阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

近況

2023-01-24 14:18:03 | 日記
また60日の広告が出ているようなので、ちょっとだけ近況を。

ヤフオクで狂歌「寝さめの花」を落札したのですが(とても高かった)、最近は母も病気がちであまり読書も進んでいません。暖かくなったら、山口の図書館にも出かけて、ぼちぼち進めたいと思っています。

おわび(前の記事「二葉山」を修正しました)

2022-08-21 23:37:23 | 日記
前の記事の二葉山ですが、「加茂の葵の二葉山」と、京都の葵祭に関連した二葉山という言葉が、書籍検索によって出てきました。すると、取り上げた狂歌は広島の二葉山とは無関係の可能性もあり、記事を修正しました。もうちょっと調べれば良いのに、いつもの悪い癖です。お詫び申し上げます。

2020-12-30 10:44:43 | 日記
今日から大雪の予報もあって、正月の買い物は昨日までにおおかた済ませた。といっても父の食欲が無くて、ブリやカズノコは例年に比べて半分以下の量を買った。父は最近ほっといたらおかゆと漬物しか食べない。特にたんぱく質がとれなくて、毎日のメニューを考えるのが苦行である。豆腐や卵料理は元々好きではなく、その上肉や魚をあまり食べなくなって難しい。そういう状況であるから、正月だからといってたくさんご馳走を買い込むという気分ではない。雑煮も餅を小さく切って一度だけになりそうだ。それでも、今年の正月に紹介した一休作と伝えられる狂歌


  餅つかずしめかざりせず松たてずかかる家にも正月はきつ 


これで十分ではないか。きっと正月はやってくる。

うちは両親とも高齢で、特に父は去年の咽頭摘出の手術のあとは医者からも肺炎のリスクを避けるように度々言われてきた。それで必然的に今年の私の行動はあちこち自粛ということになった。ふらふら歩き回って父にうつしてしまったら、父を病院から連れて帰るためにあれこれやった去年の努力が無駄になってしまうように思われて、動けないのも仕方のない事だろう。コロナは大したことない、わが国ではそれほど流行らない、コロナで死んだら運が悪いとツイッターで言ってくる友人がいて、どうも仕事上の立場からそう言ってるようだった。しかし統計上は大したことなくても父が高リスクなのは事実であって、議論しても仕方ないので昔からの友人ではあったけれどもブロックした。どちらが悪いではなく、関わらないのがお互いのためだと思った。人様の行動についてとやかく言うつもりはないが、私としてはリスクを避ける方を選ぶしかない。

それで、今年の漢字となると「籠」で決まりだろう。これまでは今年の漢字とか言われても中々決められなくて書いたことも無かったけれど、今年はすんなりこれで決まりである。私の場合は、「密」は一番遠ざけてきた漢字と言えるかもしれない。




なにしろ、今年はサッカー観戦で二度広島市外に出ただけ、それもお隣の府中町と熊野町であってほとんど安佐北区から出ることがなかった。今年行った東西南北の一番遠い所を書き出してみると、


東 ゼロバランスサッカーフィールド(熊野町、27.6) 
西 広島県総合グランド(西区観音本町、17.9)
南 県立広島病院(南区宇品神田、18.9) 
北 可部庚申神社(安佐北区可部、6.4) 

(自宅からのキロ数はグーグル先生調べ)

三方が広島市内という結果になった。外食は1月新年会、2月に府中町でラーメンと緑井で割子蕎麦、そしてお盆前の墓掃除でくたびれてモスで休憩した時の四度だけ、コロナがひどくなる前もあまり外食はしてなかったから、私が自粛してる分は経済にはほとんど関係ないはずである。経済を回すのは健康なお金持ちにお願いしたいもんだ。

籠るという題材では、少し前に冬籠りの狂歌について、春ごろには古今集の歌を紹介した。古今集の歌をもう一度、


  たれこめて春のゆくへもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり 


この分だと、二度目の桜も「うつろひにけり」となってしまうかもしれない。しかし、二度で済めばうまく行った方と考えるべきだろう。今年は図書館に行けない分、ネットで和本を買って新しい発見もあった。これが私の日常、もはや「新しい」はつかない日常を、それなりに楽しみながら新年を迎えたいと思う。一年間ありがとうございました。皆様もよいお年を。




