最近、つい先だって長年連れ添われた妻を、天国へ送られた牧師の話を聞く機会があった。その中で印象的な事として覚えていることなのだが、娘たちが母の遺品を整理しようとすると、「制止」して次のように言った、と。
やがて天国から再び、妻が戻って来るから「そのまま」に、と。
私は聞いていて、たとえ大勢の前に立って語ってはおられても、その心の中から、悲しみの血がドクドクとあふれ出ているようで、正直、聞き続けるのが辛かった。この方の場合、病名はガンで、末期の時間があったと思われる。しかし友人のケースであるが、ある日突然、脳溢血で妻を見送った場合は、「神様、なぜですか?」と、もっと心の整理がつかず、それはかなり尾を引いてしまったように見える。
このように夫が妻に先立たれてしまう場合、よりダメージが大きいように思うのは、私の独り合点であろうか?
人ごとのように言っているが、実は私も、妻に先立たれてしまった夫の一人である。夫婦で祈って祈って、不妊症ながら与えられた娘も二人いる。上述お二人の例が普通であると思うが、私の場合は、かなり異なった経緯をたどった。端的に言えば、「すべてのことを益とされる、想像を絶する測りがたい神様の計画」である。しかし、その経緯はまだ明らかにされたことはない。
「どうもそこで何があったのか、何か大きな事がふたをされているようで、それが気になっていた」と、ケパドルの読者の方で賢明なある方が、さすがにそのことに気づいて私に質問された。数日前の、白馬の帰り道のことである。
ブログという、ある意味で世界中に公言できることと、できないことがある。この質問には、かなりの時間車中を共にできたので、問われた内容を詳細を語ることができた。そして説明している時私は、「このことを大いに証しするように」と神様から示しを受けた。分量があることなので、直接ブログにはアップできないかも知れない。が、何かの形でできあがったものをいつかご紹介できると思う。請う、ご期待を・・・・神様に。 ケパ