阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ランダムにサンフレ昔話 その25 レッドカードとオウンゴール

2014-05-22 09:22:53 | サンフレ昔話

10年前の今日、2004年5月22日は、昼間にユースのプリンスリーグで森脇のレッドカードを見て、夜はビッグアーチで相手GKのオウンゴールがあった日。オウンゴールの方は目を離していてその瞬間を見ていないので、森脇の方を中心にふりかえってみたい。

 この日のプリンスリーグ作陽戦はみよし運動公園陸上競技場で11時キックオフ。少し早めに着いて三次ワイナリーでちょっとだけ試飲して、みやげ物を見てまわったら柏餅を売っていた。今夜は柏戦なので買っていこうかとも思ったが暑い一日になりそうなのでここはやめておく。スタジアムに移ってスタンバイしていたら稲田寮長が来て、今日は今年初めて3年生が全員そろうはずだったのに、タクトがケガして佐藤昭大が急遽呼ばれたという話をされる。春先から代表やトップへの帯同などで中々3年生がそろうことはなく、プリンスリーグもここまでは1年生平繁や2年生木原の活躍が目立っていた。スタメンはその平繁が不在で木原がサブに回っているが、この年のプリンスではベストに近い布陣。

 

FW 11くわしん、10前田俊、8田中祐

MF 7柏木

MF 6一誠、12福本

DF 13大屋、3槙野、4藤井大、14森脇

GK 21栗崎

(SUB) GK16金山、DF17中山修、22植野、5田中尚、MF23保手濱、2藤澤、FW20松田、9冨成、15木原

 

 ゲームはこちらが速いパス回しで主導権を握り、前半のシュートは13対0。しかし、前線の俊介とくわしんのコンビというものが無い上に、サイドが使えない。トップの影山コーチ(現岡山監督)が観戦していたが、「どうしても中へ中へと行っちゃう」と渋い顔だった。前半40分の先制点も福本のFKのこぼれを混戦の中で藤井大輔が押し込んだもので、ややストレスのたまる前半だった。

 事件は後半5分、笛が鳴ってから1秒以上の間があっただろうか、そのあと森脇がボコッと蹴ってしまった。これが遅延行為でこの試合2枚目のイエローとなり森脇は退場。1枚目は前半16分、激しいチャージでバチッと音がした。ユース年代では森脇のフィジカルは際立っていて、それゆえのカードのように思われた1枚目はちょっと気の毒だったかもしれない。2枚目は言い訳のしようがないけどね。というわけで、この日のイエロー2枚とも、音とともに記憶に残っている。

 これによって残りの40分は非常に厳しいゲームとなり、守備の時間が長くなって足がつる選手も出たけれどなんとか守りきって1-0で勝利。引き上げてくる選手は疲労感の中にも安堵の表情。

 そんな中で、この日決勝点を決めた藤井大輔が森脇に「なんであんな事したんか」って食ってかかる。確かに、2枚目の遅延はいただけない。そしたら森脇、

「ごめん許して~って(手を合わせて)頼んだけどダメだった」

って笑ってる。藤井もそれ以上言う気が失せたのか「二度とするな!」と言い残して去っていった。今年もEスタで交代後の味方ゴールでピッチに入ったのが2枚目というのがあったけれど、森脇がこういうカードをもらうのは性格であって二度とするなと言っても無理よね。それから、出場停止になった翌週のプリンスの日、森脇はトップチームのナビスコの試合に帯同して国立に行っている。17人目のプラスでベンチ入りはならなかったが、レッドカードのごほうび(?)でトップに帯同したユース選手を他に知らない。森脇の教育に関する苦情はこちらだけではなくて熊本の監督やってる人にも言っていただきたいものだ。いや、まわりが何を言おうと森脇は森脇なのだが・・・

 

  思い切りドカンと蹴って森脇は「失敗した~」と笑い飛ばせり

 

 そのあと仲間に三次駅まで送ってもらって、バスでビッグアーチへ。大塚経由のバスだと三次駅から1時間、ってことは安佐北区の我が家よりも三次駅に住んだ方がビッグアーチに近いということになる。ビッグアーチに高速道路以外の方法で行くのは簡単ではない。

