阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

笹かたけゆく

2021-01-10 13:04:00 | 家づと
鯛屋貞柳「家づと」(1729年刊)より、十日戎の歌を一首、


       十日戎参りの人を見て

  商人(アキント)の欲に心や乱るらん戎参りの笹かたけゆく


詞書と歌とでページをまたいでいるので画像は2枚




(ブログ主蔵「家つと」4丁ウー6丁オ)


「笹かたけゆく」は関西の人にはおなじみだろう。福笹に吉兆と呼ばれる鯛や小判などの縁起物を結んで、それを「担げる」のは貞柳の時代から続く十日えびすならではの光景だったようだ。当世流行歌(明治42年)には、

     ○十日戎子
十日戎子の賣ものは、はぜ袋に取鉢銭がます、小判に金箱立ゑぼし、ゆでばすさい槌束ねのし、おさゝをかたげて千鳥足。 

とあって、笹に結ぶ吉兆の種類が謡われていてここにも「おさゝをかたげて」とある。貞柳の狂歌は俗謡、浄瑠璃などからの引用の多さが指摘されていて、この歌謡が下敷きにあったのかもしれない。今宮戎神社の公式ページには、

「十日戎を象徴するのが、神社から授与される小宝です。小宝は別に「吉兆」(きっちょう   若しくは きっきょう)と呼ばれ、銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物を束ねたもので、「野の幸」・「山の幸」・「海の幸」を象徴したものです。 」

とある。貞柳には「絵本御伽品鏡」の中に笹を担げる歌がもう一首ある。この本は長谷川光信の画に貞柳の狂歌が入っていて当時の上方の風俗を描いた貴重な一冊だ。その歌は、


         今宮戎   

  十日ゑひす心は物に狂はねと子を思ふ道に篠かたけゆく


ここは商人の欲ではなく子供にせがまれて笹担げゆくということのようだ。挿絵からも吉兆をつけた笹を担げている様子が伺える。貞国のえびす講の回でも書いたように、歴史的仮名遣いでは「えびす」が正しいのだけれど、恵比寿など「恵」の字を当て字に使ったことから、その崩しである「ゑびす」の表記も多く見られ、京都にはゑびす神社がある。

さて問題は、「絵本御伽品鏡」の次の歌。


         西宮

  にしのみやを出てさふらふ戎橋(ゑひすはし)渡り兼(かね)ぬる人を守らん


これは、西宮神社のお札を戎橋で授けていたということらしく、挿絵で小屋にえびす様の掛け軸が飾られているのがそれに当たるようだ。この絵は戎橋のたもとに、前の歌の今宮戎にお参りした人と西宮神社の札所が見開きで描かれていて、それで少しややこしくなっている。「渡り兼ねる」とはどういうことだろうか。戎橋を渡れない人がいたのか。貞柳翁狂歌全集類題には似たような歌がある。


     西宮戎の札を道頓堀戎橋辺へもちきたりて
     披露しけるに

  わたりかぬる人を助けむ為にとて西の宮よりきた戎はし




(ブログ主蔵「貞柳翁狂歌全集類題」7丁ウ・8丁オ)

前の笹かたけゆくと同じように似た歌があるということは、「絵本御伽品鏡」に入れる時に同じ趣で自作を改めたのかもしれない。二首をふまえて「渡り兼ねる」について考えてみると、これは「世を渡りかねる」だろうか。困っている人、やりくりが難しい人を守る、助けるえびす様、今宮戎にお参りして笹を担げるよりもお金をかけずにということのように思える。世を渡りかねている人が、経済的な理由もあって今宮戎への戎橋を渡りかねる、今はそう解しておこう。私の経済力の無さが解釈に影響しているのかもしれないけれど。

ウィキペディアの戎橋の項を見ると、戎橋という名前の由来について、


「戎橋」の名前の由来には、
  1. 今宮戎神社にお参りする参道であったことから。
  2. 西宮神社の社札が配られたことから。
という2つの説があるが、通常は1つ目の説が有力視されている。


