阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

赤ちょうちん

2021-04-01 01:30:29 | エイプリルフール
それは突然のことでございました。ある朝、工事の人たちがやってきて住処をすっかり壊されてしまったのでございます。我が家は京橋川にかかる常葉橋のたもと清正公の祠の近くにありました。二葉山の眺望はもう五十年ちかく前に新幹線の高架によって遮られてしまった上に、新幹線の下を走る山陽本線とともにガタガタ騒音を発して決して良い住環境とは言えませんでした。また、並びと比べても一番小さな家でした。しかしそれでも住み慣れた家があっという間に更地にされてしまったのはむごい事でした。今は狭い所におし込められ、縁の者も訪ねて来ることはありません。

いえ、若い人たちに恨みを言っているのではありません。むしろ、今のコロナ禍においては、若者や子供たちに不自由な思いをさせて気の毒な限りだと思っております。遠い昔、私どもにも青春というものがございましたが、若い頃の時間は、今よりもずっと貴重であったと思います。もちろん失敗や後悔も多いのが青春ではありますけれど、間違いなくかけがえのない時を経て今に至っていると言えるでしょう。とにかくその貴重な若者たちの時間を、すでに一年以上にわたって色々と制限を加えているのでございます。そして、高齢者など高リスクの人にうつさないために若者も自制してほしいという理由付けがなされていることを、我々はいつも心に留めておく必要があります。いつまでマスクをしなければならないかと当たり散らすのは見苦しい限りでございます。私としてはワクチンは高齢者より先に若者に接種をお願いして自由に行動できるようになっていただきたいと願っております。

だいたい我々の世代と申しますと、原発の核のゴミは次の世代に先送り、干潟も里山も壊してプラスチックごみを海洋に流出させて、ウナギやマグロは食い尽し、 温暖化に歯止めがかからず豪雨災害が多発、バブルの借金残して少子高齢化対策は不十分で、政治は与野党ともに知恵が無く、官僚も企業も旧態依然で国際競争もおぼつかない、後世の日本史の本にはおそらくダメダメな時代として記述されることでしょう。しかしながら、だからといって卑屈になることはありません。上皇陛下も仰せのごとく、若者を戦地に送り出すことが無かったのは大事なことでございます。ここは若者に一歩譲る心を持ちながら堂々と過ごしたいと存じます。人出が増えているとニュースで聞いたら、その分我々がバランスをとって少し我慢するぐらいの心持ちはいかがでしょうか。公園で元気よく遊ぶ子供たちにクレームを入れる高齢者というのはいただけない事でございますが、お元気であるならば引きこもることはなく、今般のルールをしっかり守って用心しながら出かけて行けば良いと思うのです。ですから今回のことも、時代の流れなのでしょう。

清和の候、あるいは花紅柳緑の好時節と称される四月のはじめの日に、何でじめじめとくだらない話を続けているのかいい加減にしろという声が先程から聞こえてくるような気がします。おっしゃる通りでございます。今のパンデミックも旅行や外食自体が悪いのでなく、多くはおしゃべりでうつるのだと聞いております。まさに口は禍のもとでございます。しかし私も、風柔らかに一入長閑に御座候とはいかなかった、いえ、そろそろ終わりに致します。近ごろは大声で歌うのも要注意ではあるのですが、最後にちょっとだけ、私がまだ生きていた頃の、それこそ青春時代の歌の一節を聞いていただきたく存じます。赤ちょうちんという歌です。曰く、


   貨物列車が通ると揺れた

   ふたりに似合いの墓でした


ああ昭和は懐かしい。もう一度夜の巷に繰り出したい。しかし今、ここはいかにも狭苦しいのです。化けて出るにも赤ちょうちんとはいかなくて、人魂も秋田の竿灯のごとく串刺し鈴なりなのでございます。 合掌。

闇夜のヤギ

2020-04-01 09:29:17 | エイプリルフール

 今年も桜の季節になりました。しかし疫病蔓延で大変な世の中、私も日々お薬師様やアマビエ様アマビコ様そして少彦名命にお祈りしておりますけれど、一向にトンネルの出口が見えません。一昨日は延期になったオリンピックの日程が決まったというニュースがありました。とんでもなく愚かな、鬼が笑うとはまさにこの事でございます。来夏まで生き延びられるかどうか、全くおぼつかない事でございます。