 ナイトゲームの柏戦は、FW3人が田中俊也と双子という珍しい形。しかし、プロのDF陣を崩すにはパワー不足で小野監督の理論が空回りした印象だった。相手の柏も「方向性は悪くない」という幕が出ていてチーム状態は良くないようだ。それで序盤はあまり見せ場のない低調なゲームに見えた。そして、前半17分に問題のオウンゴールが出るわけだが、私は相手GKがキャッチしたところで水を飲んでいて見ていない。スタンドがざわっとどよめいて、スタジアムDJの「ゴール」の声が聞こえたが、何があったのかわからない。ハーフタイムに流れた前半ハイライト映像でやっと確認できた。GKがパスしようとした柏の選手にマークがついたため投げるのをやめようと思ったのがすっぽぬけて入ってしまった格好だった。私が仲間に聞いた印象では、あちらのゴールでもあったし私と同様に目を切っていた人も多くて3割ぐらいの人は見ていなかったようだ。ゲームは後半2点を追加して3-0で勝ったがこちらのシュートは7本、攻撃が機能したとは言えなくてあまり喜べる内容ではなかった。このオウンゴールも私にとっては音の記憶、三つの音の記憶が残っている10年前の5月22日ということになる。

 


ランダムにサンフレ昔話 その24 カズの51日間(11) 天皇杯決勝vs名古屋

2014-05-21 08:34:11 | サンフレ昔話

このシリーズの最終回は2000年元日の天皇杯決勝、名古屋戦(13時国立)。

 

 あれこれ悩んだけれど、結局新幹線で日帰りを選択。始発の新幹線は予定通り動いてほっとする。Vポイントで買った前段B列は最前列の席、A列はロープが張ってあった。アマのチームが天皇杯に出るとピッチに出る人数とかうるさいのだけれど、ケガでベンチ外のポイチが普通にピッチでアップしている。ユースとかけもちのトレーナーの姿も見えて、決勝戦のアップは特別なのかもしれない。サンフレのスタメンは負傷欠場の沢田に代わって右サイドに伊藤哲也が入った。

FW 26高橋泰

MF 13古賀、15主税

MF 17服部、4桑原、38カズ、5伊藤哲

DF 19上村、18ポポヴィッチ、6フォックス

GK 16下田

(SUB) GK1前川、DF23川島、MF8吉田康、9山口敏、21大久保誠

 

 

 前半はお互いにシュートのない展開。上村がペナ内で倒されるシーンがあったが笛は鳴らず、あとから考えると唯一のチャンスだったかもしれない。主審の岡田さんは良く言えば研究熱心、悪く言えば先入観の入ったジャッジをする印象でウエミーはずるい部類にインプットされていたのだろう。0-0でハーフタイムとなって良く食い下がってはいたけれど、得点の可能性という点では相手に分があると言わざるを得ない。ハーフタイムにアメリカでの新年カウントダウンが映像に映って、このためにキックオフが30分早まったのだろうか。こっちは2000年問題で間に合うかびくびくしながら来たのにと腹が立った。

 後半頭から、ポポヴィッチとカズがベンチに下がる。ポポヴィッチはケガが再発したのだろうか、この交代は痛かった。カズは腰痛、50日間トップチームで練習、ゲームをこなしたことが徐々に負担になっていったのかもしれない。余談ではあるが、サンフレから後に高校生でプロ契約した洋次郎や岡本も腰痛が出た。サッカーにおける飛び級は魅力ではあるけれど、上で長期間練習することによる体への負担についても考えてみる必要があると思う。

 後半は名古屋が決定機を逃さず2点取ったのに対して、こちらは決定機といえるような場面はなかった。強いて言えば、けっこうあった服部のCKをことごとく楢崎にキャッチされたのがもったいなかった。0-2で準優勝、最後は総合力の差が出た印象だった。

 表彰式、カズはユタカのあとに続いて準優勝メダルを受け取る。桑原はすぐにメダルを外してしまった。ヤンセン時代の2度の決勝よりは食い下がったと思うが、またしても1点が遠かった・・・

