ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

6月1日のご案内

2012年05月30日 | ゴスペル

ハレルヤ 今日は6月1日のJゴスペルコンサートのごGifts 案内です。 もうすっかりお馴染みのGiftsが船橋北口で・・・・・・・・・失礼しました。電車内で無意識のうちに送信したようです。

31日付け足して書いてます。

GiftsのメンバーによるJゴスペルミニコンサート。

6月1日(金曜日)  入場無料

午後5時30分開場 5時40分~6時30分

場所・・船場勤労市民センター 地階第1音楽室

会場の都合上 40名程で満席です。  

主催は  船橋ゴスペルクラブ・ピースフル・・  

Jゴスペルとは日本語のゴスペル。

多くのゴスペルは英語で歌われていて、なかなか難しく解らないところがあります。それで日本人が誰でも理解出来きる 「日本語版」ゴスペルで歌っています。

全国から、アメリカなど海外から私たちクリスチャンが、ずばりゴスペル(福音を延べ伝える)ために作詞作曲(やすらぎの歌11集まで、約800曲程)しました。歌い手も皆・素人です。

今回も多くの方々に聞いてほしいと、Giftsのメンバーは今回も船橋で歌います。ぜひお出かけになって、お聞き下さい。(ドルカス)

PS・・・やすらぎの歌ーゴスペル集ー は(有)荒れ地に川ミュージック から発行されています。 7集からは歌集掲載曲のCDも発売されています。さらに8集からのベストセレクションは見逃せません^^。

 

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放蕩息子の話から

2012年05月29日 | 聖書

Church_08  聖書のルカによる福音書の15章11節から、有名な「放蕩息子」の話がある。
 ある所にふたりの息子がいて、弟の方が財産の生前贈与を求めて、その財産で放蕩し、結局みじめな思いをして、父の所に帰ってくると言う話である。

 小学生の頃、私は何度も入水自殺を試みていて、すべて未遂に終わったが、生きていくのが辛かった。そんな私はまったくの仏教の家に育ちながら、一冊の本でキリスト教の神が自分の求める神であることがわかった。その時まだ12歳だった。
 けれども教会というのが、一番近くても20数キロ離れていたので、高校生になってからようやく教会通いができるようになった。高校時代は、神のことばを学びに毎週熱心に教会に通ったという、つくづく変わった子どもである。
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 ところが大学生になってはじめの2年間、ナント学生運動をした。学外ではヘルメットをかぶってデモり、大学封鎖では立て籠もった。あの第四機動隊にヘルメットを割られた経験もある。今思い返せば、ノンポリ学生を日和見と切り捨て、有頂天になって自分の青い屁理屈に酔っていた。封鎖が行き詰まってようやく目が覚め、神に回心した訳なのだが、この2年間はまさに神から離れた放蕩の時代であって、人生の汚点だった。

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」Hymn_34

 今60歳になってから、この汚点のような自殺志願の小学生時代と、共産理論を振りかざしていた2年間を思い出すと、恥ずかしくて正直、穴があったら入りたい。しかしながら実は、これら放蕩をしなければ、どんなクリスチャンになっていたか?と思うと、先の御言葉「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」ことが分かるのである。
 つまり「死にたい」と言う人の気持ちが分かることや、年頃になって自分がもう二度とそのような気持ちになることはなかったということ。また人間中心のヒューマニズムの偽善性に、体験的に気づかされたということである。人間の本質は自己中心という罪なのであって、人間そのものに希望がないと言うことを知った点である。キリストの十字架だけが、罪に染まった哀れな人間を救うことができる。

 神を信じる者にとっては「すべてのことが益とされる」この恵みを、多くの人と分かち合いたいのが私の心からの願いである。 (ケパ)

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虹が・・・^^

2012年05月28日 | 自然

 ハレルヤ・・・今日自宅から虹をみました。
晴れた空が午後になって様子が変わり、強い風も出てきました。
洗濯物を心配しながらベランダをみると、西の空から怪しい雲が迫ってきて、「雨に変わるよ」とケパさんと話した直後、雷鳴とともにバケツをひっくり返したような強い雨。

