ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

再びローカルで

2018年08月24日 | 
昨日夕刻には実家へ、小海線から「しなの鉄道」の赤い車両に

乗り継ぎ上田まで、
駅には義姉が迎えに来てくれました。

駅前に赤バスが、路線バスも市民バスも、真田カラーで可愛らしい。

と、昨夜は女3人ペチャクチャお喋りの夜

昨日は、見舞った兄の顔を見た途端、安心しました。


リハビリの時間がちょうどあり見学です。
外はバケツひっくり返した!ほどの雨にも空は明るい。きっとポイントて🌈を見る人がと思ったら、義姉さんが見てました。ハレルヤ。まだ救いはありませんが、その意味をいつか説明してわかってもらえる時がありますね。(聖書の創世記9:13から、神様との約束の、み言葉握るのでして)

既にオペ翌日からベッド横に立ち、そして歩行訓練が始まっていて、
何本もチューブなど、ぶらぶらしてるけれど、

硬くなりつつある、カカトを伸ばしたり
熱心に指導受ける兄は、積極的。

さらに今日は

もっと元気ね。
今日は少なくなったのかな。点滴も終わっていて、傷につながるドレンチューブのみで、身軽。

ベットの上で、和やかに話しました。
今日は、シャンプーまでしてもらえたね
私たちは、安心して帰ります。

この医療センターは、2014年3月に佐久総合病院から分割移転によって誕生し、

「森の中の病院」と、名付けられ地域住民の人々が自由に利用できる、ジョキングコースなどあり、緑に囲まれた医療センターでした。
そういえば、来る時
以前にはなかった駅名で、下車したのだった〜〜

ドルカス



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この田舎に五稜郭!

2018年08月23日 | 
お腹が満たされ、お天気も曇り空時々晴れで、散歩にはいい感じ。
感謝な事に、ロッカーのない駅でしたが、駅長さんの配慮有りで、荷物預かって(昔乙女2人には敵わないね)下さいました。

駅前の案内板で見つけた、龍岡城五稜郭跡までウォーキングです。

但し、一時間の制限付き。


田舎道、気持ちがいいね〜〜


龍岡城跡地に到着

今は小学校です。
ここから見てもわからないけど、パンフレットて見るとね、

函館の五稜郭より、小さいですが形は残り堀もあり、

なんといっても子供達の声が元気いっぱい。五稜郭跡の外にあるプールも歓声が上がってた。
校庭はなぜか自然な芝生(雑草)だった。

龍岡城の城主は、大給松平氏最後の藩主
松平乗獏氏、早くから洋式築城にあこがれ築城したと書かれてる。
その末梢の、大給恒(おぎゅうゆずる)氏は、1877年佐野常民氏らと現在の日本赤十字社の前身である「博愛社」を設立したと


ちょっと私には難しくって書ききれないな

この田舎町で、素敵な空間に来れてよかった。と、言いながら帰りは時間がない〜〜と、猛ダッシュ
荷物なくてよかったと、大汗かいて駅に到着した。💦💦
ホームに出て、フット線路の向こうを見たら、
えっ!天空に近い列車なの〜〜
小海線通称 「八ヶ岳高原線」
姉と二人。兄を見舞う前の珍道中で〜ございました。

ドルカス



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姉と二人旅

2018年08月23日 | 
朝ケパさんに駅まで送ってもらい、東京駅まで。
姉と2人信州へ兄を見舞いに行く。
今日は佐久平で下車。
既に昨日切符を全て用意したが、連絡ミスというか、確認ミスが生じ(大変な事態だったので、病院が本院が新設された救急医療センターだった事。まあミスがあっても仕方なかったかな)と、感謝。
小海線に乗り換え

降りるべき駅が二つ目の駅に変更になってしまったが、まあ時間もあるしね。
感謝ですよ。兄は既に一般病棟に移動したようなので、面会時間は2時から。では❣️臼田まで行こう


