阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

「写経」 薬師瑠璃光如来本願功徳経

2020-02-28 21:41:11 | 日記
 心の平安を保つのが難しい世の中、そして今は外で気晴らしというのも中々難しい。ここは心を落ち着けて写経、といっても私は不器用で字も汚くて般若心経のお手本をなぞる写経セットは散々の出来だった。仕方ないからここに「写す」ことにしよう。まずは、こないだ引用が中途半端だった薬師瑠璃光如来本願功徳経の歯磨きうがい手洗いの部分、今度は菩提に至るところまで「写経」してみたい。なお、書き下し文は平明を心がけたため、テキストの訓点に忠実でないところもあります。


復次曼殊室利。      また次に曼殊室利(マンジュシュリー =文殊菩薩)よ
若有浄信男子女人。    もし浄信の男子女人ありて
得聞薬師瑠璃光如来。   薬師瑠璃光如来
応正等覚。        応正等覚 
所有名号。        所有の名号を聞くことを得ば
聞已誦持。        聞きおわりて誦持し
晨嚼歯木。        あしたに歯木をかみ
澡漱清浄。        澡漱清浄にして
以諸香花。焼香。塗香。   もろもろの香花、焼香、塗香をもって
作衆伎楽。        もろもろの伎楽を作し
供養形像。        形像を供養し
於此経典。        この経典において
若自書。         もしくはみずから書し
若教人書。        もしくは人をして書せしめ
一心受持。        一心に受持して
聴聞其義。        その義を聴聞し
於彼法師。        かの法師において
応修供養。        まさに供養を修し
一切所有。資身之具。    一切の所有の資身の具
悉皆施与。        ことごとくみな施与して
勿令乏少。        乏少ならしむることなかれ
如是便蒙。諸仏護念。    かくのごとくしてすなわち諸仏の護念を蒙り
所求願満。        所求の願を満たして
乃至菩提。        すなわち菩提に至らん


 南無薬師瑠璃光如来 奉願疫病退散 おんころころせんだりまとうぎそわか
           

移動制限

2020-02-27 15:37:51 | 日記
昨日、これから2週間の大規模イベントの自粛要請が出されて、また、時差出勤、在宅勤務等も始まった。これは前に私が書いた要望に近いものだ。都心で感染者が相次いで見つかり、はっきり言って遅かったと思うしあと一歩不十分なところもあり、北海道と首都圏は2週間でけりがつくかどうか不安もある。しかし、前回と同じように、できるだけこれからの事を書いてみたい。

 不十分と思うのはまず、休校が入っていないことだ。北海道は検査の陽性率も高くアウトブレイクの可能性も指摘されていて、休校は当然だろう。しかし首都圏も、検査が進んでいないのか情報公開されていないのか実況はよくわからないのだけど、2週間で大丈夫かどうか懸念は残る。首都圏の不安を取り除かなければ、この先日本の経済は立ち行かないだろう。首都圏については、この2週間の間に、大げさでもいいから対策を打つべきだと思う。また、2日前の山陽新聞の記事で、岡山で千人近い児童、生徒が集団風邪というニュースの見出しが、インフルか、となっている。今は熱が出たら自宅でおとなしくしていることになっていて、それでインフルとは断定していないが、これは多分インフルだろう。しかし、熱が出ても子供が医者にかかれない状況というのは、全国一律に休校にしても良いのではないかと思う。(追記、本日18時半ごろ、全国の小中高校に休校の要請というニュースが流れた。これで私がやってほしいと思ったことは大体入った。私は安倍総理には一日も早く交代してほしいと思っているが、今回に限って一連の決定を支持したい。しかしながら、同級生やその奥さんには投票できない。比例は次も杉田議員いたら無理、アンケートきたら支持するを押します)

 もうひとつ、タイトルの移動制限について。イベントの自粛や在宅勤務などは、単に人混みを避けるということではなくて、本当にやりたいのはこの移動制限である。たとえばサッカーの試合であれば、アウェイのサポーターは各種交通機関を利用して移動して、スタンドで声を出して応援したあと、また移動して戻っていく。私が住む広島であれば、今年はまず16日にアウェイの横浜でルヴァンカップの試合があり、次はホームの広島で23日鹿島サポーターを迎えてJ1リーグの開幕戦、そしてルヴァンカップの第2節の前日、札幌のサポーターが広島に移動し始めた頃に延期が発表になった。広島ではまだ感染者の情報はないけれど、横浜、札幌とサポーターが移動しているのは確かにリスクが無いとはいえない。このあたりがJリーグに真っ先に自粛要請が行った理由だろうか(延期のタイミングから考えて私は政府から要請があったと考えている)。今は感染者がいないとされている東北や中国地方であっても、全国的なイベントであれば他地区から移動して人が集まって来ることに注意が必要である。話を戻して、この2週間できるだけ人が動かないようにする、ウイルスを運ばないようにする移動制限をやりたいのだけど、もちろん憲法の制約もあって強制はできない。それでお願いということになった。しかし、私に言わせれば、もう少し強いメッセージが欲しかったと思う。経済的には、イベントの自粛によって影響を受けている業者はたくさんいらっしゃる。また、在宅勤務を数千人規模で行った企業周辺の飲食店も大変と聞いた。それでも、感染のピークを抑えるために移動制限は必要ではないかと思う。そして、どうせやるのであれば、できるだけ徹底したい。そして2週間で終わりにしたい。経済活動を一部制限しているのだから、だらだら続ける訳にはいかない。延長しても1週間程度だろう。その間、できるだけ人が動かないようにすることが重要であると、総理から呼び掛けて欲しかった。昨日の言い方では人混みを避ければ良いぐらいのメッセージ性しかなく、昭和天皇御病気の折の自粛と同じと受け取る人もいた。私はそれは違うと思う。この2週間をいかに過ごすかという方向性は支持したい。ただ、少し物足りない印象を受けた。

