阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

栗本軒貞国 年表

2022-08-11 09:37:52 | 栗本軒貞国

(新たに書き加えた項があり、投稿日時を最新に改めました)

貞国の生涯について、年代のわかっているものを記しておこう。貞国の没年齢については80と87と二説あるが、命日については複数の資料から天保四年二月二十三日で間違いないと思われる。また、狂歌書目集成にある「甲寅春序狂歌」「歳旦帖」は所在が確認できていない歌集だ。こうしてみると、寛政年間に柳縁斎として登場する以前、先師貞佐との関りがほとんどわからない。貞国の号は、あるいは貞佐没後に名乗ったのかもしれない。貞国没後の広島の柳門についてもわからない事が多い。貞風、貞江、貞鴻、貞卯など、年代がわかるものを書き加えた。なお、貞佐の広島移住であるが、広島県史の年表の享保13年は、知新集や近世畸人伝の30歳で養子に入ったという記述に当てはめたもので疑問は残る。ただし、先代が享保16年浅野宗恒公御元服の祝儀として江戸に行くと知新集にあり、その頃までに代替わりがあったのかもしれない。

 

1728 享保13 桃縁斎貞佐が芥河屋の養子となり広島に移住(知新集・近世畸人伝 )

1734 享保19 貞柳没

1746 延享3 貞柳十三回忌追善集に貞佐門人で広島の竹尊舎貞国の歌(狂歌秋の風)

1747 延享4 87歳没とすると、この年貞国誕生か

1754 宝暦4 80歳没とすると、この年貞国誕生か

1777 安永6 「狂歌寝さめの花」に葵という名で4首入集

1779 安永8 貞佐没

1789 天明9 柳縁斎貞国撰「両節唫」 (千代田町史)

1790 寛政2 柳縁斎貞国が願主となり大野村に人丸神社を勧請(松原丹宮代扣書

1791 寛政3 本川の養徳院で貞佐の十三回忌追善狂歌会「接木桃」 (千代田町史)

1793 寛政5 貞国撰か?「歳旦」 (千代田町史)

1793 寛政5 貞国撰「春序詠」 (千代田町史)

1793 寛政5 「狂歌桃のなかれ」に柳縁斎貞国の歌十二首。芸陽柳縁斎師とも。

1794 寛政6 桃縁斎一派による「甲寅春序狂歌」刊(狂歌書目集成)

1794 寛政6 貞国撰「歳旦」 (千代田町史)

1796 寛政8 栗本軒貞国撰「歳旦帖」刊(狂歌書目集成)

1801 享和元 栗本軒貞国詠「狂歌家の風」刊

1804 享和4 栗本軒貞国撰「両節詠」 (千代田町史)

1804 文化元 大島貞蛙の「玉雲流狂歌誓約」に「栗本軒福井貞国 尊師」(大野町誌)

1806 文化3 大島貞蛙の庄屋格を祝う歌会に追加で貞国の歌(大野町誌)

1810 文化7 山縣郡都志見村の駒ヶ瀧にて貞国の歌二首(石川淺之助氏所蔵文書)

1815 文化12 芸陽佐伯郡保井田邑薬師堂略縁起並八景狂歌に貞風と貞国の歌(五日市町誌)

1818 文化15 「狂歌あけぼの草」の貞風の序文に貞国の歌(五日市町誌)

1821 文政4 梅柳斎貞江が柳門伝なる文書を発し烟霞斎貞洲への冠字を許す(呉市史)

1824 文政7 佐伯貞格に与えた「ゆるしぶみ」に貞国の署名と歌(五日市町誌)

1831 天保2 柳縁斎貞卯生まれる(昭和61年の新聞記事、新聞社不明)

1832 天保3 門人の冠字披露のすりものに貞国の歌(岡本泰祐日記

1833 天保4 二月二十三日貞国没(聖光寺狂歌碑、岡本泰祐日記、尚古)

1837 天保8 「鶯哇集」に梅縁斎貞風の還暦を賀す狂歌(可部町史)

1852 嘉永5 熊野村榊山神社狂歌額に「栗本軒貞鴻」(熊野筆濫暢の記)

1899 明治32 柳縁斎貞卯没(昭和61年の新聞記事、新聞社不明)

1901 明治34 柳縁斎貞卯の立机を大阪都鳥社が支援(京攝狂歌師名簿 )

1908 明治41 広島尚古会編「尚古」参年第八号、倉田毎允著「栗本軒貞国の狂歌」 


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