 99年シーズンは、序盤戦ではルーキー高橋泰のデビューがあり、終盤には高校生のカズが8試合に出場、私にとっては面白いシーズンだった。12月下旬は2日に1回のペースでサッカーを見に行ったことになる。しかし当時は、森和幸が何者なのか、将来どんな選手になるのか全く予想できなかった。ピッチでは声が出ていないし、率先してユニを汚すタイプでもない、温室育ちのイメージもあった。ご存知のようにその後カズはサンフレの中心選手となって今や若い選手のお手本になる立場だけれど、若手がカズのマネをしようとするとうまく行かなくて、おとなしく中途半端なプレーになってしまう。そういう選手が何人かいたと思う。今考えると、カズは特異なケースで、カズのユース時代を他の選手と比べて語ること自体、間違いなのだろう。あるいは、育成はケースバイケースで選手一人一人に別々の公式があるということなのかもしれない。声が出てないとダメ、スライディングしないとダメ、気持ちが前面に出てないとダメ・・・この時代のカズや駒野は、そう決め付けてはいけないという証拠でもある。

 


ランダムにサンフレ昔話 その23 カズの51日間(10) 濃霧

2014-05-20 08:49:23 | サンフレ昔話

10回目は1999年12月28日(火)、30日(木)の吉田サッカー公園での練習について。

 

 準決勝の翌日27日はVポイントでチケットを購入。今のような競争率ではなくて行列もなく普通にメイン指定席が買えた。元日までに1日練習を見たくて28日に吉田へ。しかし、目を開けていられないほどの濃霧で非公開練習みたいなもんだった。

 チーム事情があれこれ伝わってきて、沢田は重傷、森保も元日は難しい。ポポヴィッチとフォックスも万全ではない。また、森山泰行もベンチには入らずこのままチームを離れるのではないかという噂で、あまり明るいニュースはなかった。しかしピッチではコウジと駒野がベンチ入りに向けて頑張っている。私にとってはこれが気になるところで、30日の移動前の練習も見に行くことにした。

 30日は報道陣が大勢来ていたが、やはり濃霧で自動的に秘密練習。平塚で現役を引退して来年からユースのコーチになると聞いていたゴリさんがいたから話しかけてみる。ゴリさんのサンフレでのラストゲームは96年の元日だった。そんな話をしていたら、元日にラジオの実況をするというTBSの清原アナが私にも名刺をくれる。ゴリさんと話していたから関係者に見えたのだろうか。ピッチでは、コウジや駒野がベンチ入りに向けてアピールしているはずだが、とにかく霧で見えない。当日撮った写真を2枚見てもらうが、どちらがカズなのか判別が難しい。森ファンの分析をお待ちしています。

 当時はクラブハウス2階のバルコニーにサポーターも入って見ることができた。また今食堂にしている建物はまだ完成してなくて、クラブハウス2階が食堂だった。そのバルコニーの椅子に座ってベンチ入り情報を待っていたら、問題の2人が出てきて、駒野「まだわかりません」、コウジ「入れなかったら親と(国立に)行きます」 私も年末の用事が残っていたので、これだけ聞いて宮の城のバス停へと急いだ。結果は2人とも残念ながらベンチ外。あとから聞いた話では、ポイチがユースの3人を車に乗せて安芸区の森家でコウジと駒野を降ろして駒野はそこから帰省、折り返しポイチとカズは空港へ、時間的に相当厳しい移動だったそうだ。

 いよいよ元日決勝。しかし、2000年問題が何者なのかわからない上にキックオフが例年より30分早い13時。間に合うようにたどり着けるかどうか不安を残したまま、当日を待つことになった・・・

 


ランダムにサンフレ昔話 その22 カズの51日間(9) 天皇杯準決勝vsV川崎

2014-05-19 18:59:49 | サンフレ昔話

9回目は1999年12月26日(日)15時キックオフの天皇杯準決勝、ヴェルディ川崎戦について。

 

 仙台での準々決勝から中2日、準決勝は長居でヴェルディとの対戦。中に入ったらJユースカップを決勝をやっていて、コウジたちが敗れたF・マリノスユースが戦っていたが、2-0のスコアで神戸が優勝という結果だった。ただ、次にサンフレのゲームが控えていると思うといまひとつ集中して見られなかった。3年後には立場が替わってユースの応援に来る事になったのだが、その時は天皇杯準決勝のためスタンバイしていたジェフサポがタイコを貸してくれた。前座でJユース決勝をやっていた頃の思い出だ。話を戻す。

 サンフレのスタメンは仙台戦と全く同じ。石塚に先制点を取られてリーグ戦だとずるずる後退するところがなぜかこの天皇杯ではあっさり前半のうちに逆転、2-1でハーフタイムとなる。しかし、沢田とフォックスが負傷交代で喜べる感じではなかった。