ローカルそのものだね〜。小海線は単線。降りるべき駅を通過して

小海線は臼田駅から、JR海抜最高地点の野辺山を通過し、さらに山梨県小淵沢迄走ります。電車ではなく、ディーゼル車だね。

早めの昼食は駅近くで。やっと見つけた(駅前にコンビニないよ〜〜)食堂で

冷やし中華 いただきます〜



ドルカス




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新幹線

2017年09月07日 | 
午前11:00 ウクライナでは早朝5:00
目覚まし代わりのモーニングコールを
新幹線の前からします。

ケパさん❣️おはようございます〜、と言ったら今朝はちゃんと目覚めてました。


私はこれから、久しぶりに新幹線に乗り、信州へ行きます。

ん!以前は☝️の色合いの長野新幹線でしたが、 シックな色合いの🚄
北陸新幹線も走る様になり、この車両も増えたのかな。本当に久しぶりの乗車。

車両内のカラーもシックです。

もっとびっくりは、自由席が3両から5両に増えてる。
隣の新幹線、岡山行き逆方向へ向かい一足先に出ました。


今大宮駅。乗車率高い!見る見るうちに満席。指定席も満席と放送されました。
始発から乗れる余裕でした。

最後尾車両、満席の一番前A席窓際。
結構好きな席です。


軽井沢通過、ガスってる。浅間山も見えない。寒そ(-.-;)y-~~~
乗客は随分降りて行く。


ドルカス


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富岡製糸工場

2017年07月25日 | 
信州へ行く途中、富岡インターで途中下車をし、3年前世界遺産に登録された、富岡製糸工場にを訪問した。ここは私の教師時代、6年生を受け持つ度に明治新政府の二大政策「富国強兵」「殖産興業」で必ず教えてきた所である。

行って、見て、聞かなけれは分からないこととは、この世界遺産のことである。私と変わらない年頃のガイドさんは私と元同業者、それがピンと分かるのだから面白い。こういう歴史遺産はガイド付きの恩恵が大きい。(工場は明治五年の完成。当時は製材技術が無く、すべて手のこでの作業で完成ささた)

ところでここが日本の近代産業の発祥の地である、と言う。確かにそれまでだって家庭内で絹糸を紡ぎ、機を織って来た。しかしそれでは太さが均一でなく、製品の質もまばらな粗悪品でしかない。故に当時の日本の主力輸出品ではあっても、価格は買いたたかれたのであった。

工業化とは均一の品質を安定して供給することである。具体的にはフランス人の技師を雇い、外国製機械を導入し、立派な建物を建て、何よりも熟練した女工を育てることであった。
話を聞いて、改めて困難さを感じたのは、繭(まゆ)玉から繭糸の先端を取り出すたけではなく、1から1、5kmあるそれを五本位束ね、切らず絶やさず撚り続けて行かなければならない。それだけでない、一つの繭玉、つまり1本の糸でも始めと終わりとでは太さが半分位異なるそうである。これらを瞬時に見分けながら同じ太さの均一な糸になるよう素早く作業するには、相当な熟練が要る。
富岡製糸工場は、まだ電気がない時代で、作業は日中だけ。寮も食堂での賄いも、教育棟や病院も全部込みの超最先端エリート工場であった。政府のもくろみ通り、ここから全国へ製糸工場が技術が飛び火して世界一の生産国へと拡大していくことになる。拡大してから、女工哀史とか野麦峠とかの時代になって行く。

来て、見て、聞いてみなければ分からない世界遺産であった。




ケパ






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あじさい屋敷

2017年06月30日 | 
火曜日、房総半島のほぼ中央からやや東にある〈あじさい屋敷〉を訪れた。あじさいは梅雨時期の花で、雨に濡れてこそ美しい花だ。ひどく日差しが強い夏の太陽の下では、焼けてうなだれてしまう。日曜日の雨が止んで曇天の二日目、この火曜日は、あじさい鑑賞には最適のお天気で、花自体も見頃であった。(はるか下に見えるのが、あじさい屋敷)

