阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

短歌 その8 (2014年5月)

2014-05-31 21:23:03 | 短歌(まとめ)

 

 

        君朝

  今日は何かいいことあるよと言いながら歯を磨いてる夢の中の君

 

        キャベツ畑

  甘藍の御殿で瑠璃色衣装着て夜盗蛾パックリ狩る蜥蜴様

 

       試合開始時刻

  坂の上に雲はなくとも君ありて今日も笑顔でタオマフ振るらむ

 

       ユニバでデートと聞いて

  早見優が開会式で歌う見た神戸ユニバよユニバといえば

  保手濱が権田をボコッとゴールした神戸ユニバよユニバといえば

 

       通院

  左利きなれどもバスの押しボタンは右手と知りぬ伸ばせば痛き

 

      平常心 

  寝られなくなるよな激しい言葉さけ励ますプレミアカップ前の夜

 

      初夏小鰯 

  初鰹じゃのうてうちゃあナマンショよ七度洗えば鯛の味じゃけ

 

       プレミアカップ決勝

  ショウヘイの「きてくれますか?」の問いかけに時刻表みてユニ用意する

  2年間やってきたこと いつも通り「世界めざして行こう」と歌う 

  去年までは苦しめられた強風に乗ってシュウタのキックとんでく

  オイオイで先制点とりアレアレで2点目入る勝てる流れじゃ 

  泣かないと決めてた後半ATの大脱走は声しぼりだす

  ピッチから伸ばしたカンジの熱き手を 世界つかんだその手を握る 

  オオイシに「カンピオーネ!」と促され三たび歌えば選手輪になる

  はつ夏のJ-GREENのS1のピッチにでっかい紫の花

 

       嘆体力低下 

  鍬打ちが休み休みになる我にハリーハリーと鳴くシジュウカラ

 

       解春籠 

  花粉去りて窓をあければ柿の芽の淡き緑にアシナガバチ飛ぶ

 

       二年生

  当たられて何度倒されても前へ運ぶかんちゃんきっと大物

  二つ上の高校生でも低く寄せて守るヒロトのボディバランス

 

      当地のお好みは昔より持ち帰りが基本といふことを 

  皿もって買いにいくんよお好みはパリッとせんでも うどんがええんよ

 

       寄蹴球離別

  何年も会えない人を数えつつ「またどこかで」とグランドを去る

 

       ユアスタの君

  幕の陰で急いでドーナツほおばった君が映っているハーフタイム

  紫の几帳の間より垣間見し姫君様は菓子きこしめす

  カマキリのように食べられても良いと今度会ったら言ってみようか

 

       総体男子

  勢いに乗ったもん勝ち県広の25番が縦にぶち抜く 

  赤いコーン逆さにためた水まきの個性素敵な夏の総体

  引退を息継ぎもせず言い切った なぎさ高校10番主将 

  芝だけがサッカーじゃない 砂塵あげて高陽高校トンボ隊ゆく

 

       総体女子

  リードされ「はよパス出せ」と叫ぶ子に「こわーい」と返す女子の総体

  凛として咲く花のごと文教のキャプテン君の声たのもしい

  やる気なく見える走りで何度でも抜け出す廿高女子7番君

  自陣でもフリーで受けてもワンタッチ10番君はあわてんぼうじゃね

  優しげなまなざしなれど中盤でどかんと当たる18番君

  ライン際胸トラップをポンとする音が気になるあさってを見る

  半数の選手が髪をさわってる0対1のあとの整列

  夏空や私服凛々しいキャプテンのラストゲームの挨拶響く

  ユニの子が回れ右したそのあとも取り残されている芝の上

 

       無関心

  隣町の学校Gで幸せよ海外サッカーよそでゆうてくれ

 

       歌道不眠

  たった一首できそこないの歌のせいで寝不足なのはほんま腹立つ

 

      柿葉茶 

  君と見た緑の芝を思いながら色変わるまで柿の葉を蒸す

 

      くわちゃん誕生日 

  くわちゃんの追随許さぬ変顔と はぴばが並ぶ今日のTL

 