 最後に検査について。この2週間の間に、特に首都圏について、現状をしっかり掴んでほしいと思う。そのためには検査も今のままではまずいだろうと昨日ツイートしたら、友人からそうではないとリプライが来た。最近は何も言ってこないのにどうしてこの問題だけ言ってくるのか不審であった。優秀な友人から説明を受けても、自分で調べてみないと気が済まない性格である。前に阪大の先生の見解で、軽症者の検査は必要ないというのは読んでいた。そして、今回調べてみて、確かに何でも検査検査と言っているU氏等の発言は一歩引いて見る必要があるということは理解した。現状では病床数などから陽性と判定されても指定病院で治療を受けられるのは重症者に限られる。そして検査の優先順位がある、これも当然だろう。希望者全員検査と言う訳にはいかないのは理解した。しかしそれ以上に、検査しないという力が確かに働いているように感じるのはどうした訳だろう。友人も、検査しないのが正しい、と言う。ひとつ考えられるのは、武漢では病院に人が殺到したため感染が広がったというのが通説になっていて、これを避ける意図があるようだ。病院に殺到しないと検査をするのは両立しないものなのだろうか。また、政府は国会答弁などでは、検査をしないのには正当な理由があるとは言っていない。検査体制を拡充すると言うのみである。

それならば、検査しないのが正しいというのは、厚労省の役人の方針なのか、医療従事者の希望なのか保健所なのか、それとも別の力なのか忖度なのか隠ぺいなのか。これ以上は書いても推測の域を出ないのでやめておく。しかし今のところ、友人の意見に納得という訳にもいかない。今日になって大阪府知事から国の基準よりも積極的に検査する由のツイートが出された。しばらく様子を見守りたい。

うちの父は、去年10月に退院するにあたって、熱が続いたり痰の色が変わったらすぐに医者にかかるように言われていた。肺炎の予防が一番の注意点だった。しかし、今の状況では、すぐに医者に行くという訳にはいかないのだろう。もしそうなったら入院していた病院の外来に電話かけてみたいと思うが、今は一番避けたい事態だ。次の通院は来月11日で、まだ自粛期間の最中である。通院しても大丈夫か不安にもなる。しかし薬は処方してもらわないといけない。その頃までに出口が見えていることを、今はお薬師さんにお願いするしかない。


 南無薬師瑠璃光如来 奉願疫病退散 おんころころせんだりまとうぎそわか



狂歌家の風(36) はなや今宵の

2020-02-26 11:15:51 | 栗本軒貞国
栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801刊)、今日は画賛の部から一首、


       樹下に辻君の絵に

  辻君と木の下陰を宿とせははなや今宵の名残ならまし


平家物語「忠度最期」にある薩摩守忠度の歌の本歌取りである。引用してみよう。

「薩摩守今はかうとや思はれけん、「暫し退け、最後の十念唱へん。」とて、六彌太を掴うで、弓長ばかりぞ投げ退けらる。その後西に向ひ、光明遍照十方世界念佛衆生摂取不捨と宣ひも果てねば、六彌太後より寄り、薩摩守の首を取る。好い首討ち奉つたりとは思へども、名をば誰とも知らざりけるが、箙に結び附けられたる文を取つて見ければ、旅宿花と云ふ題にて、歌をぞ一首詠まれたる。

  行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし 忠度

と書かれたりける故にこそ薩摩守とは知りてけれ。」


これをふまえて貞国の歌をみてみよう。辻君とは、夜道に立って客を誘う下級の娼婦で、夜鷹とも言った。樹下に辻君の絵ということから、上の句の状況はわかる。しかし下の句、忠度の歌で「主」のところが「名残」になっているのがよくわからなくて、しばらく放置していた歌だ。きっかけは人倫狂歌集の「夜鷹そばうり」の歌を読んだ時にヒントになる歌があった。


  はなのさき落るやうなるさむさには夜たかそはさへ恋しかりけり 

  よたかてふ名のつけはとてそは切の大根からみもはなへぬけたり 


これだけでは、はっきりしないと思われるかもしれないが、この人倫狂歌集には「よたか」と題した歌もある。その中には、


  月かけのさゆる夜鷹は折助か鼻のしやうしもはつすなるへし

  春の夜のやみはあふなし辻君をかふ折助のはなやかくるゝ

  入相のかねつき堂のよたからはいつしかはなも寂滅ときく


とあって、これではっきりしたと思う。折助は武家の下男で折助根性と揶揄されることもあって下級娼婦の辻君・夜鷹とはお似合いの取り合わせだったようだ。一首目の鼻の障子は鼻の左右の穴を隔てている壁で、夜鷹が折助の鼻の障子を外すとある。二首目は古今集の躬恒の歌

