阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

こがれて胸を焼芋の

2020-10-25 10:57:35 | 狂歌碧葉集
三世久鳳舎桐丸詠「狂歌碧葉集」1930年刊、今日は恋の部から一首、


         寄芋戀

  夜もすがらこがれて胸を焼芋のほつこりとして待つ身侘しも


「ほつこり」については二年以上前だけれども「ほっこりしない話」に書いた。簡単におさらいしておくと、江戸時代には物理的に加熱して暖かいという場合に「ほつこり」が使われて、特に湯気、蒸気が重要な要素であり、上方の蒸し芋売りは「ほつこりほつこり」と売り歩いた。温泉でほつこりという用例もあった。明治以降はあまり使われなくなって国語辞典からも姿を消したが、平成になってから誰が流行らせたのかわからないが再び使われるようになり、特に「心温まる」という意味での用例は平成に入ってからの特徴である。これとは別に、京ことばでは疲労感を表す「ほっこり」という言葉もあったようだ。

であるから現代ではこがれた胸をほっこりとは表現しない。また、古くは蒸し芋がほっこりであったはずだがここでは焼芋がほっこりになっている。芋売りの「ほつこり」あるいは「ほこほこ」は上方狂歌にも時々出てくる表現であった。「ほっこりしない話」に引用した狂歌をもう一度あげておこう。


琉球のいもにはあらぬ里いもの名月ゆへかほつこりとせぬ (華産) 

さかほこかいやほこほこのさつまいも荷をさしおろしうる淡路町  (紫笛)

風あらく吹たつる夜は芋売のほこほこといふ声も寒けき  (栗洞 )


それで知識として「焼芋のほつこり」と続けたのか、それとも桐丸の頃にはまだ「ほつこりほつこり」の芋売りの声が残っていたのだろうか。古い表現を引っ張り出したのか、それとも、ほっこりはまだ使われていたのか、書籍検索しても現代の心温まる用例ばかり出てきて、大正や昭和の「ほっこり」を探すのはむずかしい。ひとつ、「水都大阪の民俗誌」に、

薩摩芋売り「ほつこりほつこり、ぬくいのあがらんかいな、ヤアほつこりじやアほつこりじやア」 

というのが出てくるのだけど、検索画面だけだといつ頃の話なのかわからない。

という訳で、「こがれた胸を焼芋のほつこりとして」は古い言葉を引っ張り出してこがれた胸とつなげたのか、それとも当時の人にはすんなり納得できる表現だったのか、そこがわからないとこの歌の評価は難しい。もし後者だとすると、京ことばの「ほっこり」と少し接点があるような気もする。とにかく桐丸の時代の用例を紙の本で探すしかないようだ。もし見つけた方がいらっしゃいましたら、コメントでご教示ください。

狂歌碧葉集

2020-10-22 20:04:55 | 狂歌碧葉集
先日ヤフオクに玉雲斎貞右の本が出品されていたのだけれど、落札できたのは貞右の丸派の流れをくむ都鳥社の三世久鳳舎桐丸の狂歌碧葉集、昭和5年の出版である。三世桐丸は明治11年(1878)大阪市の生まれ、没年がわかっていないことから、国会図書館デジタルコレクションの同じ本は著作権保護期間(作者没から70年)の確認中となっている。長命であればまだまだ保護期間が残っている可能性もある。活字の本の中に十首余は絵入のくずし字で面白いものも多いのだけど、著作権が残っているかわからないということなので、ここに載せない方が良いのだろう。歌だけをぼちぼち引用していきたい。

まず、作者の三世桐丸の三世というのを調べてみた。初代は明治18年に都鳥社が創設された時の主要メンバーであった久鳳舎桐丸、三世桐丸の師の都柳軒桐丸が二世ということのようだ。三世桐丸を名乗る前は都草庵秋丸という名で野崎左文の「狂歌仕入帳」やこの碧葉集の序も書いている都花園御代丸の「狂歌獨稽古」に名前が見える。碧葉集はもちろん大阪がホームながら、東京の地名が出てくる歌も入っている。今日は、雑の部から一首、


        空中旅行

  やすやすと無事につくしへ飛行機でつかれも知らぬひがへりの旅


調べてみると昭和4年7月というからこの歌集の出版直前に東京ー大阪ー福岡の定期便が就航したようだ。その前には大阪別府間にはあったようだが、大阪福岡は確認できなかった。実際に日帰りの旅に桐丸が行ったのか、広告か記事を見て詠んだのか、この歌だけではわからない。前に左文の飛行郵便の歌を紹介したが、東京大阪間の郵便試験飛行が行われたのは大正10年、それから十年の間に大阪博多間で日帰り旅行という時代になったようだ。乗り心地はどうであったろうか。私は幼少の頃、広島松山間を飛んでいたヘロンという小型のプロペラ機に乗ったらガタガタ揺れて大泣きした記憶がある。上記の定期便に使われたスーパーユニバーサルという飛行機はウィキペディアに乗客6名とある。やはりそんなに快適だったとは思えない。大阪市勢要覧昭和6年版によると大阪福岡間は3時間、料金は35円とある。昭和6年の小学生教員の初任給が45円から55円というレファレンスがあり片道35円は今の10万円前後の感覚だろうか。どうも「やすやすと」という感じではなさそうだ。

歌としては「無事につくし」ぐらいしか狂歌らしいところがないのだけれど、こんな感じで目新しい歌を紹介していきたいと思う。