 もちろん最近はサッカー観戦に出かけることも出来なくて、家にいることが多く、ストレスもあって体重が増えて行く一方です。好きな言葉ではありませんが、引きこもりも決して楽な生き方では無いことを知りました。思い切り声を出してサッカーを応援するのは一体いつのことになりますやら。そういえば最近、夜中に寝ておりますと、どこかから動物の鳴き声がする。うちは山が近く、鹿はよくやって来ます。しかし、鹿のピイという鳴き声とは違う。メエと聞こえるのです。それもどうやら隣の四畳半、フラッグやユニフォーム等応援七つ道具が置いてある部屋から聞こえるような。色々考えてみますと、最近は騒音問題からタイコを叩けないグランドが多く、代わりに持って出かけるヤギ皮のタンバリン、これが夜な夜な啼いていると思われます。ヤギも狭い四畳半に押し込められているのが嫌なのでございましょう。

 さて、このような日々を、いかに生きるべきなのか。辞世の歌を詠んでおく、というのはいかにも後ろ向きでございます。仏門に入ることも考えましたけれど、こないだ写経した薬師瑠璃光如来本願功徳経には、話題の歯磨きうがい手洗いの後のくだりで、坊主にしっかりお布施しろと書いてありました。宗教というのはそういうものでございましょう。いや、宗教でなくともお金がなくては生きていけませんけれども。とにかく、出家にも費用がかかるようでございます。それではどうやってこの陰鬱たる日々をやり過ごせば良いのでしょうか。昨日、春名風花さんのツイッターで、「沁みる」という漢字の使い方が話題になっていました。調べてみると、中国には「沁人心脾」という成語があって、体にしみわたり人を気持ちよくさせる、また、文学詩歌が人をすがすがしい気持ちにさせるという意味でもあるようでございます。今必要なのは、まさにこれ、文学詩歌芸術ではないでしょうか。芸術の分野は今は自粛で大変厳しいと聞きますけれど、国の方でもなんとか考えてもらわなければなりません。そして、すがすがしい気持ち、長く忘れていた感情かもしれませんが、この言葉を見た時に、あなた様の事を思い出しました。今年はシートを敷いての花見は自粛とのことでございます。それなら、桜餅でも食べながら、桜の下でお話したいものでございます。いや、ふられたのを忘れた訳ではありません。ちゃんとソーシャルディスダンシング、2メートルの距離は守るつもりです。 桜餅は松江のが好物ですが、今は移動も自粛で買いに行く訳にも参りません。その辺ので結構でございます。桜の木の下で、文学詩歌についてすがすがしく語り合おうではありませんか。来年まではわかりませんが、なんとかこの四月を生き延びて、五月の風に吹かれたいものです。桜の咲き誇りたる卯月の始めの日に、あなた様の事を思ひ出でて、一筆申し上げ参らせ候。めでたくかしこ。


  たれこめて君のくちびる思ひ居れば闇夜に May とヤギ皮の泣く



寄食欲恋

2019-04-01 00:04:16 | エイプリルフール

花の真盛り、とはいえ春霞深く見通しが良いとはいえない世の中でございます。本日世間では元号がどうとか騒がしけれど私どもにはあまり縁のないこと。それよりも貴女には御体調よろしからずと聞き及び、これこそ重大事なれば一筆さし上げたく存じます。

聞けば食欲も落ちていらっしゃるとか。まことに失礼ながら、貴女の一番の魅力は、よく召し上がり、よくお話になることと存じ上げます。食欲のない貴女を想像するのは難しい。くれぐれもお大事になさってください。以前、貴女から聞いたお話に、一人でお食事中に隣の席のカップルの男性の方が貴女を何度もちらちら見て不快な思いをされたとありました。彼女の方を見ていればいいのにと。しかしながら、 私にはその男の気持ちが良くわかります。これもまた失礼を申し上げますが、貴女の丈夫な前歯や下アゴがひとたび動いて肉にかぶりつき、またタコヤキを勢いよくほおばる御姿は、それはそれは美しく人をひきつけるものがあるのです。その男はきっと貴女の素敵な食べっぷりに見とれていた、見ずにはいられなかったのだと思います。そして、最近はお会いする機会もございませんから、私はその男がとっても羨ましい。私も是非またご一緒させていただきたく、まずはご回復を心よりお祈り申し上げます。