  春のよのやみはあやなし梅花色こそ見えねかやはかくるゝ

の本歌取りで、辻君を買う折助の鼻が隠れるとある。三首目に至っては夜鷹の鼻も寂滅と恐ろしい表現になっている。なお、この歌の「いつしか」は古文で習う意味というよりも今と同じ使い方のようだ。また、江戸で夜鷹、上方で辻君と書いたものもあるが、この歌集では二つが混在していて、意味の差ではなく文字数で使い分けているように思われる。

この三首はいずれも、辻君、夜鷹が感染している梅毒で鼻が落ちると詠んでいる。夜鷹そばうりの二首も、おそらく同じことを詠んでいるのだろう。貞国の歌もそれと同じ趣向で、辻君と一夜を共にしたら、鼻や今宵の名残、と詠んでいることになる。私なら、いくら辻君の絵であったとしても、このような賛を入れて欲しくないと思うのだけど、それは現代人の感覚との違いなのだろう。ぶつぶつ言っても仕方ないことだ。

人倫狂歌集には女郎と題した歌もあり、吉原の遊女が詠まれているけれど、こちらの二十首の中には鼻が落ちる歌は無い。ウイキペディアの梅毒の項をみると、「江戸の一般庶民への梅毒感染率は実に50%であったとも推測される 」とあって、それなら当然吉原の遊女もかかっていたはずだが、鼻が落ちると詠まれるのは辻君・夜鷹だけのようだ。当時の固定観念なのか、あるいは鼻に異状が出るのは末期の症状であることから辻君・夜鷹の過酷な労働状況がそうさせたのか、人倫狂歌集の夜鷹の他の歌には、


  孝行のためにうられし夜鷹とてあたひを廿四とや定めし

  あけ代は廿四もんにうれはにやしろくみえぬる辻君の顔


夜鷹に払う代金は二十四文、二八蕎麦が十六文であるから随分安く、その分、数をこなしたとも言われている。また、


  そはの名のよたかの年は四十ても二八のやうにつくりてそ出る

  鳥の名の夜たかといへは其中に四十からなるふり袖もみゆ


四十歳ぐらいと見られていたような歌もある。元は女郎だったのが落ちぶれたケースもあったのか。こうした労働条件からも、辻君・夜鷹の方だけ鼻が落ちると言われたのかもしれない。しかしまあ、当時の差別偏見とみるのが普通だろうか。

今回あまり気持ちの良いお話ではなかったけれど、遊女を詠んだ狂歌は数多くあり、雪月花と同じように題材の一つであり、狂歌を語る上で避けて通れないということでご容赦いただきたい。また、人倫狂歌集には下層の職業も出てきて、今の目からみると詠みっぷりは偏見差別にあふれているのだけれど、それが文字として、歌に詠まれた感情として今に残っているということは、それなりに意味のあることだと思う。


重い腰を上げたのか

2020-02-25 13:52:45 | 日記
 サッカーJリーグのルヴァンカップの明日の試合が延期となり、J1、J2リーグも3月中旬までの試合の延期が今日の理事会で提案されるという。明日の試合については急な決定で、どうやら国の新しい方針が決まってそれに従ってJリーグに要請があったものと推測される。文科相からは休校について、国交相からは時差出勤についての発言も今日になってあったようだ。おそらく、夕方あたりに安倍総理の会見があり、Jリーグの中断期間から考えると2週間か3週間、拡大防止のための期間を設定すると期待しておこう。強いメッセージを出していただきたい。

 私は安倍総理には一日も早く交代していただきたいと思っているけれど、もしこれまで書いてきたような対策を出していただけるのであれば、支持したいと思う。もっとも広島3区の同級生には投票できないけれど、世論調査では支持するに入れても良い。もしそうなれば、またもや野党は敗北だろう。この日までに、個別の批判ではなくて、まとまった対策の提案を国民に示すべきだった。どうせ選挙資金は焼け石に水なのだから、こういう時に新聞広告でも打てばよいのにと思う。これでは、百万回選挙をやっても勝てないだろう。まことに腹立たしいことだ。

【追記】15時台の厚労相の会見では、あまり今までと変わらない、期待外れな感じになっている。野球は明日、オープン戦の開催可否について協議するとのことで、水面下で個別に要請しているのだろうか。今のところ、政府が責任を持って、という感じではない。

【追記2】期待した私がバカだったのかもしれないが、移動制限も中途半端で、効果は民間任せ、また、2週間とか3週間とか期限も切ってなくて、これでは経済の不振はだらだらと長引くだろう。重要な局面ならば、安倍さんが直接強いメッセージを出した方が良いと思うが、それもなかった。結局、自分たちで出来る防御をやり続けるしかないのだろうか。という訳で野党の先生方、まだワンチャンスあるかもしれんよ。有効な対案を掲げてほしいものだ。

狂歌家の風(35) ものもいはさる

2020-02-24 17:36:41 | 栗本軒貞国
栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は恋の部から一首、 

          
        過不逢恋

  庚申の夜を寝た罪かふつゝりと見さる聞かさるものもいはさる


当時の庚申信仰を恋の歌に仕立てている。人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫 がいて、庚申の夜の寝ている間に天にのぼって天帝(あるいは閻魔さま)に日頃の行いを報告して、行いが悪ければ寿命が縮んだり地獄等におちるといわれている。それで庚申の夜に人々が集まって眠らないように過ごしたのが庚申待で、庚申の日は六十日に一度であるから、年に六度の行事であった。また、この庚申信仰では、申の日ということから、三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)が描かれたり彫られたりしたものが数多く残っている。先日参拝した可部の庚申神社にも、青面金剛像の横に三猿像が置かれていた。



