阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

延長コード

2019-11-22 11:23:04 | 父の闘病
18日の父の通院では造影剤CTの検査が予定されていた。まず検査かなと思っていたけれど、受付で渡されたファイルを見ると先に診察だった。ケアマネさんから電動式たん吸引器の購入に必要な書類(日常生活用具給付意見書)が先生の元に届いていて、却下されることも多くあり文書代が無駄になるかもしれないけど本当に申請するか聞かれた。ここまで退院支援のMさんに色々教わって、退院後もケアマネさんにお膳立てしてもらっていることもあり、ここでやめる訳にもいかない。お願いしますと答えたら、書類に数値が必要ということで最初に2階で肺機能検査、次に地下1階でCT検査、そのあとまた診察という予定に変わった。2つ目のCT検査を待っていたところで電話が鳴った。

実は私は電話が昔から大嫌いで、特に読書やスポーツ中継を見ている時にかかってくると不機嫌になる。最近自動音声でかかってくる奴は1秒で切る。自分でかける時はこちらに頼み事や欲しい情報があるのだから自動音声でも仕方ないと思う。しかし突然かけてきて自動音声とは何事か、とても聞く気になれない。そんなこんなでもちろん自分の携帯は持っていない。今日みたいに病院に行くときは連絡用に父名義の携帯(通話のみ)を持たされている。携帯の使い勝手も慣れてなくて、どこからか確認せずに通話ボタンを押した。

電話は先月まで入院していた病棟の看護師のAさんからだった。Aさんには5月に転院の話が出た時話を聞いてもらったのを覚えている。用件は延長コードを忘れているから取りに来てほしいと。いやそれはうちの物ではなく、看護師さんに持って来ていただいた病院の備品のはずと説明しようとしたら、ちょうど父の名前が呼ばれて移動となった。あとで行きますと言って電話を切った。

この延長コードの件は、上に書いた家庭用たん吸引器をつなぐためのものであり、また私が病室にいた時のことでもありよく覚えている。八月末の咽頭摘出の手術によって、それまで気管切開のカニューレが装着されていた父の喉は、気管を皮膚に縫い付けた永久気管孔に変わった。これはもう一生閉じられることはなく、退院を目指すならば、たん吸引は本人か家族がやらないといけない。もちろん、もう一度畑に立ってほしいという目標を立てて半年間看病してきたのだから、家族でやりますと言ったら退院支援のMさんは「技術を習得してください」と優しい口調で返してくれた。そして看護師さんが家庭用の小さな吸引器を持って来て練習が始まった。また、障害者手帳が下りて吸引器の購入を申請できるまではレンタルということで、Mさんにお願いして病室まで業者に実際に家で使う吸引器を持って来てもらうことになった。

退院が近くなった九月末の月曜日、この日は主治医の面談があって母と二人で病院に行った。車の運転のことを私が言っても絶対聞かないだろうから先生から言ってもらう作戦を立てていて、先生の言葉に父も運転しないと言った。しかし病室に帰るなり「運転してみんとわからん」とボードに書いた。やれやれな感じで病院から帰ったタイミングでMさんから電話がかかってきた。「〇〇〇さんですかあ?」と下の名前で呼ばれてちょっとドキドキしたが、用件は業者が明日11時に病室に吸引器持って来てレンタルの契約をするから引き落としの口座番号と印鑑、そしてレンタルでも買い取りになるタンクとチューブの代金を持って来てくれというものだった。

そして翌日、業者の方がテーブルに吸引器を置いた時に、コンセントが届かないということになった。机とテーブルを入れ替えようとガタガタやっていたら、男性看護師のIさんが延長コードを持って来てくれた。私は自分では用意が良い方だと思うのだけど、さすがにコンセントが届かない事まで頭が回らなかった。そして早速午後からこの機械で吸引の練習をした。そのあと翌月曜日の退院まで一週間、そのまま延長コードのお世話になった。退院の日の忘れ物チェックは看護師のNさん、看護師さんは非常に忙しいのだけど、このNさんは忙しさを感じさせず落ち着いてゆとりがあるように思わせるスキルを持っていて父も信頼していた。延長コードは病院のだと言ってその話は一瞬で終わった。その後どこでどうなったのか、なぜか忘れ物リストに入ってしまったようだ。

話を18日の通院に戻そう。造影剤CTの結果を見て先生は、手術したあたりに空気があると言われた。気管を分離して縫った食道から漏れが生じるのを一番警戒されているようだった。漏れていたら炎症の値が上がっているはずと追加の血液検査、そして鼻からカメラを入れて写真も撮った。その結果、今日のところは大丈夫そうと言われてひと安心。病棟に行ってまたまたお世話になりますと言うところだった。最初の診察は9時であったが時計は13時近くになっていて、あちこちで検査を受けた父はぐったり、食堂に行っても私のカレーを子供用の皿に取って二口食べただけだった。そのあと病棟へ行こうと言ったけれど、父はくたびれ果てていて下で待っていると言う。半年間お世話になった看護師さんに挨拶できるチャンスなのにと思いながら私一人でエレベーターへ、何回も通った道なので目をつぶっていても着ける感じだ。ナースステーションの前まで来たら、PCの台を転がしてこれから病室を回ろうと出てきた看護師のKさんが私に気づいて「どうされました」と聞かれた。さすがに長い入院だったから覚えているようだった。13時過ぎは交代で昼休憩という時間帯で詰所に人影は少なく、手短に説明した。Kさんは棚から延長コードを出して、何か書いてある紙を外した。1分か2分の滞在ですぐに父の待つロビーに戻った。1ヶ月ぶりに会ったKさんからは仕事ができるオーラが出ていて、落ち着いて対応して下さった。半年間の経験でいえば、若くてピッカピカの看護師さんよりも、ベテランで気は優しくて力持ちタイプの看護師さんの方が頼りになる感じで、Kさんは前者と思っていた。1ヶ月見ない間に腕を上げたのだろうか。あるいは、看護師さんが忙しいのはわかっているつもりでありながら、父の入院中は過剰に求めていたのかもしれない。

十月の風

2019-11-02 13:17:39 | 父の闘病
父は先月七日に県病院を退院した。民間病院への転院をはさんで半年以上の入院生活だった。二月の入院で声帯ポリープの切除、悪性であったため一ヶ月あけて三月下旬再入院、放射線治療を行ってGW明けには退院できるはずであった。初期のがんであり、放射線治療で9割治るという説明だった。ところが放射線治療の合併症で声帯に癒着が生じて五月中旬に気管切開となり、のどに装着したカニューレから痰を取ってもらう日々が続いた。そして入院90日となった6月下旬安佐南区の病院に転院、一ヶ月後に県病院に戻って声帯の癒着をレーザー切除して、経過をみて気管切開を閉じるという予定だった。

しかし県病院に戻った翌日、七月下旬の手術で声帯に新たな腫瘍が見つかり、主治医から咽頭摘出の手術を提案された。父は86歳の高齢ということもあり、がんの再発や転移のスピードは比較的遅いのではないかと思っていただけにショックだった。これ以上手術を重ねるのは酷ではないかと思い、手術せず放置したらどうなるか聞こうとしたその前に、「他に方法がないならお願いします」と父が筆談ボードに書いた。

全身麻酔の手術は今年だけで3度目、そのたびに麻酔科の先生の話は厳しさを増して、今回は脳こうそくのリスクについて父に背を向けて私だけに説明があった。八月末の手術は4時間半に及び、二週間後の検査でも食道に漏れはなく、九月中旬口から食事がとれるようになり十月七日の退院となった。

退院してまず、父は楽しみにしていたビールを口にした。しかし体が受け付けなかったようで二日でやめてしまった。食事も入院中食べたいと言っていた天ぷらや脂っこい肉料理はあまり食べない。以前は見向きもしなかった白身魚は食べるようになった。それとおかゆとひきわり納豆を少量、カロリーが足りないから栄養補助の缶も飲んでいる。

飲み食いの楽しみはなくなったように見える父ではあるけれど、もう一つの楽しみである家庭菜園には元気に立てるようになった。主治医の先生に気管孔から虫が入ったら肺炎になると言われたせいで喉をしっかりガードして、季節外れの黄砂にも気を遣いながら腰を下ろして庭を眺めている。気管切開になった時、がんが再発した時も父がもう一度野菜作りできるようにと退院に向けて気持ちを切り替えてきただけに、父が畑に出ている時間が我が家にとっては一番心が安らぐ時間と言ってもいいだろう。

しかし、庭に出るようになると、肥料や苗や種を買いに行きたいと、父は再び運転するようになってしまった。前にも「父と運転」と題して書いたように、もう運転はやめてもらいたいと思っている。今は運転していてもいつ気管孔から痰が出てくるかわからない。長い入院で体力も落ちている。私が言っても聞かないから先生、病棟の看護師さん、そして退院支援の看護師さんにも退院前に念を押してもらっていた。しかし誰が言っても聞かない。咽頭摘出は障がい者3級、吸痰など必要なことから要介護もついた。しかしそれでも父は運転をやめない。それに油断していると一人でホームセンターや農協に行ってしまう。三日前も運転のことで口論のあと、一人で筆談ボード持って運転して玉ねぎの苗を買ってきた。それ以後一人では行かせないようにしているが、一緒に乗って行くと、車庫入れ、特に屋内の駐車場みたいなところでは急に暗くなるからだろうか、危うさを感じる。言えば喧嘩になる。訪問看護ステーションの所長さんは鍵を隠せと言われるが、そしたら大暴れだろう。もはや、人を傷つけることなく駐車場での物損事故で終わりになるよう祈るしかない。

週に一度来てもらっている訪問看護の看護師さんには、気管孔のケアと洗髪をお願いしている。気管孔は喉のわりと上の方に開いていて、水が入らないように洗髪するのは我々には中々難しい。昨日も来ていただいて、その看護師さんと家庭菜園の話になって、父がふとボードに「外に出ると空気がうまい」と書いた。ハッとした。家族にはこんなことは言わない。食事は何を食べさせてもうまいと言わないのに、空気がうまいとは。父が入院していた八階の病室は温度差も埃もなく、それに比べてこのあたりは盆地で朝晩の温度差もあり、畑の砂ぼこりや虫、そして冷たい空気が直接気管孔から肺に入るのを、神経質な父はいつも心配している。それに、咽頭摘出により気管は分離されて口や鼻は食道にしかつながっていない。鼻を息が通ることはなくなって先日好物のマツタケをいただいても残念ながら香りがわからなかったという。のどの気管孔から空気を吸い込んで、空気がうまいとはいかなる感覚なのか、私には理解しにくい面もある。しかしそれでも、父が庭で幸せを感じているならば、半年間頑張った甲斐があったというものだ。これから寒くなったらどうなるか、運転の事、食事のカロリーのこと、色々不安は多いのだけど、今は私も、父がうまいと言った秋の空気を心静かに味わっていたいものだ。