ここは元々イチゴ農園で、片手間に植え広げたあじさいが人気を呼び、拡張に拡張を重ねて今日のあじさい大パノラマ庭園となった。今ではイチゴ変じて、すべてあじさいとなったのだそうだ。
確かに駐車場から屋敷の庭に入り、目を上に上げた瞬間「おおーっ」と、唸ることになる。「ここまで植えたのか」と足下はもとより一面のあじさい、はるか遠く山の上まで広がるあじさいを見回して驚くことになる。(裏山の頂上まで、あじさい、またあじさい)

あじさいの花や葉の形、色の変化には見飽きないものがあった。そして何とか雨が止んでの二日目だったので、自己責任で山道をたどって歩くことができた。二日後に訪れた方たちは全面ストップされたようだったので、私たちは上から全体を見渡すことができ、恵みが大きかった。

ぜひ一度は訪問して見てほしい。





ケパ







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銚子電鉄パート2

2017年06月27日 | 
なかなか楽しいね〜
銚子駅を出ると、中心地から郊外へ走ります。

この無人駅は「本銚子駅」ん?ここが銚子の中心だったの?


この辺りから郊外田園風景


駅長さん滞在の駅は少ない。


単線なので上り電車を待ちます。


それにしても、ユニークな名前で
上りホームは 「かさがみくろはえ」


なぜが上下線の駅名が?ちがう
下りホームは 「かみのけくろはえ」


紫陽花が路線ギリギリ咲いてるから、枝がぶつかるのではと、ドキドキ


なんとここは、関東最東端の駅
海鹿島駅。読めなかった(๑˃̵ᴗ˂̵)
それにしても無人駅がある多く、その都度運転手と車掌が、前後ろで確認ね。


トウモロコシ畑を走り抜ける。


いまは、目立たないけどキャベツ畑も。


そして終点の「とがわ」


女性駅長が、キップ受け取ってくれました。降りたのは私と、も一人は地域の人ね。定期使用でした。

ほとんど、
乗客は一つ前の犬吠埼で降りてしまった。

ここはかつてNHK朝ドラの「澪つくし」で、撮影に使われた場所のようです。


先に到着していたケパさんは、町中を散策していたらしく


到着した私を案内しながら、「漁師の町だ。」と、待つ時間を、楽しんだみたいで良かった。(彼の田舎の街並みを思い出したようです)
外川は、港からは高台にある地域で、少し下ると以前来た時名前に惹かれて訪れた 長崎地区があった。


久しぶりのローカル線、ワクワクして懐かしく楽しい時間。田舎で幼い頃から高校生の時に利用したローカル線を思い出した。

後で駅でもらったチラシを見たら、銚子初の映画化が5月に封切りであったようだ「トモシビ 銚子電鉄6.4㌔の軌道」是非観たいな

今回は9回目の記念を2人で最終イベントした(๑˃̵ᴗ˂̵)
今年9回目の記念がある事を主に感謝します。

ドルカス


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銚子電鉄

2017年06月27日 | 
今日は30分程の、一人旅
憧れの銚子電鉄に乗る。

ケパさんが、わざわざ始発の銚子駅まで送ってくれました。
犬吠埼のホテルから10分もかからぬ(๑˃̵ᴗ˂̵)距離。
このホテルの格安プランでの利用は何度目か忘れたけれど、別行動は初めて。

でもここはJR駅じゃないの?
観光案内でお聞きしたら。改札をどんどん入って〜と

エッ。JR改札を入って良いのか!
階段を降りると。ホームに止まるJR🚊が

エッ、ホームの先に銚子電鉄駅があるの?