とある。「絵本御伽品鏡」の挿絵と貞柳の狂歌はこの二つが混在していて私は中々理解が進まなかったのだけど、貞柳はそこに面白さを感じたのかもしれない。二説あるということは、まだまだわからない事が多いのだろう。






濱松の音はざゞんざ

2020-10-09 13:25:07 | 家づと
鯛屋貞柳「家づと」(1729年刊)、今日は神祇の部より一首。 


        住吉にて

  濱松の音はざゞんざ住吉の岸より遠(ヲチ)のあわち嶋臺




(ブログ主蔵「家つと」10丁ウ・11丁オ)


まず、この歌は神祇の部に入っているけれど、住吉社参拝とは書いてなく、貞柳翁狂歌全集類題では雑の部となっている。また、貞柳翁狂歌全集類題では「あはちしま」となっているが、このテキストでは次の歌とも「あわち嶋」と読める。



(ブログ主蔵「貞柳翁狂歌全集類題」52丁ウ・53丁オ)


歌の内容は、「ざざんざ」という松風の音を聞きながら住吉の浜から淡路島を遠望している。この「家づと」を読むにあたって立てた仮説、貞柳の歌は浄瑠璃や俗謡など多様なリズムを取り入れていて、そのために、五七五七七を一定の調子で読もうとする我々には難しく感じられるのではないか。この歌も最初の「濱松の音はざゞんざ」は狂言などに出てくる小唄であって、それを歌っておいて淡路島が遠くに見えると詠んでいる。さらに言えば謡曲「住吉詣」の一節「住吉の浦より遠の淡路島」も取り入れていて、二つをつなげただけの歌のようにも思える。しかしこのスタイルで貞柳は多くの門人を獲得して上方狂歌の一時代を築いたともいえる。当ブログでは、貞柳のリズムを探るという我が実力からすると少々無謀かもしれない目標を立てている以上、出典がわかったものは取り上げていきたいと思う。実際、これは間違いなく流行歌の類だろうと思っても何なのか見つからないものも多い。この歌は幸いにして狂言に多く出てくることから実際の節回しを動画で確認することができた。あとで引用したい。

さてこの「浜松の音はざざんざ」は検索してみても、

  ざざんざ 浜松の音はざざんざ

これ以上の長さでは出てこない。狂言でも、お酌や一杯飲んだあとにこの一節だけ、また検索してその演目に入っているとあっても和泉流などの本には記述が無い場合もあり、アドリブ的に挿入されてきた小歌のようだ。普通に考えるともう少し長い歌謡があってそれを狂言が切り取ったと推測したいところだけれど、この前後を見つけることはできなかった。

この「浜松」は普通名詞で、「浜松の音」は、浜の松風の音ということになる。実際淡路島を見ているのだから、地名の浜松ではない。一方、静岡県浜松市には、足利将軍義教が富士見下向の折にこの歌を謡ったとか(曳馬捨遺 )、家康の酒宴の場で歌われたという説もある。浜松市のざざんざの松は歌枕となり、ざざんざ織という織物もあって、ざざんざの由来となる伝承が残っている。

それでは、実際どのように歌われたか、動画を見てみよう。

【狂言】どうしても酒が飲みたい二人の工夫|棒縛り  
(6分10秒ごろから「ざざんざぁ 浜松の音はざざんざぁ」そのあと笑い)


日本舞踊 第三回「茶壷」藤間勘十郎  
(4分45秒ごろから「ざざんざぁ 浜松の音はざざんざぁ」)


狂言では、やはりお酒にからめて謡われて、そのあと笑い声が入って陽気に酒宴が盛り上がるという場面が多いようだ。この節回しについては知識がなくて解説できないけれど、とりあえず貞柳の歌もこの調子で歌ってみていただきたい。今のところは貞柳の色々な歌についてリズムを取って歌ってみる、これを心がけていきたいと思う。