      県総体女子走幅跳

  陸上はまるで無知なり競技名に送り仮名なく走幅跳

  スピードはなくて着地は傾いて でも楽しげに一年生とぶ

  まっすぐにレーンの先を見つめてた君手を上げる 時動き出す

  跳躍の技術は全然わからないが個性を少し知る6回目

  一ファンの願いなれども人間の器のごとく大きく跳べ君

 

       頂点時鳥 

  夜更けててっぺんかけたか鳴く鳥にひと月前にと胸張って言う

 

       川土手夕景 

  ホソムギの凛とのびゆく細き葉の先まで見ゆる夕焼けの空

 

  

 


ランダムにサンフレ昔話 その25 レッドカードとオウンゴール

2014-05-22 09:22:53 | サンフレ昔話

10年前の今日、2004年5月22日は、昼間にユースのプリンスリーグで森脇のレッドカードを見て、夜はビッグアーチで相手GKのオウンゴールがあった日。オウンゴールの方は目を離していてその瞬間を見ていないので、森脇の方を中心にふりかえってみたい。

 この日のプリンスリーグ作陽戦はみよし運動公園陸上競技場で11時キックオフ。少し早めに着いて三次ワイナリーでちょっとだけ試飲して、みやげ物を見てまわったら柏餅を売っていた。今夜は柏戦なので買っていこうかとも思ったが暑い一日になりそうなのでここはやめておく。スタジアムに移ってスタンバイしていたら稲田寮長が来て、今日は今年初めて3年生が全員そろうはずだったのに、タクトがケガして佐藤昭大が急遽呼ばれたという話をされる。春先から代表やトップへの帯同などで中々3年生がそろうことはなく、プリンスリーグもここまでは1年生平繁や2年生木原の活躍が目立っていた。スタメンはその平繁が不在で木原がサブに回っているが、この年のプリンスではベストに近い布陣。

 

FW 11くわしん、10前田俊、8田中祐

MF 7柏木

MF 6一誠、12福本

DF 13大屋、3槙野、4藤井大、14森脇

GK 21栗崎

(SUB) GK16金山、DF17中山修、22植野、5田中尚、MF23保手濱、2藤澤、FW20松田、9冨成、15木原

 

 ゲームはこちらが速いパス回しで主導権を握り、前半のシュートは13対0。しかし、前線の俊介とくわしんのコンビというものが無い上に、サイドが使えない。トップの影山コーチ(現岡山監督)が観戦していたが、「どうしても中へ中へと行っちゃう」と渋い顔だった。前半40分の先制点も福本のFKのこぼれを混戦の中で藤井大輔が押し込んだもので、ややストレスのたまる前半だった。

 事件は後半5分、笛が鳴ってから1秒以上の間があっただろうか、そのあと森脇がボコッと蹴ってしまった。これが遅延行為でこの試合2枚目のイエローとなり森脇は退場。1枚目は前半16分、激しいチャージでバチッと音がした。ユース年代では森脇のフィジカルは際立っていて、それゆえのカードのように思われた1枚目はちょっと気の毒だったかもしれない。2枚目は言い訳のしようがないけどね。というわけで、この日のイエロー2枚とも、音とともに記憶に残っている。

 これによって残りの40分は非常に厳しいゲームとなり、守備の時間が長くなって足がつる選手も出たけれどなんとか守りきって1-0で勝利。引き上げてくる選手は疲労感の中にも安堵の表情。

 そんな中で、この日決勝点を決めた藤井大輔が森脇に「なんであんな事したんか」って食ってかかる。確かに、2枚目の遅延はいただけない。そしたら森脇、

「ごめん許して~って(手を合わせて)頼んだけどダメだった」

って笑ってる。藤井もそれ以上言う気が失せたのか「二度とするな!」と言い残して去っていった。今年もEスタで交代後の味方ゴールでピッチに入ったのが2枚目というのがあったけれど、森脇がこういうカードをもらうのは性格であって二度とするなと言っても無理よね。それから、出場停止になった翌週のプリンスの日、森脇はトップチームのナビスコの試合に帯同して国立に行っている。17人目のプラスでベンチ入りはならなかったが、レッドカードのごほうび(?)でトップに帯同したユース選手を他に知らない。森脇の教育に関する苦情はこちらだけではなくて熊本の監督やってる人にも言っていただきたいものだ。いや、まわりが何を言おうと森脇は森脇なのだが・・・