びっくりだけれど、この可愛い🚃に乗るよ〜

二両編成の赤い電車で、終点の外川駅まで

若い女性車掌から、片道切符、外川駅までは、¥340を購入し、
車輌一番前に座る。左前は運転席。

さあ出発〜〜
話は、パート2へ続きます

ドルカス
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犬吠埼にて

2017年06月26日 | 
今日は午後から一路、ここ銚子は犬吠埼に車を走らせた。ご存知、関東最東端の地、そしてなぜか文人歌人が愛した地である。
ここを私たちの祈り場としたのは、日本で一番日の出が早いことによる。※明日は四時二十二分。関東最東端だけでなく、地球の丸さから、犬吠埼が北海道を抜き、日本本土で一番早い日の出となる。(今日の夕方の犬吠埼灯台)

リバイバルを祈る私たちには、そんな日の出の早さが祈りにびったりなのだ。そしてこの地で読んだ若山牧水の次の歌が好きである。

まともなる海より昇る朝の日に机のちりのあらはなるかな

机のチリとは、クリスチャン的には「悔い改め」である。ダニエルがそうであったように、日本一の早い光によって祈る<(_ _)>者の罪が明らかにされ、深い悔い改めに導かれる時には、臨在が非常に強くなり、御心を受けやすくなるのだ。もちろん長崎と世界各地に示された七つの祈祷院建設とともに、当教会としては将来単独ででも、祈りに来やすいここ関東の地に祈祷院が立つことを願っている。(いつもの宿泊場所)




ケパ




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水郷(潮来・佐原)

2017年06月16日 | 
スケジュールの空白日である今日、水郷再訪を思い立った。利根川はわが国最大流量の河川であり、河口に近い地域には湖沼をはじめ大湿地帯を擁し、その千葉県側は佐原、茨城県側は潮来と呼ばれる水郷である。
神奈川の厚木で大学生活を始めた私は、最初の小旅行をこの水郷地帯に定めていた。なぜなら、広島の山地育ちの私には、広い湿地帯、何をするにも舟で行き来する生活とはいかなるものか、未知の世界であり、大いに興味をそそられたからである。(今の整ったアヤメ園・・・全然昔とイメージが違う)

車から47年ぶりに潮来駅に降り立ってみて、全くもって記憶が戻ってこなかった。あまりにも変容していたのだった。観光用に残された水路以外は、昔在ったはずの縦横に走っていた細い水路は、軒並み埋められている感じである。

アヤメ園も、全然違う場所だったような気がするし、あまりにも観光地として整備されていて、何だか全く感じが違う。まぁ、私の記憶も半世紀近く前のものなので、かなり怪しくいい加減だ。(こんな風景は、初めてだ)

潮来ではアヤメを眺め、大きくなった観光用小舟に乗って風情を楽しんだ。記憶では学生の身、舟代を惜しんで乗れなかったと思うので、これはリベンジである。舟は櫓舟でなく、潮来遊覧船組合のエンジン付き小舟に乗った。(舟の中)

ラッキーなことに、女船頭さんの時間をタップリかけての楽しいガイドに、

旅を満喫した。しかし舟は観光用に残してあるものばかりだし、かつては道代わりだった水路は消滅し、家々には舟でなくマイカーが鎮座していた。
考えてみると、いちいち舟に乗らなければならないより、車でサッと何処へでも行ける方が、便利で暮らし易いのは当たり前だ。だからこれは進歩であり、舟を懐かしむのは、雪国の人に雪は綺麗だと言っても、それは雪の大変さを知らない都会人の発想みたいなものなんだと思う。
(次は佐原風景)

利根川を渡っての佐原は、半世紀前には来れなかった所である。昔の舟運盛んな頃、江戸への流通経路の地として商業が繁栄したという。ここは伊能忠敬が九十九里の生家から婿入りし、三倍の家運隆盛をもたらして後、家督を長男に譲って江戸へ暦学修行に出るまでの地である。
ところで江戸川が利根川の支流のように繋がっていて、銚子から川船で東京まで行けることを知らない人が案外多い。江戸川は要するに運河どして、人工的に作られた川なのだということを。
時に伊能忠敬はこの時五十歳。江戸へ出てからの忠敬は学んでいる最中、五十五歳にして幕府から日本測量を命じられ、残りの全生涯十七年をかけ、蝦夷からはじめて屋久島や種子島まで、全日本の測量を成し遂げる。(忠敬が使った緯度を測る機械)今でこそ衛星写真やレーザー光による測距機があるが、当時の技術では考えられない精密さである。改めて偉人とは、こういう人であると感じた。


ケパ




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