メトロの通り道に無料誌が数あれど、「R25」だけはいつも手にとって読む。今回このR25の「結論はまた来週」というコラムで、妻に「愛してる」と言えないことの問題性が取り上げられていた。コラムを執筆している高橋氏は結婚して10年、妻になかなか「愛している」と言えなかったことを次のように述べている。
・・・・愛していないかというと決してそうではない。早い話、恥ずかしくて口に出せなかっただけなのだが、妻に「あなたは私への愛を『恥』と思っているのか」と問いただされ、自分の恥ずかしさを優先する自己本位な人だと非難された。恥ずかしいならなおさらのこと、なりふりかまわず「愛してる」と叫んでほしい。さもなくば離婚だと脅され・・・・
「離婚だ」と迫られた高橋氏は、ある文芸作品の受賞式でのスピーチの終わりに、意を決して壇上から「愛してるよ」と奥さんに2回目のプロポーズをした。
感心したのは「自分の恥ずかしさを優先する自己本位」というくだり。「イヨォ!その通り!」と声がかかりそうだ。ふり返ってわたしは、ドルカスにまあ、ちゃんと恥ずかしくとも声を絞り出して告白しているので、「ホッ」と胸をなでおろしている。しかし結婚後一度も言ってない人がいるなら、これは確かに大問題だ。恥ずかしいとか、馴染めないなどで済んでしまうことではない。
わたしが愛の告白は大切だと思うには理由がある。今から丁度10年前に、信仰の大転換となった体験をした。それは求めていたのだが、霊的な体験を突然受けたことだった。それは「聖霊のバプテスマ」とはちょっと違った。「異言」が出たことでもない。神の言葉が聞こえたのだった。その初めの言葉が「わたしはあなたを愛している」だった。その時、ひどく悔い改めべきることがあった。こんなどうしようもない、愚かでみにくい私を、神は愛してくださっている。それはほとんど、雷に打たれたような体験だった。
妻に愛の告白は大切だと思う。しかしそれ以上に大切な愛の告白がある。私は毎日何度でも、心から神さまに告白している。「あなたを愛しています。私のいのち」と。 (ケパ)