コロナが流行る前はサッカー観戦、特に育成年代の中学生、高校生の試合をよく見に行っていた。かつて5月の連休に行われていたプレミアカップという中学生の全国大会は堺市のJ-GREEN堺が会場で、南海電車を堺駅で降りて西口からバスに乗る、そのバス乗り場の近くに堺出身である与謝野晶子の像が建っている。
下に歌が刻まれていて、
ふるさとの潮の遠音のわか胸にひひくをおほゆ初夏の雲
晶子のうた
歌集「舞姫」明治39年(1906)刊、に入っている一首である。これは後述する晶子の筆跡とは違っていて、おそらく現代の書家によるものだと思う。それはともかく、J-GREENに行く時はいつもこの像にご挨拶してからバスに乗るのが恒例であった。私が中学生年代の応援を始めたのは2011年、その翌年から2年続けて5月3、4日にJ-GREENに行ったけれども、私が応援しているサンフレッチェのジュニアユースは2年とも4日で敗退してしまって、5日の決勝には進めなかった。5日が立夏であったから、堺駅あるいはJ-Greenで「はつなつの雲」を見ることはできなかった。これは残念なことであった。
翌2014年、私は春先から帯状疱疹を患って、5月3日にJ-GREENに行くことはできなかった。まだ背中の痛みが残っていて、応援の太鼓を叩いたりフラッグを振るのも少し不安であった。選手たちには、決勝に出たら行くよと言っておいた。一試合ぐらい何とかなるだろうという思いもあったが、今年は行けないと言う代わりに軽い気持ちで言ったと思う。
ところが、いい加減に発した言葉は自分に跳ね返ってくるもので、選手たちが頑張ってチームは5日の決勝戦に進出、私も言った手前行かなければならない。中学生の選手たちに嘘は良くない。応援は父兄に任せておとなしく観戦することにして、5日朝の新幹線で出発、いつもの新今宮から南海電車のコースで堺駅西口の晶子さんに挨拶してから会場入りした。あいにくの小雨模様に加えて風も強く、はつなつの雲という感じではなかった。J-GREENには15面以上のサッカーのピッチがあって、S1から順番に番号がついている。メインのS1ピッチのスタンドに入って昨日まで応援の中心だった父兄からタイコを受け取ってみると、やはり決勝戦を応援したいという気持ちが強くなって、タイコを叩くことにした。そのあとは応援に集中して、はつなつの雲のことは忘れていた。そして試合後は頑張った選手たちにおめでとうを言う事ができた。後日、選手が輪になって優勝を喜び合っている写真を父兄からいただいた折に、はつなつを使って賛を入れてみた。
はつなつのJ-GREENのS1のピッチにでっかい紫の花
そのあと何度かJ-GREENに通ううちに、新大阪からだと地下鉄を大国町で乗り替えて住之江公園からバスの方が楽ということに気づいたのだけど、やはり晶子さんは避けて通れない。片道は南海電車を利用することにしている。
ここまで読んでいただいた皆様には大変申し訳ないのだけど、実はここからが本題である。コロナ禍で図書館に行けず、ヤフオクを見始めた8月ごろだっただろうか、明星抄という本の上巻が出品されていた。これは晶子自選自筆の歌を百首、木版刷りにした和綴じの本で大正七年(1918)刊、当時の価格は5円と書いたものがある。大正五年と十年ではかなり物価の変動があって今のどのぐらいとは決めにくいが高価な本であったことは間違いないようだ。そして目を引いたのは紹介の画像の一つに、堺駅西口と同じ歌がのっていた。私にとっては上記のごとく思い出深い歌である。これは手に入れたいと思った。しかし、この時はまだヤフオクで何も買ったことが無くて、右も左もわからない。しばらく様子見をしていたら、1人の方が入札されていたけれど、その後は動きが無い。そしたら数日後、終了期日を待たずに終了となってしまった。事情はわからないが、出品を取りやめたと思われる。参加したいと思っていただけに、残念だった。ヤフオクではもちろん狂歌関係の本を手に入れるのが第一の目的だけど、明星抄も検索ワードに加えて次の機会を待つことにした。
そしたら今月中旬になって、ふたたび明星抄の上巻が出品された。やはり、はつなつの雲の歌が紹介されていて、同じ出品者ではないかと思った。今度は私が先手を打って入札して、最終日に値が上がって一万円を超えたけれど、何とか落札することができた。送料をプラスして一万三千円の出費、私の本代の予算は月五千円程度なので、これは私にしては頑張ったと思う。しばらく本買えないけれど。そして昨日、無事に手元に届いた。まずは、はつなつの歌。
ふるさとの潮の遠音のわが胸にひゞくをおぼゆ初夏の雲
届いてみて初めてわかったことがある。どうしてこのページを紹介画像に選んだのか。実は、このページにシミがありますよと教えてくれている。こういう本の傷みはしっかり示しておかないと後でクレームの原因になるのだろう。思い出の歌を見せて私に買えと言っているのかと思ったが、そんなはずはなかった。出品中毎日のように画像を眺めておきながら全くそのことに思い至らなかったのは愚かなことであった。
気を取り直して歌をみていくと、「おぼゆ」の「ほ」の書き方が私が普段読んでいる狂歌の本とは違っていて、ちょっと不安になったので他の歌で「ほ」の字が出てくるものを挙げておこう。
蝶ひとつ土ぼこりよりあらはれてまへにまふとき君をおもひぬ
獅子王に君はほまれをひとしくすよろこぶときもかなしむ時も
この二例は今まで見たことがある「ほ」に似ている。「おぼゆ」の「ほ」は少し書き損じたのかもしれない。そしてこの二つの歌の下絵は雲母刷り(きらずり)、光が反射している部分でわかっていただけるだろうか。装丁は日本画家で歌人でもあった平福百穂によるもので、さらに調べてみるとこの明星抄には、50丁全部が雲母刷りの本と、最初と最後の10丁が雲母刷りのものがあると書いてあった。上のはつなつの歌のページは雲母刷りではないから、うちに来たのは後者のようだ。これも、よく調べもしないで何も知らずに入札していたかと思うと冷や汗である。ついでに表紙と中表紙ものせておこう。
つまり私は、この本の装丁の眼目である雲母刷りではない部分の、しかもシミがあるページを見て欲しいと思った訳だ。自分の見たいものしか見ないような人間がアンティークの類に手を出すべきではないという教訓は残った。しかし考えてみると、はつなつの雲のページにシミがなかったならば画像で紹介されることもなく、この本を買うことも無かったのだから、何かの縁と思ってしっかり読んでみたい。みだれ髪からも入っていて、他には鎌倉や御仏なれどの歌もある。このあたりを代表作と言われるのを晶子は嫌がっていたことを考えると、自選といいながら読者へのサービスもあったのだろう。そのあたりも考えながら読んでみようと思う。