阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

葵(狂歌寝さめの花)と貞国

2022-07-06 14:00:56 | 栗本軒貞国
 先週、ヤフオクに「狂歌寝さめの花」が出品された。貞佐が亡くなる2年前、安永6年の撰であって、これは是非とも手に入れたいと思った。それで6万円までは競ったのだけど、そこで冷静になってやめておいた。私にとっては半年分の本代であるから、それ以上は無理と考えるべきである。

 これは残念な出来事ではあったけれど、これを機にふと思いついたことがある。私が調べている栗本軒貞国は、貞佐晩年の弟子と考えられる。貞佐没後に一門によって出版された「狂歌桃のなかれ」(寛政5年)には柳縁斎貞国として入集しているが、貞佐の生前の歌集には名前が出てこない。あるいは、貞佐の没後に一門に加わったのか、もう一つの可能性としては、別の名前で、例えば狂歌寝さめの花に入っているのではないか。うかつな事に、ここを確認していなかった。ここは気を取り直して、国立国会図書館の個人送信から、西島孔哉先生の翻刻(武庫川国文21「狂歌寝さめの花」をめぐる諸問題ー付(翻刻)狂歌寝さめの花)を読んでみた。そしたら、簡単に貞国の歌は見つかった。葵という名前の4首が、「柳井地区とその周辺の狂歌 栗陰軒の系譜とその作品」 の中で貞国の狂歌として紹介されている歌と一致した。さっそく狂歌寝さめの花から引用してみよう。


       海上落花           葵

  墨染の桜の是もゆゑんやらすゝりの海に花の浮むは


       郭公

  聞かはやとおもへと道のほとゝきすさそな鳴らん死出の山路は


      塗師屋の婚姻を祝して

  いく千代もかはりなし地といはゐぬる御夫婦中もよしの漆や


      寄火吹竹祝

  一ふしに千代をこめたる火吹竹ふくとも尽し君か長いき


葵の作はこの4首だけで、4首とも漢字の表記は少し違っているが「柳井地区とその周辺の狂歌 栗陰軒の系譜とその作品」で貞国の歌として紹介されている。柳井の本は出典の記述がなく、間違いなく貞国の歌かどうか若干の疑問は残るものの、貞国の後継、柳門四世を名乗った栗陰軒貞六が残した資料によっていて、貞国から伝えられた歌集などによった可能性もあるだろう。狂歌の師匠から弟子へ「古今の秘書」が伝授という話はよく出てくるが、その中に貞国の歌集もあったのではないか。できれば山口に行ってこの資料の存在を確かめてみたいものだ。

また、柳井の本では、ほととぎすの歌は辞世の前に置かれていて、貞六が弟子になってからの晩年の作と考えていたが、実は貞国の若い時の作であった。寝さめの花の安永六年は、貞国は三十歳前後、まだ柳門の貞の字も許されていない時代の作だったと思われる。

なお、この狂歌寝さめの花の選集には、混沌軒国丸、のちの玉雲斎貞右が動いて実現したとされている。序文も跋文も広島の弟子が書いていて、国丸はそれほど目立たないが、終わり近くに国丸にとって重要な貞佐との贈答歌がある。


     先師翁より授りける古今の秘書及ひ玉雲流の伝書等
     浪花の国丸へ譲りあたふるふしよめる   貞佐

  おとこ山にわきて秘蔵の石清水其水茎の跡つけよかし

     かへし                 国丸

  流くみて心の底にたゝへつゝほかへもらさし水茎の跡


貞佐がいう先師は貞柳であるが、男山の石清水はそのまた師匠の信海がいた場所である。寝さめの花が貞右によって再版を繰り返したのは、この二首の存在が大きいのではないかと思う。

話を貞国に戻して、 いままで想像できなかった貞佐の弟子の時代の貞国の作を四首だけではあるが今回特定できたことになる。ヤフオクがきっかけであるから、寝さめの花を出品してくださった方に感謝したい。ただ一つだけ、先にこの作業がすんでいて貞国の歌が入っていると知っていたならば、もっとお金を出していただろうか? いや、私の生活規模からするとそれは無謀なことだと考えることにしよう。


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