さてもそのゝち

2020-10-02 09:46:13 | 家づと
鯛屋貞柳「家づと」(1729年刊)、今日は哀傷の部より一首。


        近松門左衛門一周忌

  さつするに今は安楽国姓爺(コクセンヤ)扨も其後便宜(ビンギ)なけれは


(ブログ主蔵「家つと」16丁ウ・17丁オ)


近松の命日は享保九年の十一月二十二日、これは新暦に直すと正月になるため、西暦表記では翌年の1725年没と書いてある。ややこしいことだ。したがってこの一周忌は享保十年の冬の歌ということになる。安楽国(極楽浄土)の国に続けて近松の国性爺合戦を詠み込んでいる。近松の時代は曾根崎心中などの世話物よりも、国性爺合戦など時代物の方が大当たりとなったようだ。便宜(びんぎ)は手紙、便りのことで、その後何も言ってよこさないから極楽で楽しくやっているのだろう、ぐらいの意味だろうか。「扨も其後」は浄瑠璃で場面が変わる時に使われる言葉で、近松の辞世からの引用と思われる。


       もし辞世はと問人あらは

  それそ辞世去ほとに扨もそのゝちに残る桜か花しにほはゝ
          
                (近松門左衛門画像辞世文


この歌も文献によっては「それぞ」が「それ」になっていたり、「さる程に」の「に」が抜けていたり「桜が」が「桜の」になっていたりするようだが、この画像辞世文は自筆ということなので、一応これが決定版と考えられる。このテキストだとネットで出てくるような辞世などどうでも良いという解釈にはならないのかもしれない。

前回、家づとのテキストを購入した時の回で、貞柳はリズムの取れない歌があって難解と書いた。我々は三十一文字を五七五七七のリズムで読もうとするけれども、貞柳の歌の中には我々のリズムにはまってくれないものも多い。この近松の辞世も二句目の「さるほどにさても」が何とかならないかと思ってしまう。ところが今回は近松の歌であるから、ここは義太夫節調で読んでみたら、わりとすんなりやり過ごせた。そう読むのが正しいという訳ではないが、貞柳の歌のリズムを探る上でもひとつのヒントにはなるのではないかと思う。文楽は私にとって苦手な分野ではあるけれども、貞柳には浄瑠璃芝居を見て詠んだ歌もあり、少し読んでみないといけないのだろう。

そういえば、栗本軒貞国の浄瑠璃の仏の回で引用した人倫狂歌集の歌に、


  鶯より田舎生まれの竹本はふしになまりの抜けぬ浄るり  季澄


というのがあり、他にも浄瑠璃かたりに対して好意的でない歌が目立つ。江戸っ子にとって上方の義太夫節は受け入れにくい所があったのだろう。江戸狂歌人が貞柳を毛嫌いしているのも根は同じなのかもしれない。

「狂歌手なれの鏡」には貞柳の歌をふまえて詠んだ木端の歌がのっている。


     柳翁の近松門左衛門一周忌に察するに今は安楽
     国姓爺扨も其後便宜なけれはと読るを賞吟して

  とふらひの哥はたい屋の貞しりう嘸や満足ちかまつるらん



(ブログ主蔵「狂歌手なれの鏡」9丁ウ・10丁オ)


賞吟とか言いながら、木端師はダジャレを言いたかっただけのような気もする。さぞや満足した近松も、この歌を見て一転激怒だったかもしれない・・・


  

家つと

2020-08-08 13:35:47 | 家づと
木端の狂歌手なれの鏡をぼちぼち読み進めていたところ、ヤフオクに貞柳の「家づと」が出品されているのを見つけた。貞柳は国会図書館デジタルコレクションにある「貞柳翁狂歌全集類題」を読んではみたけれど、私にとっては難解であった。五七五七七に読めない歌も多くある。貞柳の狂歌集も一冊欲しいかなと思って購入することにした。本体は五千五百円、送料は先方の指定で着払いとなっていて、手数料合わせて201円を対面で払わなければならなかったのはこの時期郵便局の方にとっても気の毒なことであった。しかし、先方の学識者と思われる方はまだまだ狂歌集を持っていらっしゃるようなので、今後のためにも注文をつける訳にはいかない。そして、届いた本は虫食いもなく状態の良い本であった。巻末に享保十四年(1729)七月とあるけれど、後年の再版ということもあるのでこの本の出版年はわからない。この出版の年でいえば、「享保十四年四月長崎より大象大坂に来る」と題した歌が七首入っていて、扉にも、象が月を見上げている絵に讃を入れる貞柳の挿絵が載っている。挿絵の歌は、


       画象讃

  細い目てふりさけ見るはふる里の象山とやらに出し月かも


とある。象の来訪は出版直前の出来事ながら、やはり一大事だったようだ。






最初に書いたリズムが取れない歌のいくつかは、鱗を「うろくず」、絵馬を「えんま」などの読み方で解決できたものもあった。しかし仮名六つで七音というのもあって、まだまだ貞柳は難解である。大田南畝の狂歌を理解するには四書五経など漢籍の知識が必要だが、貞柳の場合はいわゆる浪花の人情に加えて俗謡はやり歌など、上方のリズムが私にとっては大きな壁になっているように感じる。野崎左文は第一人者の貞柳でさえこの程度なのだからと上方狂歌を酷評したが、果たして貞柳は正しく理解されていたのかどうか、その点も疑わしく思える。少し私の能力を超えているような気もするが、読む努力をしてみたい。

難解といえば、貞国の「十八のきみ」の回で紹介した貞柳の藤の歌、「貞柳翁狂歌全集類題」(追記参照)では、


    藤

 松は千代まさいるくとや白藤はねちゑんかうん風にうなつく


子供の頃、クリスマスの歌の「シュワキマセリ」はキリスト教の呪文だと思っていたけれど、この歌も呪文のようにわからない言葉が上の句と下の句にあってお手上げであった。ところが、「家づと」の同じ歌は、


          藤

  松は千代まさいらくとや白藤はねちゑんかうん風にうなつく





と一文字違っていて、「まさいらく」なら書籍検索で引っかかってこれは萬歳楽の事のようだ。これで上の句の呪文は解読できた。下の句は依然として謎であるが、上の句が読めたことによって方向は見えてきた。以前、貞国の「にかのおたとえ」の回で熊膽(くまのゐ)は胃が棒捻(ばうねぢ) するほど苦いという木端の歌を紹介した。「ねち」はねじる、すなわち藤が松に巻き付きながらねじれて登っていく様を表しているのだろう。すると、

 松は千代、萬歳楽でめでたいという理由で白藤よお前は松にねじれて登っていくのか、と問うたら白藤は「うん」と風にうなずいた。

と解釈できるだろうか。その方向だとしても、まだ「ねちゑん」が何かわかっていない。「ねぢれん」が「れぢゑん」と変化したのか。それとも棒捻と同じような捻縁みたいな言葉があるのか、ここは探してみないといけない。全部わかってから書けと言われるかもしれない。専門家の論文ならそうだろうが、素人のブログであるから途中経過が面白いということでご容赦いただきたい。とにかく、和書を手にするとぐんとモチベーションが上がる。これは絶対無理と思っていた歌も、手掛かりが見えてきた。すると次の一冊が欲しくなるところではあるけれども、予算の都合でそうホイホイ買う訳にもいかない。ここは今ある二冊をじっくり読んでみたいものだ。

【追記】
狂歌文庫「貞柳翁狂歌全集類題」の「まさいるく」は、その後手に入れた木版本では「家づと」と同じく「まさいらく」と読めた。


(ブログ主蔵「貞柳翁狂歌全集類題」13ウ・14オ)