 やや小降りになってから、雨を利用して車を洗っているケパさんを背にして^^ 私は、空を見上げて虹がでてないかと・・・でも、ここからあまり見た事ない。と半分ぼやきながら、玄関を出たり、ベランダにでたりと不信仰対応をしてた。感謝
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 しばらく虹のことを忘れ、電話をかけながら 外を見た瞬間・・・見つけた・・・都庁の上に大きく虹がみえる。それもうっすら二重アーチできれいです。
大きなアーチが新宿の空にかかりました。ハレルヤです。週末の船橋聖会期待しよう。何かが起こる。主が起こしてくださる。 そのように主に期待し祈っていた。 (ドルカス)

(聖書の中には虹について様々な記述が書かれています。たとえば創世記9章13節)
わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。 


わたしたちの教会では、神さまに祈る時とか、言葉を示された時に、さらに祈り求め確認を求めます。そのひとつとして、虹や雷鳴、嵐など気候の変化を求めることも、しばしあります。
ですから単純に「虹を見た」ではなく、見せてください。と求めた時は喜んで感謝するのです。

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タラントのたとえ話から、儲けた人生

2012年05月27日 | 聖書

 聖書に、旅に出かけた主人としもべの話(マタイ25:14~30)がある。K8681579

 この主人は出かける前に、三人のしもべに、5タラント、2タラント、1タラントを預ける。「おのおのその能力に応じて」とあるから、優秀なしもべにはより多くの金額を、あまり優秀でないものには少なめに渡して行く。
 1タラントは6千デナリに相当した。当時1デナリは1日分の給料だったから、今の6千万円ぐらいだろうか。相当な金額である。こうして預かった金額は3億円のしもべ、1億2千万のしもべ、最後に6千万のしもべとつづく。
 この三人の内、5タラントと2タラントを預かった者は、それを元手に資産倍増を果たし、旅から戻ってきた主人のお褒めにあずかる。ところが1タラントの者だけが、失敗を恐れて地中に埋めて主人から「悪いなまけ者のしもべ」だと叱られるのである。

 昔からこのたとえ話は、一見して不可解な所があった。三人のしもべに差をつけてお金を渡して行くとか、稼ぎの金額は違っても同じ待遇であったとかである。私ならそれはあり得ない。4タラントより、10タラント稼いだ者の方を絶対差をつけてほめる。

 今一度読み返して気づくのだが、主人は稼ぎの金額をぜんぜん問題にしていないということだ。しもべの姿勢を問題にしているのだ。失敗を恐れず活用した者は褒め、恐れてただ地中に埋めて自己保全を図った者は、その意図に反し、これを全部取り上げてしまう。
 能力を問題にするのではない。もともと能力など不平等なものだ。しかしどう生きるかは、全くの各人の生き様であり、問われることなのだ。

 人はこの世に、さまざまな形で生を受ける。美醜に差があり、貧富の差があり、能力の差がある。しかしそのような外面的なことは、神にあっては評価に一切関係ないことなのだ。あるのは与えられた人生という時間を、神の計画(御心)のために進んで用いたかどうかなのだ。それは神への信頼がないとできない相談だが。
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 このことに以前気づいた時、私は祈った。「この命を神に使っていただきたい」と。すると不思議に道が次々と開かれていった。早期退職が好条件で可能になり、実家を置いて上京することも、誰一人反対されることなく、むしろ応援されて出て来た。
 そして5年経った今、すばらしい妻が与えられ、船橋の教会の牧師として立たされている。気がついてみれば、これまで語られていたことは、すべて成就している。
あとは教会のリバイバルのみだ。神に従い、自分を棄てたようで、実はその結果、自分が一番輝かされていることがわかる。「ああ、すばらしい恵み!感謝!」   (ケパ)

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公園横で

2012年05月26日 | 自然

 午後に近くの公園に行きました。Photo

 善福寺川沿いの緑地公園。ケパさんが早朝練習するホームグ ランドと言うか、テニスコートの隣接する場所。他にも壁打ち場や野球場(これは増水時のプールとなります)、またサッカー場など子供達から大人迄様々に利用できる公園です。

壁打ちで汗流すケパさんを車で待ちながら公園を見渡すと、木陰や緑に置かれた木製の円形ベンチなどにスポーツ後らしき人達とか家族で雑談する人々で賑わっています。

また、緑地の中は犬の散歩禁止と立て看板があるのですが、その道沿で躾のよい小型犬が飼い主の後ろをつかず離れず歩く姿がなんとも微笑ましいねo(^-^)o

  散歩をする家族が通り過ぎ、またランニングを楽しむ人々など、土曜日の午後の公園はとてものどか。 都会にこのような自然を利用した緑地帯のあることを感謝しました。するとますます心から喜びがあふれました。

