ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

神の声を聞き、従いたい

2014年06月30日 | 信仰

Praise_44  牧師として一番悩むのが、「神の声が聞こえません」「どれが神さまの声なのか、わからないのです」という悩みに対峙した時だ。

 誤解の無いように少し補足する。イエス・キリストの十字架を信じると言うこと、それは自分の人生を神さまに捧げると言うことであり・・・・(残念ながら、元のように自分が中心のままのクリスチャンも数多くいます)・・・・新約聖書の時代、それは神さまに聞き従って生きるということになります。けれども、神の声が聞こえなくて、どうして神さまに聞き従えるのでしょうか。聖書があるではないか、その通りです。しかしアウトラインはあっても、日々の具体的な生活にまで聖書は細かく指示してありません。そのような「聞こえない」方の悩みは、かつての私自身を含め、深刻なのです。


 そんな時、一般的な答え・・・・「聖書から(レーマとして)語られます」「熱心に祈り求めなさい。御心ですから必ず語られます」「神の声をとどめている、何らかの罪があるのかも知れません。もし導かれるのなら悔い改めてみてください」・・・・・・を伝えても、切実なその問いにちゃんと答えているかどうか、様子を見るとどうもあやしいことが多い。
 そこで自分の体験を語る訳だが、これは説得力があるので、つい熱を入れる。しかし、個人的な体験が他の人に通用するとは限らない。神には方程式などなく、全くの自由である。だから神が語られる方法、それは神ご自身がお決めになられるのであって、人が知ることはできない。

Angels_28  では、この悩む信徒に対して、どうすればよいのだろうか?ただしすべての原因は人の方にあって、神にではない。だから「時がまだ来ていないのですよ」と語りたいのだが、これは切実に悩む者を突き放すのに等しい言葉なのだ。だからほんとうに、共に熱く祈ること、それしかなく、この許された状況に意味があり、心から感謝するしかないのだ。ああ主よ、助けてください!そして熱心に求め続けていれば、必ずそれは答えられることは、私の体験からも絶対確かだ!

 こういう時、私はよくも信仰を捨てなかったなという、長い試練が許されたこと。最後は与えられるまで絶対あきらめられない、これなくして生きて行けないという、執念のような飢え乾きがあり続けたことを思い出す。

「あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう(マタ7:9)。」

   ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月29日の朝です

2014年06月29日 | 教会のこと

6月29日の朝です
ハレルヤ! これから船橋キリスト教会の主日礼拝が、始まります。ご一緒に礼拝いたしませんか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トレーニング2

2014年06月28日 | ゴスペル
始めたばかりのボイストレーニング。2回めです。この後ろ姿に緊張感がわかるでしょうか。ケパさんが撮っていました。Skypeでのレッスンなのに対一ですから緊張するのです。時にはリラックスするような話題をして下さるのにね。

最初はぶるぶるぶると、リップロールから。音程を取りながら思うようにはいかない。そして、トロトロトロと、タンブリングはさらに困難。数日前入浴中なんとなくこんなかな?と、やってみたけど続けては難しい。これは忍耐強い練習が必要だね。私には祈りなくてはなし得ない。と思うのでした。
でも同世代の先生ですし、この初めてのレッスンはなかなか楽しいです。
もっと練習して次回に備えよう。と意気込みますね。
さらに北の大地で、e姉さんが^ ^ レッスンされてるのでね、私も続けますよ。とても励みになります。ドルカスImage

PS
今日、オクターブの高い練習を始めたらね。窓の外を見ていたコールが、背伸びして私の膝にきて、覗き込むのです。子猫の鳴き声とまちがえた?猫好きの私達は、思わず笑ってしまいました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テニス

2014年06月26日 | 健康・スポーツ

Service  きょうもテニスをした。私はシングルスが好きなので、常に新しい人と対戦するようにしている。今日の相手は身長180㎝台のまだ若い大型キン肉マン。ウィンブルドンでの錦織(にしこり)選手の活躍の話をしながら、彼の威力ある強力なボールに対抗し、それを封じなければならない。だからドライブやスライスなど球種を常に変え、常に左右に彼を走らせて続けて、猛ショットを打つ余裕をなくさせる手立てを講じ続ける他ない。こんなシングルスの対戦を私はずっと続けている。ショットを通じてのコミュニケーションが無上に楽しいからだ。試合後は、対戦相手と例外なく親しくなる。


 スポーツをする人は、脳みその中まで筋肉でできているんじゃあないか?高校時代までいつも本を抱え、本棚の中で生きてきた頭でっかちは思った。しかし大学に入ったなら、スポーツをすると決心していた。覚悟して入ったので、部活の一年奴隷、二年兵隊、三年天皇は苦労ではなかった。それより白球を追うことに、すっかり夢中になってしまった。以来休むことなくテニスを続けて、すでに45年が経つ。


Photo  テニスが大好きになったのは、常に結果が明白に出ること。そして戦い終わったなら必ず握手をすることである。またテニスは、飛んでくる球にこちらも走り、ラケットを振る。つまり三つのベクトルが一瞬ではじかれていく練度の高い競技である。

 つまり、うまくなるのに時間がかかる。逆に言えば腕力だけではない、年を取ってからもできる余地が高いスポーツなのだ。いったい62才の男とその息子の世代の20代30代の男とが、真剣に対戦できるスポーツが他にあるだろうか?