柴朴湯

2020-04-08 10:58:31 | 日記
昨日は自分の通院、コロナ流行の折あまり病院には行きたくないが花粉の薬が残り少ない。私の場合GW直前まで症状が続くので、もう一度もらっておきたい。最近運動不足でもありバスは避けて午後から歩いて出かけることにした。汗ばむような日差しの中、運動不足で体も重く快適とは言えない徒歩だった。広島市立の学校は昨日が始業式ということもあり、可部南地区では下校中の小学生の姿も見られた。女の子3人がぐちゃっとひっついて一冊の本を読みながら歩いている。ニュースでは校庭で間隔をあけた始業式の様子を映していたけれど、それは外向けのポーズに過ぎないようだ。35分歩いて14時10分ごろいつもの漢方医に着いたら、まず入り口にできるだけマスクをしてほしいと張り紙がある。中は前回同様すいていて診療開始20分前着だといつもなら15人から20人待たないといけないのに、午後の4番目だった。ちょうど業者が空気清浄機を持ち込んだところで、看護師さんが設定をしていた。しかしこれも気休めのような、無いよりはましだろうか。

3時前には名前を呼ばれて診察室へ、調子はどうかと問われて、今歩いてきたら体が重くてどうも体調が良くない、コロナで引きこもっていたら気分も晴れないとぶつぶつ言ったら、今は花粉やコロナで憂鬱になる人が多い、96番を出しておきましょうと言われた。

そのあといつもの電気マッサージ、看護師さんに背中や手足にペタペタ吸盤みたいなの付けてもらってうつぶせと仰向けと10分ずつ、この時期これも気にならないといえば嘘になるけどここに来たからにはやってもらいたい治療だ。終わって下の薬局で薬を受け取ったら、花粉の薬ともうひとつ、96番は冬にアレルギー喘息が出た時に飲んでいた柴朴湯だった。たしかに私は冬になるとゲホゲホいって呼吸器は弱いけれど、それを言ったのではない。話を聞いてなかったんかいなとその時は思った。

しかし帰ってネットで柴朴湯の効能をみると、

「喘息や気管支炎で痰をともなうとき、こじれて長びくカゼの咳、また、抑うつ感や不安神経症などにも適応します。 」

とあって、たしかにコロナ鬱にはこれが良いのかもしれない。またこのページには、

「基本処方である小柴胡湯と、咳をしずめる半夏厚朴湯を合わせた方剤 」

とあって、前にもらった109番と同じように、貞国も歌に詠んだ小柴胡湯は漢方薬ではベースになる存在のようだ。そして、私が漢方薬で一番気に入っているのは、食間に白湯で飲むこと。仕事、用事を中断して、猫舌ゆえ少し白湯をさましてから服用する時間を作る、それだけで少しリラックスできてストレスが減じるような気がする。気分だけかもしれない。でも、今はその気分が重要なのだ。人によってはコーヒーでもお茶でも良いのだろうけど、今は特に、そういう時間が必要だと思う。まだまだコロナは長期戦、心の平安を保ちつつ、なんとか生き延びたいものだ。

しばらく

2020-03-24 16:16:20 | 日記
図書館がお休みでもあり、ネットで読書していたら、花粉もあるのだろうけど目がちょっと厳しくなってきました。しばらくはできるだけPCから離れて本棚にある紙の本を読み直す程度にしたいと思います。という訳で、ブログの更新も少なくなりますが、落ち着きましたら、またよろしくお願いします。

同じような言葉でも

2020-03-10 09:53:04 | 日記
ツイッターの同年代のフォロワーさんで日頃からとても尊敬している閻魔様(仮名)が、もう五十年も生きたのだから、感染症で神経をすり減らさなくても良いではないか、という趣旨のツイートをされていて、これはなるほどそうかもしれない。もっと心の平安を大切にしなければはならないと思った。
 
 その一方で、コロナの件に関しては厚労省寄りのツイートをしているフォロワーさんが、高齢の親がコロナで死んでも、それは運が悪かったということだ、みたいなツイートをリツイートしていて、これはとても受け入れられない。本人は意識していないかもしれないが、行政寄りから言われたくない言葉だ。「コロナは大したことない」もそうだった。