(可部庚申神社の三猿像)

貞国の歌を見てみよう。「庚申の夜を寝た罪」について、前に昆布を焼いて食べるタブーを書いた時に読んだ「迷信の知恵」には庚申のタブーがいくつか載っていた。その中に、庚申の夜にできた子は盗人になるといって、この夜の男女同床を禁忌とするものもあった。貞国の歌がこのことを指しているのか、単に自分が寝てしまっただけなのか、この歌だけでは判断しにくい。とにかくその日を境に女性との縁が切れてしまったと嘆いている歌のようだ。「ふつゝり」は、「ぷっつり」か「ふっつり」か。辞書で引くとこの二つに意味の差は無いようだ。用例をみると、ぷっつりの方が時代が新しいようには思える。一応「ふっつり」としたいが、「ぷっつり」ではないという確証は得られなかった。

三猿を詠み込んだ歌は、狂歌では結構出てくる。いくつか紹介してみよう。一休蜷川狂歌問答には三猿の掛け軸を見ている家族の挿絵とともに、


  何事もみざるきかざるいはざるはたゞ仏よりまさるなりけり


その前の歌も庚申(かのえさる)に関わるもので、


  何事もおやのこゝろにかのへさるこれかうしんの人といふなり


かうしんは庚申と孝心だろうか。前に一休さんの正月の歌の回でも書いたが、この本の歌は江戸時代に入ってから作られたと思われる。次は貞柳翁狂歌全集類題から一首、


          無題

  何ことも見さる聞かさる言わさるかよこさるとさる人も申き


上の句は一休さんと同じだが、下の句でもさるを二度畳みかけている。次に狂歌江都名所図会の高輪の庚申堂の歌を三首、


  見すきかすいわすと誓ふ庚申の堂には聲をたつる鰐口 友成

  品川を見すきかすしてふた親へ子はかうしんの月参りしつ 筑波嶺村咲

  目も口も耳もふさきて鳴神を庚申堂てしのく夕立 春交


ここにも庚申と孝心をかけた歌がある。こうしてみると、貞国の歌は三猿を下の句に持って来て物も言わざると語調を整えたところにひと工夫ありと言えるのかもしれない。

これで貞国の歌については理解できたことになるが、可部の庚申神社で見た青面金剛像は、私にはあまりなじみのないものであった。


(可部庚申神社の六手青面金剛像)

狂歌江都名所図会にはこの青面金剛を詠んだ歌もある。


  申の日を祭る青面金剛の御堂にさけふ鰐口の声 有信亭友成

  雷にきもをぬかれて逃こみし人の顔いろ青面金剛 若枝

  海原のみとりのいろにいく代へん名も高輪の青面金剛 草加 四豊園稲丸


庚申様、庚申さんといえばこの青面金剛を指すぐらい、江戸時代には流行した青面金剛は元は夜叉神で疫病を流行らせる悪い神様だったはずが、いつのまにか三尸を抑える庚申の本尊様となった。手は六本が一般的で、庚申さんのようだといえば、仕事が手早い、草取りが早い、口八丁手八丁、という意味になり、また、庚申さんじゃあるまいし、そんなに手はまわらない、そんなにたくさん仕事はできない、という言い方もあったようだ。普通は仏教のお堂に青面金剛、神社の庚申信仰は猿田彦ということになっているが、可部の庚申神社には青面金剛が祀られている。青面金剛は寛文年間から流行したことが知られていて、可部の庚申神社にもそれ以降に持ち込まれたと考えられる。その前、戦国時代に申宮と呼ばれていた頃はどのような信仰だったのか気になるところだ。

最後にひとつ未解決問題。貞柳翁狂歌全集類題にある歌、


         庚申待

  さる若衆庚申まゐりにちらとみて代待なから状を付ぬる





(ブログ主蔵「貞柳翁狂歌全集類題」41丁ウ・42丁オ)


代待ちというのは庚申の夜に代わりに起きていてくれる、あるいは代わりにお参りしてくれる代行業で、それだけ庚申は流行っていたようだ。しかしこの歌、若衆がその代待ちで庚申参りの時にちらっと見たら「状を付ぬる」とは、どういう状況だったのか。調べたところでは、代待をするのは物乞いや願人坊主とあって、この歌の状況とは違う。手がかりが見つからず、これが解明できてからこの記事を書くのではいつになるかわからないので、今ここに書いておきたい。

こうしてみると、今は廃れてしまったけれど、庚申信仰というのは結構奥が深いものだ。また、折を見て調べてみたい。また、昆布を焼いて食べるタブーも未解決で、「昆布を焼くと庚申さんが泣く」を調べに一度四天王寺の庚申堂にも行ってみたいものだ。

