阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

うどん入りを皿で

2022-08-31 15:13:49 | 郷土史
 昔からお好み焼きとはあまり言わなくて、お好みと言うことが多い、今回はそのお好みの話。

もう五十年以上前になるけれど、今の家(当時は安佐郡)で過ごした幼少期、祖父が広島駅で買ってきてくれるお好みは楽しみなものの一つだった。二つ折りにしてあって、包んだ新聞紙にタレが染み出ているのが常であった。タコヤキは移動販売が時々来ていたけれど、近所にお好みのお店は無く、祖父が帰ってきてソースの匂いがするとうれしかったものだ。店の名前は知らなかったが、これはもう舌が覚えている味、おそらく麗ちゃんだと思う。今公式サイトを見たら、私が生まれる数年前の創業と出ていた。

その後、広島市内に引っ越すと、近所のお店には皿を持って買いに行った。やはり二つ折りにして鉄板の上で切れ目を入れてから皿に乗った。もちろん店にはエアコンもなく、夏はかき氷の旗が出て、今度はかき氷を買いに行った。広島のお好みの起源は一銭洋食、テイクアウトが基本であった。そして住宅地のお店には皿を持って買いに行くのが一般的だった。店にはイカ天焼いて昼間からビール飲んでるオヤジはいたけれど、あまりお店で食べた記憶はない。広島で人口当たりのお好み焼きの店が多いのは、住宅地のお店の存在が大きいと思う。

焼き方も、昔は生地の上に魚粉を敷いたら、まず炒めた麺を載せるのが普通だった。今はソバをあとからパリッと焼くのが主流であるが、昔の焼き方も卵とキャベツがからみやすい利点があった。ホットプレートで自分で焼くときは、いつもオールドスタイルである。

鉄板でヘラを使って食べる人が増えたのはカープが初優勝した昭和五十年前後からではないかと思うのだけど、これ以前には食べるときに使う小さいヘラは広島では徳川という関西風のお店以外ではあまり見かけなくて、需要がないから作ってもいなくて、住宅地のお店では小さいヘラを手に入れるのに苦労したとも聞いた。ヘラを使って食べるスタイルは、やはり関西の影響だろうか。某総本店に伝わる屋台の隅で食べさせたのが鉄板で食べる起源という話も、まさかお好みをひっくり返す大きなヘラではないだろう。おそらくは箸で食べていたのではないかと思う。

時代の流れで、近年はパリッと焼いたソバ入りを鉄板の上でヘラで食べるのが普通なのかもしれない。お好みだから好きなように焼けばよい。それで結構だと思う。私はというと昔のままに、うどん入りを皿に入れてもらっている。ところが、ソバ入り、鉄板、ヘラを三種の神器のように考えている人たちがいて、うどん入りを皿で食っていたらケチをつけられることがあるのだ。

流川にFちゃんという店があって、この店のソバは生麵をゆでている。そこでうどん入りを食っていたら、この店の生麺を食わずしてうどん入りとは愚かな事よと常連さん?から言われたことがある。私に言わせれば、うどん入りは魚粉との相性が重要であって、Fちゃんの魚粉は香りが良くて美味であったから通っていたのだが、それからFちゃんには行っていない。そして、他所から来た人にうどん入りを食わせたら、うどん入りもうまいじゃないかと言われるから、うどん入りは邪道と観光ガイドブックに書いてあるのかもしれない。ハラペーニョ入りで知られる横川のロベズの店長は「うどんは甘い」と言う。外国出身者の味覚からするとそうなのだろう。広島人の味付けといえば、酒でも寿司でもオタフクソースでも鮮烈な味とはいえなくて、ぼんやり甘ったるいのがその特徴だ。その甘さゆえに、うどん入りは今でも一定の需要がある。メニューにあるものを頼んで他の客からぶつぶつ言われるのは困ったものだ。まあ、広島ではちょっと歩けばお好み屋に当たる。昔と違って我が家のまわりにも徒歩圏内に数店あり、配達もしてくれる。変な常連がいる有名店に行かなくても困ることはない。

文化史という観点からいえば、上記のようにテイクアウト又はお皿で食べるのが伝統的であってヘラは関西のパクリと反論することはできる。しかし、何度も言うがお好みだから好きなように焼いて食えばよいと思う。お皿でテイクアウトする文化があったことは知っていただいて、人の食い方にケチをつけるのはやめていただきたいものだ。









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