 しかし考えてみると、他人から見て自分がどんな立ち位置にいるかを意識して発言することは、あまりないかもしれない。他人の気持ちや受け取り方を予測するのは難しいけれども、特に病老死苦に関わるような事柄では注意しないといけないということだろう。他山の石としたい。

 1、2週間が瀬戸際と言ってから2週間たった。しかし今の対策は、ピークを低くするための自粛や休校であって、うまく行けば行くほど感染者数増加の傾きはゆるやかになってピークの時期は遅れるという。私もサッカーの再開を心待ちにしている一人であるからピークが遅れるのはジレンマではあるけれど、今はこれしか方策がないようだ。ピークを越えるまで、今の対策を徹底するしかないのだろう。経済的に影響が出ている職種も多岐にわたっていて、初動が遅れたために自分たちにしわ寄せが来ているという若者の不満はもっともだ。もう一度、政府からお願いした方が良いと思う。誰が呼びかけるかは頭の痛いところではあるけれど。それから、安全デマは困るが、心の平安は確かに必要だ。テレビ局はワイドショーの枠を減らして、音楽とか演劇とかその他芸術の番組に替えてみてはどうだろうか。私の趣味で言うならば、古寺巡礼とかでも良い。今日も締めくくりに、お薬師さんにお願いしておこう。


 南無薬師瑠璃光如来 奉願疫病退散 おんころころせんだりまとうぎそわか



オイルショックの記憶

2020-03-05 21:09:18 | 日記
 マスクの転売防止に1973年、オイルショックの時にできた法律を活用するという。この頃まだ子供であったため、オイルショックが何たるものか全然理解していなかった。今調べると中東戦争から色々な出来事が重なって複雑だ。時期も1973年(第1次)と1979年(第2次) があってピークは1980年とウイキペディアにある。私の認識ではオイルショックとは小学生だった1973年の方で、ピークと書いてある1980年は高校生、その頃は既にオイルショックは昔話だった記憶があり、ウイキペディアの記述とはずれがある。

 小学5年生だった1973年のオイルショックで一番記憶に残っているのはやはり、トイレットペーパー不足だろう。ある日学校で担任の先生が、トイレットペーパーが学校でも不足しているから紙をトイレには置かない、トイレに行きたい人は先生に言って決められた長さをもらってからトイレに行くように言った。長さは忘れたが大と小で違いがあった。誰かが小の時はいらんと言ったら、女子は小でも使うんだと先生が返して、これは男子生徒の多くが初めて聞く話だった。その頃は学校で大をするのは恥ずかしい事だったから、私は期間中一回ぐらいしかもらわなかったと思う。今調べてみると、原油不足が紙不足につながる懸念は確かにあったものの、実際に不足していた期間の生産量は落ちていなくて、この時も流言飛語が原因だったようだ。また、石油には関係ない砂糖なども噂で不足になったのを覚えている。

 もうひとつオイルショックで嫌な思い出といえば、それまで少しずつお年玉を貯金していたものが、父の会社の資金繰りで消えてしまったことだ。当時、広島の経済の中心だった東洋工業(現マツダ)のロータリーエンジンは音は静かであったが燃費が悪く、オイルショックの直撃を受けた。父は東洋工業の本社に近い今の南区で鉄工所を経営していたが、その時は相当苦しかったらしい。その後もちゃんと教育を受けさせてもらったのだから、お年玉が無くなったぐらいで済んで良かったと今は思う。しかし子供の時の忘れられない思い出であることに変わりはない。今の子供たちも窮屈な思いをしているだろうけど、今の状況がちょっと嫌な思い出ぐらいで早く過ぎ去ってほしいものだ。




自粛解除の時期

2020-03-03 16:18:07 | 日記
 土曜日の安倍さんの会見は評判が良くないようだ。これまでの悪行が積もり積もっているから、言葉が説得力を持たないのは仕方がない面もある。全文を読んでみて私が気になったのは二点、全国規模のイベント自粛要請には、人混みに行かないというだけでなく、人が動かないメリットがあると思うのだけど、後者についての言及がなかった。大阪のクラブハウスを起因として四国で複数の感染者が出たことを見ても、人混みを避けるだけでは不十分だと思う。もう一点は、自粛の出口がはっきりしないこと。各方面に経済的な痛みを強いているのだから、どれぐらいで決着をつけるという決意が聞きたかった。日用品の買い占めに見られるような人心の不安を和らげる為にも、ある程度の見通しを示してほしかった。