可部 庚申神社

2020-02-22 21:45:55 | 寺社参拝
 狂歌家の風には庚申信仰にからめた貞国の歌がある。庚申待については何となく知ってはいるが、他の狂歌を調べたら庚申堂に青面金剛と出てきてもピンと来ない。京都に住んでいた頃、二年坂の八坂庚申堂には行ったことがあるような気もするのだけど、なにせ四十年近く前のことで記憶がはっきりしない。貞国の歌について書く前に、どこか庚申信仰に触れる事ができる場所に行きたいと思った。そして調べてみると、隣町の可部に庚申神社があることがわかった。時々買い物に行く可部上市の次のバス停、可部中学校前から徒歩6分とグーグルに教えてもらった。これは行かない手はない。今日は芸備線向原駅でサンフレッチェのイベントがあり、出発式を終えたディーゼル車両(芸備線は非電化につき電車ではなく、またこの時間は1両だけのため列車とも言えない)が近くを通過するのを見てからのスタート。1枚写真をのせておこう。



写真を撮り終わって時計を見たら13時20分、可部行のバスは30分後で、国道まで歩いた方が早そうだ。中島まで歩いて中島駅口13時55分ぐらいのバスに乗った。可部中学校前には程なくついて、牛丼屋を過ぎてカレー屋の手前で左に折れた。地図は頭の中に入っているつもりであった。

しかしながら、いつもの事とはいえ、山に入る道がわからない。山を取り巻くようにびっしり宅地化されていて、思っていたのとは違う風景であった。少しは土地勘がある場所だからと油断して、地図もプリントアウトしていない。とりあえずとこかから山に入ればわかるだろうと、登り口を見つけて山に入ってみた。一気に最初の坂を登ったら、目の前にはたっぷり花粉を蓄えた杉の木、こりゃあいけんと回れ右して地上を眺めたら、ここは既に可部バイパスのトンネルの出口で、南原ダムがずいぶん近く見えて、道路標識をデジカメで拡大すると南原峡の文字も見える。




これはさらに次のバス停の南原口付近まで来ているようだ。一気に登らずにきょろきょろしてたら杉の花粉を浴びずにすんだのに、我ながら愚かなことだ。可部中学校方向に引き返しながら、山に入れそうなところを探したら、墓地の先に道がありそうな無さそうな。墓地への道を入ってさらにその先の道を確認していたら、下の道を夫婦らしき二人連れが歩いていらっしゃる。バス通りを離れてから初めて見かける通行人で、ここを逃す訳にはいかない。ダッシュで追いついて道を尋ねたら、更に中学校方向に7軒先の路地を入れと教えていただいた。助かった。教えていただいたのは、可部7丁目と8丁目の間の道だった。



この坂を進むとすぐに石の鳥居が見えた。犬にほえられたけれど、ここは神社が見つかった嬉しさで犬にお邪魔しますと断ってから進んだ。目的地に着けるのであれば、多少迷っても仕方がないではないか。私の場合、必要経費みたいなもんだ。



鳥居を過ぎると、さらに石段を登ったところに拝殿が見えた。



石段を登り切ると、拝殿の後ろに本殿があった。



そして、拝殿の前の燈籠には、「寛保二壬戌」の文字、埋もれていてまだ下に文字がありそうな気もする。寛保二年(1742)というと貞国が生まれる数年前だ。





そして本堂にお参り、ちょっとガラスの入った格子戸越しに覗かせてもらった三猿像、左が言わざるだろうか、暗くて腕があるのかどうか、よくわからない。



そして青面金剛像



この青面金剛は道教の神様、あるいはヴィシュヌ神が変化したともある。ネットでの説明を読んでも、三尸(さんし)を押さえる神ということ以外、いかなる神様なのかピンと来ないものがある。本殿右側面に説明板があった。



ここにある、「■手青面金剛」の最初の文字がわからない。腕の数ならば六に近いような字、しかし写真を見ると6本あるのかどうか、よくわからない。また、漢数字以外の可能性もあるのかもしれない。また、この山中に「申宮城」があるはずだが、どこから登るかもはっきりせず、それにまた杉の木に遭遇したらナンギなのでやめておくことにした。

ウイキペディアの庚申待の項の記述によると、仏教では青面金剛、神道では猿田彦とある。ここから近い下町屋には猿田彦神社があるそうで、するとこちらは元は仏教だったのかと考えていた。ところが実際お参りしてみると、鳥居から石段、燈籠、拝殿、本殿と造りは間違いなく神社であって、戦国時代も申宮であり燈籠も古いもので仏教から神道に変化したようには思えない。ウイキペディアの記述のように簡単に割り切れるものではなさそうだ。もっとも、庚申信仰は私にとっては身近なものではなく、まだまだ不勉強であるようだ。次に図書館に行ったら関連する書物を読んでみたい。しかしながら、青面金剛像を拝むことができて、狂歌については書いても差し支えないように思う。次の記事で書いてみたい。

帰りも犬にほえられたけれど、そのまま歩いて、途中買い物して可部上市15時47分のバスに乗った。果たして花粉のダメージがどれぐらいあるのか、今は少し目がかゆい程度だけれど、実際のところは明朝以降になってみないとわからない。



【追記】青面金剛が庚申待の本尊として流行したのは寛文年間あたりからとの記述があった。すると、元々は申宮という神社があり、そこへ青面金剛像が持ち込まれたという流れだろうか。

別の見方

2020-02-22 10:59:44 | 日記
コロナウイルスへの対応で、湖北省しばりがとれた後でも、都道府県で検査のやり方に温度差があるように感じる。和歌山県は積極的に検査しているように見えるが、他はどうなのだろう。ちょっとイライラする展開、ところが、昨日ツイッターに流れてきた、大阪大学吉森先生の見解は、それまでのネットの論調とは少し違うものだった。

