命のカウントダウン(健康余命3605日)

トレッキング、カメラ、陶芸、スキー、釣り、カヌー、遊びなら何でも大好き。仕事も好き、時間がない!

旅客機のエンジン数について

2019-12-19 16:47:21 | 危機管理
今でも機械好きなおっさんですから、子供のころから飛行機は大好きでした。
小学校の卒業文集に、将来ジェットパイロットになりたいと書いていたくらいです。

アップダウンクイズ(ロート製薬提供)で、司会の小池清さんが「10問正解で夢のハワイにご招待!」と、言っていたころのジェット旅客機は細長い葉巻型のジェットエンジンを翼に4つぶら下げてました。

アップダウンクイズは、日本航空が協賛していたので、「夢のハワイ」には、ダグラスDC-8に乗っていったのでしょうね。そのころの多くの日本人にとっては、ハワイは「夢のハワイ」なのでありました。
これが日本航空のダグラスDC-8です。城達也さんのジェットストリームが始まったのも、このころのようです。
DC-8 貴婦人のような・・・気品を感じませんか?
このころのジェットエンジンは細くてスマートなのであります。
その頃、世界の空を席巻してたパンナムのボーイング707です。
パンナムが倒産するなんて、当時想像もつきませんでした。
DC-8に比べると一寸イカツイ感じがするのはなぜでしょうね。垂直尾翼当たりの経常かなぁ。

その頃、ジェット旅客機と言えば、エンジン4基が常識
世界初のジェット旅客機であるコメットもそうでしたし、

これまたイギリス製のVC-10というジェット旅客機も4発でした。
(これは、エンジン4基が機体後部についていますね)
1964年、東京オリンピックが開催された年に、全日空初めてのジェット旅客機ボーイング727が就航しています。この機体はエンジン3基でした。

どこから見ても斬新で美しいシルエット。私は大好きでした。

しかし、短距離離着陸性能の向上など、先進的であったためか、当初は多くの事故に見舞われました。日本では全日空機が1966年に羽田沖で墜落。原因は不明であありましたが、この事故以降、フライトレコーダーの搭載が義務付けられました。失敗からの学びですね。


その後、再びエンジン4基のジャンボジェットが一世を風靡しますよね。
この飛行機のおかげで、海外が身近なものになりました。

その後、一時エンジンが3基で大型の旅客機が多く飛ぶ時代がありました。
これはDC-10
これはロッキードL1011 トライスターです。
トライスターは、売れ行き不振で、日本に強引に売り込んだ時に「ロッキード疑獄」を引き起こしました。1ピーナッツ 100万円でしたっけ。
全日空初の海外就航 羽田ーグアム線に使用されました。


これらのエンジン3基の飛行機は、既に日本の空から引退しています。
ジャンボジェットも日本の航空会社ではすべて引退しました。
今、日本の空の主流は双発機(エンジン2基)です。
ジェットエンジンの信頼性が向上したため、規制が緩和され、以前は許可されていなかった太平洋路線などに双発機の就航が可能になりました。
経済性、騒音問題、整備性などで優位に立つ双発機。
今ではエンジン3基のジェット旅客機はほぼ引退。4基の旅客は、残されたジャンボジェットと、世界最大の旅客機エアバスA380だけですが、この2機種も2020年以降は新たに作られることはなさそうです。

これは、今年5月から羽田ーホノルル便に就航したエアバスA-380です。

これからは、双発機ばかりです。
まずは、最大の双発機B777

新鋭機のB787
LCCはエアバスA320かB737のどちらか?(大きさが手ごろなのでしょう)
これは、エアバスA320

これはB737-800

JALの新鋭機、エアバスA-350

時代と共にジェットエンジンの数は減少傾向にあり、エンジンの直径は大きくなっています。(昔のジェットエンジンは細長かった)おかげでエンジンの効率はどんどん良くなっています。

日本上空を飛ぶ旅客機は双発機が主体。
双発機にとってエンジントラブルは致命的

今回の事故が、将来の(100年後の)安全につながることを祈ってやみません。

ANA246便エンジントラブル

2019-12-19 14:43:59 | 危機管理
「本日、令和元年12月19日午前10時15分ごろ、福岡発羽田行きの全日空246便(ボーイング767型機、乗員乗客計278人)が、エンジントラブルのため福岡空港に引き返し、緊急着陸した。けが人の情報は入っていない。滑走路は午前10時49分まで閉鎖された。
  • 全日空機、福岡空港に緊急着陸 飛行中エンジントラブル