 ところが後半は川島のゴールを皮切りにゴールラッシュ。もちろん、トーナメントだから負けている相手がリスクを負って攻めてきたということもあるが、それにしても後半5点で7-2の勝利は驚きだった。主税がハット、ユタカが2点、あとは川島と大久保の得点だった。ゴール裏はお祭り騒ぎで子供たちやにわかファンも集まってきて後半はすごくにぎやかだった。トムソン監督時代のサンフレはとにかく地味な印象で、セミファイナルで7点は本当に何が起きたのかと思った。「国立に行こう」と何度も歌っていたけれど、私は大阪18時が18きっぷのリミットなのでお先に失礼した・・・

(翌日の中国新聞、右端がカズ)

 負傷者が2人出たこともあってカズはフル出場。終盤はきつそうだったが3人目の交代は主税だった。これでいよいよ元日国立のピッチに、高校生のカズが立つ事になった。また、沢田の負傷によって、コウジや駒野にもベンチ入りの可能性が出て、残りの練習でチャレンジする事になる。世間は2000年問題が大詰めで、元日の交通機関が平常通り動くかどうか様々な情報が飛び交っていた。飛行機が落ちるという不穏な噂もあった。まさか自分たちに関係のある話だとは思っていなかったのだけれど、サンフレサポは東京入りの方法について頭を悩ませることになった・・・

(1面にも決勝進出の記事が載った)


ランダムにサンフレ昔話 その21 カズの51日間(8) 天皇杯準々決勝vs清水

2014-05-15 19:13:55 | サンフレ昔話

1999年12月23日、仙台スタジアムでの天皇杯準々決勝、清水戦について。

 

 12月23日という日は、天皇杯、Jユースカップ、高円宮杯U-15と色々な思い出がある日だ。前年98年のこの日は、トップは仙台で鹿島と、ユースは磐田で市原と対戦だった。私は経済的理由から、どちらか勝つだろうと家にいたら、トップは本山のVゴールで敗れ、ユースも負け。相手の市原ユースに佐藤兄弟や阿部勇樹がいるのを知らなかったわけで、相手が強いとわかっていたらユースに行っていたと思う・・・。ということもあって、この年の12月23日は迷わず仙台遠征、ただし相変わらず遠征費が苦しかったので18きっぷで大垣夜行を使った。仙台13時キックオフはほとんど余分な時間はなくて、行き帰りとも必然的に同類の貧乏サポA君と一緒になった。好物の牛タンも駅弁買ってスタジアムで食べた。観光はもちろんなしで、当時の仙台の胸スポだった某商品の広告を地下鉄の駅で見つけて記念撮影しただけだった。

 仙台スタジアムのピッチにはところどころ雪が残っていて、その残り方が不自然な感じなのでおそらく昨日あたり雪かきしたのだろう。ピッチチェックに出てきたユタカが寒いと言うのが聞こえてくるところが、さすが専スタの距離感だ。ユタカの後ろをカズが歩いていて、今はユタカに面倒見てもらってるようだ。これなら、前日の夕食で困ることもないだろう。

 ゴール裏にいた子供たちが、久保はどこかと聞くからケガで来てないと答えたら、アレックス(後の三都主)見に行くと去って行ってしまった。仙台の子供たちが知ってるサンフレ選手は久保ぐらいだったのかもしれない。

 サンフレはシーズン終盤からの3-6-1、久保がいなくて苦肉の策であったが、天皇杯はこれで勝ち進むことになる。メンバーを書いておこう。

 

FW 26高橋泰

MF 13古賀、15主税

MF 17服部、4桑原、38カズ、3沢田

DF 19上村、18ポポヴィッチ、6フォックス

GK 16下田

(SUB) GK1前川、DF23川島、MF21大久保誠、9山口敏、FW11森山泰

 

 ゲームは中盤での桑原のハードワークとリベロに復帰したポポヴィッチの安定感で清水を完封、ユタカが右から決めた先制点と上村の追加点で2-0の勝利だった。カズは63分に川島と交代、守りに入る交代だった。当時のノートによると、決定的な仕事はなかったようだ。トムソン時代の清水戦といえば防戦一方でジリ貧になるゲームが多かったから、ホームでもあまり見たことがない快勝に驚いた記憶がある。私はトップチームを遠くで見るとあまり勝率がよくないので、この勝利は輝かしい思い出だ・・・。とにかく、これで2000年元日決勝まであと1勝、ミレニアムVという言葉も囁かれるようになり、そのピッチでカズを見たいという気持ちが強くなっていった。