 かつて脳みその中まで筋肉?と揶揄した少年は、ただその無知を恥じるのみである。そして人生の困難、試練の中にあっても、また今牧師をしていようとも、テニスは神が私にくださった常に自分との対話・・・・・ありのままの自分を知るため・・・・・の時間であり、自分を取り戻すための時でもあるのだ。   ケパ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の白馬で

2014年06月25日 | 聖会・キャンプ・集会

 梅雨空はなかなか終わりを告げません。今日は肌寒い雨の日。ちょっとの晴れ間も有りましたが、はっきりしない一日でしたね。 2014s

今日は、TLCCCで毎年開かれる、夏の白馬キャンプのご案内です。 綺麗な紫陽花の咲く7月下旬23日~26日。ただし後半25日夜からは自由参加ですが、ただ今参加者募集中。

興味ある方はお問い合わせ下さいね。 夏のキャンプでは、朝夕の聖会と共に、

メーンではゴスペルコンテストが有ります。また、24日25日の午前中には自由参加でレクレーションもあり


今年は24日に、午後12:30からホテル内で「ヤングゴスペルグループコンテスト」決勝大会が、

25日には午後12:30より、大町文化会館で「全国ゴスペルグループコンテスト」が開催されます。


 両大会とも入場無料です。またヤング大会は小中学生の部もあり、子どもたちの目覚ましい成長を見聞きできてうれしいです。

今年もアメリカの教会からも参加しますし、両大会とも楽しみです。ピースフルメンバーにもお誘いしようと思ってます。またここでの食事はバイキングですから、これも楽しみですよ。

そしてお風呂ね^^。温泉や露天風呂、各種のお風呂あり。今年も全国から白馬に700人は集まるでしょうか。まるでお里帰り!なつかしい同窓会!かのように全国の方々と会えることも楽しみです。  ドルカス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリ、エリ、レマ、サバクタニ

2014年06月24日 | 聖書

400x399  「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」とはエリがヘブル語、レマ・サバクタニがアラムで「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」と聖書(マタイ27:46)に書かれている。しかしこれに、つまづく人が多いようだ。

 

 若い頃だから、同じキリスト教でも今の教会とはかなり信仰の内容が違う教会でのことだ。正確な記憶ではないが、社会人青年会の席で、あるクリスチャンがこう言った。

「聖書をすべて信じるのは誤りだ。その決定的な箇所はここ(マタイ27:46)なんだ」と。神はキリストを見捨てた。だから神は愛なる神ではないし、キリストの死は捨てられた死だ」と。すぐさま反論ができなかった。その口惜しい経験が、聖書を学ぶ心に火をつけた。

 反論できなかったものの、この人は「クリスチャンと自称しているが、実はクリスチャンとしての実質がなく、どうして教会へ来続けているのか」と不思議に思った。

 

 今週くしくも私はメッセージでこの「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」を「これこそ(人間への)神の愛の極みである」と語った。

 なぜなら、被造物に過ぎない人間を、自らの罪を救うことの出来ないあわれな人間を、神は愛されるあまり自分の独り子キリストを身代わりに殺されたのだ。神であるキリストおひとりの価値は、その被造物である全人類の価値よりはるかに高いので、身代わりとしてはべらぼうである。たとえて言えば、千円の値の買い物に千億円払うような、あきれるべらぼうさである。だからキリストひとりで十分なのだ。


 想像してほしい。キリストのこの「神よ、どうして私を見捨てられたのですか」は、真実これがべらぼうなことであるからこその言葉である。そして神は「そうだ、わが子よ、人間の罪の身代わりとして死ぬのだ。それがお前の使命だ。わたしの意思だ」とされたのだ。
 キリストを信じるとは、自分の罪の身代わりにキリストが死んでくださったと信じることだ。クリスチャンは罪が赦された、帳消しにしていただいた恵みの人のことであり、罪がない人だけが行ける天国行きの切符を手にした人という意味でもある。だからクリスチャンにとっての死は、天国への凱旋であり、喜ばしいことなのだ。切符はこれしかない。あなたも信じ、死の怖れから解放切符を手にされてほしい。    ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パスワード