 国土交通省福岡空港事務所や全日空によると、午前9時51分に福岡空港を離陸した直後に右エンジンにトラブルが発生。右エンジンを停止させ緊急着陸した。
 同機に搭乗していた朝日新聞記者によると、離陸直後、機体に衝撃があり、機長から「右側のエンジンで火災が起きた。消火剤をまき、機長席から目視はできないが、計器によると消火できた模様」とアナウンスがあった。機内の乗客は落ち着いた様子だったという。」


https://www.youtube.com/watch?v=4kFV6Hz23Cw

離陸直後のエンジントラブル(エンジン爆発)なので、真っ先に思い浮かぶのがバードストライクです。バードストライクとは、その名の通り、鳥が衝突するという事故のことを指します。鳥がぶつかる対象は、飛行機のこともあれば自動車もあり得ますし、ビルの窓でもバードストライクは生じえます。しかし、飛行機以外の場合、大きな損害にはならないでしょう。
飛行機のバードストライクは飛行機の離陸直後や着陸動作中の高度が低いときに発生しやすく、特にジェットエンジンは巨大で、空気を吸入するためにジェットエンジンへのバードストライクは起こりやすく、かつ重大な事故につながりやすいです。



バードストライクが原因の飛行機事故は、1960年に遡ります。
アメリカのローガン国際空港を離陸した飛行機とムクドリの群れが衝突し、墜落。
乗員乗客72人のうち、生存者はたった10人しかいませんでした。
その後も、世界各地で飛行機のバードストライク事故は起き続けており。中でも2009年にニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便が、ニューヨーク市マンハッタン区付近のハドソン川に不時着水した航空事故 は、「ハドソン川の軌跡」として有名ですよね。

この事故は、双発であるエアバスA320機が離陸直後、両側のエンジンに「カナダガン」を複数匹吸い込み、両エンジンが停止してしまいまったことが原因です。
パイロットの素早い的確な判断でハドソン川に不時着水して一人の死者も出さずに済んだことで世界から称賛されました。



https://ja.wikipedia.org/wiki/US%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%BA1549%E4%BE%BF%E4%B8%8D%E6%99%82%E7%9D%80%E6%B0%B4%E4%BA%8B%E6%95%85 

ジェットエンジン以外のバードストライクもあるのですね。


ANA246便も、とにもかくにもけが人一人出ずに済んでよかったですね。
そして、早急に事故原因が解明され、その原因がなくなる事を望みます。

それにしても・・・・福岡空港は海辺の空港ではないのに・・・・
バードストライクは何処でも起こりえるのですね(まだ、そうと決まったわけではないですが・・・)


大学受験のはなし

2019-12-19 10:33:44 | 受験
今朝、娘が学校に遅刻するから送ってくれと言う。

一旦、配偶者が最寄りの駅まで送っりに行ったのだが・・・・

途中で私に電話。

「このまま電車で言ったら遅刻するから、学校まで送ってほしいらしい。私忙しいから無理だけど、行ってくれる?」

反抗期で今朝も挨拶もしなかった娘である。

私の答えは勿論

「ええよ~」

親バカなのである。大いなる オ ヤ バ カ

馬鹿親がわがまま娘の形成を手伝っているようにも思えるが・・・・

送っていきました。

ところで、娘は高校3年生 受験するそうである

受験生なのだ。受験生なのだが・・・・

この年の瀬に遅刻を恐れて学校まで送らせるというのは・・・・

出席日数が足りない恐れがあって、休めない授業がいくつもあるかららしい

かく言う私も高校の時はあきれるほど勉強せず、麻雀パチンコに励み、出席日数では苦労した覚えがある。

私が京都府立洛北高校に在学していたのは1971-1973年

そのころの京都府の高校は、学区制で一学区一校しか受験できなかった。

だから、周囲のメンバーがそのまま、幼稚園、小学校、中学校、高校と進んでいった。

「15の春は泣かせないという」当時の蜷川京都府知事の方針で、京都府には高校受験の洗礼はなかった(私立に行く子を除いて)

その代わり、18の春に多くの仲間が討ち死にした。私も勿論その一人。

高校の時は本当に自由に遊ばせていただいたので(私は勝手に週休3日制として、週に4日出席することに決めていた)、娘の出席日数が足りないと担人の先生から電話をもらった時、遺伝だろうとまず思ってしまった私です。

私は、1973、1974、1981年に受験している。73年が現役、74年が1浪、1浪で大学に入ったのだが4年間在籍したが成績不良で中途退学。その後、名古屋の専門学校に1年通ったあと、サラリーマンを経験したが就職した会社が倒産、その後いろいろな職業を経験するもどれも長続きせず、チリ紙交換業を1年経験した後、再び受験して医科大学を受験し、合格した という経歴を有している。

今日、娘を大阪の学校まで送り届けていく途中で受験に関する 今は亡き父親とのやり取りを思い出した。

あれは1974年 1浪の時だ。 模擬試験の成績では受かりそうもなかったのだが、憧れていた 北海道大学 を受験した。 

北海道に旅立とうとしたのだが、折角北海道まで行くのだからと、スキー道具を携えていくことにした。

いざ、家を出ようとしたときに、背後から 父の声
「おい、ちょっと待て。」

「〇〇(私の名前)。お前は、受かりに行くのか?滑りに行くのか?」

持っていたスキーをバタッと落として・・・・・

滑る道具は、置いていったのですが・・・・・

勿論、見事に滑ったのは言うまでもありません。