前に貞国の「狂歌家の風」から「花」と題した二首について書いた時に、タイトルの「山々うれし」が入った歌があったのだけど、もう一首の「花のまさかり」に重点を置いたため中途半端に終わってしまった。新しい用例を見つけた事でもあるし、少し書いてみたい。まずは、貞国の歌、
花
きかゝりもなくて山々うれしとは花見にかきる言葉なるらん
気がかりも無く「山々うれし」と言えるのは花見に限るといっている。前回書いた時は落語「文違い」から「山々うれし」の用例を紹介した。もう一度あげておくと、
「あらいやだ、女の手紙だよ、まァいやだねえ、こんな手紙(もの)を持ってるんだよ・・・締麗な筆跡(て)だねえ、まァ・・・ェェひと筆しめしまいらせ候、先夜はゆるゆるおん目もじいたし、やまやまうれしく存じまいらせ・・・あらいやだ、こんな女と逢ってるんだねエ。だから男ってものは油断ができないよ」
生き生きとしたセリフが面白いところだが、ここでは後朝の手紙の中で「山々うれし」とあった。そして最近手紙文のお手本のような本をいくつか読んでみたところ、恋文を集めた二つの本に「山々うれし」が出てきた。次に紹介する画像は二冊の別々の本であるが、残念ながら二冊とも表紙が痛んでいて書名を読み取ることはできていない。
最初の画像は「末を契る文」と題して、
「此間はゆるゆる御目もじ致しつもる御話致し山々うれしく」
とあり、二つ目は「あふて後に遣はす文」に、
「ゆふしはよき折から御ゆるゆると御けんいたしやまやまうれしく」
とあって、上の落語の例と同じように後朝の手紙の中で「山々うれし」が使われている。「ゆふし」は「ゆふじ」だろうか。前回書いた時には用例ひとつだけであったが、こうしてみると男女が会った後の文に「山々うれし」は決まり文句のように使われていたようだ。すると貞国の歌は、恋愛だったら山々うれしと書いても全く気がかり無しとはいかないけれど花見ならば、ということだろうか。「あひみての後の心にくらぶれば」の歌と似たような趣向かもしれない。ここであとひとつ残る問題としては、貞国の時代の人は桜が咲いた山を見上げて「山々うれし」と言っていたのかどうか、次はこちらを見つけないといけない。
今回のお話は一応これでおしまい。しかし、お気づきのように、手紙文の上段に細かい字で何やら良からぬことが書いてある。せっかくだから少し紹介してみたい。以下は閲覧注意と申し上げておきます。
まずは、最初の画像の上段には体位みたいなことが書いてあって、これを書き出すのもアレなので別の個所の画像、
ここには秘伝の薬「緑鶯膏」の調合が書いてあって、そのあとに、
「○此くらいの丸薬となし女のゆだんを見すましふゐに玉門へ二三りうおしこむべし其とき女きもをつぶし又ははらをたつをしつかりだいてゐていろいろとくどくべしふいの事なればはじめは不承知なれど玉中のあたゝかみにて丸やくとけて薬力まはると」
これはもちろん現代では犯罪だけど、しかし女性がちょっと油断したぐらいではとても実現不可能だろう。江戸時代だとこういう事もあったのだろうか。
二つ目の手紙の上段は「夫婦和合の事」という題で、ラスト2行に、「こゝをもつて女はずい分よがるべきこと肝要(なるべし)」とある。これはこの「夫婦和合の事」で繰り返し説かれていて、最初の部分を見てみると、
「それ夫婦和合の道は人間第一の根元家内繁昌の基なり是閨中の一儀にのみ和合の道そなはれり譬(たとへ)女見にくききりやうにもせよ交合のときよくなきよがりて女のかたより口をすひ大あせをながしもてなすときは男喜悦しそれよりはきりようにかまはずいかに顔かたちうつくしきとても肝心の一儀間ぬけにて石仏をいだき寝たるやうなるは興さめて男ふたゝびしたふ事なしさるにより人の女房たるものはおとこの気に入るやうに一儀のときことによがるべき事肝要なり」
とある。この本には所有者の書き込み「N県K村○○○○女」とあって娘さんに持たせたのだろうか。これが江戸時代の一般常識かどうかはわからないし、当方あまり元気がないのでこの手の本をもっと調べてみようとは考えていない。この本に書いてあっただけかもしれないということ、ご理解いただきたい。