その自粛の期限を考える前に、私の現時点での考えを書いておこう。まず、

この1、2週間が大切という専門家の意見に従って、イベント自粛、時差出勤、在宅勤務などの移動制限をかけることについては、合理的な理由があると思う。

これらの移動制限によって、経済活動の制限を多くの人に強いるものであるから、できるだけ2週間で終わりにしたい。したがって安倍さんが言った、この2週間で出来ることを全部やるという考えは理解できる。科学的な根拠の有無にかかわらず、休校もやった方が良いと思う。人が動かない事は重要であるが、実際には新幹線や飛行機も動いているのだから、全国一律が不合理とも言えないと思う。

何度も書いて来たことだが、私は安倍さんには一日も早く交代してほしいと思っている。全部書いていたら明日になってしまうから最近に限っても桜の会はどうみても買収だと思うし検事の定年延長もひどいものだ。しかし今回はこの方針以前から休校も必要と主張してきたこともあり、安倍さんを支持せざるを得ない。コロナは大したことない、そのうち収まるという意見もある。しかし、私が安倍さんの立場だったら、イベント自粛も何もしなくて良いと言い切る度胸はない。そして、同じやるのであれば、この2週間徹底的にやった方が良いと思う。安倍さんが決断した理由は、オリンピックだとか支持率、あるいはただの思いつきだとか言われているけれど、私は別の可能性もあると思う。自粛が始まったタイミングで政治資金パーティをした間の悪い政治家が、未発表の東北地方の感染者数を見て判断したような発言をしていた。検査はしていないけれど感染が疑われる人数を地区別に記したリストが存在していて、それを見て安倍さんは決断したのかもしれない。

問題は、いつまで自粛をすれば良いのか。2週間でウイルスが消えてなくなってくれたら一番良いが、そう考えるのは楽観的すぎるだろう。今のように新たな感染者が毎日出てくる状況が続いたらどうするか。だらだら自粛を続けるのか。方針を転換するとしたら、どういったことが考えられるのか。

ひとつヒントになるのは、前に読んだ大阪大学の吉森先生の見解だろうか。 それには、国民の三分の一から半分が感染するかもしれないとしながらも、

「健康な若者が感染し軽症で回復し免疫を持つことで逆に収束は早まる。 」

として、治療薬が開発されるまでの間、高齢者、基礎疾患などの有病者など高リスクの人達への感染を全力で防ぐ必要性を説いてあった。

武漢のようにひどいことにはならないと見通せた時点で、このような考え方に転換するのはどうだろうか。実はこの記事は、自粛を2週間から1週延長したとしても計3週間になったら、それ以上は経済が厳しいから考え方を転換してイベント自粛解除、センバツは予定通り開催するというシナリオで書いてみようと思った。しかしながらよく考えてみると、上記の「高リスクの人達への感染を全力で防ぐ」というのを若者が自由に行動している中で実現するのは簡単なことではない。若者も別の病気で病院に行くから、医療スタッフが感染しているケースも増えるだろう。スーパーや銀行などで感染する確率も今より上がるだろう。そして介護の現場への負担、しわ寄せも相当あるだろう。うちの父も週一回訪問看護に来てもらっているが、このような状況になったらどうするか悩む。通院は薬が必要だから行かなければならないだろう。経済を優先して自粛解除したら、高齢者にとって厳しい未来になるかもしれない。かといってずるずる自粛を続けたら、今は震災の時より貧困も進んでいるのだから、生きて行くのが厳しくなる人が出てくるかもしれない。私の頭では、良い方策が出てこない。ここは頭の良い方に知恵を出してもらいたい。

 どこかでまた政治の決断が必要になるかもしれない。安倍さんで大丈夫だろうかとは思うけれど、これは安倍さんだけの責任ではない。今のうちに、自粛解除した状況で「高リスクの人達への感染を全力で防ぐ」方策を準備しておく必要があるだろう。唐突に自粛解除が行われたら、今度は高齢者が混乱することになるかもしれない。

色々書いてみたけれど、一番良いのはもちろん、桜が咲いたらウイルスはなぜか消え去っていた、というシナリオだ。いつものようにお薬師さんにそのことをお願いして、そろそろ終わりにしよう。


