阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

栗本軒貞国 参考文献(2)

2019-02-04 20:39:38 | 栗本軒貞国

今回は狂歌は載っていないが貞国についての記述があるもの。郷土史の通史で引用のみのものは省いた。

 

「廣島縣内諸家名家墓所一覽」

 貞国について天保四年八十七歳で没、墓は天神町教念寺とある。出版年不明だが明治27年ぐらいまでの没年が確認できる。


「尚古」 広島尚古会 編 参年第四号 「名家墳墓」 倉田毎允 著

 教念寺の墓は先祖の命日のみ刻してあるといいながら、貞国の戒名、命日も記してあり、過去帳などからの引用かもしれない。 八十七歳没説はここまでの二つの文献が根拠と思われる。また、郷土史の文献に多数見られる京都狂歌の家元から号を得たという誤解を含む記述も今のところ尚古が一番古いようだ。


「大頭神社 御遷座百年記念誌」 大頭神社御遷座百年記念誌編纂委員会 編

 「大頭神社縁起書」「松原丹宮代扣書」という神社に伝わる二つの古文書について解説があり、後者の寛政二年三月十八日の条に貞国が大野村更地の筆柿の元に人丸社を勧請したとある。また、寛政元年に狂歌家の風の詞書にあるような雨乞いの鳥喰祭を行ったという記述もある。


「古文書への招待 松原丹宮代扣書」 大野町 編

 大頭神社の記念誌と同内容であるが、貞国が出てくる条に筆柿の記述がない。記念誌によると、この本を訂正補筆して記念誌に転載したとある。


「千代田町史 通史編上」 千代田町役場 編

 花田植で有名な千代田町壬生にはかつて壬生連中という狂歌連があり、貞国も一時期指導をしていたという記述がある。しかし、文化年間には衰退したとの記述もあり、貞国が関わったのは寛政年間までのようにも読める。また、千代田町域から狂歌集への入集者の一覧表があり、貞国撰では「両節唫」(天明9年)などいずれも歳旦集のような年次の刷り物と思われる狂歌集がいくつか載っている。

 



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