2014年06月23日 | PC モノ 便利

Smartphone  最近またまた新しいiPhoneの購入者がいて、店での購入から設定まで助っ人をしに行く機会があった。
 ふつうiPhoneの購入では、本体や支払い契約などは行っても、設定は自分がしなければならない。少なくなったと思うが、iPhoneなどのスマホ(Smartphone右図)はパソコンに電話と無線データ通信機能を併せたものである。むかし、電子手帳の進化形で、ソニーのClie(クリエ・・・二つ目の右図)を愛用していたので、iPhoneへの進化は当然として理解する。しかし携帯電話しか知らない方には、パソコンという認識がどうしても薄く、また取っつきにくいもので、手ほどきする者がいなければ宝の持ち腐れであり、いたずらに高い通信料(パケット代)を払うだけである。

 

 この手ほどきする者から見ると・・・・習熟して行く人とは、年代よりも、本人の意欲やそれまでのレディネス状態による個人差が大きい。またITに抵抗があってもダメである。進んで意欲的な人が、その年代に関係なく、モノにして行かれる。だから70代でも、まったくOKで問題ない。Photo

 

 しかし、である。どうも若い子どもができるのは当然としても、だから子から親は手ほどきを受け、学べるということはあまり期待できない。親には親のプライドがあり、子からしてみると、親は教えにくい存在なのだろうおと思う。もっとも良いのは、兄弟とか年代の近い親切な他人である。どうもそういう事例が多いのだ。

 最初の最近の例に戻るが、ドコモのこのお店では、メール設定やApp Storeの設定までしてくれた。そばで「そこまでするのか」と驚いたが、何のことはない、いろいろなアプリをインストールした上での割引料金設定だったのだ。親切ではなく、業務なのだ。それらはすぐに削除しなければならないのだが。
 しかしその後、その人の自宅に行って、さらに必要なメール設定やアプリをインストールしようとすると、どうしても認証(右最下)で×××なのである。いろいろ調べてID(パソコン上での本人用の名前で、ユーザー名とも言う)には問題が無いことは分かった。だから後はパスワードしかない。パスワードが間違って設定されていると、これはほ
Photo_2んとうにお手上げである。図のように、どうやっても本人とは見てくれないので、一切の道が閉ざされる。残された道は新規のIDを作り直すしかない。それには新しいメールが要るのだが、これも使えるメールが過去IDに登録され、不可であった。万事休すとはこのことである。


 翌日ドコモに行ってもらって、その事実確認と訂正をしてもらったのだが、購入の直後にいろいろ使えるようにしようとした試みは、その日一切ストップになった。かかった時間と費用をドコモに弁償してもらいたい気分だ。お店が本人認証用のIDやパスワードを代行して行うという、基本的なルール違反を犯していることもかなりの問題だし、割引で釣って無用のアプリをインストールするという、ドコモの販売戦略にも無理があると思う。
Password

 それと同時に、パスワードの怖さを思い知らされもした。この時代にパスワードが盗まれると大事だが、逆また、忘れたり使えなくなると、自分のものが使えなくなるのである。パスワードの時代なのだ。しょっちゅう安全の為に「パスワードを変え」ろというアドバイスが出るが、忘れたり間違ったりしてのリスクもまた、100%本人の責任である。100回打っても間違えない英数混合で8桁以上のパスワードを三つ、用意されることを勧める。   ケパ

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜の礼拝中

2014年06月22日 | 教会のこと
今日の主日礼拝には先々週、インターネットで来られ救われた方が、今日も来られました。
今日は、愛餐も参加されて一緒に和やかにしょくじをして、さらに第3礼拝ライブもともに参加されました。
そして、夕礼拝は再びライブ礼拝で、恵みいただいてます。
白馬キャンプのこと、映画、ノアの話題に続いて、
メッセージは、マタイの福音者18:21-22 です。Image


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月22日の礼拝

2014年06月22日 | 教会のこと

6月22日の礼拝
今日も始まっています。 今日は M姉妹のお証の時です。 このブログ左の〈礼拝ライブ〉からご一緒に

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恵み

2014年06月20日 | 食べる

昨日、旬がぎゅっと詰まった箱が届いた。中には収穫したばかりのアスパラImage_3

大いなる大地の育てた恵みといったら、大げさでしょうか!

大好きなアスパラなので、表現力の乏しい私の絶賛する言葉です。

さっそく茹でたり、焼いたり、さらにお勧めの焼いてからバター醤油でまでは出来ませんでしたが、焼いてバターを絡めただけでも美味しかった。


どのように食べても旬の新鮮な野菜は美味しいですね。

今日は、ベランダのプチトマト食べようかなp(^_^)q

 

Image_2ドルカス

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする