阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

棋聖戦第3局 井山棋聖の106手目

2021-02-07 23:25:54 | 囲碁
以前、AIについて書いた時に、囲碁における妙手とは必ずしも最善手とは限らなくて、見ている人の心を動かす手ではないか、だからAIが人間より先に行ってしまっても妙手に出会えるだろうと書いた。昨日の井山棋聖の106手目は、まさにその妙手の定義に合致する一手だったと思う。囲碁の棋譜にも著作権があって手順はいけないだろうからその場面だけ。いや、手順を示せたとしても私には解説できないのだけど。



幽玄の間の解説が右のウインドウに見えているが、解説のプロ棋士から見ても驚くべき一手だったようだ。もっとも現時点では、この手が最善手だったかどうかはわからない。しかし、最初に書いたように最善かどうかはこの際大したことではない。令和の妙手として囲碁史に残るのは間違いないだろう。

手の解説はできないので、ちょっと話を変えて、最近囲碁の懸賞がよく当たる。最初は去年12月、広島アルミ杯の優勝予想クイズで里菜先生の優勝を当ててカープカレンダーをもらった。




次は先月、棋聖戦第1局の封じ手予想クイズで井山先生の扇子





それからこれも先月、週刊碁の10大ニュースみたいなのに投票したら里菜先生のクリアファイル、里菜先生のファンなのでこれは嬉しかった。





続けて三つ、やはり倍率が低いのかもしれない。もっと囲碁の魅力を多くの人に知ってもらえたら良いのだけど、私が発信するのは中々難しい。そして国内の棋戦では井山先生は強すぎるから、どちらかと言えば相手を応援していることが多くて扇子をもらったのが何となく申し訳ない気持ちだったが、今回の妙手をネット観戦できたことで、この扇子を使える夏の日が待ち遠しくなった。「妙を得る」とはこのことだろうか。




11年ぶり

2020-04-26 10:24:11 | 囲碁
 今回は囲碁のお話。いつもサッカーの試合を見ている動画サービスは今は世界中サッカーやってなくて一時停止にしてある。そして、この二ヶ月は家にいることも多く、今月末のカード払いはびっくりする程少なかった。そこで11年ぶりに、囲碁のネット対局室「幽玄の間」に有料登録してみた。11年前は胆のう炎の手術を受ける前に、しばらくお休みしようと退会してそのままになっていた。

 そしたら私が囲碁から離れていた11年の間にAIが強くなって碁がかなり変わっている。幽玄の間に居座っている3種のAI相手に、一流のプロ棋士も中々勝てない。定石もAIの登場でかなり様変わりしていて、解説付きのプロの碁を観戦して「よくある進行」と参考図が出ても見たことのない形ばかりだ。昔の知り合いもいなくなっていて、浦島太郎とはこのことだろうか。

 それでもせっかく登録したのだから、コロナを忘れて囲碁を楽しみたい。11年前の棋力はぎりぎりの7段、しかし今は無理なので、一つ下がってのんびり打ちたいと思っていた。そして予定通りすぐに6段に落ちた。ブランクもあるし、年を取って読みも集中力も落ちている。仕方ないと思った。しかし6段だとそこそこ勝てる。相手も自分のヘボにかなり付き合ってくれる。それでまた7段に戻った。おそらくこの繰り返しになるのだろう。

 自分の対局以外に、プロの碁を鑑賞することも幽玄の間の楽しみなのだけど、こちらも緊急事態宣言と共に公式対局はストップしてしまった。その代わりに毎日のようにプロ棋士の早碁を見ることができて、これが結構面白い。内容としては時間をかけた公式戦の方が濃いのだろうけど、素人にはそんなことはわからない。早い展開の碁が次々に見られて、今はこれが一番の楽しみだ。

 その中で気になる存在なのが、藤沢里菜先生、女流のタイトルを2つ持っていらっしゃる。藤沢秀行名誉棋聖(故人)のお孫さんということでも知られているが、私にとっては、お父さんの藤沢一就八段には前に登録していた時に指導碁を打っていただいたことがあって、これは忘れられない一局だ。



4子で、私にしてみれば精いっぱい戦った碁だ。上の場面、左上は取られたけれど、中央攻めていけるのではないかと思った。しかしこのあとコウでしのがれ、代わりに左下を取ったけれども10目足りなかった。日付を見ると2006年、里菜先生が11歳で入段したのが平成22年とあるから、その4年前ということになる。

 その里菜先生の碁は、終盤が強く、早碁でも勝率が良い。もちろん素人にはどこが優れているとか言えないのだけど、今は観戦するのが楽しみになっている。先週の日曜はNHK杯に登場ということで、これはどうしても見たい。テレビはほとんど見なくてチャンネル権も無いのだけど、ちょうどネットで同時放送のNHKプラスが始まったところで早速登録した。NHK杯も、かなり久しぶりの視聴であった。里菜先生の相手は小林覚先生、私より少し年齢が上だが、同年代と言っていいだろう。



久しぶりにNHK杯を見て気になった事、それは、石が碁盤の交点から微妙にずれていることだった。これは人間が碁盤と碁石を使って打つ以上当たり前のことだ。しかし考えてみると私はずっとネット対局で碁盤と碁石ではもう三十年以上対局していない。ネット対局室ではもちろん石が少しずれることは無いから、そこが気になるのだろう。できれば、久しぶりに碁盤と碁石で打ってみたいと思うが、今は碁会所も閉じていて難しそうだ。



対局は序盤から白番のさとる先生が手厚く打ち進めて優勢だったようだ。そして、中央黒の一間トビを切り離すワリコミの手が、勝負の決め手のように思われた。解説の吉原由香里先生はこのワリコミを見て、「気付きませんでしたぁ」と笑ってごまかした、とその時は思った。しかし、この記事を書くにあたって見直してみるとそうではなかった。ワリコミを見てまず、ゆかり先生は聞き手の長島梢恵先生と一緒に驚いてみせて、そのあとに「気付きませんでした」と笑ってる。





盤上の解説の前に、表情で何が起きたかを伝えている。これは素人にはありがたいことで、ゆかり先生の解説スキルの高さだろう。昔見ていた頃に比べると、解説も進化していると感じた。

このワリコミによって、さとる先生の勝利は決定的と思われたが、このあと里菜先生が一瞬の隙をついて左上の白の一団を切り離し、逆転勝ちとなった。もちろん里菜先生を応援していたのだけど、同年代のさとる先生が終盤息切れというのは自分も終盤はくたびれているから100パーセントは喜べない終わり方だった。

番組のラストの「私の一手」というコーナーも昔は無かった。里菜先生が挙げた一手は、逆転の場面よりずっと前の、序盤に中央の要点ではなく地合いのバランスを取りながら攻めを意識した一手だった。



里菜先生は「一応先の長い碁になったかな」と締めくくった。終盤に力があるからこその言葉だろう。私には到底真似できない芸当だ。とにかく自分の碁は全く期待できないけれど、観戦の楽しみは大きくなった。しばらくはこれで乗り切りたいものだ。

本因坊算砂の辞世

2020-01-04 21:48:16 | 囲碁
本因坊算砂(ほんいんぼう・さんさ)は囲碁における最初の名人で、信長から家康のころに活躍した人だ。本因坊とは京都、寂光寺の塔頭の名前で、算砂以降は囲碁家元のひとつ本因坊家として、今は毎日新聞社主催の棋戦の名称としてその名を留めている。私も京都で過ごした学生時代は囲碁部に所属していたこともあって、何度か左京区寂光寺の算砂のお墓にお参りしたことがある。最近あれこれ読んでいる狂歌の本の中にその算砂の辞世を見つけて懐かしくもあり、少し書いてみたい。

まずは珍菓亭編 「五十人一首」の算砂の辞世を見てもらおう。珍菓亭とは柳門の祖、貞柳の別号である。上方狂歌の筆頭と言っていい貞柳が選んだ五十人の中に算砂が入っている訳だ。碁盤と算砂の肖像画とともに、次の歌が載っている。