 南無薬師瑠璃光如来 奉願疫病退散 おんころころせんだりまとうぎそわか



「写経」 薬師瑠璃光如来本願功徳経

2020-02-28 21:41:11 | 日記
 心の平安を保つのが難しい世の中、そして今は外で気晴らしというのも中々難しい。ここは心を落ち着けて写経、といっても私は不器用で字も汚くて般若心経のお手本をなぞる写経セットは散々の出来だった。仕方ないからここに「写す」ことにしよう。まずは、こないだ引用が中途半端だった薬師瑠璃光如来本願功徳経の歯磨きうがい手洗いの部分、今度は菩提に至るところまで「写経」してみたい。なお、書き下し文は平明を心がけたため、テキストの訓点に忠実でないところもあります。


復次曼殊室利。      また次に曼殊室利(マンジュシュリー =文殊菩薩)よ
若有浄信男子女人。    もし浄信の男子女人ありて
得聞薬師瑠璃光如来。   薬師瑠璃光如来
応正等覚。        応正等覚 
所有名号。        所有の名号を聞くことを得ば
聞已誦持。        聞きおわりて誦持し
晨嚼歯木。        あしたに歯木をかみ
澡漱清浄。        澡漱清浄にして
以諸香花。焼香。塗香。   もろもろの香花、焼香、塗香をもって
作衆伎楽。        もろもろの伎楽を作し
供養形像。        形像を供養し
於此経典。        この経典において
若自書。         もしくはみずから書し
若教人書。        もしくは人をして書せしめ
一心受持。        一心に受持して
聴聞其義。        その義を聴聞し
於彼法師。        かの法師において
応修供養。        まさに供養を修し
一切所有。資身之具。    一切の所有の資身の具
悉皆施与。        ことごとくみな施与して
勿令乏少。        乏少ならしむることなかれ
如是便蒙。諸仏護念。    かくのごとくしてすなわち諸仏の護念を蒙り
所求願満。        所求の願を満たして
乃至菩提。        すなわち菩提に至らん


 南無薬師瑠璃光如来 奉願疫病退散 おんころころせんだりまとうぎそわか
           

移動制限

2020-02-27 15:37:51 | 日記
昨日、これから2週間の大規模イベントの自粛要請が出されて、また、時差出勤、在宅勤務等も始まった。これは前に私が書いた要望に近いものだ。都心で感染者が相次いで見つかり、はっきり言って遅かったと思うしあと一歩不十分なところもあり、北海道と首都圏は2週間でけりがつくかどうか不安もある。しかし、前回と同じように、できるだけこれからの事を書いてみたい。

 不十分と思うのはまず、休校が入っていないことだ。北海道は検査の陽性率も高くアウトブレイクの可能性も指摘されていて、休校は当然だろう。しかし首都圏も、検査が進んでいないのか情報公開されていないのか実況はよくわからないのだけど、2週間で大丈夫かどうか懸念は残る。首都圏の不安を取り除かなければ、この先日本の経済は立ち行かないだろう。首都圏については、この2週間の間に、大げさでもいいから対策を打つべきだと思う。また、2日前の山陽新聞の記事で、岡山で千人近い児童、生徒が集団風邪というニュースの見出しが、インフルか、となっている。今は熱が出たら自宅でおとなしくしていることになっていて、それでインフルとは断定していないが、これは多分インフルだろう。しかし、熱が出ても子供が医者にかかれない状況というのは、全国一律に休校にしても良いのではないかと思う。(追記、本日18時半ごろ、全国の小中高校に休校の要請というニュースが流れた。これで私がやってほしいと思ったことは大体入った。私は安倍総理には一日も早く交代してほしいと思っているが、今回に限って一連の決定を支持したい。しかしながら、同級生やその奥さんには投票できない。比例は次も杉田議員いたら無理、アンケートきたら支持するを押します)