まず、「国民の3分の1から2分の1が感染する可能性も。 」と怖いことが書いてあるが、全体を読むと、もちろん恐怖をあおる内容ではない。

感染したこと自体で大騒ぎするフェイズではもう無い。健康な若者が感染し軽症で回復し免疫を持つことで逆に収束は早まる。

とあって、ウイルスを無くすのではなく、免疫を持つ人が増えることにより収束するという。なるほどそうなのかもしれない。

最重要なのは、高齢者と基礎疾患などの有病者への感染を防ぐことである。特にCOPDの患者。老人ホームの親には暫く会わない方が良いかも知れない。医療関係者の感染も、医療体制の崩壊を招くので避けなければならない。

そのような高リスクの人達への感染を全力で防いでいる間に治療薬が開発されるであろう。

とあり、持病のある高齢者二人(両親)と同居している私にとっては、やはり最大限の注意を持続しなければいけないということだろう。

軽症者の検査は必ずしも必要ないのではないか。

とも書いてある。最近は検査検査と騒ぐより、二週間の経過観察の方が重要という意見も見かけるようになった。

この説に従うならば、高齢者や基礎疾患のある人と接点を持たない若者は、今まで通り生活を送ってもかまわないことになる。しかし、子供や若者を介して高齢者に感染という可能性は大いにあるのだから、うつさない注意は必要だろう。橋下徹氏も当初は政府による移動制限などの規制が必要とツイートされていたが、民間が政府に頼らず自粛に入ったとして、今は自粛の出口の期限を政府がアナウンスすべきだとツイートされている。ひとつ紹介すると、

「民間は自粛に入り始めた。次は出口議論。いつまでが自粛検討期間なのか、政府は逃げずにアナウンスすべき。自粛の効果は発生期まで。アナウンスがなければズルズル自粛が続き経済が致命的ダメージを受ける。アクセル・ブレーキコントロールが政治家のマネジメント力。 」

維新系の方とは意見が合わない事が多いのだけど、これについては同意見だ。加えて言えば、この自粛期間に限って、休校や時差出勤などもお願いしたいものだ。今回、吉森先生の見解を読んで、いくつか自分の中に考えの至らない所があったと思う。しかし、やるべきことは出来るだけ両親にうつさない、そのためには自分がウイルスをもらわないようにする、ということに尽きる。これは今までと変わらない。

今が大切な時期だとするならば

2020-02-20 21:26:48 | 日記
 ここまでの事について、ぶつぶつ言いたいことはたくさんあるけれど、ここはこれからの事を書いてみたい。

 大規模イベントなどの開催について、政府として一律の自粛要請を行わない、との厚生労働大臣の発言をネットのニュースで読んだ。しかし私は、2週間ぐらいに限って、国からイベント中止をお願いした方が良いのではないかと思う。しかしこれは、今が国内の感染の初期段階で、これからの2週間が大切であるという前提に立ってのものだ。ここが正しいかどうかはっきり言って素人にはわからないが、話を続けよう。ここのところ新型肺炎の影響で観光、飲食業を中心に経済も冷え込んでいて、本当に早い終結が望まれる。安倍さんが不要不急の外出を控えるように呼びかけなくても、そうしている人は多い。先手先手というならば、ここは思い切って2週間、みんなで我慢してみたらどうだろうか。そういうメッセージを出した方が、その後の経済の為にもかえって良いのではないかと思う。学校は休校にして、在宅勤務できる会社にも協力してもらって、満員電車を少しでも緩和する努力も必要だろう。今のままだと、ずるずる長引くのではないかと、正直不安である。その不安感が、また経済を悪くする。それに自主性にまかせていたら、特定のイベント、職種に風当たりがきつくなるような差別も生じかねない。非常事態条項を言う人がいるが、憲法を停止しなくても、現行法の範囲内でも、お願いだけでも構わない。何か、終息へ向けての第一歩となるメッセージをお願いしたいものだ。

小柴胡湯加桔梗石膏

2020-02-19 10:40:49 | 日記
(おことわり:この記事は、漢方薬がコロナに効くというお話ではありません。そういう趣旨でいらっしゃった方は以下を読んでも得るところがないかもしれないです。)

 昨日は私の通院、この時期あまり病院に行きたくないが、風邪薬を切らしていてもらっておきたい。昼頃には雪もすっかり解けていて、徒歩で出かけることにした。可部の奥の山からの季節風を正面に受けて、行きは向かい風だった。かかりつけの漢方医の午後の診療は14時半からで、14時から待合室に入れる。逆算して14時ぴったりにつくように出たつもりであったが、逆風で14時3分ぐらいについた。いつもならこの3分で数人違ってくるところが、前に3人しかいない。午前より午後の方がすいてはいるけれど、今までこんなことはなく、いつも順番が回って来るのは15時半以降だった。これも新型肺炎の影響だろうか、15時前には名前を呼ばれた。

