世界で聖書以外に一番多く読まれているのが「星の王子さま」だそうです。
このブログも「星の王子さま」が下敷きになっています。ではこのお話のどこに心惹かれるのかというと、人それぞれでしょうが、わたしは以下の、「愛すること」の発見なのです。それは作者サン・テグジュペリがそうであったように、私自身も過去の痛みを持って、共感するのです。
このストーリーは、王子さまと一本のバラの花だと言っても良いでしょう。ある日王子さまの小さな星に、一本の赤いバラが咲きました。ちょっと気どった、高慢なバラの花に、王子さまはふりまわされながらも、一生懸命世話をしました。愛していたのですが、バラからいろんな仕打ちを受けて王子さまはもう疲れてしまい、バラと別れることを決心してしまいます。
別れの朝、「さようなら」と二度もいう王子さまに、やっとバラは「あたくし、ばかでした・・・・・あなたが好きなんです。」と告白しながらも、耐えて泣きながら送り出します。
その後王子さまは、いろんな星をめぐり歩くのですが、結局は一本のバラの花とのことに終始するのでした。王子さまが最後に着いたのが地球の砂漠。そこで王子さまはたくさんのバラの花が咲く庭を見つけます。五千本ものバラが咲き乱れた庭で、それに比べ自分の愛していたのが、たった一本の平凡なバラに過ぎないことを知って王子さまは、泣いてしまいます。
ところがキツネ(右イラスト)と出会って、王子さまは「愛」とは何かに気づいていく。
キツネ:「肝心なことは、目に見えないんだよ。」「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思っているのはね、そのバラの花のために、ひまつぶしをしたからだよ。」
この言葉がわたしの心をとらえるのです。
自分の愛した女性は、どこにでも咲いている一本のバラなのかも知れない。五千本咲いているところに行けば、もっときれいなバラだってあるだろう。けれども自分にとって欠けがえのないのは、最初の、愛して育てた一本のバラなのです。
※「毎日水をかけ、寒かろうと覆いガラスをかけてやり、ついたてで風にあたらないようにしてあげた。毛虫をとり、不平も聞いてやり、自慢話も聞いてやった。花がだまっているならいるで、時には、どうしたのだろうと聞き耳をたててやった花なんだからね。ぼくのものになった花なんだから。」※はほとんど本からの引用文。
だから五千本のバラは、ただ咲いているだけであり、ぼくの一本のバラは、とても大切な、欠けがえのない花なんだ・・・・・・
最後に王子さまは、もう一度バラの居た自分の星に帰る決心をするのですが、帰り方が悲劇的です。毒蛇に噛まれ、体のないものになって・・・・・帰って行くのです。
PS:以後、わたしは一本の赤いバラとは、できるだけ時間をいっしょに過ごすよう決めています。どこに行くにも、たとえ家の中にいても、いつも一緒です。水や覆いガラス、風よけのついたてのように、とりとめのない話であろうとも聞き続け、黙っている時にも側にいます。
「ひまつぶし」をし合うこと。自分の大切な時間、それを自分のしたいことに使わずに、共にいる時間に使う。もちろん、第一に神さま、第二に・・・・・という順序は崩さずに。愛って、むずかしく考えるもんじゃないのです。 (ケパ)