 もうひとつ、タイトルの移動制限について。イベントの自粛や在宅勤務などは、単に人混みを避けるということではなくて、本当にやりたいのはこの移動制限である。たとえばサッカーの試合であれば、アウェイのサポーターは各種交通機関を利用して移動して、スタンドで声を出して応援したあと、また移動して戻っていく。私が住む広島であれば、今年はまず16日にアウェイの横浜でルヴァンカップの試合があり、次はホームの広島で23日鹿島サポーターを迎えてJ1リーグの開幕戦、そしてルヴァンカップの第2節の前日、札幌のサポーターが広島に移動し始めた頃に延期が発表になった。広島ではまだ感染者の情報はないけれど、横浜、札幌とサポーターが移動しているのは確かにリスクが無いとはいえない。このあたりがJリーグに真っ先に自粛要請が行った理由だろうか(延期のタイミングから考えて私は政府から要請があったと考えている)。今は感染者がいないとされている東北や中国地方であっても、全国的なイベントであれば他地区から移動して人が集まって来ることに注意が必要である。話を戻して、この2週間できるだけ人が動かないようにする、ウイルスを運ばないようにする移動制限をやりたいのだけど、もちろん憲法の制約もあって強制はできない。それでお願いということになった。しかし、私に言わせれば、もう少し強いメッセージが欲しかったと思う。経済的には、イベントの自粛によって影響を受けている業者はたくさんいらっしゃる。また、在宅勤務を数千人規模で行った企業周辺の飲食店も大変と聞いた。それでも、感染のピークを抑えるために移動制限は必要ではないかと思う。そして、どうせやるのであれば、できるだけ徹底したい。そして2週間で終わりにしたい。経済活動を一部制限しているのだから、だらだら続ける訳にはいかない。延長しても1週間程度だろう。その間、できるだけ人が動かないようにすることが重要であると、総理から呼び掛けて欲しかった。昨日の言い方では人混みを避ければ良いぐらいのメッセージ性しかなく、昭和天皇御病気の折の自粛と同じと受け取る人もいた。私はそれは違うと思う。この2週間をいかに過ごすかという方向性は支持したい。ただ、少し物足りない印象を受けた。

 最後に検査について。この2週間の間に、特に首都圏について、現状をしっかり掴んでほしいと思う。そのためには検査も今のままではまずいだろうと昨日ツイートしたら、友人からそうではないとリプライが来た。最近は何も言ってこないのにどうしてこの問題だけ言ってくるのか不審であった。優秀な友人から説明を受けても、自分で調べてみないと気が済まない性格である。前に阪大の先生の見解で、軽症者の検査は必要ないというのは読んでいた。そして、今回調べてみて、確かに何でも検査検査と言っているU氏等の発言は一歩引いて見る必要があるということは理解した。現状では病床数などから陽性と判定されても指定病院で治療を受けられるのは重症者に限られる。そして検査の優先順位がある、これも当然だろう。希望者全員検査と言う訳にはいかないのは理解した。しかしそれ以上に、検査しないという力が確かに働いているように感じるのはどうした訳だろう。友人も、検査しないのが正しい、と言う。ひとつ考えられるのは、武漢では病院に人が殺到したため感染が広がったというのが通説になっていて、これを避ける意図があるようだ。病院に殺到しないと検査をするのは両立しないものなのだろうか。また、政府は国会答弁などでは、検査をしないのには正当な理由があるとは言っていない。検査体制を拡充すると言うのみである。

それならば、検査しないのが正しいというのは、厚労省の役人の方針なのか、医療従事者の希望なのか保健所なのか、それとも別の力なのか忖度なのか隠ぺいなのか。これ以上は書いても推測の域を出ないのでやめておく。しかし今のところ、友人の意見に納得という訳にもいかない。今日になって大阪府知事から国の基準よりも積極的に検査する由のツイートが出された。しばらく様子を見守りたい。

うちの父は、去年10月に退院するにあたって、熱が続いたり痰の色が変わったらすぐに医者にかかるように言われていた。肺炎の予防が一番の注意点だった。しかし、今の状況では、すぐに医者に行くという訳にはいかないのだろう。もしそうなったら入院していた病院の外来に電話かけてみたいと思うが、今は一番避けたい事態だ。次の通院は来月11日で、まだ自粛期間の最中である。通院しても大丈夫か不安にもなる。しかし薬は処方してもらわないといけない。その頃までに出口が見えていることを、今はお薬師さんにお願いするしかない。


 南無薬師瑠璃光如来 奉願疫病退散 おんころころせんだりまとうぎそわか