阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

「柳井地区とその周辺の狂歌 栗陰軒の系譜とその作品」 (上)

2022-07-20 20:36:28 | 栗本軒貞国
前の記事で、「狂歌寝さめの花」に入っている葵という作者名の四首が、柳井市立柳井図書館編「柳井地区とその周辺の狂歌栗陰軒の系譜とその作品」で栗本軒貞国の狂歌として紹介されている歌と一致したことを書いた。そこでこの本をもう一度読んでみることにした。

前回は狂歌を調べ始めたばかりの時、広島県立図書館で「貞国」で検索してまず読んだのがこの柳井の本だった。貞国に関連するところはコピーしたけれど、後継の栗陰軒貞六の箇所はうろ覚えである。貞国の歌を特定するために周防の資料は重要と考えて、この際ネットで購入することにした。連休をはさんで昨日やっと届いて、目を通したらやはりあちこち気になる。

巻末の参考文献のうち2冊は岩国と柳井の図書館で読めることがわかった。残りの資料などはこの本を出している柳井市立図書館のレファレンスで相談することになると思うが、その前にうちから近い岩国で2冊を読んで予備知識を持って臨みたいものだ。来月60歳になったら4回目の接種ができるはずで、そのあと今の第7波が収束したら出かけてみたいと思う。

次に本の内容で今回気になったところを書いてみたい。まずは軽い話題から、貞国の後継で柳門正統四世を名乗った栗陰軒貞六の辞世、

  花に暮し月にあかして楽みに心残らず消ゆる雪の世

貞国の雪月花の掛け軸の回で雪月花の順番について論じたが、この一首を加えてもう一度書いてみる。

「雪月花」は白居易の漢詩、「雪月花時最憶君」の並びであって、我々もこの並びで使う事がほとんどだろう。しかし、和歌や和文では「月雪花」をよく見かける。狂歌でも太田南畝の、

  やよ達磨ちとこちらむけ世中は月雪花と酒とさみせん 

  てる月のかゞみをぬいて樽まくら雪もこんこん花もさけさけ 

などは月雪花の順になっている。ネットで月雪花を検索すると、「雪月花に同じ」と出てきて、「月雪花」という言葉も認知されていることがわかる。

ここで貞六の辞世をもう一度眺めてみると、花月雪の順になっている。実はこの順番は柳門正統を名乗っていた貞国や貞六にとっては重要なもので、柳門の祖、貞柳の辞世、

  百居ても同じ浮世に同じ花月はまんまる雪はしろたへ 



(ブログ主蔵「貞柳翁狂歌全集類題」57丁ウ・58丁オ)


がこの順番になっている。貞柳にとってはリズムを整えたらこうなっただけかもしれないが、貞国や貞六にとってこの順番は自身のアイデンティティに関わることだったのだ。貞国の辞世、

  花は散るな月はかたふくな雪は消なとおしむ人さへも残らぬものを 



(聖光寺、栗本軒貞国辞世狂歌碑)


も花月雪の並びになっている。私が購入した掛け軸も歌三首を

 花 峯の雲 谷の雪気の うたかひを ふもとにはれて みよし野の山

 月 七種に かゝめた腰を けふは又 月にのはする 武蔵野の原

 雪 辷たる あともゆかしや うかれ出て われよりさきに 誰かゆきの道

この順番で記している。ただ、貞柳の高弟にして貞国の師匠である芥河貞佐は全く違う辞世を詠んでいる。

  死んでゆく所はおかし仏護寺の犬の小便する垣の下

貞佐が柳門二世と名乗ったのかどうか、私は確認できていない。出藍の誉れ、広島に来た後に門人千人を得たという貞佐には卓越した才能と実力があった。肩書やしきたりなど貞佐には必要なかったのだろう。次回もう一度、柳井の本について、柳門の継承と国丸について書いてみたい。



  




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