         本因坊算砂

 碁なりせば かうをも立て生べきを死ぬるみちには手もなかりけり


「かう」とは囲碁用語でコウ(劫)のことで、この歌の面白さを知るためにはコウの説明が必要だろう。日本棋院の囲碁入門のコウのページに良い解説があるのだけど、訳の分からないブログのリンクはクリックできないという方も多いだろうから、画像を拝借。



囲碁は孤立した一つの石であるならば、上下左右の四か所を相手に抑えられると取られとなって盤上から除かれてしまう。1図の場合は白が真ん中の一か所空いたところに打てば黒の一子を取ることができ、2図となる。ところが次に黒が打つと、白の一子を取って1図となる。くり返してきりがないから仏教の長い時間を表すコウ(劫)という言葉で呼んでいる。未来永劫の劫といえばわかりやすいだろうか。ルールでは1図から白がコウを取って2図になったら、黒はすぐには取り返すことができず、一手よそに打ってから、その次の手では取り返すことができる。そしたら白もすぐには同じコウは取れなくて、一手おいてからということになる。その他所に一手打つ手をコウを立てる、コウダテと呼んでいる。算砂の歌の「かうをも立(たて)て」はこのことを言っているのだけど、それがどうして「生(いく)べき」につながるのか。

詰将棋といえば、王手を連続して詰みになるまで読めば正解だけど、詰碁は少し事情が違っている。黒から打ち始めて相手の白石の一団を取ってしまえば「黒先白死」という結果になる。また、自分の黒石を取られないように打つ問題ならば「黒先活(生き)」となる。そしてもう一つ、両者最善の攻防の中で上記のコウが生じて、生死はコウの勝ち負けに委ねられる「黒先コウ」という結果になることもある。普通の詰碁ならばここまでであるが、実戦であれば、こちらに有利な結果が全く得られない「手なし」ということもある。下の句の「手もなかりけり」も囲碁ならではの言い方ということになる。つまり、算砂の歌は、

もし囲碁であったならば、死にそうな石でもコウで粘って生きることもできるのに、自分が死ぬとなると打つ手がないことだ

という意味になる。学生時代、よく解説会を聞きに行った宇太郎先生の本から詰碁でコウになる例を見ておこう。宝ヶ池プリンスでの解説会の冒頭だったか、「本因坊の由来をお話ししましょうか」とおっしゃって、みんなタイトル戦の進行が気になって首を横に振ったが、今思うと宇太郎先生が本因坊について語られるのを聞いておけば良かったと思う。



(橋本宇太郎著「詰碁・奥の細道」より、詰碁の解答例。右上は黒先白死であるが、左下は黒先コウが正解となっている。)

これで算砂の歌は理解できたことになるが、算砂とコウといえば、もうひとつ有名なお話がある。それは、本能寺の信長公の御前で算砂が碁を打って、三コウ無勝負という珍しい形が生じ、そして本能寺を退出した直後に本能寺の変が起きたという。三コウについて簡単に書いておくと、上記のようなコウができてコウダテしながら争ったとしても、一手おきに他所に打っているのだから局面は少しずつ進行していく。しかしコウの形が3つ以上あって、お互いに取り番になるコウの場所だけに打って行ったら、一回りして全く同じ局面に戻ることになる。コウ以外の場所には打っていないから、碁が進まない訳だ。今のルールでも同じ局面が二度現れた時点で無勝負ということになっている。また、本能寺の変の直前に三コウが生じたことから不吉の前兆と言われることもある。「爛柯堂棊話」本能寺にて囲棊の事を引用してみよう。


「天正十年信長公光秀が毛利征伐援兵に赴く武者押しをし給んとて江州安土より御登京都本能寺に御座あり六月朔日本因坊と利玄坊の囲棊を御覧あるにその棊に三刧といふもの出来て止む拝見の衆奇異の事に思ひける子の刻過ぐる頃両僧暇給りて半里許り行に金鼓の聲起るを聞き驚きしが是光秀が謀反にして本能寺を圍むにてぞありける後に囲棊の事を思ひ出て前兆といふことも有もの哉と皆云ひあへりとぞ其時の棊譜なりとて今も傳へたり此の棊を思ひ見るに利玄が隅の石を取らるゝを見損じたる本因坊が布置手配りの様子是亦前兆とも云べきか」