(挨拶する藤本主税の背中に桑原が雪を入れている・・・)

 


ランダムにサンフレ昔話 その20 カズの51日間(7) Jユースカップ

2014-05-09 19:23:21 | サンフレ昔話

 天皇杯の初戦から一週間後、1999年12月19日(日)はトップチームは天皇杯4回戦で福岡と対戦。岐阜で行われて500人余りしか入らなかったゲームだ。一方ユースはJユースカップ決勝トーナメント1回戦、横浜Fマリノスユース戦(ビッグアーチ)だった。18日の前日練習(広域補助)でカズが遠征メンバーに入っていることを確認したが、当初の予定通りユースを見ることにした。

 トップの天皇杯は13時、ユースは15時キックオフということで、広報氏がメンバー表を配っているタイミングで2-1勝利の報が入って来た。この時は、主税の2ゴールということしかわからなかった。

 そのメンバー表を見ると、この年のキャプテンは今年からJ主審になった権田。カズの代役は1年生宮本卓也、この2人がダブルボランチを組む。コウジはトップ下で駒野は左サイドだった。双子駒野の学年、3年生にはFWとGKがいなくて、全体では2年生3人、1年生2人が入ったスタメンだった。

 一方Fマリノスはこの頃は3年生は夏のクラブユース選手権までしか公式戦に出場せず、2年生以下が出場。しかし、フリューゲルスとの合併に伴ってユースも合併したこともあって見ての通りかなり強力なメンバーだ。もっとも、当時は他チームについては無知だったから、強力メンバーいうのは後からわかったことだけれども。

 小雪が舞って寒風が吹きぬける中始まったゲームは、サンフレが押し気味ながらゴールを奪えずカウンターから失点。ハーフタイムにH記者がトップの主税の決勝点はカズのアシストだったと教えてくれたのでメインの父兄に伝える。カズはプロになって初めてのフル出場だった。

 後半は何本もシュートを打ったけれど、コウジのシュートは枠を捉えず、駒野のミドルはバーを叩き、そのあとFKから追加点を取られて0-2で敗れた。Jユースカップ21回の歴史の中で、サンフレユースがホームで決勝T敗退はこの時だけということになる。マリノスはこの後も勝ち進み2年生メンバーで準優勝の好成績を残した。この年の決勝は長居で天皇杯準決勝の前座であったから、このチームをもう一度見ることになる。それからこの日はとにかく寒くてH記者が岐阜にいる同僚に「こっちは雪ふってんだ」って電話でぶつぶつ言っていて、ビッグアーチで12月に試合を見るのはつらいということを知った。このあと天皇杯を見るため仙台、長居、国立と追いかけたけれど、この日のビッグアーチが一番寒かった。

 後年のゴリさんの時の様子とはこの頃は違っていて、3年生ラストゲームのあとも普段の日帰りゲームのように淡々とバスに荷物を運んでいく選手たち。その中で、3年生の辻秀憲君が明るく挨拶してくれた。辻君はユースに入ったあとに心臓の病気が見つかってプレーを見たことはなく、いつもビデオ係。長い時間話したことはなかったが、ローカルのスポーツ番組で取り上げられた時に、プレーはできないけれど将来はサッカーに関わる仕事をしたいと話しているのを見て、その日が来るのを楽しみにしていた。ところが2年あまり後の4月下旬のユースの試合の時にある父兄から昨日お葬式だったと告げられて、そのゲームは声が出なかった。そのあとカズに聞いたら、ユース時代から何度か倒れることもあって病状は良くなかったとカズも悔しそうに話していた。いつも背筋をピンと伸ばしてビデオを撮っていたから、そんなに深刻な病気だとは思っていなかった。今回カズのことを書くにあたって、同級生の辻君のこともどこかに書いておきたいと思った。私にとっては辻君がビデオを撮影していた姿も、この日笑顔で挨拶してくれたことも、どちらもまぶしい思い出だ。

 

 


ランダムにサンフレ昔話 その19 カズの51日間(6) 天皇杯vs本田技研

2014-05-02 09:23:54 | サンフレ昔話

6回目は1999年12月12日(日)、天皇杯3回戦本田技研戦(広島スタジアム)。

 