さて、ここまで読んで下さったのならば私がこれから言わんとする事はすんなりとご理解いただけるのではないかと思います。ええ、しかしお待ちください。今は困ります。召し上がっていただくのはまだ半年先、もう少し仲良くなったあとでございます。大蟷螂上人の被食成仏偈にも、

 

   春朝隠狙桜花中   (春の朝隠れて狙う桜花の中)

   秋夕令雌食虫虫   (秋の夕雌をして食せしむムシムシと)

   雖滅身卵養分成   (身は滅ぶといえども卵の養分と成る)

   是我喜悦如舞宙   (是れ我が喜悦にして宙を舞うがごとし)

 

 とあります。近頃人間界では人材も使い捨てとか、会社や国のために命を削るのは遠慮申し上げますが、貴女に食べられるのなら話は別でございます。貴女の少し分厚いくちびるが私の・・・いや、今はやめておきましょう。ひたすら紅葉の頃を待ち遠しく思います。ただその前に、実り多き秋を迎えるために、お互い厳しい夏を乗り越えなければなりません。もうじきヒヨドリも活発になって我々を狙う時期が参ります。それに近頃の気候は亜熱帯にて酷暑豪雨も当然至極と聞くにつけ、これからが試練の季節、お体には十分御注意なさいませ。それでは、卯月のはじめの朝に満開の桜を眺めつつ、鎌切右大臣の歌三首を添えて御見舞い申上候。

 

   タコヤキにうどん牛丼みな食べてサッカー語る唇なつかし

 

  カマキリのように食べられても良いと今度会ったら言ってみようか

 

   幸せはまだ先にあり しかはあれど今日の桜を仰ぎてぞみる 

 

 

 (この手紙はフォロワーさんのツイートをモチーフにして綴りましたけれども、人間のフォロワーさんに宛てたものではありません。)

   


シュートの精度を上げる応援(募集は終了しました)

2014-04-01 00:01:38 | エイプリルフール

 応援に二つの不如意ありという。ひとつはピンチをチャンスに変える応援。劣勢の場面で集中力をもってしのぎ、良いリズムの時間帯にはさらにかさにかかって攻勢を強めようという応援はあるけれども、ピンチを一瞬にしてチャンスに転ずる応援はない。流れを変えるきっかけは、やはり選手たちによってつかんでもらわなければならない。

 もう一つは、シュートの精度を上げる応援。日本人はシュートを打つとき求められる精神の沈静がへたくそな民族で騒ぎ立てるのは逆効果、PKも味方が蹴る時は静かに、相手が蹴る時はうるさくするのが一般的だ。少年サッカーでも、子供の名前を叫ぶのはシュートが終わってからにした方がいいと言われた人もいるはずだ。フィニッシュの場面では選手個人でゴールをこじあけるしかなく、サポーターにできることは少ないとされている。

 しかしながら、果たしてそう決め付けて良いものだろうか。世の中には不快な音も数多くあるが、逆に心地良い音も少なくない。シュートを打つ選手の脳内に響いて精度が上がるような音が実は存在しているかもしれない。もし、それをつきとめることができれば応援は今まで以上に大きな力になることだろう。これは以前から考えていたことだけれども、折しも病を得てスタジアムで90分応援する事はかなわない体であるから、今こそ研究を進めてみたいと思い立った。

 最終的にはサポーターの声で応援するのであるから実験も誰かに声を出してもらった方がいいだろう。そこで、協力者を募集したいと思う。やってもらうことは簡単で、吉田サッカー公園のサンフレ選手の練習中、シュートを打つタイミングで、「ぎょーん」「ぴろぴろぴー」「ぱおーん」などなど、いろんな声で叫んでいただきたい。記録係は私が務めて、一種類の声を千回もやれば大丈夫だろう。吉田は山奥にて鹿や猿や山の木々しか聞いてはおらぬ、恥ずかしくはない。選手たちからは頭がおかしいと思われるかもしれないが、これも崇高な任務のためだ。チームのために捨石となること、これサポーターの本懐というべきものなり。

 思い立ったが吉日、善は急げというから、早速行動に移したい。われこそはと思わんサポーターの方、本日4月1日12時までに声をかけていただきたい。貴君の美声が麗しき吉田の里に響き渡り選手たちのシュートが次々に決まれば、タイトル総なめ間違いなしである。