 

  思い切りドカンと蹴って森脇は「失敗した~」と笑い飛ばせり

 

 そのあと仲間に三次駅まで送ってもらって、バスでビッグアーチへ。大塚経由のバスだと三次駅から1時間、ってことは安佐北区の我が家よりも三次駅に住んだ方がビッグアーチに近いということになる。ビッグアーチに高速道路以外の方法で行くのは簡単ではない。

 ナイトゲームの柏戦は、FW3人が田中俊也と双子という珍しい形。しかし、プロのDF陣を崩すにはパワー不足で小野監督の理論が空回りした印象だった。相手の柏も「方向性は悪くない」という幕が出ていてチーム状態は良くないようだ。それで序盤はあまり見せ場のない低調なゲームに見えた。そして、前半17分に問題のオウンゴールが出るわけだが、私は相手GKがキャッチしたところで水を飲んでいて見ていない。スタンドがざわっとどよめいて、スタジアムDJの「ゴール」の声が聞こえたが、何があったのかわからない。ハーフタイムに流れた前半ハイライト映像でやっと確認できた。GKがパスしようとした柏の選手にマークがついたため投げるのをやめようと思ったのがすっぽぬけて入ってしまった格好だった。私が仲間に聞いた印象では、あちらのゴールでもあったし私と同様に目を切っていた人も多くて3割ぐらいの人は見ていなかったようだ。ゲームは後半2点を追加して3-0で勝ったがこちらのシュートは7本、攻撃が機能したとは言えなくてあまり喜べる内容ではなかった。このオウンゴールも私にとっては音の記憶、三つの音の記憶が残っている10年前の5月22日ということになる。

 


短歌の風景 (サッカー雑歌)

2014-05-21 19:40:04 | 短歌の風景

 

 

  阿武山はふるさとの山

  かんちゃんのループシュートが稜線を這う

 

 

 

 

  体開き左に強いパスを出した

  タクムの7が輝いている

 

 

 

 

  たくましく大きく強く速くなった

  二ヶ月ぶりの君かけぬける

 

 

 

 

  PKをバチッと止めて

  首ふって長髪なおしている りくと君

 

 

 


ランダムにサンフレ昔話 その24 カズの51日間(11) 天皇杯決勝vs名古屋

2014-05-21 08:34:11 | サンフレ昔話

このシリーズの最終回は2000年元日の天皇杯決勝、名古屋戦(13時国立)。

 

 あれこれ悩んだけれど、結局新幹線で日帰りを選択。始発の新幹線は予定通り動いてほっとする。Vポイントで買った前段B列は最前列の席、A列はロープが張ってあった。アマのチームが天皇杯に出るとピッチに出る人数とかうるさいのだけれど、ケガでベンチ外のポイチが普通にピッチでアップしている。ユースとかけもちのトレーナーの姿も見えて、決勝戦のアップは特別なのかもしれない。サンフレのスタメンは負傷欠場の沢田に代わって右サイドに伊藤哲也が入った。

FW 26高橋泰

MF 13古賀、15主税

MF 17服部、4桑原、38カズ、5伊藤哲

DF 19上村、18ポポヴィッチ、6フォックス

GK 16下田

(SUB) GK1前川、DF23川島、MF8吉田康、9山口敏、21大久保誠

 

 

 前半はお互いにシュートのない展開。上村がペナ内で倒されるシーンがあったが笛は鳴らず、あとから考えると唯一のチャンスだったかもしれない。主審の岡田さんは良く言えば研究熱心、悪く言えば先入観の入ったジャッジをする印象でウエミーはずるい部類にインプットされていたのだろう。0-0でハーフタイムとなって良く食い下がってはいたけれど、得点の可能性という点では相手に分があると言わざるを得ない。ハーフタイムにアメリカでの新年カウントダウンが映像に映って、このためにキックオフが30分早まったのだろうか。こっちは2000年問題で間に合うかびくびくしながら来たのにと腹が立った。