この本能寺での対局は途中までの棋譜が伝わっているけれども、三コウができそうな余地は無いという。また日本棋院の囲碁の歴史のページにも、「江戸時代になって伝えられた話で史実とは異なるとする説が今日では有力となっています 」とある。しかし、算砂が秀吉や家康の御前で碁を打ったのは事実らしい。

話を算砂の歌に戻そう。この歌は囲碁名人の辞世という点でも囲碁の用語が入り、それは狂歌という観点からも縁語となっていて良くできた歌といえるだろう。最初に紹介した五十人一首に選ばれるのもうなずける。こういう良くできた辞世を見るたびに思うことは、まだ元気な時に辞世の歌として準備していたのかどうかという事だ。しかし、どうもそうではないようにも思われる。算砂の死後四十年後に編まれた古今夷曲集にはこの歌を


      臨終に棊打なりければ

 棊なりせば劫(こふ)を立てても生くべきに死ぬる道には手もなかりけり 算砂


とあり、語句が少し違っている。また、「坐隠談叢」には、


辞世に曰く
    碁なりせは刧を打ても活くへきに死る途には手もなかりけり
此歌につき「碁ならせば刧なと打ちて活くべきに死ぬるばかりは手もなかりけり」とし又他に「碁ならばや刧をもたてゝ活くべきを死ぬるみちには手一つもなし」とするものもあり茲には加賀の本行院に傳ふる者に據る

と3つのパターンを載せていて、上の2つと合わせて5種類、同じ歌意でありながら語句がどれも微妙に異なっている。これは紙に書かれた辞世の色紙が出発点ではなく、伝言ゲームが行われた結果だろう。本因坊家の口伝が外部に伝わるうちに、様々な表記のずれが生じたのかもしれない。しかし意地悪な見方をすれば、元は算砂の歌ではなかった可能性もあり得るだろう。前に見た一休さんの正月の歌のように、ことわざや慣用句、あるいは歌謡が有名人の歌として伝えられるようになったパターンかもしれない。よくできた辞世であるだけに、名人の歌と言われてみんなすんなり信じてしまったという可能性は考えられないだろうか。

【追記】

美濃の國に野瀬といふ碁打いまはの時、 

  碁なりせば劫を棄ても活くべきに死ぬる道には手一つもなし

とあり、似た歌が算砂でない人の歌として出ている。 醒酔笑は元和9年、算砂の没年に成立とあり、算砂が亡くなる前から似た歌が存在した可能性が高い。


妙手とAI

2018-11-14 10:18:33 | 囲碁

 今回は囲碁のお話。私は中学高校大学と囲碁部に所属してそれなりに情熱を傾けて団体戦では全国大会にも出場した。広島に戻って来てからもネット対局で楽しんでいたけれど、ここ十年は両親が高齢になって家にいても時間をかけて碁に集中できる環境ではなく休止状態だ。したがって現在の囲碁界に詳しいわけではないが、少し前にAlphaGo Zeroの論文を読んでみて少し思うところがあったので書いてみたい。

 囲碁史の中で妙手と言われる手はたくさんあるだろうが、有名なのは秀策の耳赤の一手だろうか。秀策の故郷、尾道市因島にある本因坊秀策囲碁記念館の解説によると、

 

秀策は二度目の帰郷から江戸に帰る途中大阪に立ち寄り、当時準名人位(八段)として名をはせた十一世因碩と対局します。勝負は中盤まで因碩が有利な形勢で進み、秀策が長考を重ね百二十七手目を打ったその時「秀策の勝ち」を予言する男が現れます。その男は医師で、理由を尋ねる門人達に「あの一手で因碩師の耳が赤くなった。動揺し自信を失った証拠」と述べたそうです。

予言通り形勢は逆転し、秀策が勝利します。この一手は、秀策の気力と天分が凝縮した究極の一手だといわれています。

 

とある。ところが、この耳赤の一手は妙手ではない、という話もよく耳にする。直前の126手目のハザマを突いた手が疑問手で、呉清源先生は「若手棋士(40年前)なら第一感で打つ」と発言されているし、ネットで検索したら「私でも打てる」といった話も引っかかる。