 この漢方医が出してくれる風邪薬はツムラの1番、おなじみの葛根湯と109番の小柴胡湯加桔梗石膏、もちろんこれは風邪の初期であって、慢性化すると別の漢方薬になる。小柴胡湯加桔梗石膏は貞国の狂歌にも出てきた小柴胡湯に桔梗と石膏を加えたもので、扁桃炎などに効くと書いてある。漢方医は前回この薬を出してもらった時に、「インフルにも効く」と言った。ほんまかいなと調べたら、ウイルス性の扁桃炎に効果があると書いてあるページがあった。しかしツムラの公式にはそんな事は書いてない。この先生は患者のストレスという部分をいつも重視していらっしゃるから、方便みたいなもんだろうか。しかし、もう一つの葛根湯は熱が出てしまったら効果がないと言われているから、ちょっと熱っぽいなと思った時に109番を飲んでいたら、私の場合はこちらを先に切らしてしまう。切れたらもらいたくなるから、気分的には効いているということだろうか。

 さて、前回は「インフルにも効く」と言われたもので、それなりに期待して風邪薬をお願いしたら、今回は「イチマルキューはコロナにも効くから」と予想通りのコメントがついてきて内心うれしかった。私の場合変な宗教の勧誘には気をつけないといけないと常々気をつけてはいるけれど、既に引っかかってしまっているのかもしれない。

 いつもの電気マッサージのあと、処方箋を持って薬局へ行って「先生は109はコロナにも効く言われたけどほんまじゃろうか」と聞いたら、薬局のオヤジは「それは新しい情報、買い占めようかな」と笑っていた。なぜか、すっきりした気分で帰途についた。私の持論としては、人文科学といえどもサイエンスであり、いつも真実を知りたいと思っているつもりである。しかし、医者については、この漢方医に次もお願いしたいと思ってしまう。どういう訳かは自分でもわからない。

 
  不安なれば鰯の頭も信心と百九番の漢方薬のむ




なだいなだ「江戸狂歌」

2020-02-18 20:43:00 | 狂歌鑑賞
 江戸狂歌もぼちぼち読んではいるが、数が膨大である。それに、今は心太や夜鷹そば売り、薬師信仰、といった読み方をしていて、天明期のブームについての理解が進んでいない。そこで、狂歌で検索したら古本がたくさん出てくる、なだいなださんの本を江戸狂歌の入門書として読んでみようと思った。

 まずは、この本でもページ数をさいてある大田南畝について。著者はアルコール依存症の治療に関わっていたお医者さんということもあって、南畝の酒の歌を面白く解説してあった。引用してみよう。

「しかし、さすがの大酒豪たちも、時折は、飲み過ぎを後悔することもあると見えて、禁酒を誓う人間を揶揄する歌や、また禁酒の誓いを破って、照れて歌った歌もないわけではなかった。それがまた、なかなか気のきいたやりとりになっているのである。

 たとえば、こんな歌である。


    わが禁酒破れ衣となりにけり
          さしてもらおうついでもらおう


    世の中は色と酒とが敵なり
          どふぞ敵にめぐりあいたい


 これらの歌を読んで、ぼくは、思わず「うまい」と、うなった。たいていの患者は、ぐずぐずと言いわけを述べる。それにくらべ、このあざやかなひらきなおりは、どうだろう。

 今の若い人たちは、雑巾刺しも知らないし、つぎはぎさえ、パッチワークなどと呼ぶようだから、破れ衣のつぎさしに、酒のつぎさしをかけたシャレを、理解できるかどうか心配だが、ぼくは、何といっても「欲しがりません勝つまでは」などという標語に踊らされたことのある、戦争経験者の世代である。子供のころから節約に慣らされてきた。つぎはぎの服も着せられたし、男でも雑巾刺しくらいはしたものであった。だから、つぎ、さしの意味はよく分かる。分かりすぎるくらいである。」


最後の段落の戦中派ということがこの本では重要な要素になっていることもあり、長く引用してみた。南畝については、御徒という下級武士の出身で、もらい乳も出来ずに娘を死なせてしまったこと、その一方で狂歌がブームとなった天明期には田沼時代のブラックマネーを得た支援者と高級料亭などに足を運んでいたことが書かれている。前にこのブログで引用した文化年間の「小春紀行」では、周防から安芸にかけてご飯が糠臭いと書いていたけれど、これは旗本待遇の出張であったと書いてある。南畝の懐具合は浮き沈みがあり、また狂歌を辞めていた時期との関連など、まだ私の頭の中での整理がつかない部分がある。また、この本は1986年の出版ということもあり、最新の研究とは食い違う部分もあるようだ。

気になったのは、林子平が海国兵談を出版した直後に幕府から発禁ならびに板木没収の処分を受け、その心情を読んだ歌。


  親もなし妻なし子なし板木なし
       金もなければ死にたくもなし


子平は以後、六無斎と号したという。著者が中学生の時、この歌は歴史の教科書に載っていたという。そして、

「当時の歴史の先生は、林子平を明治維新の先駆者として位置付ければ、それで満足のようであった。だが、生徒のぼくたちは違っていた。


     かくすればかくなるものと知りながら
           やむにやまれぬ大和魂


などというひとりよがりで悲壮感びしょびしょの歌が幅をきかせていた時代、国のための死を国民に強制する雰囲気を敏感に感じとっていたぼくたちは、この狂歌の最後の「死にたくもなし」という言葉に、僅かに救いを見出していた。」