 後半頭から、ポポヴィッチとカズがベンチに下がる。ポポヴィッチはケガが再発したのだろうか、この交代は痛かった。カズは腰痛、50日間トップチームで練習、ゲームをこなしたことが徐々に負担になっていったのかもしれない。余談ではあるが、サンフレから後に高校生でプロ契約した洋次郎や岡本も腰痛が出た。サッカーにおける飛び級は魅力ではあるけれど、上で長期間練習することによる体への負担についても考えてみる必要があると思う。

 後半は名古屋が決定機を逃さず2点取ったのに対して、こちらは決定機といえるような場面はなかった。強いて言えば、けっこうあった服部のCKをことごとく楢崎にキャッチされたのがもったいなかった。0-2で準優勝、最後は総合力の差が出た印象だった。

 表彰式、カズはユタカのあとに続いて準優勝メダルを受け取る。桑原はすぐにメダルを外してしまった。ヤンセン時代の2度の決勝よりは食い下がったと思うが、またしても1点が遠かった・・・

 99年シーズンは、序盤戦ではルーキー高橋泰のデビューがあり、終盤には高校生のカズが8試合に出場、私にとっては面白いシーズンだった。12月下旬は2日に1回のペースでサッカーを見に行ったことになる。しかし当時は、森和幸が何者なのか、将来どんな選手になるのか全く予想できなかった。ピッチでは声が出ていないし、率先してユニを汚すタイプでもない、温室育ちのイメージもあった。ご存知のようにその後カズはサンフレの中心選手となって今や若い選手のお手本になる立場だけれど、若手がカズのマネをしようとするとうまく行かなくて、おとなしく中途半端なプレーになってしまう。そういう選手が何人かいたと思う。今考えると、カズは特異なケースで、カズのユース時代を他の選手と比べて語ること自体、間違いなのだろう。あるいは、育成はケースバイケースで選手一人一人に別々の公式があるということなのかもしれない。声が出てないとダメ、スライディングしないとダメ、気持ちが前面に出てないとダメ・・・この時代のカズや駒野は、そう決め付けてはいけないという証拠でもある。

 


ランダムにサンフレ昔話 その23 カズの51日間(10) 濃霧

2014-05-20 08:49:23 | サンフレ昔話

10回目は1999年12月28日(火)、30日(木)の吉田サッカー公園での練習について。

 

 準決勝の翌日27日はVポイントでチケットを購入。今のような競争率ではなくて行列もなく普通にメイン指定席が買えた。元日までに1日練習を見たくて28日に吉田へ。しかし、目を開けていられないほどの濃霧で非公開練習みたいなもんだった。

 チーム事情があれこれ伝わってきて、沢田は重傷、森保も元日は難しい。ポポヴィッチとフォックスも万全ではない。また、森山泰行もベンチには入らずこのままチームを離れるのではないかという噂で、あまり明るいニュースはなかった。しかしピッチではコウジと駒野がベンチ入りに向けて頑張っている。私にとってはこれが気になるところで、30日の移動前の練習も見に行くことにした。

 30日は報道陣が大勢来ていたが、やはり濃霧で自動的に秘密練習。平塚で現役を引退して来年からユースのコーチになると聞いていたゴリさんがいたから話しかけてみる。ゴリさんのサンフレでのラストゲームは96年の元日だった。そんな話をしていたら、元日にラジオの実況をするというTBSの清原アナが私にも名刺をくれる。ゴリさんと話していたから関係者に見えたのだろうか。ピッチでは、コウジや駒野がベンチ入りに向けてアピールしているはずだが、とにかく霧で見えない。当日撮った写真を2枚見てもらうが、どちらがカズなのか判別が難しい。森ファンの分析をお待ちしています。