 この年の天皇杯、サンフレは3回戦からの登場、相手はJFLの本田技研だった。11日の前日練習にはユースからカズの他に駒野も参加した。コウジはケガ明けで不参加だった。しかし、駒野はサテ組の練習で、翌日のベンチ入りはカズだけだった。

 翌12日の広島スタジアムは、まず10時半から選手権壮行試合、山陽高校vsサンフレユースのゲームがあり、駒野はこちらに出場した。しかし、双子がいない上に駒野もあまりモチベーションが高くなくて1-1の引分け、ユースも一週間後のJユースカップの決勝トーナメントに向けてのゲームだったはずだが、不安の残る内容だった。

 13時からの本田技研戦のスタメンはフォックスがリベロに入ってボランチは桑原と大久保誠、カズはサブだった。本田技研の方は、富山の安間監督の名前が見える。ウィキにはこの99年はJFLのMVP受賞とある。

 ゲームはフォックスが主役。ハットトリックしたもののミスで2失点、3-2の全5得点に絡んだということになる。しかし、2-2の場面でのFKは左中間からほとんど曲げずにファーのサイドネット、これは見事だった。

 カズはこの日も森山泰行との交代で68分から出場、ゲームはバタバタした展開で途中で入っていくのは難しく見せ場は少なかった。しかし、トーナメントの厳しい場面での出場はこれまでとは違った緊張感があり、相手も強かったし良い経験だったろう。終了後の安堵の表情が記憶に残っている。

(中央カズ、左端は高橋泰)

 内容的には厳しいゲームだったけれど、とにかく勝って翌週の4回戦は岐阜で福岡との対戦が予定されていた。一方ユースも同じ日にJユースカップの決勝トーナメント1回戦がビッグアーチである。カズがどちらに出るかはまだわからない。少し悩んだけれど、この先の遠征費なども考えてビックアーチのユースを見ることにした・・・

 


ランダムにサンフレ昔話 その18 カズの51日間(5) リーグ終盤

2014-05-01 09:28:03 | サンフレ昔話

 次は決勝まで勝ち上がった天皇杯について書きたいと思うが、その前にJ1リーグの残り2試合を簡単に。

 

 20日のデビューのあとリーグ戦は残り2試合、次は中2日で23日の名古屋戦(15時ビッグアーチ)だった。22日の前日練習後にカズにデビュー戦の印象を聞いたら、「緊張したけど、わりとやれた」と話していた。23日は雨、後のゴリさんの時代と違ってこの頃のユースはいかにも温室育ちという印象だったから、雨や風は苦手だと思っていた。それに、高校生Jリーガーのカズをビッグアーチで見てもらう唯一のチャンスだったから、この雨は残念だった。この日のメンバーはポイチが出場停止から復帰してもう一人のボランチをマコとカズで45分ずつ、沢田が出場停止で右サイドには伊藤哲也が入った。

FW 11森山泰、26高橋泰

MF 15主税

MF 17服部、21大久保誠、7森保、5伊藤

DF 19上村、4桑原、2川島

GK 16下田

(SUB) GK1前川、DF6フォックス、MF13古賀、38カズ、9山口敏

交代

45分 大久保→カズ

65分 ユタカ→フォックス

 ユースでのカズは雨とか土のグランドとか、悪条件でもユニを汚さずにプレーってことはスライディングとかはあまりやらない印象だったけど、上で出たらそんなことは言ってられない、この日は守備で奮闘していたように見えた。ゲームは0-1で敗れた。

 リーグ最終節は27日の浦和戦(駒場)、レッズの残留がかかったゲームだった。26日の前日練習(ビッグアーチ)では、選手にかける言葉は頑張れではなくて無事に帰って来て、だった。カズは「頑張るだけです」と一言、ポイチもインタビューで「明日のゲームだけで残留降格が決まるわけではない、一年間の結果だ」こちらもベストを尽くすしかない。

 カズを連れてきたユースの稲田寮長から明日は応援ツアーに参加すると聞いた。どういうツアーか知らないが、翌日の駒場でしゃもじを叩いてサンフレを応援する集団が目撃されているから、おそらくその中にいらっしゃったのだろう。当日現地にいた関東サポNさんの話によると、ゲーム後警備員から「頼むから今日だけは穏便に帰ってくれ」と泣いて頼まれたそうだ。そういう異様な雰囲気の中でのゲームは、スコアレスで後半終了の瞬間にレッズの降格が決まった。カズはそのあと95分に森山泰行に代わって出場、私はテレビで見ていたのだけれど、降格が決まったレッズの選手やサポーターばかり映し出されてカズのプレーはほとんど映らず、実況もカズの出場を言わなかった。ゲームは実質90分で終わっていたが、結果はVゴール負けだった。