そうそう猫を前カゴに乗せて自転車が通り過ぎたのですが、シャッターチャンスを逃しました。お見せできず、残念(ドルカス)

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獅子搏兎(ししはくと)

2012年05月25日 | 健康・スポーツ

  昨夕二つ、今朝二つと四つのシングルスの試合をした。四つとも先行されては追いPhotoかけるパターンで、これは相手を初見で、「勝てる」と思ってしまったからなのだ。確かに結果的にはそうなったが、苦戦を強いられたのは心のおごりがあったからだ。
  どうしても『勝てる」と思うと、挑戦者の心になりにくい。「受けて立つ」という消極的な打ち方になる。また弱い者いじめではないが、何となくお付き合いが悪いという気もしないではない。理想を言えば、どんな相手でも「初球からの全力プレー」ではあるが、これが意外にむずかしいのだ。

 

  獅子搏兎(ししはくと)という熟語がある。「獅子、兎を搏(う)つ」と言う。ラ

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イオンはウサギをつかまえるにも全力を出す。易しいことにも油断せず、全力を挙げて努力することを言うのだが、テニスではもちろんのこと、肝心な信仰生活ではどうなっているのだろう?自分は全力をあげて神に聞き従っているのだろうか?


  テニスのような、おごり高ぶりがありませんように。それが私の一番恐れるものです。 (ケパ)

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大変なこと・・・感謝感謝。

2012年05月24日 | 感謝

 先週末から、我が家の排水が何となく流れがよろしくなかった。

そういえばその前には洗濯機の汚れが気になりドラム槽内の洗浄をした。槽の裏側にこびりついた汚れがすっきりとして臭いもなくなり、沢山出てきたヘドロにびっくりしながら、まめに洗浄しなければと、感謝したばかりだったのです。

また、ケパさんがトイレの掃除をしてくれてすっきりとしていた。と喜んでいたら、あれ風呂場の排水がよくない・・・・Cat38 あれへんへんです。トイレが原因かな???・・・そうです。拭き取るトイレクリーナーを流しちゃったって。

2日ほど留守をしたので、その間に詰まりは解消していて、きっとすっきり流れてくれるね。と思ったのですが・・・・・しかし期待外れでした。感謝して祈りながら、忍耐し少量ずつ排水するのだけれど、いつまでたっても解消しないこの問題。(残っている湯の量を確認する?Callです^^)

ああぁ神さま。このような状態です。洗濯も出来ず溜まりましたが感謝します。もう着替える下着が無くなってしまうのです。トイレも何回か水を流さないとだめです。入浴後排水も少しずつ流していますよ。本当に感謝の事態です。
でも、とにかく流さなければ解消されない。と思い感謝して少しずつ排水していたのですが、とうとう休み明けの業者に電話してきてもらいました。

 しばしトイレで、道具を使いシュパシュパと音がして、無事開通^^。さらに他の点検もしてくれて、全ての排水が出来るようになったのです。
キッチンの洗い物も丁寧にし、安心して洗濯をして、安心して風呂に湯を張り入浴できます。

たしかに、水が出なくなったら大変と思ってたけれど、今は最小の必要量の飲み水は確保出来る。それ以上に排水の問題も頭にしておかなければと思わされました。(ドルカス)

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わが闘争・・・・竹取物語

2012年05月23日 | 自然

  今日は個人的な好き嫌いの話なので、恐縮する。だから以下は少しタガが外れた、暴言気味であることをお許しいただければ幸いである。決して書かれているほどには、私は凶暴ではないつもりなのだが・・・・・・。(写真は風情のあるドルカスの住んだ家にある竹)Photo

  じつは私は竹がきらいである。その程度はヘビ並みである。そう、私はヘビと出会ってしまえば、それこそもう、コブラとマングースの対決とばかり、マムシ以外は「不倶戴天の敵」と襲いかかる。小学生の時だが、下校の帰り道の道ばたで、かなり大きめのヘビと出会った。敵もさるもの、私に殺気を感じ、サッと逃げようと石垣に潜り込む。そうはさせじとしっぽをつかみ、引きずり出す。するとヘビは頭を反転し私を噛みつこうとするので、ブルンブルンとしっぽをつかんでは振り回し、石垣に頭を打ち付けてしまうという、私は実に凶暴な子どもであった。