 当時はクラブハウス2階のバルコニーにサポーターも入って見ることができた。また今食堂にしている建物はまだ完成してなくて、クラブハウス2階が食堂だった。そのバルコニーの椅子に座ってベンチ入り情報を待っていたら、問題の2人が出てきて、駒野「まだわかりません」、コウジ「入れなかったら親と(国立に)行きます」 私も年末の用事が残っていたので、これだけ聞いて宮の城のバス停へと急いだ。結果は2人とも残念ながらベンチ外。あとから聞いた話では、ポイチがユースの3人を車に乗せて安芸区の森家でコウジと駒野を降ろして駒野はそこから帰省、折り返しポイチとカズは空港へ、時間的に相当厳しい移動だったそうだ。

 いよいよ元日決勝。しかし、2000年問題が何者なのかわからない上にキックオフが例年より30分早い13時。間に合うようにたどり着けるかどうか不安を残したまま、当日を待つことになった・・・

 


ランダムにサンフレ昔話 その22 カズの51日間(9) 天皇杯準決勝vsV川崎

2014-05-19 18:59:49 | サンフレ昔話

9回目は1999年12月26日(日)15時キックオフの天皇杯準決勝、ヴェルディ川崎戦について。

 

 仙台での準々決勝から中2日、準決勝は長居でヴェルディとの対戦。中に入ったらJユースカップを決勝をやっていて、コウジたちが敗れたF・マリノスユースが戦っていたが、2-0のスコアで神戸が優勝という結果だった。ただ、次にサンフレのゲームが控えていると思うといまひとつ集中して見られなかった。3年後には立場が替わってユースの応援に来る事になったのだが、その時は天皇杯準決勝のためスタンバイしていたジェフサポがタイコを貸してくれた。前座でJユース決勝をやっていた頃の思い出だ。話を戻す。

 サンフレのスタメンは仙台戦と全く同じ。石塚に先制点を取られてリーグ戦だとずるずる後退するところがなぜかこの天皇杯ではあっさり前半のうちに逆転、2-1でハーフタイムとなる。しかし、沢田とフォックスが負傷交代で喜べる感じではなかった。

 ところが後半は川島のゴールを皮切りにゴールラッシュ。もちろん、トーナメントだから負けている相手がリスクを負って攻めてきたということもあるが、それにしても後半5点で7-2の勝利は驚きだった。主税がハット、ユタカが2点、あとは川島と大久保の得点だった。ゴール裏はお祭り騒ぎで子供たちやにわかファンも集まってきて後半はすごくにぎやかだった。トムソン監督時代のサンフレはとにかく地味な印象で、セミファイナルで7点は本当に何が起きたのかと思った。「国立に行こう」と何度も歌っていたけれど、私は大阪18時が18きっぷのリミットなのでお先に失礼した・・・

(翌日の中国新聞、右端がカズ)

 負傷者が2人出たこともあってカズはフル出場。終盤はきつそうだったが3人目の交代は主税だった。これでいよいよ元日国立のピッチに、高校生のカズが立つ事になった。また、沢田の負傷によって、コウジや駒野にもベンチ入りの可能性が出て、残りの練習でチャレンジする事になる。世間は2000年問題が大詰めで、元日の交通機関が平常通り動くかどうか様々な情報が飛び交っていた。飛行機が落ちるという不穏な噂もあった。まさか自分たちに関係のある話だとは思っていなかったのだけれど、サンフレサポは東京入りの方法について頭を悩ませることになった・・・

(1面にも決勝進出の記事が載った)


短歌の風景 (食)

2014-05-16 08:58:06 | 短歌の風景

 

 

  お通しの菜の名わからず問いければ

  答えは壬生菜わずかに辛き

 

 

 

  イカ納豆 置かぬ寿司屋にゃ行かないっと

  決まり文句で もう一皿じゃ

 

 

 

 

  蕎麦強く つゆも立ちたる大梶の

  割子五枚で出雲ごきげん

 

 

 

 