 12月に入って、世間の話題は2000年問題。元日に飛行機が落ちるとか噂されていたけど、リーグ終盤の得点力の無さを考えるとサンフレは無関係と思っていた。カズのポジション争いということでは、リーグ最終戦後、ポイチがケガで天皇杯を欠場することになる。その一方でポポヴィッチが復帰して桑原が本来のボランチに戻り、マコとカズでもう一つのボランチのポジションを争うという構図は変わらなかった。もっとも天皇杯は負けたら終わり、このあとカズのスタメンが4試合も見られるとは、この時点では全く考えもしなかった・・・

 


ランダムにサンフレ昔話 その17 カズの51日間(4) Jデビュー

2014-04-30 08:35:26 | サンフレ昔話

4回目はカズのデビュー戦、1999年11月20日(土)のガンバ戦(万博14時)について。

 

FW 11森山泰、26高橋泰

MF 15主税

MF 17服部、21大久保誠、38カズ、3沢田

DF 19上村、4桑原、23川島

GK 16下田

(SUB) GK1前川、DF6フォックス、MF9山口敏、13古賀、37コウジ

交代

70分 ユタカ→山口敏

73分 カズ→フォックス

82分 大久保→古賀

 

 オフィシャルツアーは7時45分観音の事務所前集合。そこまでは中島の香龍のところでH君に拾ってもらった。バスツアーは仲間内でワイワイ言っていれば時間を感じないし、しかも万博は関係者駐車場に着くので楽だ。別にメインのチケットを買っているH君と別れてゴール裏に入るとすでにメンバー表を持ってる人がいて、確かにカズがスタメン、コウジもベンチに入ってる。昨日の17人からベンちゃんが外れたようだ。番号も広報氏が言ってた通りでひと安心。M君(この人もカズと呼ばれてる)来て、なんでユニの胸にKAZUなのかと聞かれる。この時間になってもカズの知名度は低い。

 ピッチ練習。カズは素人目に見ても動きが硬い。走り方がぎこちないしバランスも、本当にコケそうに見える。コウジも無表情、緊張しているのだろうか。カズはシュート練習ぐらいからやっと落ち着いてきて、引き上げる時にはいつものようにひょこひょこ歩く。コウジは残って最後までシュート打ってたけどあまり入らなかった・・・

 そして選手入場、カズは一人だけ入場行進みたいに(いや入場行進なんだけど)手が振れてる。気合は入ってるようだ。立ち上がり、やっぱり硬い、ぎくしゃくしてる。今日はGK下田だから前川に怒鳴ってもらえないけど大丈夫か。でも12日と違って落ち着くのは早くてマコにスペース埋めろと指示してる。相手CKの時も12日よりはゴールに近いところでゾーンを受け持ってる。稲本が入ってきてドキリとしたが何とかクリア、今日はカズじゃないところに行ってくれ・・・。ゲームは沢田のゴールで1点リードして前半を終えた。

(この写真はサポーターO氏撮影)

 後半も一進一退、あまり見せ場もなく時間がたっていく。カズは守備では頑張っていたけれど、攻撃面でコンスタントに起点となる働きとなると、あと数試合待たなければならなかった。2人目の交代でカズが下がって、3人目の交代は古賀、コウジのデビューはなくなった。ゲームは後半追いつかれて延長も両者無得点で1-1の引分け。ゲーム後ガンバのゴール裏からブーイングが聞こえたから、あまり面白いゲームとは言えなかったのだろう。私もカズの動きを追うので精一杯でゲームの流れとかは全くつかめていなかった。帰りのバスに乗ったらどっと疲れが出た。カズの評価とか、次も出られるかとか、まったく見当がつかない。とにかくカズのデビュー戦をこの目で見た、チケット大事にとっとこう、感想はそれだけだった・・・

 


ランダムにサンフレ昔話 その16 カズの51日間(3) 前日練習

2014-04-28 20:20:07 | サンフレ昔話

3回目は、1999年11月19日(金)、ビッグアーチでの前日練習について。

 

