんで来て、へこたれている。プレーしていても以前の気迫が戻ってこない。「ただ返球し、相手のミスを期待しているだけ」の状態であって、これで勝ちが来るはずないことは、自分でよくわかる。その上、負けてくやしくなくなり、自分を妙に納得させている事が多い。つまり年のせいにして(肩の衰えから昔のように)打ちきれない、(足が衰えて球を)拾えない・・・・と自分自身に言い聞かせ納得させている。(写真は最近愛用のラケット)
これで良いのだろうか?意欲とかやる気とか、自分の力を信じるとか、そのような自分だけのことに見えても、自分でどうにもならない面があまりにも多い・・・・のだ。
人の自分を信じる力を利用して「成功」する秘訣を説いている米の人物がいる。彼の場合、神という絶対的な存在を信じるのではなく、どこまでも自分の力を肯定的に信じることで、潜在的な力を引き出し、成功させると言うのだ。しかし私は一見ごもっとものようなこの考えを受け入れない。なぜなら、教師でずっとそれをやってきたからだ。そして、確かに成果があがるが、それは目先だけの短期的なものに過ぎない。ある時、とてつもない大きな壁に子どもたちがぶち当たった時、どれほど苦しみ絶望していくかを知っているからだ。それは今のテニスの不調の私とは比べものにならない、深刻なものになる。
逆説的だが、むしろ麦踏みの麦のように、寒く凍り、おまけに踏まれて育った者の方が、たくましく大きな実を結ぶこともまた、見た。
人は、常に前向き、積極的なスタンスをとり続けることは、難しい。なぜなら人は常に好調とはいかない。時に弱く、支えを必要とする時があるのである。自分で自分を励ますことは難しいからだ。
しかし神を信じている者は、へこたれない。神が常に私を助け、必要ならば重荷を背負ってくださるからだ。その意味でクリスチャンになるということは、人生の成功者になったと言うことに等しい。ただし地上の財とは関係ないかも知れないが・・・・。 (ケパ)