  皿持って 買いに行くんよ

  お好みはパリッとせんでもうどんがええんよ

 

 

 

 

  琴引の舞茸天と

  濃口のつゆがよく合う一福の蕎麦

 

 

 

 

  一夜干かみしめながら

  二点目のトワのゴールを思い出してる

 

 

 

 

  博多なる牧のうどんの汁吸いて麺増えゆくを

  ひたすらに食う

 

 

 

  米子駅二階の隠岐のイカ丼は

  割子も付いて言うことぞなき

 

 

 

  三口まで微妙なれども

  じわじわと名古屋に染まるあんかけスパかも 

 

 

 

 

  梅干でココロの隙間埋めておいて 

  ぶっかけうどんのみこむとするか

 

 

 

  八丁堀福屋の裏のサンカレーは

  水を飲まずに上あごで食え

 

 

 


ランダムにサンフレ昔話 その21 カズの51日間(8) 天皇杯準々決勝vs清水

2014-05-15 19:13:55 | サンフレ昔話

1999年12月23日、仙台スタジアムでの天皇杯準々決勝、清水戦について。

 

 12月23日という日は、天皇杯、Jユースカップ、高円宮杯U-15と色々な思い出がある日だ。前年98年のこの日は、トップは仙台で鹿島と、ユースは磐田で市原と対戦だった。私は経済的理由から、どちらか勝つだろうと家にいたら、トップは本山のVゴールで敗れ、ユースも負け。相手の市原ユースに佐藤兄弟や阿部勇樹がいるのを知らなかったわけで、相手が強いとわかっていたらユースに行っていたと思う・・・。ということもあって、この年の12月23日は迷わず仙台遠征、ただし相変わらず遠征費が苦しかったので18きっぷで大垣夜行を使った。仙台13時キックオフはほとんど余分な時間はなくて、行き帰りとも必然的に同類の貧乏サポA君と一緒になった。好物の牛タンも駅弁買ってスタジアムで食べた。観光はもちろんなしで、当時の仙台の胸スポだった某商品の広告を地下鉄の駅で見つけて記念撮影しただけだった。

 仙台スタジアムのピッチにはところどころ雪が残っていて、その残り方が不自然な感じなのでおそらく昨日あたり雪かきしたのだろう。ピッチチェックに出てきたユタカが寒いと言うのが聞こえてくるところが、さすが専スタの距離感だ。ユタカの後ろをカズが歩いていて、今はユタカに面倒見てもらってるようだ。これなら、前日の夕食で困ることもないだろう。

 ゴール裏にいた子供たちが、久保はどこかと聞くからケガで来てないと答えたら、アレックス(後の三都主)見に行くと去って行ってしまった。仙台の子供たちが知ってるサンフレ選手は久保ぐらいだったのかもしれない。

 サンフレはシーズン終盤からの3-6-1、久保がいなくて苦肉の策であったが、天皇杯はこれで勝ち進むことになる。メンバーを書いておこう。

 

FW 26高橋泰

MF 13古賀、15主税

MF 17服部、4桑原、38カズ、3沢田

DF 19上村、18ポポヴィッチ、6フォックス

GK 16下田

(SUB) GK1前川、DF23川島、MF21大久保誠、9山口敏、FW11森山泰

 

 ゲームは中盤での桑原のハードワークとリベロに復帰したポポヴィッチの安定感で清水を完封、ユタカが右から決めた先制点と上村の追加点で2-0の勝利だった。カズは63分に川島と交代、守りに入る交代だった。当時のノートによると、決定的な仕事はなかったようだ。トムソン時代の清水戦といえば防戦一方でジリ貧になるゲームが多かったから、ホームでもあまり見たことがない快勝に驚いた記憶がある。私はトップチームを遠くで見るとあまり勝率がよくないので、この勝利は輝かしい思い出だ・・・。とにかく、これで2000年元日決勝まであと1勝、ミレニアムVという言葉も囁かれるようになり、そのピッチでカズを見たいという気持ちが強くなっていった。

(挨拶する藤本主税の背中に桑原が雪を入れている・・・)