しかし、そもそも妙手とはいかなる手のことを言うのであろうか。囲碁の神様から見ると、盤上には最善手(一点とは限らない)のみが存在し、それを超える手はないはずだ。すると妙手か妙手でないかという議論そのものがナンセンスということになる。何やら訳のわからない話になりそうなので、もうひとつのテーマ、AIについて考えてみよう。

AlphaGo Zeroについての論文、

Mastering the Game of Go without Human Knowledge (リンクはpdfファイル)

(ダウンロードしないと見れないようです。すみません)

を読んでみた。もちろん私にはアルゴリズムを記述した部分は理解できない。表題にもあるようにこのAlphaGo Zero”without Human Knowledge”、人間の棋譜を参考にすることなく”self-play algorithm” 自己学習のみでプロ棋士よりも、またそれまでのAIの上を行く棋力に到達した。興味深いのは人間の棋譜をインプットしていないにもかかわらず、途中の段階で我々もお世話になっている基本定石が登場していることだ。AIというのは囲碁の神様、すなわちすべてを読み切る全知全能を目指したものではなく、あくまで人間の思考、学習を極めようという目的があるように思える。囲碁のAIの実力を飛躍的に向上させたとされるモンテカルロ木のアルゴリズムは、取捨選択した候補手については終局まで読んでいるそうだ。後述するセドルさんの「神の一手」のあとAlphaGo Lee(AlphaGoの以前のバージョン)が悪手を連発したことについては当時のモンテカルロ木のアルゴリズムの弱点を露呈したものだという指摘がある。しかし、この取捨選択こそがAIのAIたるゆえんであり、他の分野での応用という意味でも、我々は最終的な実力だけでなく、その途中経過に目を向けた方がいいのだろう。

さらに興味深いのは、シチョウについての記述。

Surprisingly, shicho (“ladder” capture sequences that may span the whole board) – one of the first elements of Go knowledge learned by humans – were only understood by AlphaGo Zero much later in training.

盤を斜めに相手の石を追いかけて取ってしまうシチョウは、碁を覚えたその日に習うことが多く、人間だと視覚的にすぐ理解できるのに、AIには比較的苦手な項目だったようだ。思い出したのは高校生の時、数学の証明問題で、数学の先生が「これはあまり使わない方がいいけれども」と前置きして、「視察により」と黒板に書いた。一目見てわかることを後に続けたのだけど、その後先生が変わって、テストで視察によりと書く者続出で先生がおかんむりだったことがあった。人間が一目でわかることでも論理的数学的に論述しないといけないということなのだろう。これは逆に人間が苦手なことなのかな、話がそれた。

また、色々ネットで調べていくうちに、囲碁のように着手を数値化できるものはAIの得意とするところだけど、これを他の分野に応用となると簡単ではない、実用化できる分野は限られているという指摘をあちこちで見かけた。AIが学習を重ねて行きついた果ては狂気であった、というのはSFの中だけの話ではないかもしれない。

こちらも訳のわからない話になってきた。最後に、セドルさんの「神の一手」に登場してもらおう。前述のAlphaGo Leeに土をつけた一手、



このワリコミはAlphaGo Leeの意表をついて、その後AlphaGo Leeは悪手を連発、セドルさんの勝利となった。この碁は各所で中継されていて、私もリアルタイムで手順を追った。このワリコミによって、本当にAIが動揺したようにみえて、このあとの展開には心を動かされるものがあった。ありきたりな結論で申し訳ないが、妙手とは、見ている人に感動を与える一手のことではないかと思う。そして、セドルさんの一手は囲碁史に残る妙手と断言できる。AIはその後も進化して、今や人間が勝利するのは難しくなったと聞いている。AIの登場で、囲碁界の将来は難しくなった面は確かにあるかもしれない。しかし、考えてみると例えば陸上競技において、人間は自動車や飛行機より遅いから人間の記録には意味がないという話は聞いたことがない。AIが先に行ったからといって、これが最後の妙手だとも思わない。これからも、我々の心を動かすような手に出会えると信じたい。簡単ではないだろうが、悲観することもないだろう。