 いよいよ前日練習、カズは明日スタメンなのか、無事に大阪に出発できるのか、今日でわかるはずだ。急いでビッグアーチ正面の階段登ってR1ゲートへ。しかし、そこに立ちはだかったのはS子さん。「おはよう!」いやでも今それどころじゃないんだよ。S子さんは全くカズのことを知らないから事情を説明しながらメインの階段降りてピッチに目をやると、カズは確かにいて、新聞記者と話してる。こっち見たから手を振ったら左手を上げてこたえてくれた。これは嬉しかった。

 S子さんに明日はカズのデビューを見に万博に行くんだと話しているうちに、選手たちはアウェイゴール側に移動して練習が始まった。メインは日陰で寒いから、我々も移動。最前列の通路を歩きながらさっきのシーンを頭の中でリプレイしてみて、とんでもない事に気づいた。手を上げてくれたのはコウジだ・・・だいたいカズは大げさな身振りはしない。そういうパフォーマンスができるのはコウジ、と思ってよく見たら2人ともいた。今年に入ってからは間違ったこと無かったのに、カズのことばっかり考えていたから・・・とにかく、今日来ているってことはベンチ入りの可能性があるってことで、これはますます明日が楽しみになってきた。

 日なたのアウェイゴール裏に座って練習を見た。ピッチが遠くて、二人の区別がつきにくい。エディ(トムソン監督)も2人の識別に手を焼いたみたいで違うソックスをはくように言われたという話を思い出してソックスを見たけど今日のソックスは似たようなもので判断材料にはならない。左で蹴る確率が高い方がコウジとわかっても入れ替わったらまたわからなくなってしまう・・・

 サテの選手がトップの前日練習にくると、狭いエリアでのボール回しに苦戦するケースが多かった。密集の中で速いボールがまわるから正確な技術が要求される。でも、2人は普通にやってて、これにはちょっとびっくりした。私は双子が1年の時からユースを見ているけど、トップチームの中に入ってどうなのかということについては、全く予備知識がなかった。この時初めて2人の技術がプロで十分通用するものだとわかった。駒野についても、ユースを見始めた時に駒野がいたからそれが標準だと思っていた。駒野がユースを卒業したとあと同レベルの選手が全く現れないことで、そのすごさがやっとわかった。

 軽めの練習が終わって選手が引き上げてくる。カズとコウジはボールを回収して片付けた後、氷が入っていたクーラーの上に腰掛けてる。どうやら引き上げるタイミングがわからないようだ。

こちらの練習は終わったけれど、補助競技場ではサテライトメンバーがまだ練習していて、スタッフも動き回ってる。しばらくして、やっと引き上げろと声がかかって歩いてくる。最初はこういうところが難しいようだ。あとで聞いた話によると、この日の夜、大阪のホテルで好きなもの食べていいと言われたけど、勝手がわからずしばらく2人で途方にくれたそうだ。

カズは記者と話しながらで少し遅れて、最初にコウジが引き上げて来て、

続いてカズ。

 マラソンゲートでの出待ち中に聞いた話だと、カズはスタメン確実。一方コウジは17人遠征のためベンチから漏れる可能性があるとのこと。少し待ったけど、吉田高校の制服のブレザー姿で出てきた2人にフラッグにサインを入れてもらう。カズはそのまま森和と読めるサイン。翌2000年はの字が抜けて森和と読めるサインになり、01年からはKAZUと入ったポイチ風のサインに変わっていく。一方コウジはあまり上手ではないが読めないサインを書いていた。右手で書いているので聞いてみたら「マジックは右手」だと言う。「あした楽しみじゃね」と言ったら2人とも笑顔、本当に楽しみだ。

 帰る前に、広報氏に背番号の確認。番号なしレプリカがあるから番号貼り付けて応援したい。12日のチャレンジャーズリーグでは、36駒野、37コウジ、38カズだったけど、今回駒野がいないから変わるかもしれないと思った。そしたら、すでに天皇杯でも3人を登録していて12日と同じ番号だから、Jでもそのまま変わらないという話。3人はユースで天皇杯予選に出ているのに二重登録にならないのか聞いたら、全広島サッカー大会は天皇杯予選を兼ねているけど天皇杯ではないから大丈夫とのことだった。帰りにハンズで番号とKAZUのローマ字のシール買って前年購入のレプリカに貼り付ける。

(98年までのレプリカユニにはスポンサーは入っていなかった)

 これで準備完了。サンフレ史上初の高校生Jリーガー誕生の瞬間を待つばかりとなった。