  同じように、きれいな(もしくはきれいにしようとしている)庭に、定められた所定の場所を越えて竹を見つけた時も、ほぼ上述の対決に近い状態になる。小さな笹のとんがりが地面を突き破って出ているのを見かけると、切らさないよう引っ張る。すると石垣のヘビのようにずるずると竹の地下茎が白日の下にさらされるのである。「なにを!許してなるモノか!」とたちまち戦闘状態に突入する。今週は、この戦いがあった。(写真は、戦場近くの竹)Photo_2

 竹と言う奴は、げに恐ろしいものという体験が私にはある。実家の近くに竹藪があって、そして隣に家があった。ある時、空き家になったその家の異変に私は目が点になったものである。竹が屋根から出ていたのである。驚いてよく見ると、その家の床下の竹が、家の畳を真ん中で突き破り、持ち上げ、とうとう天井を貫通していた。これには驚いた。そして竹のすごさを知った。
 このように竹は油断できない。ドルカスの元の家でもあった。2週間前には何もなかったのに、突然家を回る道の真ん中に、ゆうに1メートルはあろうかという若竹がきりっと伸びていた。その成長の素早いことの比は、植物界の断然トップであろう。
  さらに驚かされるのは大きな石の下、樹木の根の下をものともせず、地下数十センチの厚さで広げられていく竹の根のネットワークのすごさである。生じっか戦闘開始すると、やがて庭が水田のように深く掘り起こされ、庭の美観が壊滅もしくは、畑になってしまうこと請け合いである。実に恐ろしい、油断ならない相手である。
  これはサタンのネットワークとよく似ている。地上に見えるのはわずかだが、地下に実に恐ろしい強力なネットワークを築いている。

  大人げなく竹を目の敵にしている私は、きっとこの点に関してはドルカスは尊敬を寄せていないだろうと思う。しかし竹は嫌いなのである。いっそ地下茎のない竹であれば良いのに。(ケパ)

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帰る途中

2012年05月23日 | 生活

 今嵐山で休憩(ケパさんは仮眠)中。このところ頻繁に田舎へ行く割に私は運転を代わる事が出来ない事情があるの^^です。いえ運転が出来なくなったわけでも無いのです。(少々夜間の運転はきつくなってますが・・・)

毎回も信州はCallもいっしょですが、そのCallが運転の妨げにならないように、私はCallの世話係をしているのです。この仕事も結構疲れるのでした。

と言うことでやむなく小休止を取っています。嵐山にはあまり寄ったことはないのですが、今どこのサービスエリアもまたパーキングも、きれいになってきます。

代表的なのは寄居パーキングで、まるでテーマパークを思わされます。(ドルカス)

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金環日食

2012年05月21日 | 自然

  ドルカスが一報を入れたが、今朝の7時台の日食を見た。これは誰もが感Photoじたであろう、すばらしいものだった。そして次の三つに恵まれた。まず天気が晴れたこと。次に部分日食ではなく、金環日食だったということ。そして二人分の日食グラスを事前に手に入れられていたことである。


  信州の旧ドルカスの家に向かう道の途中、三芳SAで観たわけだが、まだ大丈夫だと思っていたのに、日食はすでに始まっていた。SAには満杯で、満を持しての撮影隊があちこちにいた(写真)。私たちが観た時にはすでに日食は写真のように始まっていた。そして少し待って、金環日食(写真
Sr)が始まった。金環はたぶん私は生まれて初めての目撃である。
  この写真は日食グラスを通してのデジカメ撮影なので(ドルカスのアドバイス)、まあ、写したという程度だが、それにしても金環には感激して私は思わず、声をあげ、神さまに感謝した。

  「太陽も月も、天地創造の神が造られたもの。そしてこれらすべては我ら人間とのために造られたもの」と私は信じている。だから「ハレルヤ」と感謝し、ソロモンの言葉を言った。

「ソロモンはイスラエルの全集団の前で、【主
S】の祭壇の前に立ち、両手を天に差し伸べて、言った。『イスラエルの神、【主】。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。』」(Ⅰ列王 8:22-23)


 これはエルサレムの神殿が完成した時、ソロモンがイスラエルの全会衆の前で宣言した祈りのことばだった。  (ケパ)

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