とある。死にたくないと言いにくい時代は経験したくないものだ。ところで、子平の歌に似た歌を貞柳も詠んでいる。貞柳翁狂歌全集類題の雑の部の歌


         述懐

  親もなし子もなしさのみかねもなし望む義もなし死にとうもなし




(ブログ主蔵「貞柳翁狂歌全集類題」52丁ウ・53丁オ)

こちらは五無である。なしを並べて最後に死にたくないと同じような歌であるが、時代の古い貞柳がオリジナルなのか、それとも他の歌謡などが原型なのかはわからない。

 天明期、化政期の江戸狂歌の主要人物については、人間関係も簡単に記してあって、その方面に疎い私にとっては少し理解が進んだと思う。けれども、一番印象に残ったのは本居宣長を批判した上田秋成の歌だった。もちろん秋成はタイトルの江戸狂歌ではなく上方の人だったけれど、著者はこれを書いておきたかったのだろう。

 上田秋成といえば、ぼくは、本居宣長との関連で、どうしても戦争中のことを思いださずにはいられなくなる。戦争中は「衆人皆酔へり」だった。日本中が妙な思想に酔った状態だった。悪酔いしていたと言ってもよい。そして、本居宣長が、どういうわけか、その「酔った衆人」の中心にあったのである。宣長は利用されただけなのかも知れないが、それでも、ぼくたちには迷惑な存在には違いなかった。ぼくたち当時の若者を、戦争という愚行のなかに死なせようとする人たちに、さまざまなインスピレーションを与える存在だったからである。
 もしあの時代のぼくたちの心の中に、醒めた上田秋成がいてくれたら、今の世の中は大分変わっているだろうと思う。今からだって、まだおそくはないかも知れない。昔を正当化する人たちが、まだ残っているのだから。
 宣長は彼の同時代の人間から、けっして非難を浴びていなかったわけではないのである。その非難を知っていれば、少しは醒めた目で、日本人は大和魂を持った特別な民族である、などという戦争中の主張を斥けることもできただろうからである。

     ひが事をいふてなりとも弟子ほしや
           古事記伝兵衛と人はいふとも

 秋成は同時代の宣長を、こんなふうに皮肉っている。ちょっと皮肉がきつくて、ここまでくると、罵倒とよんだ方がいいかも知れない。
 秋成は『古事記』の解釈や古代日本語の音韻の理解をめぐって、若い時、宣長と論争をしたことがあった。しかし、なにかというと皇国絶対論を持ち出す相手に、うさんくさいものを感じたのであった。ひが事というのはそうしたことをいうのである。
 「お前さん、大衆のこころをくすぐるために、嘘でも間違いでも言うつもりかい。そうまでして弟子がほしいのかい」
 こういわれたら宣長もかなりショックを受けたであろう。しかし幸いなことに、この歌の作られたのは、彼の死後数年たった後だった。だが、考えてみると競争相手が死んだ後も、少しも容赦しないのだから、秋成もかなりしつこい人物である。「古事記」に「乞食」を響かせているのはもちろん分かるであろう。秋成にしてみれば、宣長のごときデマゴーグに人々が走り、異論を唱える醒めた目を持つ自分が、世のすねものとしかうけとられないので、きっと苛立っていたのだ。だが、乞食伝兵衛とはいったものだ。

      しき島のやまと心のなんとかの
           うろんな事を又さくら花

とも歌っている。これも実にわかりやすい歌だから特別に解説はしない。前の戦争中、宣長は軍国主義者の間で大もてだった。ひが事をいう人の弟子が多かったのである。

     しき島のやまと心を人問はば
           朝日ににほふやまざくら花

なかでも、この歌は、軍国主義者のおこのみの歌だった。ぼくも軍の学校で何度か聞かされた。大和魂を言いあてた名歌として、この歌は当時もてはやされ、若者たちを死に追いやる儀式の伴奏に、いつも用いられたのである。単に耳にタコが出来た、と嘆いてすむことではなかった。さくらの花のようにぱっと散れ、は当時の若者に押しつけられた死の美学だった。散りたくないものにとっては、この歌がどれだけ重荷になったか知れない。
 
秋成の毒舌は南畝にも及んで「胆大小心録 」の中で南畝のことを「狂詩狂歌の名高けれども下手なり」とある。しかし、宣長に大した時と違って愛情のこもった文章になっていて、気心の通じた交流だったようだ。なお、同じ「胆大小心録」で宣長が自画像に上の敷島の歌を書いたことについては「おのが像の上に、尊大のおや玉也」と書いている。

今の世の中、戦中派の人たちが生きていらっしゃった時は共通認識だったことに、異を唱える人たちが増えているようにも思える。戦争証言を一々否定していくような動きもあるようだ。ここ一年、近世の文献や狂歌を読んでみて、また今の世相を見ても、わが国の官僚が優秀でいられるのは太平の世の中が続いている時だけだ。ひとたび非常時となると、たった四はいで夜も寝られず、右往左往の割に何も出来ずにかじ取りが怪しくなるのである。明治回帰はとんでもない事で、再び大勢の若者を死なせる結果になりかねない。天災、疫病、経済不振による人心の動揺は確かにあると思う。昭和初期にも我が国が経験したことだ。今は注意しなければならない局面であると思う。若者を再び戦場に送り出してはならない。江戸狂歌の本を読んだはずであったが、感想としてはこう締めくくるしかないようだ。